37*そう上手くはいかない -02-

 アイリスとジェシカが少し後ろで会話をしている。

 その間、ロイはグレイに話しかけていた。


「ジェシカ嬢と何かあったのか」

「…………」

「俺と話したあの後のことは、聞いていいか」

「…………」


 一向に話してくれない。

 顔も合わせてくれない。


 どうやら答える気はないらしい。


 以前ジェシカと話していた時は表情が柔らかくなったような気がしたが、出会ったばかりの頃になっている。途中アイリス達のことをちらっと見ていたが、すぐにまた顔を前にしていた。


 そんな状態でもロイは落ち着いていた。

 士官学校でもこのような生徒はいたのだ。


 自分のことを頑なに言いたくない者。

 言葉にするのが苦手な者。


 こういうタイプは心を開いてもらうのに時間がかかる。信頼関係も必要になる。


 相談してくれた時、少しは信頼してもらえているのかと嬉しかったのだが。今の彼は誰に対しても心を閉ざしているようにも見える。いっそリアンが話を聞いた方が答えてくれていたかもしれない。


 それでもロイは一つだけ質問をすることにした。答えてくれるかは分からないが。普段はしないやり方だが。今の彼には、一番届くような気がしたのだ。


「デニール、」


 名を呼ぶ。


「ジェシカ嬢のことが嫌いになったのか」

「嫌いではありません」


 間髪入れずに返ってきた。

 眉を寄せ「心外だ」とでも言うように。


 見当違いなことを言ったからだろう。ロイだってそう思ったから聞いたのではない。聞いたのだ。


 ロイはにこっと笑う。


「そうか。それならよかった」


 グレイが足を止めたからか、後ろにいたアイリス達も足を止めていた。こちらのやり取りを、目をぱちくりして見ている。ロイは気にせず「行こう」と彼の背に手を回し、歩くように促した。




「わぁ……」

「並んでいるわね」


 一向は無事に人気の菓子店に到着したが、そこには女性達の行列があった。お店の内装がおしゃれなだけでなく、お菓子が可愛くて美味しいと評判の店だ。まさかこんなにも大行列だとは。


「店内で食べるのは難しいかもしれないな」


 ロイがお店を探してくれたのだが、ここまで多いのは予想外だったようだ。


「買ってどこかで食べようか。俺が買ってくる」


 「自分も行きます」とグレイ。

 「私達も行きますよ」とアイリスも言葉を被せる。


「デニールは一緒に来てくれるか。アイリス達は待っててくれ。ずっと立たせるわけにはいかない」


 アイリスは何度も大丈夫だと伝えたが、ロイは引かなかった。一緒に待つくらい平気なのにと思っていれば、ジェシカが笑って「お任せしましょう」と仲裁に入る。こうして一旦分かれることになった。


 アイリス達は近くで座って待つことにした。菓子店は見える場所にあるので、ロイ達の姿も確認できる。


「ああいう時は任せるのが一番よ。男性は頼られるのが好きだから」

「待つのも好きなんだけど」

「グラディアン教官と一緒だから、ってことね?」


 ジェシカがほくそ笑む。

 事実だが言われると少し恥ずかしい。


「さっきよかったわね。グレイはジェシカのこと嫌いじゃないって言っていたわ」

「そうね……それはよかったわ」


 ほっと、安心するような顔になっている。

 その様子に、アイリスは思わず質問した。


「ねぇジェシカ。もしグレイに好きって言ってもらえたら嬉しい?」

「どうしたの急に」

「いいから」

「…………そう、ね」


 少しだけ考え込んでいた。

 しばらくして、ふっと微笑む。


「嬉しいと、思うわ」

「…………」

「どうしたのアイリス。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」

「いやだって……いつも人に好かれると鬱陶しそうにしてたのに」

「今までの人達は鬱陶しかったもの」

「そうかもしれないけど……」


 グレイの立ち位置が気になる。


「ね。ジェシカにとってグレイってどんな人?」

「え?」

「教えて」

「どう……と言われても。難しいわ」

「ええ?」

「だって恋人役を頼んでいるだけだもの。前は友人だと自信をもって言っていたけど、最近はグレイの態度がよく分からないし……だからよく分からないわ」


(それもそうか)


 元々出会った経緯も特殊だ。


 ジェシカはいずれ協力してもらうためにグレイに友人になろうと持ち掛けた。グレイは主人であるリアンが許可を出したから友人になった。


 グレイがジェシカの味方になってくれるなら嬉しいが、親密な関係になるとちょっと嫉妬したくなる。それでもグレイは信頼のおける人物であることに変わりはない。アイリスは悩むように腕を組んでしまう。


「ねぇアイリス。あれ」

「ん?」


 ジェシカに声を掛けられ顔を動かすと。


「は!?」


 ロイ達が女性陣に囲まれていた。


「素敵な殿方だわ~」

「お二人とも背が高いわね」

「どこからいらしたの?」

「この後ご一緒しません?」


 お菓子を買いに来た女性達からいくつも声が上がっている。年齢は様々。若い女性もいるが少し年上のお姉さん方もいる。男性二人が買いに来ていたのが物珍しかったようだ。そうでなくても彼らは容姿的によく目立つ。女性達の色めいた声や見つめる眼差しの熱量に、アイリスは唖然とした。

 

 ちなみにロイはやんわりと、上手く話を終わらせようと頑張っている。グレイは一切興味がないのか、黙ってそっぽを向いていた。


「見事に囲まれているわね」

「な……な……」


(私のなのに……!)


 こういう現場を全く目撃したことがないわけではないが、士官学校では女性の数は少なかったし、真面目な人が多かった。ロイの人柄を考えれば人気があるのは分かるが、多くの女性が彼に夢中になる姿を見るのは初めてかもしれない。


 大体いつも自分と一緒にいるから気付かなかったのだ。傍にいない今、こういうことが起こることもあるのだと知る。


 とはいえ。


 アイリスは誰が見ても分かるほど、どんどん不機嫌になっていく。眉間に皺が寄っていた。


 ジェシカはふふ、と笑う。


「アイリス。行ってらっしゃい」

「えっ。でも」

「今は堂々と恋人だと名乗っていいでしょう。その方がグラディアン教官が助かるかもしれないわ」


 ジェシカの促しに目を動かせば、ロイがこちらを見て何やら話している。ジェシカが背中をぽんと、押してくれた。


「ほら」

「っ……! ありがとう」


 アイリスは小走りでロイの方へ向かった。

 すると彼は、気付いてくれる。


「アイリス」

「ロイ殿。あの」


 急に肩を抱かれた。


「彼女が俺の恋人です」

「あら可愛らしい方ね」

「あなたも騎士なんですって?」

「お二人は騎士団で出会ったの?」


 急な質問攻めに合う。


 アイリスは戸惑いつつロイを見る。

 彼は子供のように笑った。


「アイリスのことが気になったらしい」

「そうだったんですか」


 どうやら早い段階で恋人だと紹介してくれていたらしい。アイリスの表情に安堵が見られると、ロイは気付いたのか耳打ちしてきた。


「俺はアイリスのものだから、心配しなくていい」

「っ……!」


 低く囁いた声に緊張してしまう。

 彼は小さく笑って続けた。


「同時にアイリスは俺のものだ。誰にも渡さない」

「ロ、ロイ殿」


(人前でそんなこと……!)


 咎めたいが、人前ではそれも難しい。どういう顔をすればいいのか分からなくなる。周りの女性達にもどうやら聞こえたようで、きゃあきゃあと色めく声が溢れていく。


「恋人のことを一番愛してらっしゃるのね」

「羨ましい。うちの旦那にも見習ってほしいわ」

「なんだか見守りたくなるわね」

「な、な……」


 周囲の様子に、アイリスはたじろぐ。


 なんだか思っていた反応と違う。歓迎されているようで嬉しいが、この場が埋まるくらい人がいる中でこんな話になるのがものすごく恥ずかしい。何も言えずどぎまぎしていると、ロイが口を開いた。


「彼女は照れ屋なんです。可愛いでしょう」

「ロイ殿っ!」


(もうっ!)


 可愛いと言ってもらえるのは多少嬉しいがやはり恥ずかしい。この場合、ちょっとからかいも含まれているんじゃないだろうか。すると周囲は「可愛い~!」と言い、ロイに合わせている。皆も彼に甘すぎないだろうか。ちょっと怒りたくなったが、彼の表情が嬉しそうだった。


(そんな顔されたら何も言えないじゃない……)


 褒められて嬉しいのだろうか。

 ロイはずっとにこにこしている。


「あら、あちらもすごいわね」

「「?」」


 女性の一人が別の方向を見て言った。

 アイリス達も思わずそちらに目を動かす。


「ジェシカ!?」


 一人で待っているはずのジェシカの元に、何人もの男性が集まっていた。彼らの表情から、ジェシカに見惚れているのが分かる。


 当然だ、あんなにも美しいのだから、とアイリスは自慢したい気持ちでいっぱいだが、だからって軟派していいわけじゃない。さり気なく声をかけているようで、ジェシカもいつもよりは落ち着いて対応している。男性達は一般的な服装だ。貴族と違って、強引な男性はいなさそうだった。


 だが群がりがあると周りも気になるようで、どんどん男性の数が増えているような気がしてならない。さすがにアイリスは焦った。


(ジェシカを一人にするんじゃなかった)


 モテることは知っているものの、街中で歩くだけでこうなるのか。いつもは気が張っているジェシカだが、今日はどちらかといえば無防備かもしれない。可愛らしいドレス姿に穏やかな笑みを向けられて落ちない人はいない。今日はいつもより優しい雰囲気を出しているような気がする。


「私、ジェシカのところに」


 ロイに声をかけようとしたが、それよりも横を通った風の方が早かった。思わず目で追えば、いつの間にかグレイが、ジェシカの元へ向かっていた。







「あの、お一人ですか」

「よかったらお茶でも」

「今日はどのような予定なんですか」


(あら)


 ジェシカはぼんやりしていた。


 アイリスを送り出したと思えば数分後には多くの男性に言い寄られている。自分の美貌は理解しているものの、まさかこんなにも一気に声を掛けられるとは思わなかった。


 今日はアイリスと一緒だったこともあり、どちらかというと気が抜けていた。グレイに嫌われていないことに安心していたところもある。


 いつもなら男性のアプローチはかわしているところなのだが、そんな余裕はなかった。思ったよりグレイにされたことに傷いついていたらしい。


 アイリスから質問されて、グレイに好かれるのは嬉しいかもしれないと思えた。彼から嫌われているわけじゃないならいい。そう思っていた矢先に囲まれてしまい、ジェシカはどうしようかと考えた。


 無理やりどこかへ連れて行こうとしない、自分を見た目や地位だけで判断しない目。好奇の目に晒されているものの、今までよりずっとましだ。だからあまり気にならなかった。


 だから普通に断ろうとした。

 言えば分かってくれる気がしたから。


 ジェシカが口を開こうとすると。


「――自分の連れに、何か御用ですか」


 グレイが目の前に来る方が早かった。


「な、なんだ君」

「もしかして彼女の恋人?」


 周りがグレイの顔面の良さに慄いていると、グレイの言葉は止まった。恋人だと、口にするのはためらっているような様子だった。


 これにジェシカは、心に針が刺さったような、小さな痛みを感じた。今の彼は、それを口にしたくないのだと、知ってしまった。


 なら自分も、そう言うのはよそう。


「大事な友人ですわ」


 ジェシカは笑ってそう答えた。


「申し訳ありませんが、他の友人とも一緒なのです。皆さんの申し出はご遠慮致しますわ」


 やんわりと、だがしっかりとそう伝える。


 すると彼らは引いてくれた。おそらくグレイの、どことなくぴりついた空気を感じたからだろう。大勢の男性が一斉に去っていくと、ジェシカはグレイに礼を言った。


「ありがとう、グレイ。助けてくれて」

「…………いえ」


 背中を向けたままだ。

 答えた声は小さかった。


 それでもジェシカは微笑む。

 思わず口についていた。


「恋人役、解消しましょうか」


 するとグレイは振り返った。


 目を見開いていた。動揺するような、硬い表情になっている。初めて見るかもしれない。


 ジェシカはあくまで優しく諭す。


「これ以上、迷惑をかけるわけにはいかないわ」

「迷惑では」

「久しぶりに目を合わせてくれたわね」

「っ……」

「嫌なことはしてほしくないの」

「……嫌では、ありません」

「でも」


 責任感だけでやってほしくない。

 命令だけでしてほしくない。


 もっと自由で、いてほしい。


(いつものグレイでいてほしいの)


「――お姉様?」


 背後から聞こえた、聞き覚えのある声。

 ジェシカは思わず身体が強張った。


 近付いてきたのは、可愛らしい最新のドレスに身を包んだ女性。長いブロンドの髪に橙色の大きな瞳。笑みを浮かべたその姿はまさに貴族令嬢。――に見せかけた、ただの使用人。


 自分の全てを奪った、レイナ本人だった。


 血は繋がっていないのに年上だからという理由で、いや、妹のような感覚で「お姉様」と呼んでくる。だから周りが勘違いをしてしまう。否定したらこちらが悪者にされてしまう。だからジェシカは呼び方について深く追求していない。


 彼女は複数の使用人と一緒にいた。彼女の使用人、もとい護衛は全て男性。しかもそれなりに顔がいい者を選んでいる。使用人の一人は日傘をレイナに向けていた。彼女は優雅に扇子を振っている。


「仕事をしているだけかと思えば、外に出ることもあるんですのね」

「ええ」


 ジェシカは最低限の返事しかしなかった。

 彼女と話す時はいつもこうしている。


 余計な言動は命取り。

 どんなに皮肉を言われようが、相手にはしない。


 堂々とした振る舞い。凛とした姿勢。

 これだけは絶対に崩さない。


 レイナはあからさまに眉を寄せた。


「相変わらず冷たい顔ですわね。もっと微笑んだらいかが?」

「今日は何か用事が?」


 するとむっとする。


「ええそうですわ。もうすぐパーティーがありますの。デザイナーに注文したドレスを取りに行くところですわ。そういうお姉様は、」


 彼女の目がグレイを捉えた。

 一瞬目を見開き、口元を緩ませる。


「グレイ・デニール様……? どうしてここに?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

氷の花は憧れの師から溺愛される 葉月透李 @touri39

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ