<24>【嫁贄ディアドラ】月は綺麗か

 その夜の月は、これまでディアドラが見たどんな月よりも美しく、妖艶だった。


 黄金の月が照らす下、『マヨヒガ』の広大な庭園で、アヤカシたちは酒盛りをしていた。

 姿形も一様ではない化け物ども。中には、一体どこから湧いて出たのか、ディアドラにとって見覚えの無い妖の姿も多数あった。

 異形のものたちは、楽しそうに酒を飲み、料理を食べては歌い踊っている。


 その酒宴の全てを見渡せる位置に、来栖火くるすびとディアドラの席はあった。


「妹が居るのよ、私」


 白くてプニプニで可愛い、汁無しの水団すいとんみたいな物体をつまみとして貪りつつ、ディアドラは酒を飲んでいた。

 この屋敷で飲まれているのは、何故か米の酒ばかりだ。縦置きにされた酒樽が割られ、そこからめいめいに酒を汲み出している。来栖火くるすびとディアドラだけには酌があった。

 米の酒は全体に癖があって、ドワーフが喜びそうなくらい酒精アルコールが強いが、慣れれば美味しい。


「相槌とか打たないの?」

「話は聞いている」

「……はぁー……」


 ディアドラは、思い切り聞こえよがしに溜息をついて、酒を呷った。


 来栖火くるすびは機械的に酒を飲んでいた。

 反応が鈍いのか、別に美味いとも思わぬのか、両方か。

 ディアドラの話を聞いての反応も、似たようなものだった。単にそういうペースで生きているのかも知れない。


「元々、体が弱かったんだけど、開拓地の暮らしが祟ったみたいでね……

 妹は働けなくなって、私が二人分と、妹の薬の分まで働くことになったの。

 ……まあ、無理だったわね」


 ディアドラは土地を持たぬ放浪の民であった。

 出自は異なる。幼少時に全てを失い、か細い縁を綱渡りのように渡り歩いて生きてきた。


 ディアドラは革細工が得意で、妹は腕の良い占い師だ。どうにか生きていける程度の金は、どこへ行っても手に入ったが、不安の種は妹のことだった。

 寝付いたり起きたり、永遠に騙し騙しだ。


 安定した生活基盤を築きたくて、ディアドラは開拓民の募集にそれを賭けた。

 ……賭には負け、切羽詰まった。


「それで私は領主様に命を売ったの。

 ご令嬢の身代わりを領主様が募集してたからさ……妹が一生食うに困らず、病気の治療も受けられるよう計らってくれって言って、それを受けた」

「そうか。

 よくある話だ」

「あんたが言うと説得力凄いわ」


 来栖火くるすびが言うと、何やら怖い。

 おそらく悲劇の元凶側として、来栖火くるすびは似たような事例を山ほど見てきたのだろう。

 かつて彼が居たという、東国で。


「だが貴様は、何故そうまでする?

 他人の命が、自らの命より価値を持つと、何故そう簡単に信じられる?」

「別に、どっちに価値があるかなんて特に考えないかな。

 あの子が辛いのは、自分がオニに食われるより辛いって、ただそれだけだった」


 ディアドラは曇り無き心で堂々と言い放つ。

 辛い生活、辛い人生の中で、ただ一つ信じられるのは、今や唯一の肉親となった妹だった。


 それに来栖火くるすびは、納得しなかった。


「逆はどうなのだ?

 貴様の妹は、貴様が鬼に食われることを、己の命より辛いと思わぬのか?

 もしそうなら、貴様は妹に辛い生を強いている。もし違うなら、貴様は貴様をなんとも思わぬ妹のため、独りよがりで命を捧げたのではないか?」

「…………あんた、時々鋭いわね」


 何かに付け疑問を抱く子どものように、来栖火くるすびは問うた。

 人の機微など分からなくても、理論的に考えておかしいと思ったわけだ。

 勢い任せの行動を咎められているようにも、ディアドラは感じた。


「そりゃあ悩んだし、妹に言ったら泣いて止められた。

 でも結局、二人で死ぬより一人でも生きて欲しいって、私は言って……」


 本当に他に、やりようは無かったのか。


 後悔しようと思えばいくらでも後悔できる。

 いつだって、ディアドラのためには、冴えた選択肢など用意されていないのだから。ハズレしかないクジ引きを延々とさせられているようなものだ。


 ならば結局、二人の納得感の問題だった。


「あんたたちアヤカシにとって、家族は大事じゃないの?」

「そも我らは、父と母から生まれるとは限らぬ」

「ええ!?」


 そう言えば今まで、アヤカシたちに家族の話を聞いたことは無かった。今更知る、驚愕の真実だ。


「じゃ、あんたは!?」

「……さて、覚えておらぬな。いつのことか、世界が在り、己があった。それだけだ」

「おくろさんは?」

「あやつは猫又ゆえ、只の猫として生を受けたのであろう。

 それが百年生きて、尾が分かれた。

 無論、そうなる猫は稀だ。父も母も兄弟姉妹も、居たとしたら息子娘も、とうに只の猫として死んでいような」

「うへえ、そうなんだ」


 何もかもが想像を超えていて、ディアドラはただ嘆息するしか無かった。


 薄々感じてはいたが、マヨヒガのアヤカシたちは、一般的な魔物とは何かが違う気がする。

 魔物は、人を殺すために魔王が作ったものだという。だから数を増やす能力がある……一般的には繁殖という形で。

 翻って、彼らはどうか。人魔いずれの理からも外れた、ただそこに在る、まつろわぬ怪物たち。

 ディアドラの定義の上では、それは『魔物』と言うよりも『妖精』だ。


「そういうのって、寂しくないの?」


 思わず聞いてしまってから、失言だったとディアドラは思った。

 仮にそれが寂しかったとしても、どうしようもないことではないか。


「今は、人の『寂しさ』とやらが、少し分かる」


 いつも通りの無表情で、静かに。

 だが珍しく情緒的なことを、クルスビは言った。


「……私を食べないでくれて、ありがと」

「何故急に、そんな話をする?」

「なんでかなあ……」


 異形の者たちの酒盛りは、月の下でたけなわであった。

 酔っ払って調子外れになった笛が吹き鳴らされて、黒い影が踊り狂う。

 冬と比べればまだ少しぬるい風が、頬の火照りをさらっていった。


「あんたに食われてたら、今夜こうやって、酒を飲むこともできなかったものね」

「礼は無用だ。

 どうせ貴様を引き裂いたところで、かの領主はいかなる痛痒も覚えぬであろう。はじめから分かっていた。

 殺せども殺さずとも同じなら、殺してしまえばいいと……思うておっただけよ」

「……そっか」


 今は違うのか、考えが変わったのか、というのは聞くだけ無粋だろう。

 答えは分かりきっているのだから。


「のう、であどら」

「何?」

「……む?」


 来栖火くるすびは急に難しい顔になって、首を傾げた。


「はて、奇妙な。

 何故呼んだか分からぬ」

「そっか」


 夜が深まるにつれて、ようよう風は冷えていくが、宴の熱気はそれを上回る。

 来栖火くるすびの体温は、炎を宿す竈と似ていた。

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