14*知らなかった -03-

「あの人だったよ」

「そうか」


 短い兄妹のやり取り。

 それだけで十分のようだ。


「ありがとう。私の言いたいことを代わりに言ってくれて」

「合ってたか?」

「うん。さすがお兄ちゃん」


 とびきりの笑顔を向けてくれる。

 ドレス姿なのも相まってか、美しかった。

 

 ロイは微笑んでいたが、どこか困っているような表情にも見えた。モニカの反応が、嬉しいような、複雑な心境なのかもしれない。


 三人は少し離れた所でそれを眺める。


「アイリスやるね。イーデン公爵に啖呵切るなんて」


 隣にいるクロエにぼそっと言われた。

 声色がなんだか楽しそうだ。


 途端にアイリスは渋い顔になる。


 平民でシリウスを知る者は少ないが、城内部の人間からすると彼はよく知られている。第一王子の右腕であるし、たまに城で見かけることもある。大体は王子であるバルウィンと一緒だ。クロエもシリウスの噂は耳にしている。


 クロエの言葉に耳が痛い。

 ついでに後のことを考えると頭も痛い。


 絶対に父であるチガヤから小言を食らう。

 今からそれが憂鬱だ。


 するとジェシカがフォローしてくれた。


「あの場でイーデン公爵からお咎めはなかったし、大丈夫だと思うわ。先に喧嘩を売ったのは彼よ。アイリスはただ買っただけ」

「さすがは『氷の花』だね。言葉の端々が冷え冷えでぞくぞくしちゃったよ」

「もういいでしょう……」


 言ったことに後悔はない。


 だが嫌でも注目を浴びた。

 同じことは御免だ。


 ジェシカが息を吐く。


「まさか昔の話をされるとは思わなかったわね」

「ほんとよ。なんでジェシカは何も言われなくて私だけ言われるの」


 そこは少し不満だった。

 自分だけこんな目に遭うのは理不尽だ。


 クロエが目をぱちくりさせる。


「え。もう一人の令嬢ってジェシカのことだったの?」

「ええ。華麗に断ったわ」

「へぇ~。で、アイリスは気に入られたわけだ」

「そういえばアイリスだけ名前で呼んでいたわね。大体彼は人を家名で呼ぶのに」

「もう嫌われたも同然よ」


 言い返したら見向きもされなくなった。最後だってロイに何か話した後、こちらは一切見ていない。完全に興味は失っただろう。


「もういいでしょう。この話はおしまい」


 大体傍にはモニカがいる。

 小声とはいえ彼の話をするのは失礼だ。


 と思っていると、タイミングよくモニカがやってくる。モニカはモニカで、ロイと何か話をしていたようだ。こちらの会話が聞こえていないことを祈る。彼女は改めて三人に「今日は本当にありがとうございました」と頭を下げていた。


「これからは『社交界の花』を目指して頑張ります」


 片手に拳を作り、宣言するように笑っている。彼女はまず貴族の令嬢となって、名を広めることに尽力するようだ。結果を求めるシリウスが相手だからこそ、努力したいのだろう。


 色々あっただろうに変わらない明るい笑み。

 こちらまで笑顔が引き出された。


「マナーはこれからも教えられるわ。頼ってね」

「護衛が必要ならいつでもグラディアン殿に言ってくれ。モニカ嬢のためならすぐに駆けつけるよ」

「いつだって力になるわ。一人で頑張り過ぎないで」


 ジェシカ、クロエ、アイリスの順に言葉を送る。

 モニカは「はい」と嬉しそうな顔をしてくれた。


 今回の目的は無事に果たした。

 モニカはそろそろ帰り支度を始める。


「私が送るよ」


 クロエがそう言ったが、ロイは首を振った。


「用意してもらっている馬車までは俺が送る。三人はゆっくりしてくれ」

「え。ですが」

「今回の件で皆には十分世話になった。三人で会うのは久しぶりだろう。せっかくだからゆっくり話すといい」


 全員士官学校時代の同期。

 教官だったロイはよく知っている。


 与えられている仕事の内容は三人共異なるので、確かに頻繁に会えるわけではない。ロイの配慮に、三人は甘えることにした。モニカにたくさん手を振って見送る。


 ドアが閉まったことで、部屋は一瞬静まった。

 が、なぜかクロエはにやにやしていた。


「相変わらずいい男だねグラディアン殿は。あれで結婚してないなんて信じられない。爽やかだし腕っぷし強いし優男だって? 完璧すぎない?」


(む……)


 アイリスは微妙な顔になる。


 ロイが褒められるのは嬉しい。

 嬉しいが、なんだかもやもやする。


 ジェシカは同意するように頷いた。


「女性への気遣いが本当に細やかね。大人としての落ち着きもあるし、確かに結婚されていないのが信じられないわ。イーデン公爵も人気があるけど、グラディアン教官だって引く手数多でしょうね」


(むむむ……)


 人を見る目があるジェシカもそんなことを言っている。彼女も太鼓判を押しているのは前から知っているものの、ここまで評価するとは。


(私の方がロイ殿の良いところいっぱい知ってるんだから……)


 弟子マウントが発動しそうになる。


 彼のことを一番見ており一番知っているのは自分だと思っているつもりだ。すると両肩にそれぞれ手をぽん、と置かれた。


 左右に顔を動かせば、二人はにこにこしている。


「大丈夫だよアイリス。グラディアン殿を取ったりなんてしないから」

「は?」

「あなたが一番グラディアン教官のこと好きだって知ってるから」

「な、何の話よっ!」


 急に話が変わるなんて聞いていない。

 すると突然クロエが「ん?」と頭を動かした。


「え。なにこのドレス。後ろ開いてるの?」

「!」

「そうよ。髪を下ろしているから分かりにくいけど」

「え~すご~い」


 クロエがアイリスの後ろに移動した。


「ちょ、ちょっと」


 戸惑っている間にも、アイリスの後ろ髪をクロエが動かす。背中に視線を感じる。わざわざ見ているのだろう。仕方ないのでアイリスは前を向いていた。


 しばらくするとクロエの手が離れる。


「すごいえっちだね」

「は!?」


 慣れない言葉に固まるアイリス。


「あら」


 ジェシカは含み笑いをしている。


「だって後ろから見るとすごくセクシーだよ。刺激が強いしどきどきしちゃう。襲いたくなる」

「何言ってるの」


 思わずツッコミしていた。

 だがクロエは大真面目な顔をする。


「え、グラディアン殿はこれを見ても鉄壁の理性なの? 嘘でしょう? 何もないの?」

「な、何もないって何……」


 相手の言っていることが難しい。

 何が言いたいのかさっぱり分からない。


 ジェシカは自身の顎に手を添える。


「もしかしてグラディアン教官は、背中まで見ていないんじゃないかしら」


 アイリスは髪が長いため、背中はほぼ隠れている。


 それにロイは人と話す時、目を見て話す人だ。

 背中を見る暇などなかったように思う。


「開いてるって分かったらどんな反応するんだろ。見てみたいな」


 なぜかクロエがわくわくしている。


「も、もういいでしょう。ほら帰りましょうよ」


 目的は果たしたのだからこれ以上ここに居座る必要はない、背中のことも忘れかけていたのに、思い出させないでほしい。ロイが見ていないならむしろ好都合だ。ドレス姿は十分褒めてもらえたし満足している。


 するとジェシカは眉を寄せた。


「何を言っているのアイリス。私達は帰るけど、あなた達はまだ二人きりになっていないでしょう」

「なんで二人きりになる必要があるのよ」

「ええ、私達は帰るの?」


 悲観的な声色のクロエと言葉が被ってしまう。

 ジェシカが大きく頷いた。


「他でもないグラディアン教官が二人きりになりたいって言ったんだから。あとクロエ。さすがに邪魔は悪いわ」

「だ、で、でも……」


 アイリスはどもった言い方になる。


 二人きりを回避したいのだが何と言えばいいのか分からない。二人きりが嫌というよりは、この格好でというのが、アイリスに緊張をもたらしてしまう。


「えええ見たかったぁ……。アイリス、また後日教えてね」

「ちょっと待って本当に帰るの!?」

「当たり前でしょう。私達のやることは終わったもの」

「グラディアン殿が帰ってきたタイミングで帰ろうか」

「ちょ、ちょっと待ってよ」


 一人にしないでほしい。

 全力で首を横に振る。


 だが二人は「頑張れ」とウインクしてきた。







 ロイはモニカと歩いていた。


 クロエが教えてくれた人通りが少ない道を使って馬車まで向かう。クロエとジェシカのおかげで、上手くジェシカは隠された。人に会うこともなかったようだ。まだ彼女は貴族ではない。無事にモニカを帰せることに、ロイはほっとする。


 少し前を歩く妹をちらっと見る。

 その顔はすっきりとしていた。


 予想はしていたものの、あの場でのシリウスの言動に全く動じていない。わが妹ながらすごいと思う。ロイもシリウスに対し冷静でいられたのは、事前にモニカに色々聞いていたからだった。


『その人のどこが好きなんだ?』


 話を聞く限り、あまりいい人とは思えなかった。


 兄だから、家族だからという理由を除いても、妹はいい子だ。両親と店を切り盛りし、いつだって客に対し笑みを見せる。ちょっと困った客がいたら、優しく窘めることもできる。


 そんな彼女だから皆大好きで、彼女目当てで来てくれる客もいる。だから余計に、なぜその人物を好きになったのか、不思議だったのだ。


 すると笑われる。


『私が幸せにしてあげたいと思ったの』

『……!』


 その言葉に、納得した。


 モニカは人に何かをもらうよりも、人に何かしてあげることを喜びとしていた。プレゼントをもらった時より、サプライズを計画する方が嬉しそうだった。


 だから納得してしまった。


 それだけじゃない。

 シリウスの境遇を、彼女は聞いたらしい。


『素性を何も知らない私に、自分のことを少しずつ話してくれたわ』


 モニカはなんでもないことのように話す。


『亡くなったご両親とお兄さんからは期待されていなかったんだって。あと、愛人の子だったって』


 それを聞いてさすがにぎょっとした。


 思ったより境遇が重い。それに、その人物はやはりシリウスであると確信した。両親と兄を一度に失った貴族は多くない。彼の秘密に触れることになると思い、モニカの話を止めようとする。


 だが彼女は首を振った。

 全く気に留めてなかった。


『お兄ちゃんは人の秘密を勝手に話したりなんかしないでしょ』


 無理やり聞いたのではなく、勝手に彼が話し出したという。ならば、聞いた話をどうしようが勝手だと、モニカは言った。冷たい物言いのようにも聞こえたが、なんだか少しだけ相手への仕返しのようにも見えた。


 確かに人の秘密を誰かに話したりはしない。モニカにそう言われてしまったので、その後もロイは話を聞くことになった。……想像以上だった。

 

 シリウスの境遇は、決していいものではなかった。


 父親は愛人であった母のことは愛していたが、その子供であるシリウスには目もくれなかったという。母は幼い頃に病死したようだ。父親の血を持つからという理由で、最低限の生活はさせてもらっていたらしい。


 だが本妻であった母と兄からは毛嫌いされていたこと。必死で役に立とうと、勉強だけは人一倍したこと。事故で身内を一度に失ったが、特に思うことはなかったこと。だが「公爵家」という重い責任を背負わされ、全て捨てたいと思っていること。


 それでも受け取った家名と責務は。

 絶対に死ぬまで離せないと、彼は言ったという。


 話を聞いたロイは、動揺した。


 彼が背負っているものは、他の貴族に比べても重い。それに正式な血筋が正しいと人に求めるのに、彼は半分しか血を受け継いでいない。本妻は貴族の令嬢だったが、彼の母は平民の女性だったという。


 どうして本物にこだわるのだろう。血筋にこだわるのだろう。おそらく彼の秘密を、他の貴族は知らない。知っていたら彼の状況は少し違って映っているはずだ。それにあの目の下にある隈。忙しいからだと思っていたが、それ以上に何かを抱えているのだろうか。


『私ができることなんて、お話を聞くくらい。だから会う度に聞くよって。これからも聞くよって、伝えたの。でも仕事が忙しくなるからもう会えないって言われて。じゃあどうしたら会える? って聞いたら、貴族になって社交界の花になれって言われたの』


 モニカは大人びた優しい表情だった。

 彼から凄絶な過去を聞いても、落ち着いていた。


『これはね、あの人からの挑戦状だと思うの』

『挑戦状?』

『そう。できるのかお前に、って。できないだろうお前には、って。だってそれを言われた時、死んだような目をしてたもの』

『…………』

『だから私は応えたいの。できるよ私は。会うよ私は、って。あの人はきっと、私がそうなるなんて思ってないと思う。気まぐれにただ話を聞いただけの子供だって思ってると思う』


 二人は十三も歳が離れている。

 ロイよりもシリウスは三つ上なのだ。


 確かに彼なら、モニカくらいの年齢はまだ子供だと、馬鹿にするような気がした。だがモニカはそれを自覚し、理解している。彼の考えを。彼の気持ちを。相手にされないだろうと、子供としか見ていないだろうと。分かった上で、シリウスの挑戦状を受け取っている。


 モニカはにやっと笑う。


『私に言ったこと、後悔するかもしれないね。私、一度決めたことは絶対やる遂げるもん』

『……ああ。よく知ってる』


 身近で一緒に育ってきたからこそ。

 妹がそういう人物なのは知っている。


 何があってもきっと諦めないのだろうと。

 努力し続け、結果を出すのだろうと。


 妹ならやり遂げられるだろうと。

 ロイはそう信じた。


『あの人の一番の味方になりたいの。応援してくれる?』


 そんな風に言われたら。

 反対なんてできそうにない。


『ああ。応援する』


 彼の事情を知ったことで。

 モニカの決意を知った上で。


 今日という日を迎え、シリウスと話した。彼の言動に対し、全て穏やかに聞けたわけではない。でも揺るぎない信念を持つモニカと、自分を庇って堂々とした姿を見せたアイリスの前で、どうしたってかっこつけたかった。


 大人になりきれたのかは分からない。


 だが大人だったとアイリスに褒められて。

 ジェシカにありがとうと言われて。


 自分のやるべきことは果たせたと、思えた。


「ドレス姿だと大人っぽく見えるな」

「ほんと!?」


 モニカがぱっと目を輝かせる。


 今日はジェシカが用意してくれたドレスを身にまとっていた。亜麻色の長い髪は綺麗に巻かれており、彼女の明るさを表現するような橙色のドレス。そのドレスと同じ色の瞳が、嬉しそうにきらきらと自分を見つめている。


 いつもは髪を一つに括り、動きやすい格好をしている。お店が忙しいこともあり、なかなか出かけたりおしゃれをする暇がない。だがこうやって場に合った格好をすれば、モニカも女の子らしい。可愛い。


「ああ。とても綺麗だ」

「ありがとう。ちゃんとアイリスさんにも綺麗って言った?」

「え? ああ、言ったが」


 急にアイリスの名前が出てきてどきっとする。


「前から思ってたけど、お兄ちゃんってアイリスさんにだけ態度違うよね。すごく優しい目をしてる。好きなんでしょ?」

「えっ」


 以前アイリスと一緒に店に訪れた。両親には応援してほしいと伝えた。モニカもその場にいたので、知っているはず。だが今の聞き方は、そのことを指しているわけじゃないと気付く。


 モニカはふふふ、と笑っている。


「お兄ちゃんの気持ちなんてお見通しだよ。大好きなんでしょ? すごく大事そうにしてるもんね」

「……その辺にしてもらってもいいか」


 さすがに妹の前だと照れくさい。


「でもアイリスさんには全然伝わってないよね」

「うっ」


 言葉がぐさっと胸に刺さる。


 彼女の親友にも言われたのに、自身の妹にも言われてしまった。見れば分かる人達からすると、やっぱりそのように映っているのか。


 モニカは基本的に優しいが、こういう時ははっきり口にする。見た目は父によく似ているが、中身は豪快な母に似ているのだ。ちなみにロイは、見た目は母で中身は父に似ていると思っている。


「好きってはっきり言ったら?」

「……言いたいとは思ってる。タイミングがどうしてもな」


 隣国に行くまであと数日だ。


 一か月後までに準備を、とリアンに言われ時は日があると思っていたのに、もうあと数日。思ったよりこの間、色んなことが起きた。隣国のことさえ終われば、伝えるチャンスはあると思っているのだが。


「のんびりしてると誰かに取られちゃうよ」

「…………」


 ロイは顔をしかめる。


(イーデン公爵と同じことを言わないでくれ)


 あの場でシリウスに胸倉を掴まれた。

 驚いたが、殺気はないと判断した。


 そのままにしていれば耳元で言われた。

 『悠長にしていると奪われるぞ』と。


 アイリスのことを指していると分かった。


 もしそうなっても奪い返すと、その時は言い返した。そうできると思った。が、連続で人に言われると、本当に誰かに取られるのではないかと、若干不安になるもので。


「善処する」


 苦い顔をしながら言葉を選ぶ。

 モニカはうんうん、と頷いた。


「アイリスさんのドレス本当に綺麗だったね。大人の女性って感じだったわ」

「そうだな」

「背中も綺麗だったし」

「背中?」

「開いてたでしょ。あんなに大人っぽいドレス、私初めて見た」

「開いてたか?」

「見てないの? 見せてもらったら?」

「見せ……いや……」


 さすがに見せてもらうのはどうかと。

 そもそも見ること自体も大丈夫なのだろうか。


 ロイは言葉を濁すが、モニカは素直に口にする。


「お兄ちゃんのためにあのドレスにしたって聞いたわ。それなのに見ちゃだめなの?」

「…………」


(それを言われると……何も言えなくなるな……)


 わが妹ながら視点が良すぎる。

 苦笑して誤魔化しておいた。

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