03*恋人兼婚約者 -01-

「おはよう。アイリス」

「おはよう。……どうしてここにジェシカが?」


 一週間後。


 アイリスはここ一週間、仕事を片付けるのに必死だった。あの日以来ロイには会っていない。一週間後の次の日、心身ともにガタガタだ。とりあえず集まれとリアンからの指示で指定された部屋に来たのだが、なぜかそこに同期のジェシカ・フェイシーがいた。


 栗色のふわっとした長い髪に、ぱっちりした蜂蜜色の瞳。


 彼女は伯爵家の令嬢だ。本人が望んで城の文官として働いている。同じ制服に身を包んでいるが、ドレスを着た方が圧倒的に似合っている絶世の美女。今日も人をとろけさせるほどに甘い笑みを浮かべている。


「殿下に頼まれて来たの。あなたが面白いことになってるってね」


 彼女はこう見えてかなり口が達者だ。


 容姿や家柄のことで無遠慮に色々言ってくる相手にはかなりきつめの言葉を使うこともある。そんな人物であることはすでに周知の上だが、顔が良いからだろうか。いつだって多くの男性を虜にしているのだから皮肉なものだ。


 ちなみに彼女は容姿や家柄で近寄ってくる男性が嫌いだ。「話しかけないでくださる?」と笑顔でばっさり言うタイプである。


「人の気も知らないで……」

「相手はグラディアン教官なんでしょう? よかったじゃない」


 ちなみにアイリスの気持ちも知っている。


 同じ士官学校に通っていたので、教官だったロイのことも知っている。当時平民だったロイを、えらそうな貴族よりもよっぽど信頼できる上官だと太鼓判を押していた。


「ジェシカもいたか」

「殿下」


 リアンは側近のグレイ、そしてロイを連れて部屋に入ってきた。一週間ぶりのロイだ。アイリスがちらっと目を動かすと、彼は微笑んで手を振ってくれる。


 にしても、なぜジェシカも一緒なのだろうか。こちらは何も聞いていないのだが。ジェシカはこちらの事情を把握しているようだし。


 リアンは椅子に座り足を組んだ。


「さて。やっと恋人講座が始められるな」

「なんですかその名前は」

「恋人っぽく見えるには練習もいるだろうが、客観的な視点が必要になる。ということで講師を呼んだ。ジェシカだ」

「よろしくお願いしますね」


 ジェシカは可愛らしく首を傾げるような動きをした。それだけで様になるのだから恐ろしい。


「ジェシカが講師?」

「あらアイリス。何かご不満でも?」

「不満というか……」

「適任だろ。淑女のマナーも身に付いているし人を見る目がある。色恋沙汰もアイリスよりはあるしな」

「一言多くないですか」

「なにより親友同士だろ。気になったことは容赦なく口出ししてくれるはずだ」


(それが一番厄介なんだけど)


 アイリスは渋い顔になる。


 ロイへの憧れの気持ちも知っているからこそ、余計なことを言いそうな気がする。それはやめてほしいと思いながら彼女を横目で見れば、器用にウインクされた。……これはどっちの意味だ。


「フェイシーなら安心して任せられそうだ」

「あら。グラディアン教官にそう言っていただけるなんて嬉しいですわ。お任せくださいな」

「心強い講師でありがたい。よろしく頼む」

「ふふふ。私、前からお二人はお似合いだと思ってましたの」


(ちょっと!)


 早速余計なことを言っている。


 そんなことを言われてもなんと反応すればいいか分からないだろう。アイリスは目で訴えるが、ジェシカはにこにこ笑うだけだ。


 ロイもおそらく困惑するだろう。

 と、顔を見るが。


「そ……うか?」


 なぜか少し照れていた。


 それを誤魔化そうとしているのか、頭を掻く仕草もしている。これにはアイリスの方が困惑した。なぜジェシカの言葉に照れるのだろう。


「士官学校時代から思っていましたわ。お二人が並ぶと花が咲いたように麗しくて。それに互いに己を高めていましたもの。努力家なところも一緒ですわね」

「ジェシカ……!」


 小声で諌める。

 これ以上何も言わないでほしい。


「あらいいじゃない。まだ序盤よ」

「序盤でこれじゃ私の心臓がもたないわよ」


 二人は周りに聞こえないようにひそひそ話す。


「でもほら、グラディアン教官嬉しそう」


 確かにまた顔が緩んでいるような気がした。「アイリスの親友であるフェイシーに言われたら自信になるな」とまで言っている。


 リアンの命令により仕方なく付き合ってくれているとばかり思っていたが、もしかしてまんざらでもないのだろうか。教え子という立場ではある。共に切磋琢磨してきた絆もある。思ったより、あまり気にしなくてもいいかもしれない。


(いや、それはそれで問題だわ)


 彼から優しい言動をもらう度に心が揺れている。これ以上心が動いてしまうと、絶対に後が辛くなる。ロイの優しさはありがたいが、必要以上に甘えてはいけない。


「ではまず、お互いの良いところを言ってみましょうか」


 急にジェシカの講座が始まった。


「ほら。恋人を演じるといっても、設定を考えるのも大切ですわ。馴れ初めを聞かれる場合もありますし。お互いの良いところを好きなところ、と置き換えると話しやすいでしょう? 全て仮の設定にしてしまうと、覚えたり思い出すのも大変でしょうから」

「なるほど……確かにそうだな」


 ロイは早々に納得していた。


 一体何をやらされるんだろうとアイリスは警戒していたが、想像よりまともに始まった。どうやらちゃんと講師はしてくれるらしい。確かにこれは実践的に必要なことだ。


「私からいいですか?」

「早いな。もう俺の良いところを見つけてくれたのか?」


 少しだけからかうように笑われる。

 アイリスは大きく頷いた。


「尊敬しているところがたくさんありますから」

「……そ、うか」


 また照れている。

 意外と照れ屋だったのか。


「一番は広い視野を持っているところです。士官学校時代も、分け隔てなく色んな生徒の言葉に耳を傾け、どうすれば剣術の腕が上がるのか、考えながら教えて下さいました。教官達はお忙しいはずてす。ですがロイ殿は自分の時間を削ってまで一人一人に向き合っていました」


 聞いていたリアンが腕を組む。


「良いところだとは思うが、なんだか仕事の評価っぽく聞こえるな。アイリスは視察官か?」

「恋人の良いところ、とは聞こえづらいですわね」


 二人からの評価は散々だ。


(悪かったわね真面目なことしか言えなくて)


 大体良いところに違いないのだから、そう言われる筋合いはない。


「よく見てくれてるんだな。ありがとう」


 ロイは顔を綻ばせている。

 彼が喜んだならよしとする。


「次は俺が」


 思わずアイリスは背筋が伸びる。


 おそらく士官学校時代の様子を話してくれるはずだ。首席で卒業するくらい成績は良かったし、ロイの指導で剣の上達が早かった。怒られることよりも褒められることの方が多かった気がする。


 少し緊張しながら待っていると。


「アイリスは稽古が終わるとすぐに甘い物を買いに行くんですが、嬉しそうに頬張る姿がとても可愛らしいです」


(!?)


「ほお」

「あら」


 二人の様子から評価は高そうだ。


「甘い物くらいで顔色が変わるのか? 見たことないぞ」

「アイリスは昔から甘い物が好きですものね。その顔はあまり人前で見せることはありませんが、さすがグラディアン教官。よく知っていますわ」

「い、いつご覧になったんですか」


 隠れて食べた時にしかその表情はしていないし、人前で食べる時はそんなに顔色を変えていなかったつもりだ。士官学校時代から二つ名があったため、そのイメージを崩さないように意識していたこともある。崩したら崩したで後が面倒だと思ったのだ。


 ロイはくすっとおかしそうに笑う。


「秘密だ」


(恥ずかしい……!)


 誰にも見られてないと思っていたのに。


「ロイの方がやっぱり一枚上手だな。アイリスは真面目すぎてつまらん」

「面白さで比べないでくれますか」

「この様子なら、グラディアン教官がリードしていただいたので大丈夫そうですわね。アイリスはそのままということで」


(ジェシカまで……。完全に私は足手まといじゃない)


 仕事では役に立つと評価されている。不慣れなこととはいえ、こうもはっきり期待されないのは悔しい。アイリスの心は少し曇った。努力でどうにかなるのなら、努力したいところなのだが。


 するとそっと頭を撫でられる。

 隣にいたロイの手だ。


 髪を撫でる優しい手つきで、アイリスの心情に寄り添ってくれているように感じた。色々言いたいことを察してくれたのだろう。


(……人を気遣えて優しいところが)


 多分、彼の一番良いところだ。


 だが今更それを言えるわけもなく。

 なすがままに撫でられ続ける。


 リアンがふう、と息を吐く。


「亀のような足取りで先が思いやられるな」

「あら。これはこれで初々しいですわ」

「一ヶ月で進展が見られるか不安だ。いっそのこと恋人だけでなく婚約者ってことにするか?」


(は?)


「それでもよろしいのですか?」


(よろしいのですかって何ですか!?)


 ロイの言葉に耳を疑う。


「長期的に見た方が進展も考えやすいし、なによりお前達久しぶりの再会だろう。婚約者としてまずは恋人の形で、ってした方が違和感も少ない。慣れてないのも頷けるからな。レナード殿下もその方が納得してくれるように思う」

「……そもそもリアン殿下が断ればいい話では」

「王族が一介の令嬢に興味を持ったなら会わない選択肢なんてないぞ。諦めろ」


(だから、誰のせいでこんな目に遭ってるのか)


 わざわざ隣国の王子に自分のことを紹介する必要はなかったのに。リアンの側近だとはっきり決まってるわけでもない。アイリスは不満が口に出そうになるが、以前ロイに止められたこともあって我慢した。


「アイリスを守れるのなら、私は構いません。ただ、婚約者となるとまた話が変わってくるのでは」

「そうだな。両家の挨拶くらいは必要かもな。と、言いたいが、アイリスの両親からすでに了承を得てる」

「……はい?」


 寝耳に水なのだが。


「娘が社交界に興味を持たず、結婚も視野に入れてないことをご両親が嘆き悲しんでいた。時として俺にも相談が来るくらいにな。丁度いいとロイのことを話したら、煮るなり焼くなり好きにしていいそうだ」

「は!? そんな話知りませんが!」

「チガヤ侯はロイと面識がある。ありがたい話だと喜んでいたぞ。ご丁寧に書面まで用意してくれた。アイリス、お前の父親は本当にしっかりしてるな。これは国王からも重宝されるわけだ」


 リアンがくいっと指を動かす。


 側にいたグレイが一歩前に出る。懐から封筒を取り出し、一枚の紙切れをぴらっと見せてきた。今言われた通り、娘のことは好きにしていいという内容が書かれている。しかもブロウ家の紋章入り。正式である証拠だ。達筆な字は父であるチガヤ・ブロウのもの。


(父上……!!!)


 厳格な父の顔が脳内に出てくる。


 言葉より行動で示す人だ。アイリスが騎士になると言えば最初は苦渋の顔を向けられた。だが自分の人生は自分で決めろということなのだろう、仕事に関しては特に何も言われなかった。結婚に関しては年齢のこともあり、色々物申したい様子だった。だがアイリスは上手く避けていた。好きにさせてもらえるだろうと思っていたら、父は父で動いていたようだ。


 これではリアンに売られたような形になる。若干屈辱だ。せめて第一王子のバルウィンならよかったのに。相手役がロイだからまだ許せている。


「では、アイリスを婚約者にしていいと?」

「そういうことだな。ロイ、もらってくれるか」


 勝手に話が進んでいる。

 当人を抜きにしないでほしい。


「あの、さすがにそこまでしていただくわけには。恋人役を引き受けていただけるだけで十分です」

「恋人だけでは納得してもらえない場合もある。それなら婚約者という立場もあった方が安全じゃないか?」

「それは……そうかもしれませんが、そこまでしてもらうのは申し訳ないです」

「俺がしたくてしている、と言ったら?」

「……その言い方はずるくありませんか」


 そんな風に言われては断れない。

 ロイはふっと、柔らかく笑う。


「俺の気持ちは変わらない。隣国に嫁ぐ気は無いのだろう?」

「ありません」

「じゃあ俺の婚約者になってくれ」


(い、言い方……!)


 これではプロポーズされているようだ。照れないようにぐっと気を張る。するとロイの後ろにいるリアンとジェシカが分かりやすく顔を緩ませていた。やめてほしい。


 ロイもロイだ。もしかしてからかっているのだろうかと睨みそうになるが、彼は朗らかな表情のままだ。本心なのだろうが、全部本心で言っているように聞こえてしまう。


 とはいえ、これ以上押し問答したところでおそらく彼の意志は変わらない。なかなかに頑固な人なのは知っている。婚約者といっても、立場上そうなるだけで、いっときの間だけだ。変わらず、距離感だけ注意すればいいだけで。


 アイリスは凛として見せる。

 問題ないとでも伝えるように。


「分かりました。では、私達は恋人兼婚約者ということで。よろしくお願いします」

「ああ。よろしくな」


 いつの間にか左手が取られた。


 そのまま手の甲に彼の唇が軽く触れる。軽く、本当に軽くだ。だがアイリスは、目の前で何が行われたのか、理解するのに時間がかかった。固まっているとロイと目が合う。にこっと人の良さそうな笑みを向けられ、全身に熱が走る。


 「まぁ。素敵ですわ」「所作が綺麗だな」と外野で何か言っている。余計恥ずかしい。


 ロイはリアンに声をかける。


「これで婚約成立というわけですが、アイリスのご両親にも挨拶を」

「書面でこれだけ書いてくれてるんだ。必要ないだろう。元々忙しい方々だからな。ロイのことも信用してるし、娘を頼むと言っていた」

「それはもちろん。命に変えても」

「……自分の身は自分で守れます」

「婚約者を守らない男がどこにいる?」


(順応性高すぎませんか)


 早速発言をされてどぎまぎする。どうしてこんなにもノリがいいのか。そう言われてもどう返せばいいのか分からない。


 ロイはチガヤの言葉に甘えるようだ。挨拶をしないと聞いて少しほっとする。実家に帰れば帰ったで何か言われるに違いない。


「俺の両親には会ってもらいたい。いいか?」

「はい。……いえちょっと待ってください。これはあくまで一時的なものですよね。わざわざロイ殿のご両親にお会いする意味とは」

「恥ずかしい話だが、そろそろいい歳じゃないかと言われていてな。婚約者の件は伏せたままで、アイリスに惚れていることを伝えれば見守ってくれると思うんだ」

「……? それなら余計に私も一緒に行く意味ありますか?」

「目の前で口説いている最中だと言えばきっと応援してくれる。それに、惚れていることを人に伝える練習にもなるだろう?」


 口説く、という単語が出てきて、アイリスはまた身体に熱が走った。顔も熱くなってくる。赤くなっていないことを願う。それを誤魔化したくて思わず口にする。


「十分だと思うんですが」


 事情を知るリアンとジェシカ、グレイがいる空間でさえこれだ。上手すぎなのでは。練習しなくてもロイなら大丈夫だろう。


 すると相手は首を傾げる。


「そうか?」

「え」

「こんなものでは足りない。まだまだだ」


(……そんなところまで頑張らなくても)


 ロイの人としても騎士としても努力を怠らない姿勢は尊敬している。が、頑張るところが違うとツッコミしたかった。

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