04*恋人兼婚約者 -02-
「次は距離感ですわね。お二人とも、立って並んでくださる?」
リアンの「いっそ婚約者にするか」発言で話が脱線したが、ジェシカの講座が再開される。先程まで座って話を聞いていた。アイリスとロイは立って隣に並ぶ。近すぎず遠すぎず。特に問題ない距離だ。
ジェシカはふむ、と顎に手を添える。
「若干間が空いておりますわ。それでは恋人、婚約者の距離ではないですわね」
「別に慣れてないんだから……」
異性に慣れてなさすぎるが故に婚約者という立場になった。近過ぎるのは逆に不自然なのでは。ジェシカは「アイリスはそのままでいいわ」と指示を出す。
「グラディアン教官、もう少し近付いて下さいますか?」
「どれくらいがいいだろうか」
「グラディアン教官は少し近いくらいの距離でいいと思うのです」
「だそうだ。どこまでならいい?」
急に話をふられた。
思わず瞬きをする。
「どこまで、というのは」
「アイリスの嫌がることはしたくないから」
労わるような表情を向けられる。
(そんなことを言われても……)
ロイにされて嫌なことなんてない。ただ緊張するだけで。だからといって、どこまでなら大丈夫なのか、アイリス自身がよく分かっていない。返答に困り、沈黙が続いてしまう。
するとジェシカが助け舟を出した。
「互いに軽く、触れ合う練習をしたらいいかもしれませんわね」
「なるほど。例えば?」
「手を繋ぐ、などは初歩だと思いますが」
「握手は平気か?」
「は、はい」
握手は挨拶として行うこともある。初歩の初歩かもしれないが、それくらいならできるだろう。ジェシカの提案をありがたく思った。
と、側で見守っていたリアンが、胸元から懐中時計を取り出す。どうやらこの後公務があるらしい。そろそろ移動しないと間に合わないようだ。
「後はジェシカに任せる。頼んだぞ」
「畏まりました。……リアン殿下。例の件、まだ聞いておりませんわ」
「ああそうだったな。歩きながら話すか。アイリス、ロイ。ジェシカを少し借りるぞ」
「私が戻るまで休憩にいたしましょう。ゆっくりしていただいて大丈夫ですわ。お茶菓子も用意してもらう予定でしたから」
メイドにお茶菓子を運ぶよう頼んでいるらしい。ずっと講義なのも気が張るだろうと、リアンとジェシカからの配慮だ。三人が部屋から出た後、アイリスは少しだけを息を吐く。確かに少々疲れたかもしれない。
「アイリス。手に触れてもいいか?」
「……? 今は二人きりですが」
せっかくの休憩時間だ。
ロイも少しは休みたいのではと思ったが。
困ったように少し笑われる。
「二人きりだから、触れたい。……駄目か?」
「っ。……いいえ」
遠慮がちに、だが真摯な眼差しを向けられると断れない。アイリスは顔色を変えないように意識した。だがロイは緊張を見抜いたようだ。すぐに「すまない」と謝ってくる。
「意地悪な言い方をした。二人きりの方が練習できると思ったんだ。人前でそれらしい関係であることを示すのに、練習しておかないといざという時に動けないと思って」
「そういうことでしたか。すみません、そこまで気が回っておりませんでした」
「いや、俺の言い方が悪かった。……アイリスがどう反応するか、見てみたくなってしまったんだ」
「それは……」
(どういう意味ですか?)
とは聞かなかった。
聞きたかったが、返答次第では落ち込んでしまう可能性があった。ぐるぐると余計なことを考えそうになっていると、その間にロイが手に触れてくる。
彼の方が手が大きい。
すっぽりと包まれてしまう。
自分よりも体温が高い。
その温かさにほっとする。
「アイリスの手は小さいな」
「ロイ殿の手が大きいのです」
きゅっ、と、彼の手に少し力が入った。
「鍛錬のしすぎじゃないか。豆ができている」
「騎士としては、誇りに思うところなのですが」
「師としては喜びたいが、俺個人としては心配だ。君は頑張りすぎるところがある。ちゃんと休んでいるか?」
ロイは昔から心配性だ。
「騎士となって三年になります。さすがに自身の力量は弁えておりますし、無理をすることはありません」
「知らず知らずのうちに疲れは溜まる。休みは取っているか。有給も使っているか。仕事ができるからと押し付けられることもあるだろう。ちゃんと断っているのか」
「ロイ殿は私の父親ですか」
思わずツッコミをしてしまった。
すると一瞬きょとんとした顔をされる。
すぐにふっ、と、優しい笑みを向けてくれた。
「ちがうな。俺は今、君の恋人であり婚約者だ」
ロイは手の触れ方を変えた。
(え……)
最初はまるで握手をするように握っていたのに、いつの間にか恋人繋ぎになっている。これは練習。分かっているはずなのに、アイリスは動揺した。心臓が、だんだんと大きな音を立て始めた。それを悟られたくなくて、ぎこちなく握り返す。
恋人繋ぎになると、より手が密着している。
(手だけで、こんなに緊張するの)
しっかり握られているのだ。どうしたって意識してしまうし、ロイを身近に感じてしまう。胸が締め付けられるほど、嬉しさと緊張が混ざり合う。十秒を超えた辺りからすでに耐えられなくなった。
だがすぐに離すのも気が引けて、そのままでいる。ロイはしばらくしてから、空いているもう片方の手を、アイリスの手に重ねた。
「これは大丈夫か?」
「はい」
「これは?」
今度は優しく手の甲を撫でられる。
あくまでそっと、だ。
「……大丈夫です」
「アイリス。無理はしなくていい」
「無理などしていません」
「何年指導したと思っている。辛い時でさえ大丈夫と言う性格だろう。顔が険しくなっているぞ」
「これはっ、顔が緩まないように踏ん張ってるんです」
アイリスははっとする。
(なんで正直に言っちゃったのっ……!)
平然を装うつもりだったのに。
墓穴を掘ってしまった。
ぷっと笑われる。
「緩んだ顔の方が見たいな」
なぜかロイは少しだけ顔を近付けてくる。
「……い、いやです」
若干顔を背ける。
誰が見せられるか。
「見せてくれないのか? 婚約者なのに?」
「だらしない顔など見せませんっ!」
「頑固だなぁ」
軽口を叩きながらもロイは手を握ったままだ。
一向に離してくれない。
練習とはいえ、もう十分じゃないのか。こちらの反応を面白がっているように見えたので、アイリスは手を離した。そのまま引っ込めようとする。だががっちり握られていた。
ロイは首を小さく傾げる。
「俺はまだ触れたいが、アイリスは嫌か?」
「練習はもう十分では?」
「そんなに険しい顔をされたら嫌がってるように見える。レナード殿下は騙されてくれないぞ」
(くうう……!)
正論を言われると何も言い返せない。
この時点でアイリスのキャパは超えていた。緊張しっぱなしで喉はカラカラだし、そんな姿を誤魔化したくて強がって見せてしまう。無理するなと優しい言葉をかけてくれたと思えば、これでは困ると指導が入る。色んな意味でアイリスの感情は揺れっぱなしだ。
悔しくなり、とりあえずまたロイの手を握り直す。すると彼は満足そうな顔になった。なぜそんな顔になるのだろう。
(ジェシカ、早く帰ってきて……!)
ロイの策略にまんまと引っかかっているような気もしつつ。だからといってここで引き下がるわけにはいかない。アイリスは負けず嫌いだ。師匠に喧嘩を売られたからには(売られたわけではないが)買わなければなんだか負けた気がする。
だが二人きりなのはやはりまずい。このままではずっとロイのペースだ。思えば昔、剣の指導をしてもらっている時も、ロイのペースに乗せられていた。そのおかげで剣の腕前が上がったのだが、恋愛スキルはすぐに上がるわけじゃない。ずっとこのペースだといつか失神するかもしれない。
主に緊張と恥ずかしさで。
割と本気でアイリスはそう思った。
「殿下も考えましたわね」
「なんのことだ?」
「白々しいですわよ」
ジェシカとリアンは並んで歩いていた。
一歩後ろにグレイがいる。
「本当のことをアイリスに言わなくてよろしかったんですの?」
「……言えないだろ。強行突破する。全部終わってから言う」
「アイリスのことですから、絶対に怒りますわよ」
「だから言えないんだろ……」
「日頃の行いを反省なさることですね。自身の恋の成就のために二人を利用するだなんて。殿下の目的を知った温厚なグラディアン教官のご尊顔がどのようになるのか、気になりますわ」
「…………」
リアンは少し渋い顔になる。
友人である隣国の王子レナードがアイリスを気に入った、というのはあながち間違いではない。が、実は縁談ではない。リアンはレナードに恋の協力を頼んだのだ。相手はレナードの妹姫。アイリスとロイの存在が必要なのは妹姫の性格が大きく関係していた。とにかく、二人には来てもらわなければ困る。
どうしてもアイリスには本当のことを言えなかった。自身の奔放な言動で何度も怒らせているからだ。正直に話したところで絶対協力なんかしてくれないだろう。だからこのような筋書きを考えた。レナードもノリノリで協力してくれている。
ジェシカにも秘密にする予定だったが、勘が鋭い彼女にはすぐに怪しまれ、正直に話さなければ講師はしないと言われてしまった。逆にいい協力者になるかもしれないと本当のことを伝えると、了承はもらえた。だが後々のアイリスのフォローはしてくれないらしい。正直、後が怖い。
リアンは開き直る。
「これは俺のためだけじゃない。あの二人のためにもなる。アイリスがロイに好意を寄せているなんて、幼馴染の俺からすれば朝飯前だ。周りから『氷の花』なんて呼ばれて、自分にあまり自信がないみたいだけどな。ロイはロイで、優秀過ぎて仕事を任されまくって休みがほとんどなかった。アイリスとは三年ぶりのはずだ。愛弟子に会いたかっただろ」
「確かにあの二人を見るのは面白いですわ。それぞれ思うことはありそうですし?」
ジェシカはにやっと笑う。
そんな表情も似合う女性だ。
リアンも鼻で笑った。
まるで悪戯を企む子供のように。
「だから協力してくれたんだろ?」
「ええ。だから報酬をいただきたい話もしましたわ」
「分かってる。丁度いいな。グレイ」
「は」
名前を呼ばれ、グレイは反射的に返事をした。
隣に並べと言われ、主君の傍に寄る。
「お前は俺の側近。俺の命令なら全て聞くんだろ?」
「はい。主は恩人ですから」
表情を一切変えずにそう言い切る。
リアンは「よし」と嬉しそうに微笑んだ。
そして彼の両肩に手を置き、ジェシカの方に身体を向かせた。グレイは不思議そうな顔になる。なぜ主君の前ではなく、彼女の前に立つのだろうと。
ジェシカはそれを見つめた。
肩を越す銀髪を、小さく一つに括っている姿。珍しい、綺麗なアメジスト色の瞳。下睫毛が長い。肌も雪のように白い。よくよく見れば美形の類だ。
グレイは孤児だが、賢さ、剣の腕前、体力や精神力含めてリアンに気に入られ、側近として迎えられた。孤児という立場。十八という若さ。色んな意味で注目を集めている。貴族や上の者の中には、彼が王子の傍にいるのを厄介だと思っている者もいるようだ。
だが本人はそれを気にしていない。戯言も無視できるほどのメンタルの強さ。リアンに寛大で、なぜ迷惑をかけられても怒らないのか尊敬すると、あのアイリスも言っていた。だからジェシカは、リアンに報酬として願った。
「グレイ様。私の友人になっていただけませんか?」
「…………。?」
予想通りの反応で、ジェシカは笑みをこぼす。
「ジェシカ・フェイシーですわ」
「存じ上げています」
「数々の男性に言い寄られていることは?」
「知りません」
「それでいいですわ。私、異性の友人がおりませんの。身分や見た目などを抜きにして、対等に話し合える異性の友人が欲しくて」
「はぁ」
よく分からない、といった反応をされる。そうだろう。彼は主君であるリアンのことしか見ていない。それでいい。だからお願いしたいと思った。
「友人が難しいなら、お話ができれば十分ですわ。許していただけますか?」
「許すもなにも、主の命令なら従います」
「では、友人になって下さいな」
「友人、と呼ばれるものが何か、自分には分かりませんが」
「お教えしますわ。あと一つ。あなたのことを好きになってもよろしいですか?」
「………?」
グレイは眉を寄せた。
不快という意味ではなく、ジェシカの言葉が理解できないからだろう。これも予想内だった。ジェシカは微笑む。
「一緒にいる期間が長くなると、恋が生まれる場合もあるんですのよ」
「はぁ」
「私はあなたと対等の友人になりたい。ですがもし私があなたのことを好きになったら、きちんとお伝えしますわ。その時はお好きに決めてくださいな」
「……意味が、よく」
「おいジェシカ。前半のことは許可したが、後半のことは聞いてないぞ。グレイには少し難題過ぎる」
リアンが話の中に入ってくる。
グレイは人付き合いが得意ではない。ずっと一人で育ってきた。孤児院でも人と関わることをしてこなかったらしい。自分のこともほぼ語らない。いつも静かだ。故に、人の気持ちも、おそらく自分の気持ちもよく分からないだろう。
役割を与えてくれたリアンに恩義は感じているようだ。与えたことはなんでも吸収するが、夢中になるものはない。リアンに一生捧げる。それだけを生きがいにしている青年だ。
ジェシカはあっさり言う。
「その可能性がないわけではないでしょう? 男女の友情が成立する場合もありますが、私の場合はほぼ百%惚れられてしまうんですもの。正直厄介ですわ。その点、グレイ様なら大丈夫。殿下しか興味がありません。逆に私が惚れてしまう可能性は大いにありますわ。だからお伝えしておこうと思って」
彼女が誰であろうとそこそこの意見を伝える人物であることは、リアンも知っている。だからアイリスとも馬が合い、文官としても優秀で評価されている。
「グレイに余計なことは言うな。混乱するだろ」
「先に提示しておくことでグレイ様の気持ちを守りたいのです。人は関わりが増えると人としての『情』が芽生えます。それは素敵ですが『遠慮』が生まれる場合もある。それは申し訳ないですわ」
リアンはこめかみを抑える動作をした。
「複雑になってきたな。つまり好きにしていいから好きにさせてくれ、みたいな感じか?」
「そうですわね」
「だそうだ。グレイ、どう思う?」
主の言葉に、グレイは目をぱちくりさせる。
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