06 くそして寝やがれ

「よし、これでスッキリした」


 〈天国の監獄ヘブンリー・プリズン〉に戻り、ぼくは開口一番言った。


「あいつはたぶん、簡単にヤれる。問題はその方法だ」


 腕組みをして居間を歩き回る。ぼくの仮説が正しければ……。


「……春日くん、何、言ってるの」


 力の抜けきった声がした。

 知らない人の声だった。

 それはどうやら……エマから出てるみたいだった。

 お嬢様口調が、どっかに消えてしまってた。

 へなへなと床に座り込み、呆然と壁を見つめてる。

 心なしか、ロリィタ服のリボンさえ萎れてるように見えた。


「何言ってるって……わかったろ、わざわざ自分から姿をあらわしてくれるようなヤツなんだ。ヤる隙はいくらでも作れる。チャンスだぞ」

「あはは……ふふ……あは、ホントは、いい人なんだね、春日くん……」


 緩みきった顔で、涙をこぼすエマ。

 横で周はスマホを額に押し当て、目を閉じてる。

 ぼくはムカついて、これ見よがしに大きくため息をついた。


「なあ、おい」


 ムカつき過ぎて、思わず大きい声を出してしまってて、自分でびっくりした。

 でも、人をいい人ってカテゴライズしてその場をなあなあに片付けるヤツは結局、あいつは○○人(差別したい人種を適当に入れてくれ)だからって言ってるのと同じクソだ。


「混乱するから喋り方は一貫させてくれよ。なんで急にやめるんだ」


 そう言うとエマは、顔をくしゃくしゃにして俯き、叫んだ。

 けど、大きく響くような叫びじゃなかった。

 俯いて、胸の内に叫んで、心を潰してしまうような叫びだった。


「できるわけないじゃんっ! わたし、が……し……しぬきで、がんばってたのに……ぜんぶっ……バラ、されて……っっ! うまっ、うまれて、はじめての、とっ……ともだち、なのに……っ……バカだと、おもって、るでしょ、どうせ……っっ!」


 聞いてると心が千切れてしまいそうな、そんな叫び方だった。

 でもおあいにく様、ぼくにはそんな上等なもの、搭載されてない。

 なんせこちとら死人だ。


「あのさ、まだ気付かないの、君」

「な、なに、を……」

「ぼくはさ、だから、どうでもいいんだよ」


 へたり込んでいるエマの前に、ぼくもしゃがんで目線を合わせる。


「君が本当は貧困家庭で大変な思いをしてるけどそれを隠してお嬢様を演じてたとか……マジで、靴の裏より、どうでもいいんだ。知ったこっちゃないよ。いいか? 前を向け、とか、戦うんだ、とか、そんなことを言いたいんじゃない。ぼくは、マジで、どうでもいい、それだけだ。言葉の額面通りに受け取って、決して行間を幻視すんなよ」


 エマはただ、きょとん、としてた。

 周はスマホを額から離し、ぼくを見て固まってる。


「……ああ、ぼくのことがマジで、自称感情のない鬼才気取りのキモオタ陰キャくんに、見えてるだろうな。でもさ、そんなら君は、世界が常に自分を中心に回ってて他人は常にアタクシのことで頭がいっぱいになってるって思ってる自意識過剰のクソ痛いバカだ」


 ああ、ホントに。ったく。


「異世界行ってひっでえ目にあわされてもまだ気付かないのかよ? 異世界だろうが地球だろうが、世界ってやつはぼくらに興味なんて一つもない。人ってやつは社会ってやつは世間ってやつは、ぼくらに何もしちゃくれないし、欠片の興味も持ってない」


 死人がこの世に生きてきて、学んだのはそれだけだ。

 それから思うのも、一つだけ。


「ぼくらに何もしてくれなかった連中に、ぼくらのことなんて一ミリも考えてない連中に、なんで何かしてやらないとなんないんだ? くそして寝やがれって蹴飛ばしてやったら、後は知ったこっちゃねえって好きにしてりゃいいじゃないかよ。泣くのは自由だけど、満足したら決めてくれ」


 しばらく、沈黙がその場を支配した。


 また自分が、何かとんでもなく空気の読めない行動をしてしまって、それにみんなが呆れてる場面だろうな、とは思うけど……それこそ、知ったこっちゃねえ。空気なんてのは単に呼吸する透明なもので、それに何か記されてると思って読むなんて、どんな末期のジャンキーなんだ? 何が見えてんの? 空飛ぶスーパーカピバラが歴代首相と合体してる様でも見えてんの? だからドラッグなんてだめなんだぞ!


「……決める、って、何を……」

「あいつをどうにかしないと、アレだろ、君んちがなんか、困ったことになるんだろ? 君も。それでいいの? なんか……大切なんじゃないの?」


 そう言うと、エマはちょっと吹き出した。

 涙も、吹き出すみたいに零れて少し面白かった。


「あんた……さぁ……マジで、人の心とか、ないんだぁ……」

「あるって思ってたんならそれはぼくのミスじゃなくて、君のミスだと思うけど。きみ、台風の日に空港行って飛行機飛んでなくて残念ですぅ~、って言うタイプ?」


 あれはマジで謎だ。


「あは……あははは……この、この……宇宙人……!」


 きっ、と、俯いていた顔が少しだけ、上がった。


「喋り方、それでいいの?」

「…………いまさら……何、バカにして、笑いたい……わけ……?」


 エマの目に少しだけ、力が戻ってきた。

 だからより一層、ムカついてきた。


「あのなあ!」


 いい加減、ぼくだって、ブチ切れていいだろ。


「そんな高度な機能がぼくについてたらもうちょっとマシなこと言ってるっての! ぼくはこんな時にもこんなことしか言えないんだよ! そういう生まれつきの死人なんだよ! 聞いてなかったのかよ、ったく……! だいたい……!」


 彼女の肩をがっしり掴んで言った。


「人間の価値は精神の気高さで決まるんじゃなかったのかよ!? その言葉体重乗ってて好きだったのに! 自分の価値は自分で決めるぜって名言じゃねーのかよそれは!? 誰から生まれただのどう育っただの、くそして寝やがれ関係ないぜって!」


 けど、そこに触れると、彼女の肩が震えだした。


「……ぱ、ぱと、ままのこと、は……」


 ああくそ、ぼくはどうやら、またしくじったらしい。でも。


「だから知らねーんだってば! 言われてもどーしよーもねーのよぼくそれ! どーしろってんだよ!? いろいろするフリはできるよ!? そりゃ ぼくだっていろいろ学んだからね!? でも根本わかんねーんだよ、ぼくはそれ!」

「わ……わかん、ない、って……?」




 生まれてから、何回ため息をついただろう?




 ぼくは生きるのにマジで向いてない、そういうことを思うたびにため息を漏らして、それでも生きてきて、何百度、何千度、何万度。


「はあ……ぼくはさ、家族とかもわかんないんだよ。友達と同じで、最初からずっと。父親と、あとはまあもう死んだけど母親も、なんでぼくを養ってるんだろうってずっと思ってる。他人の一人でしかないやつを、遺伝子が半分同じだからって優遇する意味がよくわかんねーもん、じゃあ将来的には遺伝子差別してオッケーってことなのか? そもそも子ども産む理由も、頭がマジで狂ってるから以外になんかあるのかよ、ったく」

「……へ……?」

「だって冷静に考えろよ、二人でいちゃついて楽しんでるところにわざわざ、日本語は通じない、家賃は払わない、将来的に総計家が買えそうな金を使う、なんて存在を自分から抱え込む理由ってなんだ? 意味不明だぜ! そんなのをわざわざ作るなんてイカレてる以外にねーだろ!」


 まったくもって、謎だ。

 世の中、わかんないことだらけだ。


「……シロくん」


 周がいつの間にかぼくの後ろにいて、背中に手を置いて言った。


「…………なんだよ」

「今はそんなに……ああ……彼女の話を、聞いてあげたら、どうかな」

「……そーなの?」

「……あははは……ばかばかしくなって、きましたわ……なんっ……で、わたくし……っっ……」


 エマは拳を握って、両目を覆う。

 けど、ちょっとずつ言葉に、いつもの張りが戻ってきた。


「いや、なんか聞いて欲しいって言うなら、聞くけど……一番脅されてるのは……まあ、君だ。その年で……税務署に目をつけられるのは、ヤバいだろ」

「……なんっなんっ……ですの、あなた、本当に……っっ!」


 差し出したぼくの手を払うと、立ち上がる。


「だから、死人なのさ」


 お、これはカッコよくキマったんじゃないか……?

 と、思ったところで。

 あ、そうか。と、ぼくは、ようやく気付いた。


「違うよ」


 周の声がして、後ろからぼくを、抱きしめた。


「キミは、生きてる。死んでなんか、いない」


 ……なんだか、ダメージを受けてた。

 死人だ、って言われたことに。自分でもそう思ってたけど。

 人から言われると……やっぱり。


 千二十九回も死ぬと一番大変なのは、自分が生きてる、って、どうしても思えなくなることだ。何をしても、どこにいても、誰と話しても、もう自分は死んでるのに、としか思えない。ゲームをやっても、本を読んでも、何をしても。


 ぼくはこの世界に、なんの影響も与えない。ぼくはこの世界から、なんの影響も与えられない。ならぼくは、死んでるのと同じだ。


 ……いや、異世界に行く前からずっと。

 千二十九回死ぬ前からずっと。

 生まれてからずっと。


 ぼくにはずっと、わかってたんだ。


 ぼくは死人だ、幽霊だ。家電量販店のゲームコーナー、コントローラーが繋がれてないゲーム機の、デモ画面みたいな世界を、ずっと眺めてるしかできない。そういう、出来損ないだ。


「シロくんは……ちゃんと、ここに、いるよ。生きてる、よ……」


 そう言われて、ぎゅっと抱きしめられると、どうしてか、視界が滲んできた。


「そ……んな、こと、は……」

「ないなんて、ない……っっ! キミは……シロくんは……生きてるっ……!」


 周の腕に手をかけて、振りほどこうとした。

 けど、どうしてか、できなかった。


「でも……そういう、ことだろ、周。ぼくらは……ぼくは、誰からも気にされないし、誰からも、助けてもらえない」


 ぼくは、一人で生きていくようにしか、できてないんだから。


「ふっ……ふざけるなよっ……! ふざけんなよっ! ボクが、気にする! ボクが、ボクが助ける……っ! これから、ずっと……シロくんが困ってたら……辛かったら……ボクが、絶対に、助けるから……!」


 ぎゅうっ、と背後から抱きしめられ、背中に言われる。周の体の温かさがじんわり、伝わってくる。


「ねえ……気付いて、ないのかい……?」

「……何を、だよ」

「ボクより、エマより……キミがあいつに、一番、ひどいこと、い……言われて、たんだよ」


 途切れ途切れの、まるで今にも息絶えそうな声だった。でも、幼馴染みの吐息と体温は、暖かさは、服越しでもしっかり、感じられた。


 ……ああ、そうなのかも、しれない。

 ぼくはこうして生きてるのに。

 死んでる、なんて。ああ、でも。でもさ。


「……あーもうっ! しゃらくさいですわっ!」


 そこでエマが叫ぶと、ぼくに向き直った。


「いいこと志郎さま!? これは何!? あなたのここで、動いてるものはなんですの!?」


 どむっ、と至近距離、エマがぼくの胸を叩く。


「それは……心臓、だろ……」

「止まってるんですの!?」

「動いてる、けど……」

「では、ここはなんですの!?」


 今度は、頭。

 こんこん、ノックするみたいに。


「そりゃ……脳、だよ。止まっては、ない」

「では、簡単でございましょう? 頭も胸も動いてるなら、あなたさまは立派に生きておりますわ。違いますの?」

「……修辞的表現を混ぜっ返すのは……」

「お黙りお屁理屈やさん! ならこれはなんですのっ!」


 そう言うと、がばりっ。

 周ごと、エマがぼくを抱きしめた。

 彼女の体の温かさ、柔らかさ、香りがぼくを包む。

 ツインテールがぴしぴし頬にあたって、ちょっと痛痒い。


死人しびとがいるのはお墓の中。お友達の腕の中ではありませんわ。あなたには……あなたにだって…………あなたにだって、暖かいのは……わかるでしょう……?」


 どこか泣きそうな声でそう囁くと、大きく息を吸った。


「……宮篠の家を、私を……そして……大切なお友達たちを、侮辱されたのです。私、黙っている気はありませんことよ」


 彼女の声に、力が……ひょっとしたら、チカラ、って書いた方が良いかもしれないほどの勢いが、ついた。


「いいこと、志郎さま、周さま……あいつらを、ぶっ倒しますわよ。完膚なきまでに、二度とナメた口たたけないように、こてんぱんの、けちょんけちょんの、ぎったんぎったんに、叩きのめしますわよっ!」


 笑っちゃいそうな言葉に、けれど、笑いも出なかった。

 二人の暖かさに包まれ、ぼくは、異世界から帰ってきて始めて……。

 生まれて初めて。


 息が、できたように思えた。


 死人にそんなの、必要ないってのに。

 涙はどうしてか、流れっぱなしだった。

 死んでるならそんなの、流れないはずなのに。

 ああ、まったく、世の中わかんないことばっかりだ。

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