05*恋人兼婚約者 -03-

「自分は、別に。主の命令なら、聞きます」


 あまりに淡白な声色。

 本当にリアン次第らしい。


「……聞き分けが良すぎるのもたまに困りものだな」


 リアンはふう、と息を吐く。

 人差し指をびしっとグレイに向けた。


「なら命令する。ジェシカと友人になれ。友人とは何かジェシカに教えてもらえ。ジェシカにもし告白されたらまず俺に相談しろ。いいな?」

「分かりました」

「リアン殿下。ありがとうございます」


 ジェシカはきらきらと女神の微笑みを見せている。相手への最大限の感謝と敬意を表しているのだが、リアンは若干微妙な表情になっていた。


「俺の大事な側近だ。傷つけたら許さないぞ」


 どうやら心配しているらしい。


 友人になりたいという申し出はあっさりOKをもらった。グレイのためにもなるだろうと。いつも一人でいるのを、リアン自身気になっていたらしい。だが後半に関してはどうなるのか未知数だ。おまけに相手はジェシカ。人として信頼はしてくれているだろうが、不安は隠しきれない様子だ。


 「腕は負けませんが」とグレイが口を挟む。


 リアンは少しがくっとしていた。

 そういうことではないからだろう。


「……うんまぁそうだな。そういうことにしておく」


 グレイは主君の様子を不思議そうに見ている。


 ジェシカは胸に手を置く。

 安心させるように小さく微笑んだ。


「ご安心を。殿下の大切な方を傷つけるようなことは致しませんわ。これは私の我儘であることも理解しております」

「……苦労が、分からないわけじゃない。家ではまだ色々言われているのか」

「ええ」

「アイリスもだが、貴族令嬢は大変だな」

「だから一人でも生きていける術を身につけたいのです。そして、助けてくれるであろう味方を見つけたいのです」


 言いながらジェシカはグレイを見つめる。

 身長は彼の方が頭一つ分上だ。


「?」


 目を見張るような動作をされる。

 何を見ているのだろうと、聞くように。


 ジェシカはくすっと笑った。


「私はグレイ様のこと、おそらく好きになりますわ」

「自分の方が年下です。敬語はなくて問題ありません。名前も、呼び捨てで構いません」

「まぁ、美女の渾身の告白をスルーなさるなんて。いいですわね」

「?」

「……もう勝手にしろ」


 リアンは頭が痛いとでも言うようにこめかみに手を置いている。ジェシカはふふふと楽しそうに笑った後、改めてグレイに向き直った。


「よろしくね、グレイ」

「はい」


 無垢な瞳を向けられる。


 ジェシカは綺麗だと思った。

 自分の容姿よりも、彼の瞳の方が。







「うぁああ……」

「お疲れね」


 アイリスはうめき声を上げながら机に突っ伏す。

 ジェシカが紅茶の入ったコップを置いてくれる。


 ジェシカが戻ってきてから「距離感」の講座が再開された。隣の並び方。腕の組み方。互いに見つめ合う角度やらも指導され、今日はここまで、と言われてやっと解放される。講座のアフターフォローも兼ねて女性だけで話がしたいとジェシカがロイに伝え、今は二人きり。


 ロイが部屋を出てからやっとアイリスも力を抜くことができた。その間にメイドが新たにお茶菓子と紅茶を運んでくれる。これもご褒美らしく、遠慮なくいただく。


「どうだったかしら。私の恋愛講座は」

「最初からスパルタじゃない?」

「初歩の初歩よ」

「ええ……これなら机仕事してる方がマシだわ……」

「アイリスにとってはそうかもしれないわね」


 ジェシカはお皿に綺麗に並べられているクッキーを手に取った。アイリスは紅茶に口をつける。フルーティーな香りに優しい味。やっとほっとする。


「グラディアン教官はさすが余裕そうね」

「ロイ殿だもの」


 年上であるし包容力もある。

 いつだって落ち着いて行動できる人だ。


「アイリスはずっと緊張していて可愛かったわ」


 ふふふ、と思い出し笑いをされる。

 思わずむっとなった。


「こっちは必死なんだから」

「ええ。必死でグラディアン教官に合わせている姿とか、愛おしかったわ」

「馬鹿にしてる?」

「褒めているのよ」


 なんだか釈然としない。


 それより気になるのはロイのことだ。講座中こちらを気遣いながらも、なんだか遠慮がなかった。腕に添える手をもっと強く握っていいと言われたり。腰を抱き寄せて自分と距離を近付けたり。


(……もしかして私が負けず嫌いだから?)


 あえて闘争心をつけるようにしてくれたのだろうか。剣術の訓練時もそのようにされたことがある。例え相手が師匠であろうが、その当時からアイリスは自分の意志をしっかり持っていた。軽く煽られるとより努力したものだ。


 だが恋愛に関してはどうしたって苦手分野。やる気を出したところで上手くいくわけがない。ジェシカの言う通り、最初から最後までずっと緊張していた。


 アイリスは再度突っ伏す。


「はぁあ〜……。講座ってあと何回あるの」

「講座自体は二回かしら。あとは実践よ」

「実践!?」


 思わず顔を上げる。


「ええ。ひたすらやるしかないもの」

「実践って……別にいらないでしょう」

「実践しないと慣れないでしょう?」

「……慣れる必要ないでしょう」


 何のために婚約者になったのか。

 ジェシカは首を振る。


「今のアイリスは慣れてなさすぎてぎこちないわ。もう少し自然体じゃないと」


 隣国の王子にバレるレベルということか。

 アイリスは顔が渋くなる。


(……そんなことを言われても、どうしたらいいっていうの)


 どう振る舞っていいのか分からない。

 正解が何かよく分からない。


 ロイが相手役なのを最初はありがたく思っていたが、今はむしろ困っている。好意を寄せている相手だ。気持ちがバレないようにするのも、顔色を変えないようにするのも難しい。


 関わる度に。触れる度に。

 好きが増してしまう。それが困る。


 全く関係のない人に頼んだ方が、普通に振る舞えるかもしれない。

 アイリスは少し考えた。


「今から相手役を変更って、無理かしら」

「リアン殿下の顔に泥を塗る気?」

「…………」

「グラディアン教官にも申し訳が立たないわね」

「い、言ってみただけよ。本当にはしない」

「お二人がこの場にいたら顔を顰めるわよ」

「いる時に言わないわよ……」


 二人の顔がなんとなく想像できた。


 咎めるようなな物言いに身を縮こませる。

 途端に悪者になった気持ちになる。


「アイリスの気持ちは分かるけど、グラディアン教官が適任だとは思うわ。他の人だったらそのまま本当に婚約しましょうって言うかもしれないし」

「まさか」


 さすがに鼻で笑ってしまう。

 婚期を逃した女だと皆知ってるはずだ。


 だが相手は大真面目な顔をする。


「言っておくけどアイリス、あなた本当はモテているのよ。ガードが固すぎて誰も近寄れないだけよ」

「嘘よ」

「嘘だと思うなら社交界に出てごらんなさいな。いつものきりっとした顔じゃなく笑顔でね。普段笑わない女性の笑顔は破壊力がすごいわ」

「悪かったわねいつも仏頂面で。あと行かない」


 そんな場所には興味がない。


 なぜほほほと笑顔を作って相手の話に合わせなければならないのか。互いの家の情報を探り合うなどごめんだ。アイリスはそんな姑息な真似をするくらいなら正々堂々とやり合いたいと思っている。


 ジェシカは自分の顔に手を添える。


「本当に、令嬢というより根っからの騎士ね」

「騎士だもの」


 開き直るように言い切る。

 するとジェシカはにやっとする。


「ねぇアイリス。本当に社交界に出てみたらどう? 案外いい人が見つかるかもしれないわよ」

「え。さっき顔に泥を塗るって」

「グラディアン教官が乱入してアイリスを攫っていくに、このクッキー十枚は賭けるわ」


 ジェシカは赤いジャムが乗ったクッキーを持ちながらそんなことを言う。なんと可愛らしい賭けだろうか。楽しそうな表情だ。


 対してアイリスは半眼になる。


「ロイ殿は忙しくて社交界は出ていないはずよ。そんな話を聞かないもの」

「あらよく知ってるわね」

「弟のアトラが最近よく参加しているの。知り合いがいたら連絡をしてくれるのよ」

「アトラもそんな年頃になったのね」


 アトラ・ブロウは現在十六歳。父の後を継ぐために、日々勉強をしながら社交界にも顔を出している。賢く要領はいいが普通の年頃の男の子で、アイリスとも仲が良い。あまり実家に帰らない姉に対し、こまめに連絡してくれる優しい子だ。


「私のせいで随分と迷惑をかけてしまってるけど、跡継ぎがいてくれるのはありがたいと思ってるわ」


 家のことをあまり気にしなくていいから、とアイリスは続ける。ふと気になり、ジェシカの顔色を伺いながら聞く。


「そっちは、どうなの」


 ジェシカの家庭事情はなんとなく知っている。


 今ジェシカが家に居づらいことも。伯爵令嬢でありながら文官なのは、仕事にやりがいもあるだろうが、主に家のことがあるからだ。城で働いているため、普段は寮暮らし。おかげで悠々自適に過ごしていると聞く。


 彼女は小さく口元を緩める。


「変わらないわ。私がやることも変わらない。味方を探すだけね」

「私はいつでも力になれる。なんでも言って」


 強い口調で伝える。

 今までも何度も伝えてきた。


 ジェシカは微笑んだ。

 

「ありがとう、頼りにしているわ」


(……そんなこと言って、意地っ張りさは私に負けてないのよね)


 極上の笑みを向けられたら誰もが手を貸したくなる美女だが、ジェシカはよっぽどのことがない限り人に頼らない。自分のことは自分でする、何かあってもまずは一人で対処するようにしている。見た目は砂糖菓子のように甘く見えるのに、人としては凛としており、文官としても頼られることが多い。それは立派だが、時として心配になるくらいだ。


 それを言ったこともあるが「人のこと言えないわ」とお返しを食らったことがある。素直じゃないところも同じかもしれない。


「実は最近知り合った方がいるの。誰か分かる?」

「?」

「グレイよ。リアン殿下の側近の」

「え!」


 アイリスの反応に、ジェシカはおかしそうに笑う。いつもは慎ましく微笑む彼女だが、このように素で笑うこともある。久しぶりに見たと思ったが、それよりも親しげな呼び名に、驚きを隠せない。


「いつの間に?」

「ついさっきね。ほら、リアン殿下と一緒に席を外したでしょう?」

「その時から呼び捨てに?」

「ええ。彼が言ってくれたの。自分の方が年下だからって」


(グレイか……)


 アイリスは仕事柄一緒になることが多い。

 彼を一言で表すなら「かなり大人しい人」だ。


 仕事や側近としての動きは申し分ないが、彼自身おそらく欲というものがない。主張をすることもなく、リアンにただ従順な印象を受けた。


「なんでグレイなの?」


 なぜ選ばれたのかよく分からない。

 素直に聞いてしまう。


 ジェシカはくすくす笑った。


「彼は一途でしょう?」

「殿下に対して? それはまぁ」

「無垢な感じが素敵だと思ったの。それに平民。あとはそうね、と思って」


 ジェシカにとって一番重要視するところ。

 ブレない信念を持つ人。


(確かに、グレイは誰かに騙されることはない気がする。特に、女性に)


 彼は、通り過ぎた女性達が振り返るほどに綺麗な顔立ちをしている。色めき立つ声色が溢れても、彼自身は平然としていた。全く興味がないのだろう。彼が女性に夢中になる姿が想像できない。


 常にリアンだけに目が向いている。

 それは側近として必要な要素だ。


 コンコン。


 ドアがノックされ返事をすれば、城のメイドが入ってくる。「アイリス様宛にお手紙が届いておりました」と、手紙を渡された。いつもは寮に届けられるのだが、重要なものらしく直接渡しに来てくれたらしい。紋章は実家のもの。父の筆跡だ。


「なんでこんなタイミングよく……」


 アイリスは顔を歪めてしまう。


 ロイが婚約者に決まった話を聞いたのだろうか。おそるおそる手紙を開けると、内容はそれではなかった。ジェシカが隣に来て手紙を覗く。


「まぁ。パーティーのご招待?」

「……家の代表として出るように、って」


 立食パーティーに招待されたので代表として参加しなさい、という内容だった。本来であれば侯爵である父、もしくは跡を継ぐ弟が出席するのだが、侯爵家は色んな貴族との関わりが多い。招待されたもの全てに参加することは時として難しく、断る場合もある。


 基本的に父であるチガヤは自分、もしくはアトラに任せるのだが、家族として親交が深い招待の場合、アイリスに頼むことがあった。騎士となってからはほぼ出席することはなかったのだが、今回は久しぶりの招待だから会うついでに交流を深めろとのことだ。日は五日後。招待状はもう少し早い段階で届くものだ。おそらく自分の参加が難しいと判断してからアイリスに頼んできたのだろう。


 招待状をくれたのは緑豊かな土地で暮らすフェルナンド子爵夫妻。一年を通して暖かい場所のため野菜がよく育つという。領民と共に畑を耕すのが好きな、貴族の中でも平民と近い感性を持つ貴族だ。幼い頃によくお世話になったため、会いに行けるのは嬉しい。それよりも急に父から手紙が来た、という事実が怖い。


「今回の件でアイリスに余裕ができたから、チガヤ侯も頼まれたんじゃない?」

「余裕なんてこれっぽっちもないわよ……いつもの仕事している方が余裕あるんだけど」

「心の余裕ね」


 ふふふと笑われる。

 笑い事じゃない。


「フェルナンド子爵夫妻はお優しくて穏やかだと聞いたことがあるわ。他の貴族からの招待ではないし、何かトラブルに巻き込まれることもないでしょう」

「それはそうね」


 貴族間の個人的な招待は、何かしら意図が含まれていることが多い。家同士のつながりを持ちたいであったり、子供達を利用した政略結婚であったり。チガヤはその辺の嗅覚が凄まじく、怪しいと少しでも思えば欠席し、子供達を近寄らせないように配慮する。そんな父が行けというのだ。安心していい相手だからだろう。


「子供の頃に何度も立食パーティーに参加したけど、料理がとにかく美味しかった記憶しかないわ」


 自家製の野菜を使った料理の数々は、なにを食べても新鮮で美味しかった。その土地でしか育たない野菜もあるため、野菜本来の甘味の美味しさを教えてもらったものだ。


「ぜひどんな料理が出たのか、私も知りたいわ」

「ええ。毎回秘伝のレシピを教えてもらえるの。ジェシカにも教えるわね」

「ありがとう。楽しんでね」


 ジェシカの言葉に、アイリスは素直に頷く。


(そうね。楽しめばいいんだわ)


 知り合いの貴族のパーティーであるし、変に気を張る必要はない。騎士になったのは夫妻も知っているはずだ。挨拶をきちんとしたかった。周りのことを気にせず、ただ楽しめばいいのだ。久しぶりに子供のようにわくわくしてしまう。


「このこと、グラディアン教官には言わないの?」

「え? なんで?」

「だって婚約者でしょう?」


 にんまりした顔を見せられる。

 思わず息を吐いてしまう。


「それは条件付きのでしょう。わざわざ言わないわよ」

「ええ? パーティーで男性に囲まれたらどうするの?」

「そんな物好きいないわよ」


 ふと、パーティーに一人で参加をするのは初だと気付いた。大体は家族か、知り合いの付き添いで参加する。そのため、一人になったときどうなるのか、分からないし想像ができない。


「念のためグラディアン教官に伝えた方がいいと思うわ」

「なんでよ……ロイ殿は招待されていないわ。父上だって代表で行けと書いている。それに私も大人よ? トラブルがあったとしても回避できるわ」


 誰かと一緒に行くべきなら手紙でそう書いてくれるはずだ。大人であるし一人で行動できる。何かあってもこちらは騎士だ。腕でも言葉でも巧みに使ってやるつもりだった。


 ジェシカはまだ何か言いたげだったが、諦めたのか頷く。知り合いの貴族からの招待状。父からの後押し。これ以上何を心配することがあるだろう。きっと穏やかな時間を過ごせるだろうと、アイリスは安心しきっていた。


 のだが。


「アイリスも招待されていたんだな」


(ロイ殿――!?)


 招待されたパーティーでロイに出くわす。


 その時アイリスは理解した。

 ロイがその場にいることを、父は事前に知っていたのだと。

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