第一章 グレーター・リセット

01 春日志郎の場合

 二千二十四年、七月一日、午前九時三十五分。

 異世界から帰ってきて一ヶ月。

 ぼくは平穏の中にいた。

 願い焦がれた、平和。

 十四歳の中学二年生、春日志郎かすがしろうの生活の中。


「あ~、つまりだ、この数直線の、1の半分の地点に、点を打つわな。んで、その点までの長さの、さらに半分に点を打つ。んで、この操作を無限に繰り返す……」


 先生が脱線して、数学って実はすごいフシギで楽しいんだよ、みたいなことを話し出して、ぼくはノートに目を落とす。元ネタになったであろう本をもう読んじゃってたし。ちなみに無限と無限+1はどっちが大きいか、みたいな話で、結論的に言うとどっちも同じ……的なものらしい。ほら、数学って実はすごいフシギで楽しいね。


 聞き流しながら、ひたすら悩む。


 ……このレベルだと火力が足りないなー……。


 ぼくが今やってる、クリアまでだいたい二十時間かかるゲームに、六時間以内にエンディングを見る、なんてふざけた実績がある。おかげでこの一週間はそれにかかりっきりだ。クソ、たしかにぼくはどんなゲームでも絶対に全実績解除する偏執狂へんしゅうきょう的な人間だけど(マップや図鑑を全部埋めないと気が済まない病もわずらってる)、じっくりやりたい方だから、タイムアタックは趣味じゃないんだ……この実績だけは攻略ウィキを見ちゃおうかな、って誘惑がまた襲ってくるけど……なんとか我慢。そういうサイトはクリア後のお楽しみだ。




 ……と、このように。

 異世界から帰ってきて一ヶ月。

 ぼくは、ゲームと読書しかしてない。


 それこそ、やりたかったことだったから。

 異世界転生より、ずっと。


 ……最初はまあ、よかったさ。

 最初の内だけは。


 ぼくみたいな転生モノ大好きキモオタ陰キャくんがリアルに異世界転生できたんだから、そりゃあ、喜んだ。実際の話、かなり喜んだ。現実のクソゲー社会にイヤイヤ付き合わされてるぼくみたいなキモオタ陰キャくんが、喜ばないわけないだろ。


 でも……ぼくの異世界はなんていうか……。


 少し異世界転生モノを腐したい、的欲求のある人が書く種類の異世界だった。


 ゲーム的なスキルやアイテムなんかあるわけない、ただの現代人がチートできるわけない、ジャガイモやトマトもあるわけない、みたいな……書籍化したら表紙は割とダーク目で、殺人やレイプが結構あるハードコアなストーリーで、本格派ダークファンタジー、とか帯に書かれてそうなやつだったんだ。そりゃあぼくだってそういうのは好きだし、読むけど……。


 そこに転生(転移?)させられたぼくとしてはただ、願うしかなかった。


 ……ああ……帰りたい。

 帰って、ゲームしたい。本読みたい。


 それだけがぼくを、あの異世界で支えてくれた。くみ取り式のトイレしかない、みんな三日に一回体を拭くぐらいしかしない、赤ちゃんの三人に一人は赤ちゃんのまま死ぬ、そんなダークで本格派な異世界の中で。まったく、本格ファンタジーの……




「おはろんこんーーーッ!」




 と、ぼくがまた、異世界に対する不満を心の中でぶちまけようとしてると。

 威勢のいい声が響いたと同時に教室の戸が開き、妙な男が一人、飛び込んできた。


「どーもッ! 論破モンスター、ロンスターでッす!」


 突然のことにみんなが目をぱちくりさせていると、妙な男は明るく言った。


 中肉中背の二十代男性。

 なんだか剽軽な顔に人好きのする笑みを浮かべ、教室全体を見回してる。

 真っ赤な長髪に真っ赤なジャージ。

 真っ赤なスニーカー。

 頭には黄色いヘルメットで、そこにカメラ。

 いかにも何かの配信者、的な風体だけど……。


「はいッ、というわけで今日は、濤聖とうせい学園中等部二年B組の教室にお邪魔しますッ!」


 手には、ショットガン。


「二年B組のみなさーん! 元気ですかーッ!」


 配信者みたいな風体で、配信者みたいに喋る男に、クラスは沈黙。


「……はいッ! みなさんとっても、元気、ということでね」


 誰一人、動かない。

 みんな、頭の上から疑問符が飛び出てる。


「では企画の方やっていきましょう! 題してぇぇ……第一回! 隠し事するとためにならないよゲーーームーーーー!」


 男が銃を叩くと、どこからともなく、SEらしき音……どどんっ、ぅおぅっ、わぁ~~、っていう……よく聞いたことあるフリー効果音が、どこからともなく聞こえた。


「……あの、なん……ですか?」


 先生がもっともな疑問を投げかける。




 それには即、銃声が答えた。




「はいっ! ご覧のようにロンスター、本物のシャッガンを持って参りました! 今から私が皆さんに質問していきますので~? 企画の邪魔をしたり、妙な返答をしたりするとこの先生のように、撃たれてしまいますッ! 体を張ってチュートリアルをしてくれた先生にィ、みなさん拍手ッ!」


 頭を吹き飛ばされた先生の体は、びくんっ、びくんっ、て震える。

 二、三歩、その場をぐるぐる歩く。

 文字通り、血の雨を前列の人たちに降らせ。

 やがて、どさりッ。

 重そうな音を立て、教壇に倒れ伏す。

 そして、また、沈黙。


「…………はいっ、やっぱりとっても元気、ということでね」


 何人かの生徒が、叫ぼうとしてた。

 何人かの生徒は、逃げだそうとしてた。

 けど誰の口からも声は出なかったし、浮かせかけた腰は椅子から離れなかった。


「それでは第一問ッ!」


 ちゃきり。

 ショットガンをコッキングすると、銃口を前列中央の男子に向ける。


「あなたは異世界に行ったことがありますか?」


 銃口を見つめたまま、彼は首を横に振った。

 銃声が答える。


「残念~~~~ッッ! 論破ッ!」


 頭蓋骨の破片と脳漿、おびただしい血が、背後に飛び散る。


「続いてお隣の方にも! あなたは異世界に行ったことがありますか?」


 しばらく固まってた女生徒は、数秒後、勢いよく首を縦に振った。

 銃声が答える。


「残念~~~~ッッ! 論破ッ!」


 そしてぼくは深くため息をついた。こっそり。

 異世界から帰ってきてずっとあった疑問が、今、解決したから。

 つまり……異世界から帰ってきたのは、この世でぼく一人じゃ、なかった。


「いや~、まさかの二連続不正解、ということで、今度こそッ!」


 銃口が前列の、新たな生徒に向く。

 ぼくの席は最後方の左端……って主人公ポジションだから……ここに来るまで結構まだ時間はあるだろう。ってことは、いろいろ、できる。


「あなたは異世界に行ったことがありますか?」


 ……考えてたんだ、ぼくは。


 もし転生から帰ってきたのがぼく一人じゃなくて……転生先からアイテムを持ち帰ってきたのもぼく一人じゃなくて……異世界のチカラを使って地球で悪事を働くヤツがいたら、どうしよう、って。


 ……そんなの、決まってる。


 ぼくは、もう、週刊少年漫画の異能バトルモノは卒業した。

 自分が主人公になれるとも思わない。

 世界に善が溢れてたらいいなとは思うけど、そうじゃないってわかってる。

 自分がなんかしたところで、どうにかなるとも思わない。

 だから、どうにかしようとは思わない。

 ぼくの将来の夢は、昔から決まってるんだ。

 それこそ、異世界に行く前から。


 ぼくは、世捨て人になる。


 鍵を意識しながら、ぼそり、呟いた。


「〈天国の監獄ヘブンリー・プリズン〉……!」


 別にアイテム名を言う必要は全然ないんだけど……まあ、その、まあ……ほら、ね?

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