05-02 未来を考える人たちは pt.02

宮篠慧舞みやしのえま。日本生まれの日本育ち、日本どころか、東京から出たこともない。公営住宅を出て行ったことのある旅行先は唯一、異世界だけ……あら……広尾ひろおのような高級住宅地にも公営住宅はあるんですね、不勉強で知りませんでした」


 ぷるぷる、かたかた。

 エマの肩が震え始めた。


「書類偽造、そしてクラッキングの腕はかなりのもの。当社の専門家も早めにスカウトしたほうがいい、と最大級の賛辞を送っていました。ただその技術を用い……自分がイギリスの名門パブリックスクールに五年間通っていたと詐称し、日本の転校先に信じ込ませる、というのは……些か、技術の無駄遣いではないでしょうか」


 にこり、深月は微笑む。


「もしこのお話をお受けいただけなければ、お住まいの区に通報いたします。ご両親……宮篠英雄ひーろーと宮篠歩絵夢ぽえむの二人は、生活保護を受給しながら、脱法の仕事を請けおい、違法ギャンブル三昧で飲み歩いている、と……まあ、慧舞さんにとっては、その方が良いでしょう。虐待をする両親と子どもは、結局は、引き離してしまうのが一番」

「虐待なんてされてないッッ! わ……っ……わたしはっ……!」


 叫ぶが、取り合わない。


「お辛いでしょう。学費も支払ってくれない自分勝手な両親に代わり、自分で稼ぐのは」

「が、学費、は……し、仕方がないの、です……っ!」

「そうですね。ギャンブル依存症は精神衛生上の重大な問題……病気、です。特に、娘の奨学金すら使い込むような場合は。もしよろしければ信頼できる施設をご紹介いたしますよ。ご夫婦ともども、年単位で治療と保護をしてくれます」

「…………ッッ……!」


 もはや言葉さえなくしたエマは、ただ震えていた。


「しかしそんな環境にありながらも……宮篠さんはご立派ですよ。ご自分で作ったファッション小物のネット販売で、あの私立校の学費、生活費諸々をご自分で稼いでらっしゃる。ただそれは開業届もなく無申告。宮篠家の生活の知恵、というものでしょうか? 経験から申し上げますが公務員……特に税吏だけは敵に回さない方がいい。月商五十万なら来月にでも、来るでしょうね。そういった面でのサポートも、私たちに協力していただければ、万全にできます」


 アルカイックに微笑み、言う。


「かわいそうな子どもを救うのは、大人の勤めですから。あなたはこのままでは確実に、ご両親と同じ道を歩む。十代で自らの家庭を持ち、二十代で生活に行き詰まり、それを逆転しようと無茶をし、かえって抜け出せない貧困に追い込まれるも、それに気付く余裕もなく、いずれは刑務所と世間を行き来する生き方しかできなくなる……そんな生き方は、あなたのような淑女レディにふさわしくありませんよ」


 耳まで真っ赤になったエマの頭から、ぼくは、ぶちんっ、ぶちぶちぶちんっ、という音がしてるのを、たしかに聞いた気がした。周にだって聞こえてたかもしれない。けど、深月は穏やかな微笑みを浮かべたまま、まるで取り合わず周に向き直る。


「では次に、白鷺さん」

「……残念ですが、ボクの家には脅迫できる要素なんて」

「あなたが一番簡単です。お父様は白鷺翼しらさぎつばさ……筆名は栗原祐介くりはらゆうすけ。昨今は芥川賞ノミネートや本屋大賞受賞などご活躍されていますが……そうですね……デビュー作や最新作にも、ブログやSNSからの盗作箇所がいくつもあった、というのが妥当なところでしょう」


 本名の輝度が高すぎるから地味な筆名にした、という周のお父さんのことは、ぼくも知ってる。そして……地味な作風ながら、着実に評価を築いてきた彼にそんなスキャンダルがあったとしたらどうなるか、も、簡単に想像できる。


「……そんな、こと……」

「できますよ。有名人の顔写真や動画が十分な量あれば、その顔をはめこんだポルノ動画が数日勉強した素人にできる時代です。ましてや……こういうことを言ってしまうといろいろな国の裁判所から怒られるので、オフレコでお願いしたいのですが……買収もいろいろ進みまして、インターネットの六割は我々ZOASTゾーストが所有していると言っても過言ではありませんので、どのような形の偽造であれ、一営業日もあれば」


 周が、息を呑んだ。


「それに……お父様にお伝えしておいた方がいいですね。この時代に、プレイ・・・を録画なさるのは社会的自殺に等しい、と……特に……お子さんがジェンダーマイノリティの場合は。お父様の動画は周さんのスマホに送っておきます。お近づきの印にどうぞ」


 周の動きが、固まった。

 それこそ、そういうチカラを使われたみたいに。


「お二人にはくわえて……そうですね、コンビニのおでんに痰を吐いたり、回転寿司の醤油差しに尿を混ぜたりしてもらいましょうか。その動画と、家族構成、住所と名前と電話番号、卒業文集と一緒に、適当なSNSに流して」


 ディープフェイク的なアレでねつ造するのか、それともチカラで洗脳してやらせるのか、どちらかはわからなかったけど……ぶっ殺すぞとスゴまれるより遙かに、効率的な脅しだった。


「さて……そして……春日志郎さん」


 深月が、ぼくに、向き直る。


「……今後一生インターネットできないとか……あるいは……指を全部切るとか……? あーでも、首から下が麻痺でも舌でコントローラー操作してた人とかいたよ? っていうか……」


 ぼくはただただ、疑問になってしまった。


「そもそも……なんで殺さないの?」


 ぼくが尋ねると、深月は目を丸くして……。

 それから、吹き出した。


「ああ……やはりあなたが一番、こちら側でしたね。志郎さんは炎上させたところで……働けない免罪符を五体満足で手に入れられた、と喜んでしまう。そしてご家族……お父様に何をしようが……まるで気にしない」

「なんだよつまんねー、あいつに下半身のスキャンダルを作るとか、やんないの? すぐクビだよ、公務員ってそういうのアレだろうし」

「……たとえお父様の……中学生相手の赤ちゃんプレイ動画が世間を駆け巡ったとしても……あなたは、何も、思わない。何も。そういう性格分析が出ています」


 ……まあ、そうだな。

 その一瞬は笑うだろうし、今後ぼくは若くして生活費に学費を自分で稼ぐハメになるのか、ってちょっと落ち込むだろうけど。


「……なんだいそりゃ、信頼できるの?」

「ええ、ウチの人事評価にも使っている手法です。それによればあなたに恐怖を感じさせる一番の方法は、ロボトミー手術や薬剤によって脳、人格へ不可逆の損傷を与えることですが……」

「そりゃ……怖いな、たしかに」

「ですが、それはチカラに影響が出てしまう可能性を否定できない。同じ理由で、あなた方に対して洗脳は避けたい。そういった人材は奴隷として使うだけなら良いのですが、兵として使うにはパフォーマンスが落ちますから。志願兵の士気モラルに勝るものはありません」


 そこで深月は少し息をつき、ぼくを、しげしげ眺める。

 まるでその年に始めて降った雪を掌に載せ、溶けゆく間によくよく見つめるかのようだった。そして、呟いた。




「あなたは……死人だ」




 ……。


 生きてるけど、さ。

 でも……彼女が何を言おうとしてるかは、わかった。自分でも薄々、思ってたことだ。中二臭すぎて、思考の中でも触れられなかったけど。


「あなたはこの世界に対して、何一つ、希望を抱いていない。異世界で千二十九回死んだからではなく、あなたのその人格は……おそらく生まれつきで、誰に影響されたものでもない」


 ……ふむ。学校の事件でぼくらに当たりをつけて調べたにしても、情報が詳細過ぎる。調査系のチカラ……の、あるヤツが仲間……手下、奴隷、兵にいる、ってところか。


「そんなかわいそうな子を助けるのが大人だと、先ほど聞いたような気がしますけど?」

「これは失敬。ですが……死人であることが、あなたをスペシャルにしている。ただ希望を持っていないだけなら、今の時代数億人はいるでしょう。ですが……あなたは、絶望していない。そんな人間は……少なくとも私は、お目にかかったことがない」

「スペシャル、ねえ……」


 どうにも、話がうさんくさくなってきた。


「そしてあなたは、希望を持っていないだけではなく、何も信じていない。社会も未来も、人も自分も、あなたにとっては単なる物理現象か、虚偽の概念でしかない。すべてが等しく無価値。それがあなた。そんな人間を死人と評しても、不適当ではないと思いますが?」

「なんだか……ずいぶん大げさな話に聞こえますけどね」

「……ですが、あなたと面と向かっていると、誰でも気付くでしょう。あなたには絶望している人間の、生きながらにして死んでいる人間特有の、濁りや淀みや諦念が、一切ない……」

「三トンのCEOにしては……あまり論理的ではないことを、言いますね」


 もうちょっとこう……最新の評価AIとかに判断させるんじゃないのか?


「私は何よりもまず、商売人であることを自らに課しています。商売人に最も大切な能力は、人間の本質を見ること。これに関して論理はほとんど役立ちませんので。人間とは混沌そのものですから。わずらわしいことですね」

「……今はわからないだけのことに、混沌とか未知とか言ってありがたがってるだけのようにも聞こえますがね。いわば……なるほど……感情や自由意思、ひょっとすると意識や思考なんてのも、言ってみればカーゴカルトなのかもしれないな」


 カーゴカルトは、文明があまり発達していない島に援助物資をカーゴで運んで、次にその島を訪れたらそのカーゴを崇める宗教が生まれてた、って少々作った都市伝説っぽい話。ぼくらが後生大事に拝んでる人間の思考や理性なんてのも結局、そういうことなのかもしれない。


「それは……面白い視点ですね……こういった場面でなくあなたとお会いできたら、知的な会話を楽しめたかもしれません。少し……残念です。では、率直にお聞かせください。春日志郎さん、あなたはなぜ絶望していないのですか?」

「なぜも何も……ゲームが楽しい、本がおもしろい……あとは、ああ、ご飯がおいしい、ぐっすり寝れてラッキー、そんぐらいじゃないですか? 世の中、全実績解除、トロフィーコンプ以上に重要で善なことなんて、ホントはないですよ」


 ホントにそれぐらいだ。それ以上のことなんて、ぼくは、世の中に求めてない。

 でも、ぼくの答に彼女は満足したように頷いた。


「ですから、あなたに対しては脅迫はいたしません。死人に弱味はない……というのは、些か行き過ぎた表現かもしれませんが」

「いやー……単純な痛みに対しては、普通に弱いと思うけど……」

「自分を過小評価する、というのは日本人の美徳でしょうが……あなたは自分がやらないと思ったことは、絶対にやらない。というより、できない。それで殺されるならそうなる・・・・。それは強がりではなく、雨が降って川に流れ込むような、ただの事実。そういう人間です」


 ……まあ……そう、かも。


 本当に、テスト終わりにカラオケ行って騒ぐのが楽しい人間になるぐらいなら、マジで、ホントに、死んだ方がマシだ。


「なので、取引です。もしあなたが我々に協力してくれるのなら……あなたのアイテムと、スキルを、進化させられます。これは新異世界黙示録のシステム、神々のチカラによるものではありません、我々の技術力を結集させた結果です。そうですね……周さんの作ったアシストスーツの、スキルとアイテム版を制作できる人材がZOASTゾーストにいる、とお考えください」

「ふうむ。そりゃあなかなか捗るけどさ、こっちの質問は? なんで殺さないの?」


 その選択肢をちらつかせもしないってのは、どういうワケなんだ?


「あなたのアイテム……時間に関連したチカラがありますね?」

「さて、どうだったか……?」

「もしそうならば、ですが……私が目にしたアイテムの中で、もっとも強力と言って良いものです。これが消失するような事態は、あらゆるコストを支払い、どんなリスクを背負っても、回避しなければなりません。なぜかは……おわかりですね」


 ぼくはわざとらしく、それこそ海外映画みたいに、肩をすくめるしかない。


 ……たとえば。


 ZOASTゾーストのAIや自動運転なんかの先端技術研究チームを、ぼくの〈天国の監獄ヘブンリー・プリズン〉に入れておく。あるいは別に、猫の腎臓病や、核融合発電を研究してる人たちでもいい。発電機を持ち込めば電気だってどうにかなるだろう。すると現実世界で一週間後か一ヶ月後か、それはわからないけど……でも長くても数年あれば、中で百年近く研究した人たちが、なんらかの結果を出してくれることだろう。〈天国の監獄ヘブンリー・プリズン〉の中じゃ、老化も発生しない。へたしたら神々にお願いする前にマトリックスとやらも実現するかもしれない。


 そう考えるとぼくの力は、やっぱり、チート過ぎる。

 でもなあ……直接暴力ダイレクト・アタックに弱いんじゃ、やっぱりそこまででもない気はするけど。


「ぼくの、だけ? 二人のもヤバいと思うけど」

「お二方も強力です。おそらく……ソロだとしてもトップ二十まで上がってこられるほどには。しかし……ご自身で気付いているはずですよ。あなたのチカラは、違いすぎる。たとえて言うなら、私たち子ども同士がおもちゃでケンカをしている砂場に、タイムマシンを備えた空飛ぶ円盤で乗り付けるような、そんなチカラです」

「……しっくりこないたとえだなぁ……」

「これは失敬。ですが、第二言語で言葉を尽くしている努力は認めてくださいな」


 愛嬌たっぷりの笑顔を見せる。ビジネスの場で鍛えられてきたんだろうその微笑みは、ぼくでも少し、あ、この人いい人なんだ、なんて思ってしまいそうになるものだったけど……。


「でも……まあ、無理でしょー」

「どうして?」

「どうしてって……」


 ぼくは再び肩をすくめ、今にも深月に襲い掛かろうとしてる二人を示した。


 エマは白黒ロリィタに着替え。

 周はパワードスーツで、彼女の頭にショットガンを突きつけてる。


 けど、深月はピクリとも反応しない。


「ああ、このお話は別に、今すぐ決めてくれ、というわけではないんです。またお声をかけさせていただきますので、その時までにお返事をいただければ……と。資料はどうぞ、お持ち帰りください。私直通の連絡先もそちらにありますので」


 ぱちんっ。


 そう言うと彼女は指を鳴らし。そうすると。


 ぼくらは、どこともしれない、どこかの路地裏にいた。


 手にはあの資料を持たされて。いい話のと、悪い話のやつ、両方。


「…………ピザは喰い損ねたし、メロンソーダも飲み損ねたな……」


 叫び出す勢いだった二人を見て、ぼくはぼそり、呟いた。

 おそらくぼくのアイテムについても、推理は済んでるんだろう。

 ご親切に、開きっぱなしのゴミ捨て場へのドアがある場所。

 二人の手を引き、ぼくらは〈天国の監獄ヘブンリー・プリズン〉に向かった。

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