15*知らなかった -04-
(……本当に二人きりにさせられた)
アイリスは遠い目をしている。
ロイが戻ってきたタイミングで、ジェシカとクロエは本当に帰ってしまった。ロイは改めて礼をしたいと二人に伝えていたが、彼女らは楽しかったから気にしなくていい、と笑っていた。アイリスはロイにバレないよう、身振り手振りで置いていかないでと伝えたが、無視された。ひどい。
今、大きめのソファーに横並びで座っている。
モニカを待っている間の会話は、穏やかな雰囲気だった。お互いの考えを正直に伝え合った。だが今は、静かな空間で心臓がどくどく鳴っている。あの二人がドレスの話をしたのもよくない。変に意識してしまっている。
(……二人きりになりたいって、そんなの、特に意味なんてないのに)
確かにロイは口にしたが、あの場の流れで言葉にしただけのような気がする。それ以上の意味はない。大体二人きりになって何をするのか。ただの会話なら、普段だってできる。
「アイリス。今日はありがとう」
「あ。い、いえ」
話しかけられ、少しどぎまぎする。
「急に社交界に出てほしいなんて、本当に我儘だった。すまない。妹のこととはいえ、取り乱したと反省している。やっと落ち着いた」
「そんな。これくらいどうってことありませんよ」
ははは、と笑って見せる。
笑っていないとどうにかなりそうだった。
本来のアイリスなら、もう少し相手に対してフォローができるはず。だが今はそこまで気が回らなかった。とりあえず笑って誤魔化している。早く帰らないだろうかと、そればかり考えていた。
するとロイは、少しだけ静かになる。
「……少し、気になることがあるんだが」
「?」
ロイが身体ごとこちらを向く。
思わずアイリスも、同じ動きになった。
少しだけ緊張した面持ちで。
アイリスも表情を引き締めてしまう。
(な、何を言われるのかしら)
どきどきしながら待っていると。
「イーデン公爵のこと、どう思ってるんだ?」
「……はい?」
思わず眉を寄せてしまった。
「求婚されたとあの場で知った。どう、思っているのかと」
(気になったことってそれ?)
なぜそんなことが気になるのだろう。
あの場で放ったシリウスへの言動が全てなのに。
「どうと言われましても。モニカの前では決して言えませんが正直苦手です」
「……そ、そうか」
「あの方は貴族、貴族の中でも結果を残している人にしか関心を持ちません。だからといって、他の人に対し蔑んだり差別をする行為は正直どうかと思います」
「そう、だな。俺もそう思う」
「その辺もぜひモニカになんとかしてもらいたいですね」
少しでもシリウスを変えられそうなモニカなら。ぜひ性根から丸ごと変えてほしいものだ。ふん、と鼻を鳴らしていると、ロイが少し笑った。
「?」
「いや、思ったよりも嫌っているなと」
「当たり前です。自分の考えを押し付けてくる方ですよ。好きになんてなれません」
「それを聞いて安心した」
(安心……?)
ロイは少しだけ、視線を逸らす。
「……仕事の関係で、俺はアイリスの三年間を知らない。知りたかった。どんな風に成長し、どんな考えを持ち、仕事に取り組んでいるのか。人伝に聞くことはできても、俺の目で見ることは叶わなかった。俺が知らない間に、誰かに求婚くらいされるだろうと頭では分かっていたが……悔しかったな」
「でもあれは、正式な求婚ではありませんでした」
「ああ。でも……悔しい」
アイリスは戸惑う。
弟子の成長を見守りたかったという気持ちは分かる。だが求婚くらいでそんなに悔しいだろうか。もしかして、兄のような気持ちになってくれたのだろうか。モニカの身に起きたことも、ロイは知らなかった。最初はショックな様子だった。それに近いのかもしれない。
ロイは「それに名前まで……」と呟く。
「あれは、勝手に呼んだだけですよ。私も初めて呼ばれました」
「親し気な様子だったが」
「あの日以来、全く接点がありませんでした。名前を呼んできた理由もよく分かりません。私は不快でたまらなかったです」
正直な言葉に、ロイはまた笑ってくれる。
「そうか。アイリスがそう言うなら」
「安心してください」
アイリスも苦笑する。
「驚きました。まさかそんなことが気になっていたなんて」
「そんなことって……気になるだろう。二人にしか分からないような話をするし。顔色を変えないようにするのに必死だった」
あの時のアイリスは、シリウスと話すことに集中していた。どうにか言い返そうと頭をフル回転させていたのだ。その時は、隣にいたロイの顔は見ていない。だが一人だけ蚊帳の外にいるような会話をされたら、誰だって寂しく感じる。ロイの言いたいことはそれだろう。
だがそれにしたって、シリウスに対する言動で分かるところじゃないだろうか。クロエにも「啖呵を切っていた」と笑われたし。
「私がイーデン公爵のことを好きだと?」
「そこまでは思っていないが……。その、彼は貴族として名を馳せているし」
「私がなびくと? 私は『氷の花』ですが?」
眉を上げて声色もわざと上げて言ってみる。
するとロイの表情が緩みだす。
アイリスの冗談が面白かったらしい。
すぐに「悪かった」と言って頭を下げられる。アイリスは慌てて「そこまできちんと謝るところではないですよ」と伝える。
「アイリスを疑ったような形になった。俺が悪い」
「怒ってませんよ。許します」
「よかった」
安心したように笑う。
対してアイリスは少し呆れてしまう。
本当に。真面目というか誠実過ぎるというか。
確かにシリウスは、誰もが羨むものを持っている。だから心配したのかもしれないが、気にすることなんてないのに。ああいう人物になびく自分ではないのに。
彼よりもよっぽどロイの方が素敵だと。
そう、伝えたくなったが。
さすがに、言える勇気はなかった。
(……あ)
ふと、ひらめく。
アイリスはゆっくり口にする。
「それに……私達は、婚約者でしょう?」
ロイの目が見開く。
アイリスは恥ずかしくなり、下を向いてしまう。期限付きの関係性。口にできるのは隣国に行った時のみ。だからこの場では、決して口にできなかった。
だが、今は二人きり。
今なら、言っても構わないはず。
「……そう、だな。それにアイリスは、俺のために着飾ってくれた」
伏し目であっても、ロイの言葉は耳に届く。
声色は包み込むように柔らかい。
彼の影が動く。
近付いてきたのが分かった。
「だから、もっと近くで見てもいいか?」
(……それはちょっと)
背中のこともありますし、なんて言えるわけもなく。心臓がまたうるさく鳴っている。自分でもうるさいと言いたくなるくらいに。緊張している。
恥ずかしい。
逃げ出したい。
社交界に来たばかりの感情に逆戻りだ。
だが今日は、ジェシカのおかげで綺麗になって。
ロイからも、褒められて。いつもの自分よりは自信があるはずで。
(これも、言えばいいのかしら)
今の素直な気持ちを。
ロイなら、受け止めてくれると思う。
今だって。アイリスが何も言わないのを、ずっと待ってくれている。急かすこともなく、ただ待ってくれている。本当に彼は優しい。もう少しだけ、素直になってもいいかもしれない。
自然と言葉がこぼれる。
「見る、のはいいんですけど」
「うん」
「恥ずかしくて」
「うん」
「顔は、見せられないんですが」
「そうか。……顔も見たいと言ったら?」
(え!?)
思わず顔をぱっと上げてしまう。
目が、合ってしまった。
何度見ても綺麗だと思う、エメラルドグリーンの瞳。アイリスだけをとらえ、ロイは微笑んでいる。その表情は、いつもと同じように見えて、少し違っていた。少し照れているような、切なくも見えるような。言葉にするのが、難しい。
心臓が鳴りながら、どことなく甘さを帯びた音にも聞こえて。
アイリスは反射で顔を隠そうと、手を動かした。
だが両腕は、彼の手に捕まった。
軽い力で握られる。
逃げようと思えば逃げられるのに、アイリスはそれができなかった。しなかった、といってもいいかもしれない。そのまま、互いに見つめ合う。
「前に、嫌だと思ったことはすぐに教えてくれと言ったが」
「は、はい」
「質問を変える。……どこまでなら、いい?」
「え……?」
質問の意味が一瞬、理解できなかった。
アイリスの表情に、ロイは上手く伝わっていないことに気付いたようだ。彼は手を緩める。アイリスは解放されたと思った。だがすぐ彼の手は伸びて、互いの手のひらが合わさるような形になる。いつの間にか、両手で恋人繋ぎをしていた。
アイリスは動揺して、ロイと手を交互に見比べる。
相手はゆっくりと、口を動かした。
「どこまでならいいか、一つ一つ確認したい」
何度も瞬きをしてしまう。
(……確認って)
手を繋ぐ以外に、ということだろうか。
それとも、それ以上の。
不意に思い出す。
以前言われたことを。
『次は触れる。覚悟してくれ』
頬に熱が集まってくる。
まだ覚悟は、できていない。
「あ、あの、」
「うん」
ロイは待ってくれる。
アイリスの言葉を、待っている。
「……身支度を、整えてもいいですか」
「……?」
相手の表情に、何が言いたいのかは察する。
十分整ってる姿なのに、というやつだろう。
だが言い訳はさせてほしい。
「自分の姿を、鏡で確認したいんです。私も、女性ですから」
どう見られているのか、変じゃないのか、自分でも確認しておきたい。この後ロイの言う、確認を一つ一つするのなら。細かいところも完璧な姿でいたい。
「……そ、その後、で、その……」
アイリスはみるみる小声になる。
続きをしないかと、ほのめかす。
流石に口では言えなかった。
だがここはさすがロイというべきところか。
理解してくれたらしい。
分かった、と柔らかい声色で言いながら、ゆっくり手を離してくれる。それにほっとしつつ、アイリスはゆっくりその場から立ち上がる。ロイも立ち上がろうとしたので、それは制した。
「一緒に行かなくて大丈夫か?」
「ここから近いですし、大丈夫です」
化粧室はすぐそこだ。
誰かに会うにしても同性だろう。
だがアイリスを一人にするのは心配なのか、ロイに何度も大丈夫かと聞かれる。その度にアイリスは平気だと伝えた。
少しずつ距離を取りながらも。
自分を奮い立たせながら早口で伝える。
「覚悟も、してきますから」
言った後で恥ずかしくなる。
早足でその場を移動した。
ロイの顔も、見ることができなかった。
「…………はぁ」
ロイは一人、突っ伏していた。
じんわりと胸に広がる思いが、隠しきれない。
(可愛い)
心の中で口にしただけなのに。
それは甘い響きになる。
(アイリスが可愛い)
今日は彼女に翻弄されっぱなしだ。
いつもより緩み切っていると、自分を叱咤する。
両親への挨拶の時。モニカとシリウスのことを知り、動揺し、社交界まで出てきた。平民の騎士が出世して爵位をもらうことはあまり多くない。元々注目されやすいこともあって、仕事が忙しいこともあって、社交界は避けてきた。妹のためならばあえて目立つことさえしてみせた。
協力をしてくれたジェシカやクロエに感謝しつつ、アイリスにももちろん感謝している。だがまさか、以前見たドレス姿よりも大人びた格好をしてくるとは。
これは誤算だった。
ジェシカが見繕ったのなら納得できる。
あれはアイリスの良さを引き出す姿だ。
見ることができたのは素直に嬉しかった。
嬉しかったが、他の男も目にするのかと思うと、少し心が狭くなった。実際多くの人の目に留まった。アイリスに見惚れる男性達の姿に、見るなと牽制したいくらいだった。近い距離感を意識し、彼女の見る景色は自分の姿だけにしてほしいと願った。そして自分達の世界に入っていると、周りに見せつけた。
自分のためにアイリスがこのドレスを着たのだと知った時は、喜びを嚙みしめた。と同時に、やっぱり自分だけに見せてほしかったと強く願った。二人きりの時に見たかったかもしれない。
シリウスから求婚をされたという話を聞いた時は思った以上に喪心した。可能性がないわけじゃないのに、今まで見た限りそんな話は聞いたことがなかった。だから大丈夫だろうと安心しきっていたのだ。彼女の環境に。彼女の性格に。
……知らぬ間に、彼女が取られるのではないかと。
モニカとシリウスの言葉で、焦った。
やっと二人きりになれて、気になることが聞けて。
アイリスはやはりアイリスだった。
自分の気持ちに正直な子だった。
婚約者だろう、という言葉まで口にしてくれて。
急なこちらの提案にも応えようとしてくれる。
(……少し攻めすぎたか?)
以前触れていいと言ってくれた。
逆にいけなかった。
申し訳ない気持ちになった。
こんなに綺麗な彼女に、邪な思いで触れることが許せなかった。それは例え、自分であっても。だから触れなかったのだ。彼女がいいと言っても。彼女をただ眺めたいと思った。
だが今日。
誰かに取られてしまうのは。
ものすごく嫌な気持ちになった。
だから触れる。
一つ一つ。
彼女がいいと、許してくれるところまで。
前に伝えたことを、彼女はちゃんと覚えてくれていた。
意識してくれている。自分のことを。
これ以上に嬉しいことがあるだろうか。
(アイリスは……かっこいい)
シリウスに果敢に己の考えを発することができて。
(……可愛い)
こちらの言葉を素直に受け止めようとする。
健気なところが、愛おしい。
今日一日で、彼女の色んな表情を目にできた。
飽きないくらいに。ずっと見ていたくなるほどに。
より彼女への想いが、溢れる。
触れると決意したわけだが。
もちろん節度は守りたい。
(……理性はどうにか、保ちたい)
だがまさか背中が開いているなんて、妹に言われるまで気付かなかった。いつもより肌を出しているドレスだとは思っていたが。大胆なデザインにしたのはジェシカが選んだからだろう。
アイリスがそそくさと部屋から出る時に、後ろ姿を目の当たりにする。髪で隠れてはいるがなるほど、確かにこれはつい目で追いたくなってしまう。
(……もつか? 俺)
息を深く吐く。
あんな綺麗な彼女の前で。
自分はいつも通りでいられるだろうか。
溢れる思いが溢れすぎないか。
少しだけ心配になった。
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