32*愛をもらえなかった少女は今 -02-

「まさか社交界に、招待されていない者が混ざりこんでいたとはね……」


 ジェシカは報告書を二つ用意していた。


 一つは家のこと。

 もう一つの社交界のこと。


 一見別の話だと思われるが、一緒にまとめた。社交界に関してはクロエにも協力してもらった。王族に密告したのはジェシカの判断だが、屋敷の信頼できる使用人やモニカ、警備の騎士達の協力があってこそだ。


 社交界は基本的に「貴族」の交流場。


 社交界に限らずだが、このような集まりは参加者が限られる場合もある。例えば伯爵以上であるとか、侯爵、公爵だけが集まる会合もある。


 前回アイリスやモニカが参加したのは、貴族の親族や関係者も参加可能であるもの。その場合は事前に申請し「許可証」をもらう必要がある。


 参加が可能な人物であるか、身分を証明しなければならない。でなければ会場に入ることも叶わない。「貴族」の交流場なのだから、相応しい身分の者しか入れないのだ。


「神聖な社交界に、野蛮な男がいた話か」


 シリウスが声を低くする。


 彼が苛立っているのは、彼自身も参加し、アイリスやモニカも参加した社交界で、相応しくない身分の者が社交界を荒らしたからだ。


 アイリスを襲った男。

 どうやら招かざる者だった。


 命知らずな貴族の男がやらかしたのかと思えば、あの男は貴族ではなかった。どうやら「許可証」は偽物だったらしい。あの後モニカや警備をしている騎士が、色々と調べてくれた。


 話を聞けばその男は、アイリスのことを知らなかった。アイリスは貴族の中でも有名な侯爵家の令嬢。知らない方が珍しい話だ。アイリスのことはそこら辺の貴族と格が違うと気付いた上で手を出したようで、モニカから話を聞いたジェシカは、飲んでいた紅茶のコップをぶん投げたくなるほどの怒りが湧いた。


 問題はそこだけじゃない。


「何者かが『許可証』を偽造し、その男に渡していたようですわ。それに、今まで何人もの男が無断で社交界に参加していたとか」

「その手引きをしたのが、リンガー親子かもしれない、ってことだね」


 許可証を誰にもらったのか男に聞いたが、口が堅いのか言わなかった。だが彼がこぼす言葉をかき集め推理したところ、キャレットかもしれないことが分かった。しかも屋敷の使用人が許可証を見たそうなのだ。キャレットが何枚も持っていたと。事前に何枚も手に入る代物ではない。


 そもそも「許可証」は貴族しか見たことがないもの。正式な紙を採用しているし、平民が偽造するには無理がある。貴族であれば、何かしらのツテを使って手に入れることは可能だ。


「見知らぬ人達がよく屋敷を出入りしていたそうですわ」


 きまって、父であるジェイクがいない時に。屋敷の主人がいない間に知らない人物を招待するのは怪しい行いだ。ジェシカは寮暮らしなので、実家の様子は分からない。使用人の目しかないからこそ、好き勝手にしているようにも思う。


 バルウィンは首を傾げる。


「しかし分からないね。どうしてそんなことをしたんだろう」

「キャレットの目的は正直分かりませんわ」


 キャレットは見目麗しい女性だが、性格はどちらかというと大人しい。父に対しても必要最低限の会話しかしない。だから何を考えているのか、分かりづらいところがある。


「ですがレイナの思考は予想できます」


 対して娘は性格が逆だ。かなり奔放で行動力がある。愛嬌があるといえば聞こえがいいが、悪い意味でずる賢い。


 具体例を示した方が早い。

 ジェシカはあっさりと言った。


「私にはかつて婚約者がおりましたが、婚約破棄されました」

「え」

「別の女性が好きになったからと言われたやつか」

「さすがシリウス公はよくご存じで」

「高嶺の花ではなく傍の野花……に見えた雑草を好むとはな。話を聞いた時は気でも狂ったのかと思った」


 シリウスがせせら笑う。


 婚約破棄をされたのは十七。

 今から四年前の話だ。


 早い段階から婚約の話が進んでいた相手だったが、なぜか婚約者はレイナを好きになってしまったと言ってきた。


 屋敷へ遊びに来た時、隠れてレイナと秘密の逢瀬を重ねていたらしい。それに彼は、レイナをジェシカの妹だと思っていたようだ。彼女がそう言ったのか、そう見えたのか。父により令嬢のように育てられたせいか。なんでもいいが、それにより破談となる。


 そもそも父が勝手に決めた相手だったので、ジェシカとしてはあまり未練はなかった。彼とレイナが結ばれ、幸せになるのならと、その頃は純粋に祝福をしようと考えた。


 だが予想外のことが起きた。

 レイナは彼をすぐに捨てたのだ。


「す……捨てた……?」


 バルウィンは困惑するような声を出す。

 ジェシカは首をすくめた。


「彼女は色んな男性を手玉に取りながらすぐに捨てておりますわ」

「ええ……」

「それに人の物がすぐ欲しくなるようで。私に来た縁談も、レイナが先に動いて惚れさせては捨てるを繰り返しています」

「それは……ちょっとどうかと思うね……」


 バルウィンがドン引きしている。

 その反応が普通だろう。


 だが捨てられた男性達はレイナに心酔しきっている。それに、彼女の悪い噂は全く聞こえてこない。裏で手を引いているとしか考えられないが、それをもし父がしていたとしたら、誰も何も言わないだろうなという結論になる。


 どちらにせよレイナは小悪魔。そんな女性に惹かれる男性も世の中にはいるだろう。弄ばれてみたい、と思うのかもしれない。笑顔は向けるが全て冷たい言葉で返す自分とは大違いだ。


「男性はレイナをすぐ好きになってしまうようですわ。見た目も中身も可愛らしいからでしょうか」

「あれに騙される男は余程の馬鹿で見る目がないな」


 辛辣な言葉が響く。それにジェシカは笑みがこぼれる。彼は彼女に騙されないだろう。分かってはいたが、思った以上に嫌っている。


「シリウス公がレイナに惹かれる姿、見てみたかったですわ」

「あんなのに俺が惹かれると?」

「絶対にあり得ませんわね。愛のない結婚を求めている方ですもの」

「今からでも遅くはない。俺にしておくか」

「ご遠慮致しますわ。未来の『社交界の花』と競いたくありません」


 するとシリウスの眉がぴくっと動く。


 バルウィンは思わず身を乗り出した。

 目を輝かせている。


「社交界の花? 聞かない呼び名だね。そんな子がいるの?」

「バルウィン、」

「とても華がある子です。ぜひバルウィン殿下にも注目して欲しいですわ」

「注目しなくていい。どうせすぐに根を上げる」

「あら。グラディアン教官の妹ですのよ? きっと心は強いですわ」

「ジェシカ・フェイシー……」


 シリウスは無意識に歯ぎしりをする。

 わざわざその人物が誰か語ったからだろう。


「ロイ殿の? 妹は貴族になる予定だよね。年齢は確か……十六か。すぐにデビュタントに参加できるね。そうだシリウス。君がエスコートしてあげたら?」

「断る」

「断るの早いね」

「元々平民だった者をなぜ俺がエスコートしないといけない」

「また君は……。すぐに身分で判断するのはよくないよ。ああそうだ。俺がエスコートしようか」


 いい提案、とでも言うようにバルウィンは手を叩く。ジェシカは「あら」と声が出る。シリウスは「はぁ?」と眉を寄せた。


「ふざけるな。第一王子がエスコートなんてしてみろ。周りが勝手に騒ぎ立てるだろう」

「それはそれで面白そうだね」

「面白いかどうかで決めるな馬鹿」


 吐き捨てるような言い方をされるが、バルウィンはにこにこしたままだ。「じゃあシリウスがエスコートする?」「するか馬鹿」とまた馬鹿呼ばわりしていた。王子に対しても態度が変わらないシリウスだが、絆があるからこそのやり取りだ。


「話を戻しますが、レイナは男性を手玉に取るのが上手ですわ。惚れさせては捨てるということを繰り返すのは、それだけ自分に自信がある証拠。社交界に野蛮な男を入れたのはおそらく、自分が一番になるためです」

「一番?」

「レイナは貴族令嬢のように振る舞っていますがその身は平民。貴族界では魅惑的な令嬢は多くいます。つまり、自分が一番だと思わせるために、令嬢達をわざと襲わせているのだと思われます」


 元々貴族の血がないのだから、本物の貴族令嬢と比べればどうしたって劣る。例え見目が美しく、男性に好まれそうな振る舞いをしても。


 ジェシカがデビュタントデビューした日、なぜか一つ下のレイナは父と共に参加していた。周りとの人脈づくりのために。顔と名前を売るために。


 ジェシカは使用人と一緒に参加した。壁の花となって見ていたが、レイナは特に男性に媚びを売っていた。なぜそのような振る舞いをするのかは分からないが、元々我儘気質なところはある。自分が一番目立ち、令嬢の中でトップに躍り出たいのだろう。


 レイナからすれば、自分より目立つ女性はみんな邪魔なのだ。目立つ令嬢がいなければ、自分が一番になれる。それに、優良物件の男性に出会う可能性も高くなる。


 一番身近にいるジェシカは一番の被害者と言える。自分だけなら別にいいと思っていた。士官学校で鍛えた全てを使って大体返り討ちにしているからだ。だが周りまで巻き込むようになるとは。


 調べればアイリス以外の令嬢も被害に遭っていることが分かった。ひどい場合は、身体に傷がついた者もいる。心に傷を負った者もいる。許せない。周りを蹴落としてまで上に行きたいのか。


「私はレイナを使って証拠を得ようと考えています」

「「!」」

「現状二人が怪しいと言えるだけで、証拠は何も揃っておりません。私が囮になりますわ」

「どうするつもりなの?」

「もうすぐ剣術大会が行われます。今年は『優勝者の望みを全て叶える』と、リアン殿下が大々的に伝えています」


 以前剣術大会の報酬をどうするか悩んでいたが、無事に決まったようだ。それが「優勝者の望みをなんでも叶える」というもの。


 かなりざっくりしているが、これにより平等に願いを叶えることができる。今年はリアンの側近であるグレイが参加予定。それもすでに公表されており、騎士達の士気も上がっている。グレイが参加するからこの報酬になったとも言える。


「グレイには私の恋人役を引き受けていただきます。剣術大会で優勝し、そこで仲睦まじい様子を見せるのです。剣術大会は注目度が高いですわ。周りの噂になれば、必ずレイナは食いつきます」

「食いつく?」

「彼女は私のことが一番気に入らないのです。父に放置されているのに悲観的になっていない私が。婚約者を取られても平気な様子の私が。何度も嫌がらせをされておりますわ。全て無視しておりますけど」

「い、嫌がらせって……」

「興味がない男性をわざと私にあてがったり。逆に士官学校にいるいい男性を紹介してほしいと言ってきたり。文官として働いている時も色々ありますわね。いつの間にか持ち物が消えたり、机の上に虫がいたりだとか」

「…………」

「……よく平気だな」


 さすがのシリウスも引いていた。

 ジェシカは極上の笑みを浮かべる。


「今となっては何をされても傷つきませんわ」

「心が強いね……感服するよ……」

「彼女は人の物を欲しがります。騎士の中でも容姿が良く人気もあるグレイなら、より食いつくと思いますわ。『なんであんなに素敵な人があなたの相手なの?』と」

「彼女の思考をよく理解しているようだね」

「女は怖いな」

「この件、私に任せていただけませんか。レイナが目立つ行動を取れば、おのずと隙は作れるはずです。キャレットは用心深いところがありますが、レイナはそこまで賢くありません。彼女を利用するのです」


 キャレット自身は控えめで慎重だ。だが彼女も母だ。娘のレイナのことは甘やかしていたように思う。彼女の望む全てを叶えてあげようと動いているように感じる。だから許可証も手に入れたのではないだろうか。


 キャレットが父をどのように見ているのかはよく分からない。だが父からの好意を上手く利用している。それは間違いない。


「……なにより私、その男がアイリスに触れたことが許せないんですの」


 親友が傷ついた。

 自分のせいで。


 その事実が許せなかった。


 自分がもっと早く家のことを対処していれば。アイリスが傷つくことも、他の令嬢に被害が及ぶこともなかったんじゃないか。事実を知った今、後悔ばかりが自分の中にある。


 自分だけの問題なら、自分だけ傷つくだけなら、このままでよかった。だが放置したせいで周りに被害が拡大した。これは自分の責任でもある。


 士官学校時代、アイリスに出会えて感謝している。お互いに本音を言える相手で。ありのままの自分でいられて、それを受け入れてくれた。だから彼女が無遠慮な目に遭ったと聞いて。激しい怒りが湧き、何もできなかったことが悔しく、絶対に許せない思いでいる。


 ジェシカは真顔で二人を見る。

 決心は揺らがないと示すように。


 バルウィンは小さく微笑む。


「ジェシカ嬢は……アイリス嬢が大切なんだね」

「親友ですから。一番大事ですわ」


 そう、とバルウィンは呟く。

 くすっと笑われた。


「なら自分のことも、もっと大事にしてほしいな」

「……!」

「この件、アイリス嬢が嫌な目に遭ったから実行に移したようだね。自分のためではなくて」

「アイリスのことだけではなく、多くの被害が出ておりますわ。これを止めるのは私の責務です。私の家で起こったことは、娘である私が決着をつけます」

「うん、それはとても心強い。……けど、自分で全て背負いすぎなくていい」


 相手の言葉にジェシカは少しだけ戸惑った。

 バルウィンの眼差しは、優しい。


「伯爵令嬢として責任を取ろうとする姿勢は素晴らしい。だけどこれは伯爵自身の罪だ。ただの使用人を野放しにし、多くの貴族に迷惑をかけ、傷つけた。貴族としてあるまじき行為をした。親子がもし犯人なら、親子に罪を償ってもらう。ジェシカ嬢が背負う罪ではないよ。それは忘れないで」

「……温情を、ありがとうございます」

「努力している人が報われない世界は悲しすぎるからね」


 バルウィンは机の上で手を組み直した。

 優しく微笑んだままだ。


「僕もいるしシリウスもいる。それにリアンだって協力してくれるだろう。ああ、グレイとは最近仲が良いみたいだね。恋人役も引き受けてくれたの?」

「……それは、まだですわ。リアン殿下に許可をいただいてから、本人に頼むつもりでした」

「今のグレイなら、リアンの命令ではなく、自分の意志で協力してくれるだろう。君には関心を持っている様子だしね」


 どうやらグレイが以前と違うことに、バルウィンも気付いているようだ。まさかそのようなことを言われると思わず、ジェシカは少しだけ苦笑する。


「そんなことは、ありませんわ」

「そうかな。だいぶいい顔をするようになったと思うけど。男の子らしくなったというか、凛々しくなったというか」

「ふん。平民の男の何がいいんだ」


 シリウスはそっぽを向いている。


 グレイの話になったからだろう。

 面白くなさそうな様子だ。


「色々と話してくれてありがとう。君の作戦に乗ろう。ただし無茶はしないこと。リアンにもこの件は伝えるつもりだよね?」

「はい」

「じゃあリアンとグレイの了承を得たら、具体的に話し合おう」

「かしこまりました。ありがとうございます」

「こちらこそ。皆のために考えて動いてくれて、感謝している。君がアイリス嬢を大切に思うように、周りも君を大切に思っている。それは忘れないでね」

「……はい」

「じゃあ戻っていいよ」

「失礼いたします」


 ジェシカは礼をした後、部屋を出る。


 しばらくその場がしんとなった。

 バルウィンは、ふうと息を吐いてから口を開く。


「責任感が強い人だね」

「よくあれで自分を保っているものだ」


 シリウスの顔に少しだけ陰りが見えた。

 バルウィンは頷く。伏目で呟いた。


「心配だよ。彼女、いつか独りで倒れそうで」

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