07*見つめ合うパーティーで -02-
気遣うような優しい声。
「先程のことなら俺は気にしていない」
どうして分かったのだろう。
アイリスは少しだけ戸惑う。
気持ちはまだ、沈んだままだ。
顔だって上げられない。
「ですが」
「アイリスは気になるか?」
「……はい。失礼な態度を取ってしまったと」
「俺は失礼だと感じていない」
「ですが、素直でないのは最もです」
周りから言われたことがある。
自覚もある。
性格なのだから仕方ないと、開き直っていた。変えようがないと、諦めていた。だが改めてロイの言葉で聞かされると。言い訳にしていたと、気付かされた。
「このままの私では、いつか人を傷つけてしまうかもしれません。それは……怖いです」
今まで、周りが許してくれていたのだ。
今も、ロイが許してくれている。
仕事をしている時。正論を伝えただけなのに、なぜ歪めた顔を向けられるのか。歪んだ言葉を吐かれなければならないのだろうかと、思ったことがある。正しいことを、ただ真っ直ぐに伝えるのは違うのだ。言い方だってある。相手の立場だってある。
冗談で笑ってしまえばいい状況でさえ、自分はその場に合わせて振る舞うことができていない。今まで気付いていなかった。気にも留めていなかった。
このまま自分の我だけを通していたら、知らぬ間に人を傷つけてしまうかもしれない。いや、大切にしたい人達さえ傷つけてしまうかもしれない。
(それに、傷つけるよりも)
アイリスはロイをちらっと見る。
(嫌われる方が、怖い)
いつか、自分の言動や態度で。
愛想を尽かされてしまったら。
相手にしてられないと思われたら。
師弟にも、戻れないかもしれない。
身に起きていないのに、未来の恐怖に怯えてしまう。ロイに嫌われるのは、絶対に嫌だ。人としてだけでなく、騎士としても尊敬している。好きになってもらいたいなんておこがましいことは思っていない。だが、普通に、今までの関係ではいたい。そのためにも、もう少し素直になれたら。
「……俺の言葉で、アイリスを傷つけてしまったな。すまない」
「ちがいます。ただ私が、素直ではないから。ジェシカのように愛嬌があれば、周りのことも笑顔にできるかもしれないのに」
ジェシカがいれば場が明るくなる。いつも笑みを浮かべているから、相手のことも笑顔にできる。彼女は可愛い人だ。中身も、外見も。
「私は、可愛くはなれませんね」
自虐的に言ってしまう。
少しだけ笑いながら、目を逸らした。
本当はここで、笑うべきではないのに。相手が求める振る舞いが、できない。それがまた心を苦しくさせた。上手くいかない。仕事ではこんなことないのに、自分のことになると、上手くいかない。苦しい。
「そんなことない」
ロイの言葉に力が入っていた。
「っ……!」
疑いようがない、迷いがない声色に、少しだけ泣きそうになってしまう。おそるおそる目を動かすと、ロイはただ真っ直ぐアイリスだけを見ている。
「……素直ではないと言ってしまったが、俺はそれを可愛いと思う」
「え……?」
(可愛い? これが?)
ロイの言葉に困惑する。誰にも言われたことがないのに。てっきり、良くないところなのだと、悲観的に思っていたのに。
「でもアイリスは気にしてるんだな」
「え、ええ」
彼はちらっと会場を見渡した。
「この後少し、特訓でもしよう」
「……特訓?」
ロイはただ柔らかく微笑んだ。
「……あの、ロイ殿」
「ん?」
「これは一体どういう状況なんでしょうか」
アイリス達は邸宅のバルコニーにいた。
振る舞われた料理は楽しんだ。
全てリラ自家製だ。
生ハム付きのポテトサラダ。カボチャのグラタン。丸ごと入った玉ねぎとコンソメのスープ。自家製のふわふわパン。肉料理も用意してくれていたのだが、野菜がとにかく美味しい。みんなが夢中になって食べていた。
夫妻の息子夫婦にも挨拶はできた。後は自由にしていいと言われ、ここに移動している。立食パーティーは昼間に行われているため、この時間は温かい。風もなびいていて、過ごしやすかった。それはいい。
それはいいのだが。
今アイリスは、バルコニーにある柵に背中をもたらせている。そして目の前に、ロイがいる。彼は両手を柵に置いていた。つまり、逃げられないような状況になっている。まるで彼の腕の中にいるような感覚だ。
ロイは身長があり、手足が長い。手が長いおかげで、二人の間にはちょっとした隙間がある。だが会場にいる人達からちらちらと視線を感じていた。この状況を人に見られているのだ。居たたまれない。
「……あえてこの状況を作ることが特訓ですか?」
「周りが気になるだろうが、気にしなくていい。話を盛られる可能性はあるが、そっとしてくれる」
(話を盛られるのはどうなんですか)
貴族間で起こり得る頭痛の種だ。
一体どんな噂を立てられるだろう。
「それよりアイリス。俺を見てくれ」
「……見ていますが」
「目の焦点が合ってない。たまに別のところを見ているだろう」
「……人とずっと目を合わせるなんて、緊張するに決まってます」
「うん、それだ」
「え?」
「気持ちはもっと口に出していい。緊張しているとか、恥ずかしいとか、なんでもいい。嫌なら突き飛ばしてもいい」
「……まさか、そう言えるような状況をわざわざ?」
「恋人としての練習も兼ねている。アイリスは全て受け入れよう、耐えようとする傾向がある。もっと言っていいんだ。距離が近い、とかな」
少しだけ笑われた。
分かっててやってるようだ。
「距離が近いです」
「もっと感情を出して言っていい」
「感情って……」
「恋人同士というのは時に互いの感情もぶつけ合う。それを言える関係性は、互いへの信頼もあるように感じる」
「信頼関係、ですか」
「アイリスもリアン殿下に対しては感情的になるだろう。長年一緒に育ってきたからなのもあると思うが」
「殿下に対しては基本的に怒りしか湧かないんです。怒らせるようなことばかりするので」
思い出すだけで少し腹が立ってきた。
ロイは楽しそうに笑う。
「俺は、少し羨ましいと思った」
「羨ましい?」
「本当に二人は仲が良いんだなと。……俺も、そうなりたいと」
ロイが近付いた。
彼は柵に手を置いている。手を伸ばした状態だったのに、肘を少し曲げた。そのせいか、さっきより近くなった。もう少しで、触れるくらいに。
「ち、近いです」
「うん」
(うんじゃなくて)
近いせいで良い香りに包まれる。
これは香水なんだろうか。
緊張しているのに、香りのおかげでほっとしている自分がいる。この状態になってから定期的に心臓は鳴っているが、香りに包まれるのは悪くない。
「ロイ殿は、緊張しないんですか?」
前から気になっていたことを聞く。
いつもこちらばかりが緊張しているから。
「……しない、とは言い切れないな」
「本当ですか? 見えません」
「見せないように頑張ってる」
思わずむっとしてしまう。
「恋人の私に隠し事ですか?」
(私には色々言ってくるのに)
本当の恋人ではない。
が、前のお返しだと言わんばかりの言い方になる。
ロイの口元が緩んだ。
「アイリスも言うようになったな」
そう言われてこちらも頬が緩む。
「特訓の成果でしょうか」
「いい笑顔だ。……もっと笑えばいいのに」
後半どこか懇願するような呟きに、アイリスは咄嗟に笑みを引っこめてしまう。気付いたのか「余計なことを言ったな」とロイは残念そうな顔をする。相手のせいではない。自分が天邪鬼なだけだ。
「せっかく、褒めていただいたのに。人ってそう簡単には変われないですね」
「前進してる。期待できそうじゃないか?」
「そうだと、いいんですが」
「俺はもっとアイリスの色んな表情が見たい」
「え……でも私も、どうしたら出るのか」
確かにいつも仏頂面だ。あまり人に笑顔を見せたことがない。色んな表情を見たいと言われても、どうしたらいいのか、本人でさえ分かってない。
「――触れていいか?」
「えっ」
目がばっちり合ってしまう。
比較的目を合わせようとはしていたが、やっぱり難しく、時々逸らしていた。それが今、しっかり合っている。いつもよりも真剣に見つめられ、深い緑色の瞳に吸い込まれそうになる。逸らせない。
「触れられるのが嫌なところがあれば、先に言ってほしい」
「…………」
「それとも、触れること自体止めた方がいいか?」
この問いは、最初にも聞かれた。
されて嫌なことはないかと。
あれば教えてほしいと。
分からない。分からないが。
きっと今は、それを伝えるべきなのだと感じた。
アイリスは、ゆっくり言葉にする。
「……自分でもよく、分かりません」
「そうか。じゃあ止めておいた方が」
「なので、」
少し強い口調になる。
ロイの言葉を遮るように。
「触れて、みてくれませんか」
相手の目が見開く。
それにアイリスははっとした。
思わず早口になる。
「ち、ちがいます。変な意味ではなくて。その、何が嫌なのかと、全て想像するのが難しいんです。だから、」
なぜか大きい溜息をつかれる。
そのままロイの頭が下がり、つむじが見えた。
(えっ。な、なに。私、やっぱり変なことを……)
少しだけ泣きたくなる。
素直になるってどれほど難しいのだろう。
するとロイは顔を上げた。
少しだけ照れたような笑み。
安心させようとする表情にも見えた。
それにアイリスは、胸がぎゅっとなる。
そのまま相手の様子を窺っていると。
「今すぐ抱きしめたくなるな」
「…………え」
突然の言葉に思考が停止した。
(え……? ど、どういう意味なの。いや、恋人のふりの練習も兼ねてるから、あえてそれっぽく言ってみた、とか)
必死で頭を動かす。
「アイリス」
「は、はい」
相手は普段と変わらない声のトーンだった。ということはつまり、いつも通りなわけで。ならやはり特別な意味などないのだろうと、そう考えておく。
「今日はやっぱり、見つめるだけにする」
(え?)
目が点になる。
意味が分からず首を傾げるが、彼はにこにこしたままだ。先程よりもアイリスを見つめる目が優しい。だがアイリスは顔が強張る。分からない。相手の意図が分からない。
(どういうことなの? だ、誰か教えて。ジェシカ――!)
ここにいない講師の名前を呼ぶ。
ロイが来るなら、人を呼んでもよかったのなら、ジェシカも連れてくればよかった。アイリスの予想しないことばかり起きている。大体チガヤもチガヤだ。絶対ロイが来ることを知っていたに違いない。手紙に書いてくれたらよかったのに。
アイリスは混乱していた。
だがその間に、急に距離を詰められた。
まるで重なるように。
「え、ちょっと」
これ以上動ける場所はない。
咄嗟にアイリスは両腕を前に動かす。
触れるぎりぎりのところで、ロイは止まる。
吐く息が頬にかかりそうだ。身体はぎりぎり、触れていない。
「もっと顔が見たい」
ロイの顔が近い。
耳元がくすぐったい。
アイリスは手で顔を隠していた。すぐ触れられるような距離にいるのに触れてはこない。それでも言葉で、攻撃されているような気持ちになる。この触れる触れないの境目で一体何をしているんだとツッコミしたくなった。
「アイリス」
「み、見ないでください」
隠していても視線は感じる。
彼のことだじっと見ているのだろう。
素直に今の気持ちを伝えてみるが。
「無理だな」
(なんでっ!)
相手が今、どんな表情をしているか分からない。隠しているのだから当然だ。暗闇の中、彼の息遣いだけが聞こえる。音だけが聞こえる状況なのはなんだか危険だ。顔を上げたらきっと触れてしまう。何に、なんて野暮だろう。
顔が熱くなっていく。
絶対に見せられない。
耳もきっと赤くなっている。
じっと耐えているのに相手はお構いなしだ。
「今日は見つめるって決めた」
「……私がいいと言ったんですから、触れたらいいでしょう……」
手に触れられただけで緊張するくせに自分でも何を言ってるのだろうと思う。だがずっと見つめられるのもなかなか厳しいものがある。しかもこんな距離感で。いっそ触れてくれた方が吹っ切れるというのに。
だからつい言ってしまったのだが。
ロイは大きく息を吸い、吐く。
小声で呟かれた。
「……負けた」
すっと、離れる気配がした。
アイリスは恐る恐る、目を開ける。
目以外は、手で隠したままだ。
ロイが少し困ったように笑う。
「やっぱり俺にとってアイリスは、可愛い」
「…………それは」
言葉を一度止める。
(もしかして)
可能性があるとするなら。
アイリスは思いついた言葉を口に出す。
「弟子だからですか?」
「………………そういうところなんだよなぁ」
「え……?」
ロイは首を振る。
「今度は緩んだ顔を見せてくれ」
「そ、それはっ」
「俺のために、素直になってくれないか?」
にやっと、楽しそうに笑う。
アイリスは最初、顔を歪めた。
緩みそうになる顔を隠すために。
だがこのままだといつもと同じだと思い、言葉は選んだ。
「か、考えておきます」
「成長したな」
少しだけ嬉しそうだった。
ロイは会場に足先を動かす。
そのまま戻るのかと思いきや、振り向きざまに名前を呼ぶ。
「次は触れる。覚悟してくれ」
「……覚悟?」
(手とか、触れたことがあるのに?)
聞き返したが、彼はそのまま行ってしまう。
先程までずっと近い距離にいたが、離れたことで香りも消えた。そこに人がいたという温もりも消えた気がする。アイリスは少しだけ気が抜け、その場に座り込んでしまう。
(……なんだったの)
今日一日で色んなことが起き、色んな気持ちにさせられる。頭が少し痛くなった。知恵熱でも出そうだ。
と、思っていたら。
(……嘘でしょう本当に熱が出るなんて)
次の日。
アイリスは寝込んでいた。
寮の部屋で一人、唸っている。
額の上には冷えたタオル。ジェシカが用意してくれたものだ。彼女はもう仕事に行ってしまった。朝食は毎日一緒に食堂で取るのだが、いつまで経っても来ないからと部屋まで迎えに来てくれたのだ。
ぼうっとするアイリスの額にジェシカの手が乗れば「熱いっ!」と火傷をしたような声を出された。後は成されるがまま。リアンにも伝えておくと言ってくれたので、アイリスはそのまま休みを取る。
(……病気で休みなんて、取ったことないわ)
これでも身体は丈夫だ。
健康管理も騎士の仕事。
身体の調子が悪いかもしれないと思えば事前に休みを取ることはあるが、病気になってから休みを取るのは初めてだった。
(……ここ最近色々あったものね)
人生で一番慣れない仕事をしている。頭を使うことも多く、知恵熱が出るのは必然だったかもしれない。緊張するようなことばかりだ。相手がロイなのだ。緊張しかしない。
(ああでも、今は休めて嬉しいかも)
何も気にしなくていい。
誰かに会う必要もない。
ならば今はただ、休めばいい。ここ最近ロイのことばかり考えていた。自分の性格についても色々考えてしまった。今はそれも気にしなくていい。
チガヤに昨日のパーティーについて報告しなければならない。それは億劫だが、元気になってからやればいい。父も鬼ではない。事情を知れば分かってくれる。
アイリスはただ眠った。
「……ス。アイリス」
(誰……)
しばらく経ってからそっと名を呼ぶ声が聞こえる。アイリスがゆっくり目を開けば、そこにはいるはずのない人物がいた。
「大丈夫か……?」
心配するような表情。
ロイが顔を覗き込んでいた。
ここは女子寮だ。
男性は入れないはず。
(……ああ、夢? 私、夢でもロイ殿に会うのね)
アイリスは無意識に手を伸ばす。
ロイの頬に、触れた。
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