08 Tonight is another night
友達……となったぼくらはそれから、一人ずつ露天風呂に入ってじっくりと体を癒やした。それから三人でちょっとだけ現実に戻り、カセットコンロに食料を持ち込んで鍋パーティみたいなこともした。その間中も、これからどうやって、この新異世界黙示録を攻略してくか、の会議は続き……二つ三つ、大いに納得できない点はあったものの、一応、目処は立った。といっても……そんなに洗練された作戦じゃないけど。
ぼくとエマがぎゃーぎゃー喚いて言い合いを続ける中、周がいつもみたいにクールにツッコミ、目処がたっても会議は続いた。ZOASTやその他の団体……組織にどう対抗するのか、勧誘されたらどうするのか、という点については、まだ、なんの結論も出なかったけど。
そして、辺りが暗くなってくる。一応〈
「向こうの部屋は……ま、好きに使ってくれ、お休み」
ぼくは居間の長椅子を壁側に寄せて横になる。
「……え、あ、あの、うそ、でしょう……?」
寝間着に着替えたエマが、信じられないような口調で言う。
「スキナヒトのイイアイッコ……コイバナ? とかがしたいならお二人でどーぞ」
久々の長風呂でほぐれた体は簡単に緩んでって、家から持ってきた体に馴染んだ毛布の暖かさと匂い、この居間の心地良さは抗いがたく、ぼくは自然に眠りに落ちてった。
ああ、この眠りに落ちる瞬間は……ゲームぐらい好きかもしれない……自分が、ほどけて、なくなってくような……そうか、ひょっとしたらぼくは、そういう感覚が……。
「……しょう……な……彼は林…………」
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「しょうがないね。彼は林間学校でも就寝時間前に寝るタイプだから。八十までゲーマーでいたいから健康には気をつかってるらしい。訓練の時もそうだったろ?」
「ですが……今日は、お泊まり会のようなものではありませんか……本当に、すごい、お方ですのね……」
この私がお風呂上がりの艶姿をガーリーな寝間着に包んでいるというのに、志郎さまときたらなんの感想もなく、居間の隅ですやすや、寝息を立て始めていました。ひょっとしたら志郎さまは、人ではなく、お屁理屈の精霊とかなのでは? お風呂の時だって、なんの感情も見せないでなんにも言わないで、居間から覗けないように自分から、訓練場の方に行ってしまっていましたし……。
「昔からこうだよ。本当に、コミュニケーションは価値がないって思っているから」
「でもSNSはやってらっしゃいますわよね、志郎さま。そういう語彙でしたわ」
「うん。でも非公開アカウントで、万近いフォローをして、誰にもフォローはさせず、誰にも見られない投稿を数千。そういう使い方」
「……インターネットの地縛霊ですの?」
「あはは、彼は……筋金入りだよ」
「別に……異世界に転生したから、というわけでは、ないのですよね?」
ため息をついて椅子に腰掛けます。
「うん。五歳の頃から本当に、ゲームと本のことしか考えてなかったよ。幼稚園でだって砂場にも滑り台にも一回も行ってないし、アンパンマンにも戦隊ものにもまるで興味なし。幼稚園でボク以外と喋ったこともないんじゃないかな? 先生とも、勇気を出して自分から話しかけてお友達を作ってみようよ! なんて言われてから絶対に、口をきかないようにしてたからね、あいつはてきだ、なんて言ってさ、あはは……ご両親は何回もいろいろな検査を受けさせてらしたけど、知能が高いってこと以外、何もなかったそうだよ」
「にしては……お喋りは流暢でしたわね……立て板に水でしたのよ、夕刻は」
そう聞くと笑い、ココアを出してくれました。
周さまはなんと、外に薪燃料の炊事場まで作ってくださったのです。
ココアは私の持ち込み。これでお泊まりばっちりですわ。
「それに関しては、ボクが必死に、五歳からずっと話してきたから……シロくんが考えてるのは、コミュニケーションはツールであって、重要なのは内容だ、ってことで……嫌うのは、コミュニケーションのためのコミュニケーション、みたいなこと」
ああ、でも。やっぱり。
私は別に、こういうお話に聡いわけではございませんが……。
それでも、周さまの仰る「シロくん」の響きを聞くと。
……心が、むずむずしてきてしまいます。
「…………ねえ、周さまは、その……」
……でも、なんて聞けばよいのかしら? というより……どう聞いたら失礼にならないのかしら? でも、でも……あ、場所は変えた方が、よろしいですわよね……?
「……ふふっ……大丈夫。シロくんは一度寝たら、横で大宴会してても寝てるから。そして七時間、絶対に、何があっても起きない。これは確実」
「でしたら……その……周さま……妙なことを、お尋ねしますけど……」
「うん。ボクはシロくんのこと、好きだよ。恋愛的に」
さらり、初春のそよ風に揺れる欅の葉のように爽やかに、答える周さま。
微笑みながら、私のお向かいにお座りになります。
「あ……それは……その……」
「いいさ別に、そんなに気を遣わなくても。というか……ボクにだって、恋バナの一つや二つ、させてくれよ。ほら、こんなお泊まりの夜なんだから」
「え……あの……それでは、その、お聞き、いたしますけれど……」
それでも、少し、躊躇ってしいます。でも……すやすや、部屋の隅でお眠りあそばしてる志郎さまの平和なお顔を見ると、躊躇は消えてしまいました。
「なぜ? どこを? いつ?」
……妙な魅力のある人
けれど……恋愛とはまさしく、コミュニケーションのためのコミュニケーション。それについて志郎さまがどう思うかなど……付き合いの浅い私でもわかってしまいます。
「あははは、たしかに……エマは、こういう経験は?」
「ないですが……ですが、普通……」
「その普通ってヤツは、どうも縁遠くてね……それに、理由なんてないのさ」
「……ない……と、言いますと、何か、きっかけも……?」
そう尋ねると、少し苦い笑いを漏らす周さま。
……本当に、絵になるお方ですわね……。
「うん、ないんだ。気がついたら好きだったし、会うたびにもっと好きになる。どうして好きなんだろうって考えても、好きだから好き、ってことしか思い浮かばない。異世界に行ってもずっと好きだった。あはは……ボクの異世界さ、ステータス画面はAIにお願いして開いてもらう、みたいな形だったんだけど……」
ああ、やっぱり……。
「では、あの時の、あれは……」
「やっぱり聞こえちゃってたか……うん、そのAIに、シロきゅん、って名前つけてた、あはは、今さら言うとやっぱり恥ずかしいな……幼稚園の頃の呼び名」
「な……なぜ……」
「昔はまさしく、その呼び名がぴったりの美少年だったんだよ、彼。性格はまっっっったく、変わらないけど。いつか写真見せてあげるよ。でも今でも面影あるだろう?」
「え、ええ……?」
まあその……角度をつけて見れば……ミステリアスで知的な美少年……に、できないことも……ない、かもしれませんが……恋は盲目とはこういうことなのでしょうか。
「あはは、この話するとみんなそんな顔になるなぁ……ま……顔かもしれないし、性格かもしれないし、近くにずっといたからかもしれないし……そもそも好きになった理由なんて、いろいろ後付けできちゃうからね」
「……その、後付けする理由とは、どのようなものでしょう?」
「世の中……志郎以上に自分を持ってる人って、いるかな?」
「いないでしょうね」
即答できます。
が……しかし……。
「あははは、うん、悪い意味でもあるよ、それはもちろん。でも……彼の隣にいるといつも思うんだ。もし彼みたいに生きられたら……って。自分のやりたいことだけやる、それ以外はどうでもいい。誰しもそんな生き方を夢見るけど、でも、諦める。けど、シロくんはお構いなしなんだ。回りがどう思うが、回りからどう言われようが、心の底からどうでもいいから……なんとも痛快じゃないか? ボクは……こう見えて周囲を気にしながら生きてきたから、余計に眩しいんだ、彼のことが」
「そうなのですか?」
「うん。それに……彼、異世界で、千回以上死んできたって……本当だと思うかい?」
周さまの綺麗なお顔に、少し影がさしました。
「そうですわね……もしそれを他の方が仰っていたのなら……こいつ盛ってんなぁ、と思いますけれど……志郎さまは……?」
「……彼にはウソをつく機能がついてない……いや、違うな。人の気持ちとかが本当にどうでもいい、っていうのが根本だな……十歳の時ね、彼のお母さんがガンで亡くなられたんだけど、その時、彼……普通に聞いてたんだ、ねえねえ、もうすぐ死ぬってどんな気持ちになるの? って。お母さんは慣れたもので、笑って答えてたけど」
……もういい加減、志郎さまのことで驚くことはないと思っていましたが……。
「……ひょっとしたら志郎さまは……人間のことを学ぶためにやってきた宇宙人か、未来のアンドロイドかもしれませんわね……」
「あはは、うん、ボクも時々そう思う。彼にとってコミュニケーションっていうのは……本当に事実、情報の交換だけのためのものみたいなんだよね……そこに感情や、気分の入り込む隙間がない。だから本当に千回以上、死んできたんだろうな、ってボクは思ってる。なのに……」
大きなため息。
「なーんにも、変わってないんだ。前の彼のまま。どころか、ボクは気付きもしなかった。いつも彼のことを見て、彼のことをずっと考えてたのに……彼が、異世界でそんな目にあって、あんな心の傷を負ってたことに、気付かなかった」
「それは……しょうがないですわよ……たぶん……志郎さまが、何かを言わないとお決めになったのなら、私のような拷問にあったとしても、言わないでしょう。それから……イヤなんだと思いますわ、そういうことを言って……かわいそう、と思われるのが」
「……だろうね。同情されるぐらいなら差別されてたい、くそして寝やがれ、が口癖だ」
前半部分は、まあ、志郎さまならそう言うでしょう、というお言葉でしたが……後半部分は、少し、謎です。
「それ、なんなんですの? くそして寝やがれ、って、そこだけなにか、江戸弁というか……志郎さまとちょっと、合っていないというか……」
「あはは、彼がずっと読んでるアメコミの、ヒーローの口癖。原文は単に、普通の四文字言葉を使った罵倒なんだけど、翻訳の人ががんばって印象のあるセリフにしようとした、らしい。もっとも、すごく昔の翻訳で今はもう、使われてないらしいけど」
「まあ……合っていないセリフを言うのも、志郎さまらしいといえばらしいのかもしれませんが……」
「ふふ、そうだね。ボクにとって志郎は……憧れ、なんだ。装いすぎて、自分でもちょっと、わけがわからなくなってるボクとは、正反対過ぎて」
「装い、なのですか……?」
正直を申しますと、今まで周囲に周さまのような方はいらっしゃらなかったので、どのように接すればいいのか、少しどきどきです。けれど……ねえ、志郎さま、それが……コミュニケーションの醍醐味なのではないかしら……?
「うん。結局今の格好やキャラは、根本をごまかすためにしてるような部分がある。本当はボクは……別に、女の格好を常にしてたい、ってわけじゃないんだ。男の服装がいいと思うこともあれば、絶対スカートをはきたい時もある。ボクの性自認としてあるのは……ボクは男でも女でもない、っていうのが一番近い。でも……そんなヤツはさすがに、ウチの学校でも受け入れられないだろう、たぶん」
「……まあ……」
正直な話を申しますと……私もよくわからなくなってきました。
「木を隠すなら森の中……Xジェンダーのパンセクシャルを隠すなら王子様キャラの女装少年……あはは、言葉にすると意味がわからないけど、でも、普通の人にとってはジェンダーうんたらより、わかりやすいだろ? 少なくとも単に、変わったヤツだ、で片付けられる……だから……志郎には余計……憧れるんだ」
「……ねえ、周さま……昔、周さまがよその子と揉めて……お膝のお皿、お砕きになったお話を聞いたのですが……ひょっとして……志郎さま絡み……?」
「ああ……うん。その男子、シロくんをイジメようとしてたから」
「……あ、ああ、ああぁ~……」
思わず妙な声を出してしまいました。
「志郎さま、どうして今までイジメられてきてないのでしょう、と、謎でしたが……」
「ボクが全部ねじ伏せてきた」
そう言うととびきり、王子様らしい笑みを零す周さま。
「とはいっても……ボクらの学校はそこそこいいところのお子さんが通う、そこそこいい一貫私立校、だからさ。令和に合わせてアップデートした進んだ教育をしてる、って評判の。小学校高学年に入ってからはそんな問題も起きてない……でもあの男子は、志郎の鞄に自分が盗んだ携帯ゲーム機入れて犯人にしようとしてたから、ああこれは殺さなきゃ、って」
わぁ、狂人ですわぁ……と思ってしまいますが……私は少し、周さまが羨ましくなりました。そんな風に、それだけ人を好きになるとは、どんな気持ちなのでしょう?
「ふふふ、エマは顔に出やすいんだな」
「え、やだ、私、ヘンな顔してましたか?」
「うん。こいつやっべぇ~、って顔」
「殺すって! 志郎さま、仰ってましたよ、助けに入らなきゃどうかなってたと!」
「うん、どうかしようと思ってやったもの」
「こいつやっべぇ~ですわぁ~」
「あははは……でも……ボクが何をどうしようが、ボクと彼が結ばれることはない。それは、わかってるんだ。彼から、もう聞いた?」
「えーと……その……志郎さまは……シスジェンダーの、ヘテロセクシャルだと……」
「ボクは百回以上聞いてる。それで……それでも、好きなんだ」
肩をすくめ、ココアに口を付け、周さまは少し俯きます。
「だから……彼の結婚式で友人代表の司会をやるのがボクの小さな夢、かな。彼の側にいられるのは、彼がハナからバカにしきってる結婚なんてことをしてしまって、あまつさえ、大っ嫌いな結婚式をやってもいいと思わせられるぐらい、彼の価値観を狂わせる人だろうからね」
そう言うと椅子にお背中を預け、天井を見つめます。
「ねえ……周さま……その、もし、もしあなたが……一位になったら……」
どうしても、聞かずにはいられませんでした。ひょっとしたら周さまを怒らせてしまうかも、と怖かったのですが……周さまは優しく笑い、言ったのです。
「あはは、カミサマにお願いして彼のジェンダーや性的傾向、恋心をいじってもらう? 考えなかったわけじゃないけど……でも、そんなことをしたらきっと彼は、世界で一番ボクが嫌いになる。だから、いいのさ。ボクは彼を見ていられれば、それでいい……ううん、それでいい、ということに、してるよ。だから、お願い事はエマ、キミに預けるさ」
「そんな……いいのでしょうか、私の目的だけ……」
「おいおい、むしろボクはキミに感謝してるよ。キミがいなければきっと……志郎は新異世界黙示録のことなんて、絶対、見向きもしてなかった。キミの熱い心が、志郎の心を溶かしつつあるのさ。そういうの、ボクには無理なんだよ。ずっと近くにいすぎた弊害だね、ボクも少し、志郎に似てきてしまっているから」
くすくす、楽しそうに周さまは笑いました。
こんなに……こんなに素敵に笑える方なのに。
私は切なくなって、尋ねてしまいました。
「ねえ、志郎さまが周さまの気持ちに気付いている……可能性は……」
勢いで、言ってしまい、ました、が。
「あると、思う?」
なんとも愉快そうな顔で尋ねる周さま。
……ええ……ないと思います。
あの人は、鈍感どころか……。
無感、です……たぶん……。
「…………申し訳ありません、私……恋バナとは、もっとこう、何か……キャッキャウフフを、想像しておりました……ごめんなさい……あの……」
「あははは、ごめんごめん。いいんだよ、自分の中ではもう、とっくに整理がついていることだから。でも誰かに話すことなんてほとんどなかったから、むしろ聞いてくれてありがとう、さ。今度は君の話を聞かせてくれないかい?」
「あ、その、私……ないのですよね、そういったお話は……」
「イギリスにいた時も? ロンドンの子たちは奥手なのかな?」
「ち……小さな頃から、皆無、なのですよね……」
「ふうむ、海外では……日本的なカワイさは未成熟と思われて好まれないって聞くけど、そうだったってことかな」
「…………私自慢のお胸も、世界レベルで見れば平均クラスですから」
「あはは、世界の壁は高かったわけだ」
「ねえ、それよりもっと志郎さまのお話、聞かせてくれませんこと? どういう成長をすればあのような人間になるのか……私、興味が出てきましたわ」
私の短い人生の中、さまざまな人がいらっしゃいましたが……。
一番変わった人は、と問われたならば、間違いなく志郎さまです。
「じゃあ、幼稚園の事件から話さないといけないな。伝説の飛び降り実験事件から」
「……タイトルからしてイヤな予感がしてまいりましたわ……」
「この物語は幼稚園の志郎が、飛び降りをしても木や駐車場の屋根にあたると死なないことも多い、という情報を、そうすると無傷で済んで痛くない、と誤解したことから始まる……」
「……ねえ、ちょっと、うそでしょう……!」
そんなこんなで、夜は更けていきました。そして。
志郎さまとだけじゃなく、周さまとも、しっかりと友達になれたような、そんな気がいたしました。
ええ、この三人でなら、やっていけますわ。
私はそう思い、ココアを飲みながら、夜更かしを続けたのでした。
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