13*知らなかった -02-
「イーデン公爵が、アイリス様に求婚を……?」
「そんな話は聞いたことないぞ」
「ブロウ侯爵も存じている話なのか」
辺りが騒ぎ出している。
混乱しているようにも見えた。
当たり前だ。
噂一つない公爵の結婚に関する話。
それを本人が明かしたのだから。
だがこの場で唯一、アイリスだけが冷静だった。シリウスが告げたことは、こんな公の場で話すようなことではない。周りを静かにさせるためにも声を張る。
「お戯れを。そもそも正式な求婚ではありませんでした。それに、私の他にもう一人、その場に令嬢がおりましたね。その方にも同じことを申し上げておりました。『愛のない結婚をしないか』と」
さらに周りがざわつき出す。
(……ちょっと静かにしてくれないかしら)
周囲に対しアイリスは内心いらっとする。
うるさくてかなわない。
「なんだ。もうバラすのか」
シリウスはつまらなさそうに息を吐く。
そもそも何がしたかったんだ。
アイリスは苛立ちが増してしまう。
声をかけられたのは三年前。
騎士団に入団して間もない頃。文官となったジェシカと共に廊下を歩いていた時、偶然シリウスに出くわしたことがある。簡単な挨拶だけ行いそのまま通り過ぎようとしたのだが、なぜか呼び止められた。
『ブロウ家とフェイシー家の令嬢』
『『?』』
『どちらか、俺と愛のない結婚をしないか』
今まで挨拶はしたことがあるが、このように会話らしい会話をしたのは初めて。にも関わらずの発言。アイリスは気でも狂ったのかと眉を寄せていたが、ジェシカはにこっと笑いながら「お断りしますわ」と答えていた。
相手から「なぜ?」と問われると。
ジェシカはあえて困った表情を作っていた。
さも女優のように。
『私とイーデン公爵ではあまりにも注目を浴びてしまいますわ。私、慎ましい結婚がしたいんですの』
『そうか。仕方ないな』
あっさりと引き下がる。
今度はこちらに視線が向く。
『ブロウ家の令嬢は』
『お断りします』
『なぜ?』
やっぱり理由は聞くのかと思ったものだ。
『私は最近騎士になったばかりです。今は仕事に集中したいと考えています』
『時期ではないと?』
『結婚自体はいつかできればと思いますが、今は何も考えられませんし相手も決められません』
相手の質問に誠実に答えるが、内心は警戒していた。求婚されたわけだがその言葉は不穏なものであるし、何か裏があるのではと疑ったのだ。
『なぜ私達なのですか。イーデン公爵ならば引くて数多でしょう』
すると鼻で笑われた。
『引くて数多だから困っている』
アイリスは思わず顔をしかめる。
(人気者の気持ちなんて私には一生分からないわ)
と同時に分かりたくもないかもしれない。
そんなこと思っていると。
シリウスは肩をすくめた。
『断られることは予想していた。どちらかは欲しかったが、無理だったか』
『他を当たってくださいな。イーデン公爵ならきっと素敵な方に出会えますわ』
『俺が欲しいのは素敵な人間じゃない。打算的な関係を築ける人間だ』
(わ。最低)
求婚の仕方も最低だが理由も最低だ。
さらに警戒を強める。
『お前達は俺に一切興味がないだろう。それが俺には魅力的に思えた』
普段から注目を浴びすぎるせいだろうか。
顔、仕事の腕、公爵という身分。どれをとっても人から羨望の眼差しを受ける。本人からすれば、その眼差しが面倒、とでもいうような態度だ。
だから打算的な関係を求めると。愛のない結婚をしたいと思ったのかもしれない。互いに利益があるように。情によるいざこざに巻き込まれないために。
これに関してはアイリスよりもジェシカの方が、彼の気持ちが分かるかもしれない。圧倒的な美貌のせいで多くの男性を虜にしている。本人が望んでいるわけでもないのに。いつだって上手く対処し笑顔でいるが、その裏ではどれだけの苦悩を抱えていることか。
ジェシカは穏やかに微笑む。
『そうでしたか。こう見えて、私もアイリスもそれなりに愛に飢えておりますわ』
『え。私も一緒にしないでよ』
初耳なのだが。
『ここは合わせるところよ?』
にっこり笑われた。
『……なんだ。お前達も愛が欲しい類の人間か』
シリウスの声が低くなる。
少しだけぴんと張り詰めた空気になった。
『ええ。イーデン公爵はそうではないのですか?』
『愛も恋も面倒で無駄なものだ。俺には一切必要ない』
どこか吐き捨てるような言い方だった。
だがどこか、冷たい瞳に何かを宿しているようにも見えた。本心なのか、その言葉に別の本心が混ざっているのか。よく分からないものだった。アイリスは相手の気迫に、思わず静かになる。
だがジェシカは始終落ち着いていた。
『きっと出会えますわ。この人だと思えるような方が』
優しく諭すように伝えていた。
『女神に言われたらご利益がありそうだな』
本気にはしていない声色だった。
それでもジェシカはただ微笑んでいる。
相手は足先を、向かう道へと動かす。
『気が変わったらいつでも声をかけろ。何年後でもいい』
『あり得ませんわね』
『……右に同じく』
二人の答えに、シリウスは鼻で笑った。
話しかけられたのはこの一度だけ。一応父であるチガヤにもこの件は報告しておいたが「そうか」の一言だけだった。
チガヤはシリウスと公の場で交流がある。普段どういう話をしているのか、どういう関係性を築いているのかは、聞いたこともないし教えてくれない。謎のままだ。
「俺はあの日と考えが変わっていない」
「ならばそのような女性を求めたらいかがですか」
「そうしたいが、そうもいかないらしい。俺は顔がよく、仕事ができ、権力がある。いらん人間が多く引き寄せられるんだ。面倒で敵わない」
(知らないわよ)
内心ツッコミをする。
軽く自慢も入っているではないか。
若干いらっとした。
「アイリスは俺の理想だ」
(イーデン公爵に興味がないって点だけでしょう。あとわざと名前で呼ぶな)
あの時ジェシカと同様、求婚に関しては断ったはずだ。それ以来接点もない。それなのになぜ自分だけ名指しでこのように言われなければならないのか。
俳優のように息を吐く姿はとても艶があったが、アイリスの目から見て嘘くさく映った。周りにいる女性達は彼の色香にうっとりしているが、騙されない。
それにいつもは人を家名でしか呼ばないくせに、あえて親密な関係性だと思わせるためにわざと名前を呼んできた。意味が分からない。誤解されるしやめてほしい。だがそれを指摘したら逆手に取られるかもしれない。アイリスはその件に関して何も触れなかった。
「俺よりもその男を選ぶのか」
シリウスはロイを横目で見ていた。
「爵位をもらったばかりの若造よりも、俺の方がよほど持ってるものが多いがな」
ロイの身体がぴくっと動く。
アイリスは彼の腕に手を添えているため、それが分かった。今彼が何を思っているのかも。なんとなく、分かった。
「――ロイ殿は私の剣の師であり、尊敬する方です。侮辱することは侯爵家の者として許しません」
無意識に言葉が飛び出していた。
アイリスの言葉の鋭さに、また周りがざわざわし始める。本来であれば公爵であるシリウスの方が偉い立場だ。故に発言は注意する必要がある。
だがアイリスは王族とのつながりもあり、父親もそれなりの実権を握っている。シリウスに対しあまり大きい口を叩くなと、同じ貴族として発言した。
ただの小娘が何を生意気にと、後でこっぴどく叱られることだろう。チガヤにもこの件は伝わる。何を言われるだろうか。だがアイリスは、身分で人を侮辱する行為が大嫌いだった。
(……身分で人を傷つけていいなら、私だって身分を使ってやるわ)
普段は自分の身分を使うことはしない。リアンが以前ロイに言っていたように、身分はただの判断基準の一つでしかないからだ。
だが、今のアイリスはそれだけの地位にはいる。仕事だって評価はされている。やるべきことは果たしており、人に後ろ指を指されるようなこともしていない。正々堂々と言えるだけのものは持っていると思っている。
誰だって。
その人自身に価値がある。
尊ぶべきところがある。
その価値が分からないシリウスに。
ロイのことを言われたくない。
「イーデン公爵がそのようなお考えを改めない限り、私はあなたの元へは決して行きません」
「……そうだったな。お前はそういう人間だった」
淡々とした口調。
怒りやお咎めは特にないらしい。
「ならば俺に合う人間を探すとするか」
視線も別を向く。
やっと諦めてくれるようだ。
内心ほっとする。
シリウスはその場を歩き出す。
もうこの話は終わった、とでも言うように。
別の者がシリウスに話しかけようとした時。
ずっと黙っていたロイが「お待ちください」と声をかけた。
「一つ、質問に答えていただいてもよろしいですか」
真摯な眼差しをシリウスに向けている。
相手は黙っていた。
だが足も止めている。
「知人がイーデン公爵に会ったと聞きました。覚えはありますか」
(! 合図があったのね)
シリウスの姿を見つけたら、クロエが合図を出してくれることになっていた。モニカとジェシカはここから見えない場所にいるはずだが、クロエだけが、こちらが探したら見える場所に待機してくれている。
クロエが右手と左手。
それぞれに丸を二つ作れば。
『顔を見た上で、モニカが会った人物である』
ということを示す。
アイリスはシリウスとの会話に集中していたが、ロイがクロエの姿を見つけたようだ。そして確認した。だから質問をした。会った覚えはあるかと。
必要最低限の情報しか述べていない。もし本当にモニカが会ったのがシリウスだったとしても、彼は気付くだろうか。それとも知らない、と突っぱねるのだろうか。
アイリスも緊張しながら返答を待つ。
するとシリウスは、思い出したように「ああ」と声を漏らす。遠い記憶を呼び寄せたように。
「そうか。
「!」
二人は息を呑んだ。
シリウスは淡々とした口調で言う。
「俺は
(……イーデン公爵らしいわ)
本物、というのは正式な貴族の血筋を持つもの。偽物、というのは爵位をもらったばかりの平民を指しているのだろう。彼は結果でしか人を評価しない。そして認めようとしない。
酷だ。
ロイとモニカに対し、酷なことを言っている。これをどこかで聞いているであろうモニカはどんな気持ちなのだろうか。こんな物言いしかできない人物のどこがいいと思ったのだろう。
アイリスは顔を歪めながらちらっと隣を見る。
ロイは、真っ直ぐシリウスを見ていた。
「肝に銘じておきます。知人も、努力し続けるでしょう」
(!)
アイリスはロイの横顔に釘付けになる。
その顔は、思ったよりも晴れ晴れとしていた。
(……努力って、モニカはこれからもイーデン公爵のために努力するってこと?)
今日の会話だけでも嫌いになる要素はあったように思う。モニカだけなく、ロイ自身も。だが兄であるロイは確信したような口ぶりだ。モニカの気持ちは、そう簡単に変わるものではないことを示している。
どうしてモニカが彼を好きになったのか、アイリスにはよく分からない。もしかして、彼女しか知らない彼の姿があるのだろうか。
シリウスは真顔になっていた。
少し怖いくらいに。
「知人であるなら止めてやるのも優しさだろうに」
遠まわしにやめておけと伝えている。
無謀なことだと思っているのだろうか。
「本人が決めたことは応援するだけです」
「能天気なのか?」
「道を示してくださったのはイーデン公爵でしょう。あの子はやわではありません。必ずやあなたが示してくださった道へ突き進みます」
「……兄妹揃って馬鹿か」
最後はぼそっと呟いていた。
ロイは小さく微笑んでいた。何を言われても問題ないとでもいうように。誰が見ても堂々とした姿だった。
シリウスは足を動かした。
そのまま進むのかと思いきや、急に方向を変え、ロイに向かっていく。その勢いのままに彼の胸倉を掴んだ。アイリスと周りが驚いてそれを見ているが、ロイは動じていない様子だった。
シリウスはそのまま自分の元へと引っ張り、彼の耳元で口を動かした。なんと言ったのかは聞こえなかった。シリウスは挑戦するような目をロイに向けていたが、ロイは穏やかなままだ。
「……もしそんなことがあったとしても」
変わらず柔らかい声色で。
「必ず奪い返します」
思ったより物騒な会話をしていたらしい。
「はぁ」
ロイが溜息を溢す。
やっと緊張から解放されたようだ。
「大丈夫ですか?」
「ああ。どうなることかと思った」
苦笑いを浮かべている。
「とても立派なお姿でした。イーデン公爵に対し、あんなにも堂々としてらっしゃって」
「かっこつけたいところだが、内心かなり緊張していた。自分より身分が上の方と話すのは難しいな」
「とても緊張しているようには見えませんでした。それに、ロイ殿の対応はとても大人でした」
逆にシリウスの言動は我儘な子供に映った。
口がいいとは思えない彼に対し、あんなにも穏やかな接し方ができるのはすごいことだ。アイリスはロイのようにできない。言い方は気をつけたものの、棘はあったと少し反省している。
とはいえ、誰に対してもそのようにしてしまう。これは両親からもよく指摘されること。反省はするものの、性格というのはなかなか変えられない。どうしたって心を許せそうにない相手には、強気になってしまう。
アイリスの素直な感心に、ロイは少し笑った。
「ありがとう。……アイリスには助けられた」
「持っているものを利用しただけに過ぎません。お役に立ったならよかったです」
するとじっと見つめられる。
「?」
「……本当に。君はかっこいいよ」
ロイの表情も言葉も、真っ直ぐで、どこか温かくて。いつもと同じように見えたが、いつもと違うようにも見えた。アイリスに向けているはずなのに、より深い部分に向けて発しているようで。
アイリスは惹きつけられてしまう。
「男の俺が悔しく思うくらいにな」
少しだけ笑われる。
そんなことを言われて、少し戸惑う。女性からかっこいいと言ってもらえることはあるが、男性から言われたのは初めてだ。しかもロイから。
かっこいいの代名詞は大体男性に与えられるもの。だからか、そのように言ってもらえるのは嬉しい。しかも男性に。ロイに。異性にかっこいい、だなんて。認めてもらえたような気がした。じわじわと嬉しさが胸に広がっていく。
アイリスとロイは会場から少し離れた一つの部屋に向かっていた。シリウスとの会話が終わったら、全員そこに集まろうという話をしていたのだ。
部屋に入ればモニカ達はまだ来ていなかった。
しばらく二人で待機する。
今の間に、質問した。
「ロイ殿は、モニカの気持ちを応援するんですか?」
「ああ」
あっさり頷かれる。
アイリスは内心複雑だ。
「でも、相手がイーデン公爵というのは……」
「最初はアイリスと同じ気持ちだったな」
ロイも微妙そうな顔をする。
「モニカに貴族になりたいと言われて、その後話す時間を取ったんだ。本気なのは分かった。それにモニカは、好きになったら一途だ。他のことに関しても。好きなことなら、どんな困難があっても諦めない。ずっと向き合える強さもある。俺はそれを、信じたい」
力強い言葉だった。
「イーデン公爵がその……性格に多少難があることは、モニカも分かっていると思うんだ」
(確かに話してくれた時も、そんな感じのこと言ってたわね)
「でもそうだな……こういう言い方はあれだが、モニカが彼を変えるんじゃないかと思った。彼と出会って話した時も邪険にされなかったと聞くし、そうさせるだけのものを、モニカは持ってる気がするんだ」
確かにモニカは、とてもいい子だ。
知り合いだからという贔屓目を除いてもそう思う。
今は両親のお店の看板娘と働いているし、まだ十六とは思えないほどしっかりしていて大人びている。言動はまだ幼い少女らしさもあるが、なにより天真爛漫で笑顔が素敵な女の子だ。そんな子が、シリウスの持つ良さだけに惹かれたとは到底思えない。むしろ彼のそうじゃない部分を、よく見ている気がする。
それにシリウスも。
平民であるモニカに対し、ひどい扱いはしていないようだ。口は悪いものの、モニカ自身を馬鹿にするような発言なかったらしい。貴族としか関わりを持たないはずの彼にしては珍しいことだ。
とはいえ。
アイリスは渋い顔になる。
「イーデン公爵にモニカを渡すなんてもったいないです」
「ははっ。そうだな。それは思う」
そんな話をしていると。
いつの間にかドアがノックされる。
入ってきたのは、モニカ達だった。
「お兄ちゃん」
当の本人はいつもの可愛い笑顔。
それだけで。
彼女の気持ちに変化がないことを悟った。
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