05 Promising Youth
重たい音がした。
ぼくの体が、床に落ちて転げる音だった。
それまで、ぼくが馬乗りにのし掛かって首を絞めてたゴブリンが……。
消えた。
何が起こったのかわからなくて辺りを見回すと……。
周囲にいたはずのゴブリンまで、消えてた。
それまで響いてたはずの、鉄火場の音……銃声、悲鳴、哄笑。
今までの騒ぎが全部ウソだったみたいに、音さえなくなってる。
いや、ウソだったはずはない、人の死体はあちこちにまだ……。
けど。
それさえ徐々に、まるで本当のゲームみたいに薄れ、半透明になって、消えてく。
そしてぼくが撃ち殺したはずのゴブリンの死体も、一つもない。
あまりの意味不明さに殺意が、行き場をなくしてしゅうしゅう、消えてく。頭はどんどんシラフに戻ってく。自分のやったことを冷静に振り返れるようになる。自分が狂ってしまったところから素に戻るのは、異世界で結構やったから慣れてしまってるんだ。
……そして自分の、さっきまでの状態がどういうものだったか、気づいた。
いわゆる……ムカシのオタク文化にあったというキャラの立て方の一つだ。
○○を見るとキレる、のゴブリンバージョンだった、って実感すると……。
今すぐ切腹したいぐらい恥ずかしくなった。
「え……?」
「エマ! 油断するな!」
赤面したぼくを尻目に、二人の声が響く。
そんな中。
こつ、こつ、こつ。
かつ、かつ、かつ。
靴の音。二足。
ぼくに近付いてくる。
「……こんなくだらない場所で、こんなくだらない命の落とし方をして、それで満足できるほど君は、くだらない男ではあるまい」
妙な声だった。
「若者が力を証明したのなら正当な対価で答える。それが大人の役目でしょうね」
こちらは、よく聞いたことがある種類の声。成功してて、自信に満ちてる、インタビューとかでよく聞く種類の大人の声。顔を上げると、二人の大人がぼくを見てた。
火傷跡がくっきり残る顔の、ロングコートを着た中年男性。
狐面をかぶったパンツスーツの若い女性。
火傷顔の手には指輪。狐面はあのエリクサー。
手にしたそれを、ぼくに差し出してくる二人。
まったく意味がわからなくて、ぼくは、その手と顔を、交互に見比べるしかできなかった。狐面は少し笑い、ぼくの手にあの、佐藤先生のアイテムだったはずのエリクサーを押しつけてくる。火傷顔も指輪を押しつけ、ぼくの手を握り、立たせてくれる。
「…………あーあ、つまんねーの……新人勧誘コースかよー……」
「さいあくー……どいつもこいつも、ちゃんと攻略しやがってー……」
壁際からそんな声も聞こえた。見れば、壁にめりこんでたあの二人が、つまらなそうな顔でそこから抜け出し、体を払ってた。ゴブリンは一匹も……いや、一匹しか、残っていなかった。
完全無傷のイタリアンスーツに、ボルサリーノ帽の一匹。号令を出してたやつだ。
妙に曲がりくねったナイフを手の中で弄びながら、興味深そうにぼくを見てる。
「ふゥむ……人間ながら、ゴブリン魂に溢れたヤツよ。我の恩寵に感謝するが良い。あのままでは貴様、我が軍勢に飲み込まれ消えておっただろうからな……人間、名を聞いておこう」
……しゃべ、った。日本、語を。
それも、なんか……武人風……?
……ぼくの知ってるゴブリンじゃ、ない。
ゴブリンってのは人間の言葉なんかしゃべんなくて……肉と骨と血を弄ぶ……。
「…………春日……志郎……」
「ふゥむ、良い名だ。我が輩はスライ。スライ・スライ・ゴグル。
……ようやく冷静になった頭が、あのゴブリンの群れは、彼の召喚系のアイテムか、スキルだったってことなのか……? と気付く。
「さて! なかなか楽しい余興だったな! おい下山! 下山! 我が輩は帰るぞ!」
ゴブリン……スライは一瞥を、ラウンジ中央に背中合わせで立ってるエマと周に投げニヤリと笑い、すたすた歩き出す。口の中で何かをもごもご呟くと、みるみるうちに緑色の肌も、突き出た耳も、悪魔じみた顔も、ただの普通のおじさんに変わってく。ああ、くそ、ぼくが見た時はまだ、この外見偽装のチカラを使う前だったのか。
「なんだよスライー、もっとやろーぜー、なー」
「ねーねーねーってばー」
入り口前で胡座をかき、雨でプールが中止になった小学生じみた顔でぼくを見つめてた二人が、通りすがるスライに声をかける。
「貴様らはまったく……少しは大人にならんか」
「なりたくねーからこんなことしてんじゃねーか」
「当たり前だろバーカバーカ」
「……この後飲みに行くつもりだったが、では誘うのはやめておくか」
「あ! じゃあ代々木行こうぜ代々木! いー店知ってるぜ!」
「冷やしトマト! 冷やしトマト七皿食べたい!」
三人は連れだってラウンジを出ていく。
去り際、二人がぼくらを向いて、叫ぶ。
「おれ玖珂嶋喜汰朗! よろしくな! お前とお前の仲間の顔は、覚えたからよ!」
「あたし山嵐蘭々! 死ぬなよー新入り! 次は体が千切れるまでやろーね!」
妙に嬉しそうに言うと、三人で去った。
ぼくは、エマと周、それからぼくの目の前にいる、火傷顔と狐面を交互に見る。
火傷顔と狐面はそんなぼくの顔を見て……笑って、言った。
「今日のところは帰って休みたまえ。私は……まあ、大佐、とでも覚えておいてくれ」
「ええ。近い内ご連絡差し上げます。アイテムはどうぞ、お近づきの印に……皆さんでどうぞ。ああ、申し遅れました。私、深月ヴィクトリアです。どうぞよろしく」
そう言うと、狐面が指を振った。
一瞬の後。
ぼくたちは、路上に、立ってた。
たぶん……オークション会場が入ってる繁華街ビルの、真ん前に。
駐車場らしきスペースがビルの前にあって、あの白いライトバンが停まってる。
「な……な、ぜ……?」
エマが呆然と呟いた。
「……ボクたちを、どうするつもりだ……?」
周も珍しく狼狽えてる。でも、ぼくは納得できた。
ブチ切れた反動か、いつも以上に冷静で感情のない頭は、事実を分析し続ける。
「たぶん、でしかないんだけど、さ……」
うすうす、自分でも思ってたけど……。
「ぼくのアイテムがチート過ぎるってことに、気付かれた。それで……取り込むか、優先で殺すか、決めようとしてる、ってとこじゃないか……?」
ぼくの〈
「問題は……どの程度、わかられたか、だけど……」
「……瞬間移動……は、確実でしょうね。回復系かと思われた可能性もございます。時間を操るアイテム、スキルがどの程度レアなのか、にもよるでしょうが……けれど、ええ……やはり、志郎さまのアイテムは、ウルトラレアと言えるでしょう……お名前もステキですし……」
呆然としてた割に、こういう話には食いつきがいいエマ。
「まだ……確証はない段階かな?」
「そうですわね……チカラを確認する前に敵にはできない、と、私なら考えますわね」
思わず考え込んでしまう。
が……深夜とはいえ、繁華街にはまだまだ、十分人通りがある。普通の人にはコスプレか、特殊なお店の人にしか見えないロリィタワンピースのエマに、昔のSF映画みたいなパワードスーツのぼくらは……。
ものすごく、目立つ。
「……いや、やばい、はやいとこドア探そう、二人とも、こっちこっち」
とりあえず脇道に入って人目を避ける。
「……シロくん、ちょっと」
けど、ぼくの肩を周が掴んで、引き留めた。
「やばいって周、あ、銃隠しといてくれ、っていうかパワードスーツも一緒に……」
「何が起きたのか説明してくれ、シロくん」
周が触れ、パワードスーツと銃の類は消える。持ち主……作成者はアイテム、またはアイテムやスキルで作成した、言うなればサブアイテムの類を好きに亜空間に出し入れできる……ってシステムに今は、感謝したい。エマも拳を打ち合わせ私服姿に(それでも特殊だけど……)。
「誰かに操られたのか?」
できれば……触れずに済ませたい。
でも周がこんな調子だと、そうはいかない。
貴公子じみて、王子様じみて、いつでも余裕綽々の綺麗な周の顔が……五歳に戻ってる。ぼくが本当にマズイことをしでかしてしまった時の顔。あの時はたしか……ジサツって言葉を、みんなが使う時はいつも真剣になるものだから、意味もわからずなんとなくカッコイイことなんだと思って、大人になったらジサツする、なんて言った時。
「……ゴブリン、を……見たら……その……いろいろ、思い出しちゃって……」
「思い出した、って……」
「……まあその……我を、忘れて、しまいました。すいません……」
「君、死に戻りがある異世界だったって、言っていたね……まさか……」
「だから……そうだよ。死んだ。殺された。千二十九回。五百回ぐらいはゴブリンにやられた。頼むから……頼むから思い出させないでくれ……」
説明してるだけで、自分がまたばらばらになって、どうにかなってしまいそうだ。今度ゴブリンを見た時だって……自分がどうなるか、確証は持てない。あそこにいたヤツはだいぶ違うみたいだから、大丈夫だとは、思うけど。
殺された記憶は、一生消えない。
……何が気が滅入るかって、そんなこと言っても、この地球上の誰からも共感は得られないだろうってこと。生きてる人に共通してる特徴として、死んだことないわけだし。
……ああ、まったく、共感なんざくそ食らえ。
そもそもぼくが死んでも、何百回死んでも、ぼく以外の誰かが死ぬわけじゃない。その逆もしかり。そんな前提条件の中で、感情移入と共感能力が人間の人間足る所以ってよく言われるんなら、なるほど、ぼくは人間じゃないのかもな……。
ふざけんじゃねえ。
共感なんか、感情移入なんか、ケツ拭く紙にもなるもんか。
こんなにも人と、強制的なまでに繋がされる社会でぼくには、一生誰とも繋がれず生きる道しか、用意されてない。
子どもには無限の可能性があるなんて言う大人は全員肥だめに落ちろ。ぼくらにあるのは、そんなことを言う連中がドヤ顔で押しつけてくる一本道のクソゲーだ。
いいや人生は神ゲーだ、ってか?
ああ、そうだろうね。
金持ちの家に生まれ、頭のいい遺伝子を受け継いで、顔が不細工じゃなく、ちゃんと社交できる性格で、車に轢かれず、病気もせず、地震ですべてを失ったりしないなら。
……と、考えにふけってるといつの間にか、周が目を丸くしてぼくを見てた。
「ご……ごめん、シロくん、ボク……気付かなくて……」
震える周の、目が潤んでいく。昔から結構、泣き虫なんだ、こいつは。
「……いいよ、ぼくもごめん……自分がこんなになるなんて、思ってなかった……っていうか……君だって、言ってたろ、ゾンビになりそうな友達の、とどめを何回もさした、って……ぼくは……ほら、異世界でだって友達ゼロだったから、それはやらないで、済んだ。そっちの方がたぶん、キツいんだろ、きっと、ぼくより」
周が大きく息をついて俯く。
しばらくあって顔を上げると……泣き笑いみたいな顔をしてた。
くそっ、そんな表情でもこいつはいつも、吸い込まれそうなぐらいキレイだな。
……殺されるのと、殺すのでは、どっちがキツいんだろう。
もし選べるなら、どっちを選ぶのが普通なんだろう。
「……ねえ……よろしいですか? ……私、気付いたかもしれません」
そこで、エマが言った。
「あの会場にいた方々……強力なチカラが、なかったと思いませんか……?」
「……あの狐面と、火傷顔はやばそうだったけど」
「ええ。しかし……その他の方々、です。あの方々も元転生者だったはずでしょう。なのにこういう言い方は失礼かもしれませんが……おおよそ……お雑魚でした……なぜでしょう、と疑問に思っていたのですが……」
そこで、少し申し訳なさそうな顔をしてぼくと周を見る。大きなため息。
「ああ、ごめんなさい、私……不幸自慢する気は、毛頭ございません。ですが……デスゲーム異世界で……一人、拷問好きな方が、いまして……」
ぎゅっ、と堅く唇を結ぶ。
一瞬だけ両手を目に当て、それから外し、話し出す。
「私、その方に……いろいろ、されて、おりました。脚を砕かれ、指を焼かれ、乳房を切られ、置物にされ……その方は、回復系のチートスキルを持ってらしたんです。ですから、私がどのようになってしまっても、健康な体に、戻れるのです。狂って、しまっても……」
明るい口調で話そう、と、彼女が努力してるのがわかる。
でも顔は蒼白で、肩は震えてる。瞳は潤みっぱなし。
「最後の一年はずうっと、おもちゃでした。それも、子どもの、です。いっそ殺されれた方が気も楽でしたでしょうが……あいつは本当に拷問にしか、興味がなかったのです……ふふっ、いかにもな、行き過ぎの残虐キャラ、じゃございませんこと……?」
涙を流しながら、笑うエマ。
「……けれど、このアイテムを持ち帰れました。直接戦闘系のチカラに限りますが……お洋服のバリエーションは……無限。私、最初に思いましたわ、チート過ぎ、と」
彼女のアイテムについては深くツッコんだら負けだ、なんて思ってたけど……たしかにそれは、強力なのかもしれない。でも……。
「話の腰を折る気はないんだけど……チートってほどじゃ、ないんじゃないか……?」
「ふふ……私、刀で切りつけられても少し痛い程度で平気……といった具合に防御力を高められ、百メートル八秒を十キロ続けられる持久力もつけられ、十センチほどならコンクリートの壁に素手で穴を開けるようにもできて、ビルの三階程度までならひとっ跳びもできますの」
「そ……そこまでなのか……?」
そんなの、ほぼアメコミヒーローじゃないか。
「ええ。それぞれ
「……たしかに……バランスはむちゃくちゃだな……」
アメコミヒーローVSやられ役として出てくる特殊部隊の皆様……いや、下手するとVS街のチンピラレベルだ。
「周さまのアイテムも、そうじゃありませんこと? パワードスーツは、やはり少し、行き過ぎです。そんなチカラを、洗濯機と廃車を解体した材料だけで作れてしまうなんて……しかも、ピストルまで。ピストルは……他の方々はメニューのショップから、コインで買うのが前提のものでしょう?」
「……うん、そうだな……」
周もようやく落ち着いてきたのか、腕組みして頷く。
「私達とあの方々……何が違うのか、と考えてみますと……」
……つまり……? みたいな目で、エマがぼくを見る。
そこで、ぼくにも飲み込めてきた。彼女の言わんとすることが。
「つまり……異世界で酷い目にあった分……」
そう言って、ぼくは周を見た。
「あるいは……遅く帰ってきた分……」
呟いた周がエマを見た。
「地球に強力なチカラを持って帰れる……そういうことではないでしょうか……?」
結論づけたエマは、またぼくを見た。
「どういうゲームバランスの取り方だよ……」
呟いてしまったけど……納得は、できる。
先行の時間的な有利と、後攻のチカラ的な有利の釣り合いがとれた上で、それぞれのプレイスタイルに幅を持たせ、プレイヤーに自己表現をさせられ、その相互作用でゲームに、無限のバリエーションを与えられる。
……なるほど、よくできてる。
ぼくはこの新異世界黙示録を……ナメてた。
なにかの配信で話題になっただけのゲームの二番煎じ、三番煎じで作られる、ゲームとしてはまるで大したことない、ただいくつかの変数とグラフィックを差し替えただけのヤツ、みたいなもんだって。
でも、違う。
確実に意図がある。制作者の思想がある。
それに則った設計がある。デザインがある。
仕様がある。システムがある。
ゲームが、ある。
制作者は、プレイヤーにこう言ってる。
オマエらごときにこのゲームがクリアできるとは、思えないけどねえ……?
「クソ……クソがっ、クソがっ……ッッ!」
「ちょ、ちょっと、志郎さま! そこまでお怒りにならなくとも……!」
「あ、違うんだエマ。それは喜んでるんだ」
「……はい?」
ぼくの塗りつぶすべきマップが見えた。
埋めるべき図鑑が見えた。
コンプするべき実績が見えた。
この新異世界黙示録の実体が、見えてきた。
これはゲームなんかじゃない、じゃない。
これこそ、ゲームだ。
極上の、ゲームだ。
とらなくちゃならない実績がまだ半分以上残ってるときの、ゲームをクリアしても埋まってないマップがまだ全然ある時の、憂鬱と喜びが、半々で押し寄せてくる。
「くそが、くそが、舐めやがって、舐めくさりやがってよ……くそがっっ……許さねえ、ぜってぇ許さねえ……ッッ! くそして寝やがれ、くそして寝やがれくそがっっ!」
狂ったみたいに地団駄を踏みながら、壁をごんごん殴りながら。
笑いが溢れて止まらない。
自分でも自分がどんな感情なのか、さっぱりわからない。
でも、確実なのは一つ。
「……あ、あのー、志郎さま……?」
「あ、気にしないでいいよ。彼はあんまり感情表現を学んでいない上に、学んでいたとしてもそれが捻くれているから。ああいうやり方が彼にとって、最上級の歓喜なんだ」
二人がなんか言ってるのが聞こえたけど、もうどうでもいい。くそほどどうでもいい。他人なんか知ったことか。コミュニケーションなんか知ったことか。
くそして寝やがれ、くそして寝やがれ!
新異世界黙示録は、こいつは、こいつこそが、ぼくの人生の一本になるゲームかもしれない。今度は、今度こそはもう、新しいゲームを買わないでもいい、人生で最後にやる、死ぬまでそれをやってられる、それ以外に何もやらなくていい永遠のゲーム!
「くそして寝やがれッ!!!!」
ビルの谷間にぼくの叫びがこだました。
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