12*知らなかった -01-

「あれはグラディアン子爵?」

「最近爵位をいただいた青年か。王族からも期待されているとか」

「爽やかな方ね」

「隣にいる美女は誰だ?」

「ブロウ侯爵家のアイリス様じゃない?」

「社交界でお見かけするのは何年ぶりか」

「どういう関係なのかしら。わざわざ二人で来るなんて、周りにアピールしているようなものだわ」

「確かお二人は剣の師弟関係では」

「それにしては距離が近すぎる」

「以前フェルナンド子爵のパーティーに参加していたらしい。その時も……」

「まぁそういうことなの?」


(…………ものすごく噂されてる)


 アイリスは周りの様子にげんなりしてしまう。


 貴族同士が情報交換のため話し合うのはよくあることだ。こうなることは事前に予想していたが、噂の矛先が自分達に向けられるのはなかなか慣れない。


 アイリスの場合、こういう目に遭いたくないから社交界を避けていたところもある。ひそひそと話される内容までは分からないが、注目の的になっているのは分かる。胸に鉛が入ったような気分だ。


「アイリス。大丈夫か」


 ロイがこそっと聞いてくれる。


 顔には出さないように気を付けていたが、気付いてくれたようだ。ありがたいような、申し訳ないような。この程度で参ってしまうなんて情けない。


「すみません軟弱者で……」

「何を言う。俺の我儘に巻き込んですまない」

「いいえ。私がロイ殿の立場なら、おそらく同じことをしています」


 ふっと笑われる。


「ありがとう。周りが落ち着かないと思うが、今日は俺と一緒だ。俺だけを見てほしい。……いや、俺のことしか考えられないようにするか」


(何をする気ですか……)


 心臓がもたなくなるからやめてほしい。


「俺の我儘に付き合ってもらってるんだ。今度はアイリスの我儘を聞こう」

「別に我儘ではないんですが」


 それに、急にそんなことを言われても思いつかない。何かないか、と聞かれるが、アイリスは首を傾げる。欲しいものは特にないし、してほしいことも特にない。大体自分から動けばできることばかりだ。


 するとロイはにやっと笑う。


「新しい剣技を教える、とかどうだ?」

「! 新しいのがあるんですか」

「ああ。最近編み出したんだ」


 ロイは剣術の達人であるだけでなく、独自に技を生み出したりしている。基礎的な技や応用が必要になる技を自分流にアレンジしているのだ。扱い方が難しく、ロイでなければできない技もある。それを教えてもらえるのは、アイリスにとって嬉しいことだった。


「ぜひ! それがいいです」


 即座に言えば、小さく微笑まれる。


「いい顔になった」

「! ……ロイ殿、ありがとうございます」


 こちらのことはお見通しのようだ。


 ロイと会話をしていると、周りの話し声があまり気にならない。話すことに意識していれば、周りのことを考える暇もない。きっとロイは、そこまで考えてくれている。


 アイリスは自然に頬が緩んだ。

 相手は優しくアイリスを見つめる。


「そうやって笑ってくれると俺も嬉しい」

「はい」

「いいな。いい笑顔だ」

「はい」

「俺以外には見せないでくれ」

「え? は、はい」


(どうやって……?)


 顔を全部隠さないとどうやっても人に見られると思うのだが。とりあえずロイだけを見ていればいいか、と思い直した。


 二人は会場を歩き、人通りが少ない場所で待機する。ロイが使用人からグラスを受け取った。


「お酒は飲めるか」

「飲めますが、人前ではやめています」


 するとアルコールが入っていないグラスを渡してくれる。礼を言いつつ、アイリスは少しだけ微妙な顔になる。


「ジェシカにしきりに人前で飲むのはやめろと言われて……どうやら酒癖が悪いようで……」


 おまけに記憶に残らないので、飲み過ぎるとどうなるのか、自分ではあまり分からない。ジェシカとクロエは知っているようだ。一緒に飲んだことがある。だが二人とも「人前で飲むな」としか言ってこない。説明がないのが逆に怖く、アイリスは言われるままに飲まないように気を付けている。


「そうか。強いのかと思った」

「そこそこは飲めるんですよ。でもいつの間にか記憶がないんです」


 ロイが苦笑する。


「それは怖いな。限度は知っておいた方がいい」

「限界が来る前に沈んでるんですよね……」


 自分でも不思議に思っている。


「今度一緒に飲まないか。フェイシーに許可をもらおう」

「ロイ殿なら、ジェシカもいいって言う気がします」


 頼りになる大人であるし、きっと介抱の仕方も上手いだろう。ジェシカはロイのことを信頼している。あっさり頷くような気がした。


 ロイが少しだけ距離を詰めてくる。

 少しだけ驚いていると、小声で言われた。


「こうして話していれば、周りは迂闊に近寄らない」

「! そうですね」


 今回の目的はシリウスに会うこと。


 アイリスもロイも、滅多に社交界に参加しない。そんな人物がここにいたら、どうしたって注目を浴びる。物珍しさもあって多くの人から話しかけられるのでは、とジェシカが心配していた。だから二人で参加し、二人だけで話し、周りを近付けさせないように壁を作る。あえて二人共、目立つ格好をした。ロイは騎士の礼服。アイリスは暗めだが赤いドレス。これは雰囲気作りも助けてくれている。


 シリウスは会場にいないようだ。

 まだ姿を見ていない。


 来たら来たで、すぐに話しかける必要がある。シリウスは公爵ということもあり、人に囲まれやすい。二十九という年齢であるのに浮いた話もなく、家同士の繋がりを持ちたい者もいるはずだ。だからこそ、タイミングを逃すとなかなか話しかけられない。最初に話すくらいの勢いでなくては。


「気分はどうだ。先程より顔色はいいが」

「はい。少しは慣れました」


(けど……ち、近い……)


 パーティーの時の距離感を思い出す。


 あれほどではないが、互いに少し手を伸ばすだけで触れられる距離だ。二人しかいないのに、近い。周りにスペースもあるのに、近い。周りもその距離感に凝視している。


 ロイは軽くアイリスの前髪に触れてくる。少し乱れていたのを直してくれたようだ。ありがたいが、近いのもあって心臓に悪い。


(……あの日のこと、思い出してしまうわ)


 忘れたはずの、いや、考えないようにしていたはずのことを思い出してしまい、さらに心臓の動きが早くなる。社交界はパーティーの時より人が多い。人の目が多いということは、それだけ注目されているわけで。そんな中で、仲睦まじい様子を見せつけているようなことをしている。


 内心恥ずかしい。

 今すぐここから逃げ出したい気持ちになる。


 一方でロイは普通だ。

 いつもと変わらない。


 余裕ある姿が、少し恨めしく思う。


「いい香りがする。香水か?」

「え、はい。ジェシカが」

「なんだか高貴な香りだ。どこにつけてるんだ?」

「? 首、ですが……」


 と答えると。

 ロイの手が伸びる。


 その手はアイリスの左側。

 垂れていた横髪を、そっと後ろに動かした。


(えっ……)


 それだけでは上手く後ろにいかないと気付いたロイは、横髪を耳にかける。彼の手が耳に当たり、少しだけくすぐったい。


「ああ本当だ。よく香る」


 アイリスは固まった。


 至近距離で微笑まれている。その優しい顔に、目が逸らせなかった。心臓がうるさいくらいに鳴っているし、顔にも熱が集まり始める。


 ロイの目は少し下を向いていた。


「随分細いチェーンネックレスをしてるんだな。これもフェイシーが?」

「は、はい」


 相手はそれをじっと見つめている。

 

「本当に細いな」

「つけている感覚があまりなかったりします」

「遠目からだと分かりにくいが、なるほど。近い距離で見るから映えるわけか」


 なにやら分析している。

 そんなに気になったのだろうか。


 先程から首元に目線がある。


 肌を見られているので緊張してしまう。胸元を開けている女性達はこうやって相手の視線を受け止めているのだろうか。首だけでもそわそわするのに、胸なんて絶対開けられない。恥ずかしくて隠したくなる。


「俺もアイリスに送りたい」

「え」


(ネックレスを?)


「でも私、普段つけませんが」

「いいんだ。必要なかったら捨ててもいい」

「人からもらったものを捨てたりなんかしません」


 思わずむっとしてしまう。


 冷たそうと言われてしまうことはあっても。

 さすがにそこまで非情ではない。


 ロイはふっ、と笑う。


「意地悪を言った。一度つけた姿を俺に見せてくれるなら、後は自由にしていい。受け取ってくれるか?」

「……そんな風に言われたら断れないです」


 アイリスは不満そうに視線を逸らす。


 ロイはずるい人だ。こうやって人が遠慮しそうなことを、そうさせないように誘導させる。願いを口にしながら、必ず受け取るように働きかける。口が上手い、といえばそうだが、相手への気遣いは忘れない。だけど自分のしたいことを必ず行う。そんな人だ。


「また送る。楽しみにしててくれ」

「……はい」


 不満気な顔はなかなか直らない。

 ロイがあまりにもスマート過ぎるからだ。


 と、相手はまた手を伸ばす。


 耳にかかっていたアイリスの髪を、元に戻した。

 横髪がまた前に流れる。


「……?」


 なぜだろうと目をロイに動かすと。


「香りもネックレスも、俺だけが知っていればいい」


 言いながら微笑んでいた。


 アイリスは目を丸くする。

 反射で思い切り顔を横に逸らす。


 顔が熱くなる。

 手で仰ぎたいくらいだ。


 と、ロイの言葉で思い出す。

 この格好は、彼のためにしたことを。


(それを本人に伝えても、いいわよね)


 ロイに見せるために着飾った。


 意識してほしいから。

 いつもと違うところを見せたいから。


 ジェシカのアイデアで全身コードされ、彼女のアイデアが功を奏している。ロイはすぐに気付いてくれた。アイリスがいつもと違う雰囲気を漂わせていることも。香りも。アクセサリーも。


(あなたのためです、なんて言ったら、どんな顔をしてくれるかしら)


 笑ってありがとう、と言いそうな気はする。

 普段と特に何も変わらない気もする。


 だけど、今日のアイリスはいつもと違う。


 ジェシカの助けもあって。このドレスに身を包んでいることもあって。いつもより、自分に自信を持っている。勇気を、振り出そうと決意している。


「アイリス。顔をこっちに向けてくれ」


 そんな風に言われたので、顔を動かす。

 そして、どうってことないように、口を開く。


「ロイ殿に見せたくて、この格好をしました」

「…………え?」


(ああだめ。やっぱり顔は見れないわ)


 視線を下にするのは許してほしい。

 これでも大きい勇気だ。


「元々、着飾る予定ではあったんです。ロイ殿に見せるために」

「……俺のため?」

「はい。いつもと、ちがう雰囲気を出したくて。……少しでも、女性らしく見せたくて」


 いつもは自分の格好や見目を気にしない。

 誰かのために着飾るつもりもなかった。


(……だけど。ロイ殿には、見てほしい)


 ただの弟子ではなく。

 女性として、見てほしい。


 勇気と共に放った言葉。

 言い終わってからアイリスは気恥ずかしくなる。


(………あなたのために着飾ったって、けっこうなことを口走ったわね)


 これでは意識してほしいと言っているようなものだ。気持ちまでバレてしまうんじゃないかと、少しだけはらはらする。


 だが、一向に相手からの反応が見受けられない。


(……?)


 おそるおそるロイの顔を見れば。


「!」


 彼は、口元を手で隠していた。

 だが、照れているその表情は、隠しきれていない。


 アイリスは目をぱちくりさせてしまう。


「ロ、ロイ殿……?」

「……まいったな」

「え」

「嬉しい」


 呟いた言葉は、確かにアイリスに届く。

 きゅっと、心臓が動いた。


 ロイが目を細めて笑ってくれる。


「俺のためにしてくれたんだろう? 嬉しいよ」

「……よ、よかったです」


 上手い返しが見つからなかった。

 無難なことしか言えない。


 それでも、ロイの表情と言葉に、アイリスは胸がいっぱいになる。先程まで早かった心臓も、少しだけ穏やかになる。どこか甘さを感じるような鼓動に、自然と嬉しくなってきた。


(……よかった。着飾ってみて、よかった)


 心の中でジェシカに礼を言う。


 自然とアイリスの顔は緩んでいた。自分でも気付かないうちに、満面の笑みになっていた。それを見た周りの参加者は、またざわつき始める。「氷の花」の笑顔など、なかなか見る機会がないからだ。


 するとロイが一歩、アイリスに近付く。


 距離が縮まったことで視界を遮られた。急な接近に戸惑う。思わずアイリスも一歩下がりそうになるが、それもおかしな話なので、その場に留まる。


「アイリスの笑顔は俺だけが見たい。誰にも見せたくない」

「……笑顔くらいで、そんな。減るものじゃないですし」

「減る。俺の言葉でその顔をしてくれたなら、俺だけに見せてほしい」


 近付かれた拍子に下を向いていた。

 頭上でそんなことを言われてしまう。


 また、心臓がうるさくなってきた。

 やっぱりロイには敵わない。


 しばらく赤い顔をしながら黙っていると、ロイの手がアイリスの顎に添えられる。「!?」と戸惑っている間にも、顎を上げられてしまう。エメラルドグリーンの瞳と目が合った。


「今、俺のことだけを考えてくれているか?」


 嬉しいと言ってくれた表情のまま、少しだけ試すようにそう聞いてくる。アイリスは何度か瞬きしながらも、ロイの言葉に気付く。


(もしかして、わざと……?)


 しきりに俺を見ろと言ってきたのも。周りが気にならないように、あえてロイだけに目を向けるようにしてくれていたのだろうか。おかげさまで、すっかりロイのことしか考えられないようになっていた。社交界であることも一瞬忘れていた。二人の世界に入っていた、と言っても過言ではない。


 ロイがアイリスの耳元に顔を近付ける。


「後で二人きりになろう」

「っ!」


(だから、なんで耳元で言うのっ……!)


 掠れた声で言われて、アイリスは顔が緩まないように踏ん張る。もう二人きりになっているようなものなのに。今更二人きりになる必要性がよく分からない。


 そろそろキャパオーバーかもしれない、と思っていると、少し遠い距離からざわざわと音が聞こえてくる。会場に向かってくる複数の足音もしていた。


「イーデン公爵だわ」

「来られたぞ」

「ああ今日も麗しい」


 お目当ての人物が来たようだ。


 アイリスが目でロイに合図すると、彼も頷いた。

 二人は並んで、そちらに向かう。


 シリウスは今日も真っ黒い格好をしていた。


 社交界用の格好をしているが、全身黒なのはいつもと変わらない。髪は整えられている。相変わらず目の下に隈があるが、化粧をしているのか、少し薄くなっていた。魅惑的な赤い瞳は宝石のように美しい。


 二人はすぐにシリウスとそのお付きの人々の傍に行く。散々社交界で注目を浴びていたこともあり、他の貴族達が勝手に道を作ってくれていた。


 おかげで最初に話せることになった。

 目の前に来たタイミングで、挨拶をする。


「ご機嫌麗しゅうございます。イーデン公爵」

「ご挨拶できて光栄です」


 シリウスはじっと二人を見つめる。


「ブロウ家の令嬢に新入りの子爵か」


 気だるげな低い声色。


 ロイのことを名前で呼ぼうともしない。

 それにアイリスは内心むっとする。


「久しぶりに顔を見たな。なぜこの場に?」

「イーデン公爵にご挨拶をしたく」

「なぜ二人で?」


(え。それを聞くの?)


 シリウスは無駄を嫌うと聞く。第一王子の右腕であり無駄のない効率重視の仕事ぶり。久しぶりに顔を見た者に対し、なぜ挨拶に来たのか、というのが一番知りたい情報ではないだろうか。なぜ二人なのか、と聞かれるとは思わなかった。


「社交界に慣れていない私に、アイリス嬢が手を貸してくださったのです」


 ロイが迷いなく説明する。


(さすがロイ殿)


 とても自然だ。

 するとシリウスは鼻で笑う。


「お前達の噂は耳に届いている。どうやらかなり親密な関係らしいな」


(なんでそんなこと言われないといけないの)


 人の関係性など全く興味がないだろうに。

 やたらそればかり突っ込まれる。


 シリウスは少しだけ口元を緩めた。


「つれないな。俺が求婚した時はすぐに断ったくせに、その男とは一緒にいるのか。俺よりそんな男の方がいいのか?」


(!)


 周りがざわざわし始めた。


 この場にいる誰も知らないことを、惜しげもなく口にされる。その瞬間、アイリスは一気に身体が冷えた。思わず軽蔑の眼差しをシリウスに向けるが、当の本人はただ薄ら笑いを浮かべているだけ。


(余計なことを)


 アイリスは苛立ちながら返す言葉を考えていた。そんな彼女を、愕然とした様子でロイが見つめていた。

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