《4》-2

 終戦を迎えたのは奉天であった。


 なにもかもが混沌とするなか、奉天にある競馬場へと命令で集められてみれば、そこには同じような日本兵がずらりと並ばされていた。そして銃を掲げてそれらに逐一命令を与えるソ連兵の姿も見受けられた。


 武装解除を命じられ、愛用の三八式を、山のように積まれた銃器の山に放り投げたときが、良太郎の胸に、初めての敗戦の屈辱がせり上がった瞬間だ。


 ――なるほど、これが戦争に負けるということなんだな。


 項垂れる日本兵たちを、銃を持って威圧するソ連兵の顔つきがなんとも憎たらしくて、良太郎は思わず、いまや自分の命を握る異人たちの顔をぎろり、と凝視する。するとそれを見咎められたのか、良太郎はソ連兵たちに小突き回される羽目になった。


 彼らの言葉は分かりようがない。しかしながら、良太郎には妙な確信があった。


 ――おそらく、こいつらも、「お前の目が気に食わない」と言っているんだろうな。


 入営時に上官からさんざ、言われたように。

 そう思うと、よりひしひしと良太郎の胸中にわけのわからない怒りが煮えたぎる。そうとなると、このように心が澱むのも止められなかった。


 ――どうせ負けるにせよ、こんなことになるなら、もっと殺してやればよかった。奪ってやればよかった。ああ、勿体ないことをしたよ、俺は。ここまで来ておいてさ。馬鹿馬鹿しい。


 そして無性に馨を抱きたいと思った。

 衝動のまま、無理矢理にでも。あの嫌がって滲む切れ長の目を見たらこの溜飲は収まるのではと、ひたすらに、夢想した。


 仲間とともにぎゅうぎゅうに押し込められ、すえた匂いが充満する暗い貨物列車のなか、良太郎はその願望を叶える瞬間を思い起こすことで、生きる希望を繋いだ。


 それが絶望に変わったのは、日本を目指して続いているはずの線路が、実は真逆の北へと向かう鉄路だと気付いたときのことである。



 初年兵の頃から世話になった平野とは、黒河を越えたところで別れとなった。

 別れといっても、ソ連兵の指示に従い並ばされた列が分かれた、それだけのことだった。よって特に交わせた言葉はない。平野も良太郎のことをそのとき意識したかどうかも、分かりようもない。

 ただ一瞬の出来事が、積年の友愛、または恩義に似た感慨のなにもかもをあっさりと、躊躇なく断ち切っていく。


 良太郎が並んだ列はさらに貨物に積められて、今度は西へと運ばれる。そうして終戦の年の秋に辿り着いたのが、イルクーツクの収容所ラーゲリだったわけだ。

 


「ひとまず、ここまで命を取られなかっただけでも、よしとしよう」


 収容所に着いて粗末な小屋に押し込められた夜、とりあえずは同室になった者どもとそう語り合い、励まし合ったのは覚えている。

 しかし、翌日早々始まった森林伐採の重労働と、支給されたボロボロの防寒服ではなんともならぬ耐え難い寒さ、ついで満足に与えられることのない食事に相対するにあたって、そんな慰めの言葉は意味のないものになっていく。


 ――どうして。


 視界も怪しい吹雪のなか、ふたり一組となって白樺の木に鋸を当てて引くとき、良太郎は白い息を吐きながら疑問に脳を疼かせた。


 ――どうして俺が、こんな目に?


 吹雪く風雪と耳当てのせいで、仲間の声もはっきりと聞こえない。木を倒す合図さえも聞き取りにくい。そんななかで集中力を逸らすのは、なによりも死を近づける行為だとは分かっている。

 それでもなぜ、と思うたびに意識は現実から逸れてしまう。あんまりだ、と思う。俺がなにをしたっていうんだ、と思う。


 仲間は伐採中の事故、それに飢えと寒さと病でぽろぽろ死んでいく。命があまりにも軽くて、呆れを通り越して、失笑したくなる。

 命を失わずとも耐えず凍傷で指や足を失った者も数多い。良太郎とて切断にさえ至らなかったものの、先月、危うく命取りになりかねない凍傷を右足に負ったばかりだ。いまだって、引きずるようにしか歩けない。

 かといって、強制労働が免除されるわけでもない。


「おい、小野寺! 危ねえぞ!」


 相手の声にはっ、と我に返って上を見上げれば、不機嫌な灰色の空を背景に、ゆっくりと切ったばかりの幹が倒れてくるところだった。

 すんでのところで躱すと、木が轟音と白い粉を撒き散らしながら凍土に転がる。


「なにぼんやりしてんだよ! ほら、これじゃまたノルマこなせねぇってソ連兵やつらに怒られて飯減らされるぞ! 次、行こう次」


 仲間の怒号に背を押されるようにして、良太郎は右足を引きずりながら次に伐採する木の前へとなんとか移動する。


 それでも心はなお、疑問にまみれたままだ。


 ――……どうしてだよ……どうしてなんだよ……!

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