03 竜

「GoWahorrrrr!!!!」


 数十メートル先にいても、体全体、内蔵まで揺さぶられるような吠え声。

 そして、二本脚で立ち上がった金の巨竜、喉の奥にきらめく光。

 そして、わかった。

 敵がドラゴンだと知った瞬間、ぼくの脳裏にあった最悪のケース。

 それが、今まさに、現実のものとなってるのが。

 ドラゴンが出てくる話でいつもぼくが、最初からそれやれよ、って思ってたこと。


 奇襲先制ドラゴンブレス。


 台風みたいな勢いで吸気したかと思うと、煙突みたいな太さの首が膨らみ、人も丸呑みできそうな巨大な顎が開く。


「GoooooooAAaaaahhhoo!!!!」


 吐き出される緑色のブレス……ガス。

 おそらくは毒ガス。それも、致死の猛毒。けど。


武礼正装ドレスアップ……流法モード……達人令嬢マスター・レディ……!」


 ぼくと周の前、音もなく進み出たエマがいつもの決め台詞と共に変身。

 あちこちに印象的な金色をあしらった、どこかレトロな印象の服装。


 赤い宝石の胸飾りがついたフリルブラウスに、ゼンマイや歯車のついたシルクハット、それから、いつもみたいにフリルとレース満載なミドル丈のサーキュラースカートは、けれど、ゼンマイ時計や蒸気機関のプリント入り……スチームパンク世界のおてんば発明お嬢様、みたいな格好だ。


 そして、しゅっ、と息を吐き、円を描くように両手を回す。


 この服装についても〈天国の監獄ヘブンリー・プリズン〉の中で散々語られた。彼女曰く自分のコーデの中でも最強の一つだそうで、詳しくは……あ、もう忘れてる。単行本にしたら十数巻に及びそうな長々しい設定(彼女の頭の中だけの)があって、だからこそ使えるようになる技の一つ一つにもそれぞれしっかり歴史(同上)があるらしい。彼女がよく着替える服装には一つ一つ、そういう設定があるらしいけど……まあ、ぼくの知ったこっちゃない。


 覚えてるのはあの服装は……彼女が語るところによれば……目の前に戦車が来たって押さえ込める、なんてチカラがあるらしいこと。そんなバカな、って思ったけど……。


 ……アイテムとスキルについて、わかったことが一つ。


 チカラは、信じれば信じるほど、強くなる。


 ぼくらのチカラが他の元転生者と比べても強い理由はきっと、異世界で酷い目に遭ってきただけじゃなくて、そこもあるんだと思う。そうでもないとエマのこの万能っぷりは、ちょっと説明がつかない。システムによって拡張される面もあるんだけど、基本は……。


 己の妄想を、どれだけ信じられるか。


 元転生者同士の戦いで問われるのは、おそらく、そこだ。


 なら……エマは最強だ。

 一人称がわたくしの、この期に及んでお嬢様設定貫いてるバカだ。


 彼女が信じる最強コーデに身を固め、最強武術だと思ってる中国武術のような構えを撮ったところに襲い掛かる、猛毒のドラゴンブレス。わかりやすいぐらい毒々しい色の緑のブレスは、エマ全体どころか、ぼくらごと、倉庫の中をすべて覆いそうな程の強さと勢い。


 しかし。


撥条八極流クロック・アーツ永劫歯車護掌インフィニティ・パリィッ!」


 ここぞとばかりに技名シャウト。

 エマの前方、円舞のような動きに合わせてブレスが、信じがたいことに、一点に集中していった。まるでエマの前にブラックホールがあって、毒のブレスがそこに吸い込まれていくかのよう。


 撥条八極流クロック・アーツ


 ……というのは、彼女が異世界で編み出したオリジナルの、各種スキルによって構成される武術……らしい。なんでも……たしか……小学生の時にはまった漫画が元になってて……ダメだどうでも良すぎて忘れてる。


 でもこれは、エマのデスゲーム異世界に魔法があって今それを使ってる、ってことじゃない。このお洋服ならもはや魔法じみた、最近の漫画じゃ見ないレベルにすさまじい武術スキルが使える、とエマが堅く信じ込んでいるからこそ使える武術……要するに、彼女の頭がだいぶヤバいからこそ使えるチカラ。


 ブレスを吐き終えた金竜は、鎌首をもたげ、喉でうめく。


「……ぬるい、ですわね」


 エマはそう言うと、拍車じみた飾りのついたショートブーツの踵を軽く床に打ち付け、シャンッ、と足音を響かせる。ピン先程度に凝縮された毒ガスブレスはあっけなく霧消、次の瞬間、エマはその場からかき消え、金竜の巨体、その足下にいた。


初演しょえん徹甲壱星頂肘ひとつぼしッ!」


 轟く技名シャウト。瞬間時速は一体、何百キロになってたんだろう?

 バトル漫画でよく見る、効果線だけを残し消えた次のコマ、相手に密着して決め台詞を言ってる時、みたいな動きの速度を乗せたかち上げの肘。巨竜の下腹に吸い込まれ、ずどん、交通事故みたいな音がして……。

 巨竜が少し、宙に浮いた。


 数十トン、へたすると百トン以上ありそうな巨体が、身長百五十センチ足らず、スチームパンクお嬢様みたいな格好をした女の子のオリジナル武術の肘打ちで、浮いたのだ。


「Grr……宮篠、さん……」


 鎌首をもたげた巨竜が深月の声で喋る。


「あら……まだその声で喋れますの……?」

「元気があって、よろしいですね……ご両親のことは、もうよろしいのですか?」

「何か、勘違いしておられ……ますわねッッ!」


 再びの肘打ち。

 だが今度は巨竜があろうことか、格闘家じみたバックステップを見せてそれを躱す。かと思えば、ぐぉぉぉ……と、床に横たわっていた尻尾が持ち上がり、竜巻みたいなすさまじい風を巻き起こしエマを狙う。


「あなたのっ……」


 だが。

 軽々と片手を尻尾につき、その上に飛び乗ったエマが、尻尾の上を走りだす。


「Gyaaaooo!!」

「あなたの罪は、私を脅したことではございません……」


 尻尾を暴れ回らせ、前脚のかぎ爪を振るい、エマを尻尾の上からはたき落とそうとする深月、金竜。けれどエマは止まらない。ブラウスのフリルをはためかせ、スカートの裾を優雅に翻し、尻尾の根元にたどり着き、跳躍。


 宙で華麗な無重力宙返りムーンサルトを見せつつ、巨竜の背中から表に回り、すれ違い様。


再演さいえん双星流撃蹴ふたつぼしさかさッッ!」


 再びの技名シャウト。

 流れるように左右から、頭部への二連撃。


「Grrrrrrrraaa!!!」


 背中を見せつつ金竜の前方に着地。

 無防備になったその背中に、獰猛なかぎ爪が襲い掛かる。


「私の家族を陥れようとしたことでもございません……」


 しかし、着地体勢から、ふらり、酔っ払ったように体を揺らしたエマが、その背中を思い切り、かぎ爪にぶつける。両腕は背中側に体重を預けるような形を取り……格ゲー嫌いのぼくでも知ってる動き。鉄山なんたら、とかいう……背中側に発勁的なチカラを集中させて、なんかする……いやでもそれにしたって……。


人の肉と獣の爪がぶつかっているはずなのに、ガキンッ、って音がした。

 まるきり、金属と金属が、ぶつかり合う音。

 『刀で切りつけられても少し痛いぐらい』になった体を、武器として使ってる!


「あなたの罪は、私を軽くみたこと……いえ……それより……」




 ……カワイイ、って、暴力と同じだと思うんですの。




 〈天国の監獄ヘブンリー・プリズン〉の中、エマが言ってたのを思い出す。


 ……暴力には逆らえないように、人間、カワイイには逆らえません。カワイイ子猫を握りつぶそうなんて、誰も思いませんでしょう? ですからカワイイは暴力と同じ、チカラで以て、自分の意思を押し通すチカラ……そして、自分が世界一カワイイ、そう信じることは、きっと、自分が最強だと信じ抜くことと、同じでしょう。そして、それを心の底から信じられればきっと……無敵になれるのです、どんな人でも。


 正直一ミリもわからない話だったけど……今目の前の現実を突きつけられると、信じるしかない。自分が世界一カワイイ、暴力カワイイだと思っていられる限り、エマは、無敵なんだ。




 かぎ爪をはじかれ体勢を崩す古金竜。

 まるで万歳をしたような形。隙だらけだ。


 エマが叫ぶ。




「……アタシはよォォォォッッ!! ダチを虚仮コケにされて無視シカトキメるような、安い女じゃねエんだよッッ!!」




 ……ゆらりッ。




 濃厚な気配を纏ったエマの体が、ゆらめく。




終演しゅうえん三星核撃崩拳ミツボシッッッ!」




 そして、技名。


 ずォんッッ、とコンクリ床を踏み抜きそうなほどに強力な踏み込みの音。そこで発生した衝撃、運動エネルギーをすべて拳先に集中させた、パイルバンカーじみた右拳の一打が、竜の腹部に吸い込まれ……その巨体が、倒れていく。


「あらいやだ、私としたことがはしたない……おほほほ……どうか失礼あそばせ……」


 龍の巨体が床を打ち、どぅっ、とすさまじい地響き。


「……ぐっ……」


 巨竜の口から明らかに、苦しげな声が漏れる。

 数十、百近い作戦を考えた中、エマの近接格闘能力に任せてゴリ押す、ってのは早々に諦めた一つだったけど……案外、無茶でもなかったのかもしれない。

 マジでこいつ、無敵だ。


「あら……アイテムをお使いになって、逃げた方がよろしいのではなくて?」


 ゆっくり、竜に歩み寄る。

 その足取りには、しかし、油断はない。


「……ふふ……どうして……? 私の方が……」


 ぐぐぐっ……。


 その時こそ、ぼくは本当に自分の目を疑った。

 巨体の金竜が体をたわめ……人が、体を丸めて勢いをつけ、飛び起きるみたいにして立ち上がったのだ。羽が大きく空を打ち、風を呼び、思わず腕を上げ顔を覆ってしまう。


「……ああ、やはり……」


 エマはしかし、それがわかってたかのように言った。


「圧倒的に、有利なのに?」


 深月の平然とした声が告げる。


「残念ながら古竜の体は、物理的な攻撃を概念的に無効化するのです。ダメージはありません。攻撃の利いているフリが、すっかりうまくなってしまいましたよ」

「いいご趣味してらっしゃいますのね、本当に」

「この戦いは、相手の殺害、などという優しい場所がゴールではありません。即ち……」

「……どちらが、相手の心を折るか」

「ええ。春日さんのアイテムで私の体を削り取っていく、というのは有効かもしれませんが……そうなれば私は、転移して、治療して、またここに戻ってくるだけですので」


 圧倒的有利、と自分で言ったのは伊達じゃないみたいだ。


 ……そう、なんだ。

 この戦いの肝はここにある。深月はやはり、ぼくらを兵隊として配下に置く気で……殺しはしない……つまり……。


 ぼくらを、ナメにナメきってる。ナメ腐りきってる。

 クソガキ三人相手なら、物理無効のドラゴンの姿で脅すだけで、十分だと。

 でも、それなら……。

 そこにつけ込んで刺すだけだ。


 ばさり、ばさ、金竜の羽根が舞うと、その巨体がいともたやすく宙に浮いた。物理学的にあり得ない動きだろうけど……十四歳の女の子がさっきからそれを覆しまくってるからもはや、驚きの声も出ない。そこで金竜の鋭い視線が、後ろのぼくらに少し、向けられた。


「ふふ……戦いを宮篠さん一人に任せて、何を企んでいるかはわかりませんが……その企みが私に通じること、深くお祈り申し上げます」


 ……ああくそ、対人戦ってのはやっぱクソだ。


 お互いに相手が何かを企んでる、ってことはやり合う前からわかってる。だから面倒くさい読み合いが無限に発生して、こんなの結局じゃんけんじゃねえか、って面倒くさくなって、グーだけで突っ込む、みたいなのをぼくはやってしまう。それで勝っても負けても結局じゃんけん、くっだらねえ、って感想しか残らない。だから対人戦なんてのはやっぱり、くそだ、うんこだ、クソゲーだ。




 でも世の中、クソゲーでしかわからないことがある。


 だって世の中なんてのはやっぱり、クソゲーだから。


 降りかかるクソがイヤなら、暴れるしか、ないんだ。


 全力で、持てる力全部で、絞れるだけ知恵を絞って。




「私はその間、思う存分、宮篠さんの心を折らせていただきます……手始めに……そうですね、ああ、そう、あなたのいた異世界で……彼の名前はなんと言ったか……」


 竜が人間じみて眉間に皺を寄せ、そこを指で押さえる。


「ああ! そうそう、久原一正ひさはらいっせい、でしたか、あの拷問狂は……彼があなたにやっていた拷問を、一つ一つ、また、宮篠さまに味わってもらう、ということでいかがでしょう……?」

「あら……ずいぶんと詳しくお調べになったのですね……おほほ……ですが……どうかしら、あなたにそんなこと、できるのかしら?」

「おや? 何か物理以外の攻撃手段をお持ちで?」

「いえ、この体だけ。ですが……それだけで十分。世の中そう、思い通りにはいかないものだと、私、存じておりますの……」


 ……がきんっがきんっがきんっ。


 エマが何回も拳を打ち合わせる。そこに付けられた二丁のメリケンサック〈暴力カワイイ武力キレイ〉が妖しく輝く。その仕草に物理以外の危険を感じたのか、深月がかぎ爪を振り上げる。だが。かぎ爪をぶん殴り、エマは叫ぶ。




つき叢雲むらくもはなかぜ乙女花道喧嘩道おとめはなみちけんかみちッッ!」




 殴り終えた右拳を天に掲げそう叫んだ、エマのスキル発動の方が僅かに、早かった。

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