<33>【LINK】『火』
人の歴史とは、魔物との戦いの歴史。
積み重ねられた経験知は、決して捨てたものではない。
個々の力では敵わぬ魔物を、魔動兵器と集団戦術によって効率的に仕留める。そうして人は、住処を守ってきた。
「陣を構えたところに敵がやってくる。
……うむ、これこそ理想的な戦いだ。ダラダラと続けていては戦費が嵩む」
カザルム候の嫡男、開拓地総督にして次期侯爵たるジョエルが、此度派遣された軍の指揮官だった。
街を襲った魔物を打ち倒した時にはもう、領主軍は斥候を展開していた。そして、西から魔物の
来ると分かっているなら対処は容易い。領主軍は、破壊された街壁には頼らず、街を背にした野戦陣地を構築した。
魔法で地形を操れば、即席の
脆い即席陣地で十分。必要なのは効果的な配置であること。そして素早く展開して戦いに間に合わせる機動性だ。
地平を焼きながら傾きゆく太陽の下、後塵を巻き上げてやってくる、異形の軍勢が既に見えていた。準備万端の陣地に真っ直ぐ突っ込んでくる。
人型をしたものも見えるが、壁に囲われた街に、破城鎚も持たず攻めてくるような連中だ。魔王軍のような戦略性は無い。
「魔物とは愚かなものにございますな。
人を超える力を持ちながら、こうして自ら破れに来るとは」
「奴らの頭には『戦術』も『戦略』も無い。せいぜいが『食欲』であろうよ」
陣奥の
「しかし何故、このように急に攻め寄せたのか……」
「理由などなんでもよい。
懸案を一つ、片付けることこそが肝要だ」
魔物の群れの姿は、もはや肉眼でもはっきり捉えられた。
先頭を駆けるのは、紅蓮の風を纏う巨人であった。
騎乗してすら居ないのに、馬より早くやってくる。
額には天を突くような角。振り乱した髪は赤く燃え、双眸は流星の如く軌跡を描く。隆々たる肉体に、竜の如き爪と牙。
「弓兵隊、構えぃ!」
敵の突撃の速度と、弓の有効射程を目測し、ジョエルは声を張り上げた。
陣の最前列を守るのは長槍兵だ。大盾で攻撃を防ぎつつ、壕と塀で足が止まった相手を仕留める。
その背後に弓兵隊が控えている。
ジョエルの号令一下、弓兵たちは曲射の構えを取った。前衛がぶつかり合う前に、弓で先制攻撃を仕掛け、相手の気勢を削ぐのが戦いの常道だ。これは、弓を撃ち返してこない魔物が相手なら、尚更有効であった。
「
そして、矢は飛ばなかった。
目も眩み、耳をつんざくような雷が落ちて、陣の前衛を吹き飛ばしたからだ。
「…………は?」
後方の高所から見下ろしていた騎士たちは、もちろん全てを見ることができた。
抉られた土砂と共に、兵が木っ端のように舞うのも。
焼け焦げた大地に積み重なる屍も。
風が吹いていた。
強く強く。
冬枯れた木の葉を巻き上げて、春よりも夏よりも熱い風が吹いていた。
炎が熾きた。
地より出でるかの如く火の粉が舞い、群れ集い、渦を巻く。
天地を繋ぐ炎の竜巻が、生まれた。いくつも。いくつも。
「な、なんだ!? なんの魔動兵器だ!?」
「障壁を張れ!」
繰機兵が、一抱えもあるような
すると多面体ダイスのような光の壁が生まれ、陣列を覆う屋根となった。
密集状態の陣列を狙った、魔法や大砲による攻撃を防ぐための結界障壁だ。
それは迫り来る炎の竜巻を、一時、押し戻す。
だがその間にも異形の軍勢は迫っているのだ。
最前列がガラ空きになった陣に、炎の巨人は躍り込む。
「か、囲め! あれが大将だ!」
両翼に控えていた騎士たちが、鎧付きの騎馬や騎獣を駆り、横方向への突撃を開始した。
これが
乗騎の重量で圧倒し、撫で切りにするのである。
「
巨人が咆えた。
逞しい腕が振り回され、突撃した騎馬が鷲づかみにされる。
そしてそれが持ち上げられたかと思うと、燃えながら地面に叩き付けられた。
「ぐは!」「ぎゃあっ!」
裸体を晒しているような外見なのに、刃も矢も、巨人の皮膚に通用せず。
そして巨人が腕を振るう度、騎士が握り潰され、鎧ごと両断され、火だるまで踏み潰された。
「そこまでだ!」
味方の屍を踏み越えて、遂に巨人に組み付く者あり。
逆手に剣を構えた騎士が、巨人の首を剣で貫く!
鮮血が舞い、巨体が揺らぐ。
そして、それだけだった。
「え……?」
肩車の要領で取り付く騎士を、巨人は引っ掴むと、軽々投げ飛ばす。
そして首に刺さった剣を、引き抜いた。
巨人に掴まれた剣は、赤熱し、焼きとかされ、グズグズと形を崩していた。
「がはっ!? な、なんで……」
「
そして、猛進!
もはや馬も騎士も無い。雷が爆ぜ、鳴動する大地に裂け目が生まれ、そこから火柱が湧き上がった。準備万端であったはずの防衛陣地は、最初から何も無かったかのように蹂躙された。
それも、突出した一体のみによって、である。後に続く軍勢はまだ何もしていない。いや、これからだ。後続の化け物どもは、塀をぶち壊し、壕を乗り越え、態勢を崩した陣列に襲いかかった。
「うわっ!」
魔法で作った即席の見張り塔みたいな櫓に、巨人が拳を叩き付けた。
その一撃で櫓はへし折れ、もろともに騎士たちは落下する。
ジョエルは鎧を着込んでいながら、傾いていく櫓を自ら飛び降り、その最中に剣を抜いた。
ジョエルとて騎士の血筋だ。貴族たちは魔法の才覚ある血筋を選り抜いて残している。そして幼少期よりの訓練で生体魔力の効率的活用を身体に覚えさせ、英雄の力を得る。
だがその力は怒れる巨人に全く通用しなかった。
ビンタ一発。それだけでジョエルの剣は巨人の手のひらにへし折られ、同時にジョエルの半身は潰れた。
「か、神のご加護を」
「
「やめて助けびっ!」
そしてジョエルは金属屑混じりの肉片と化した。
*
おそらく一撃目で絶命していたが、さらに二撃、三撃!
燃え上がる腕が騎士を叩き潰し、
人の軍勢は、何を敵に回して戦っているのか、ようやく理解しつつあった。
多少の手勢を率いて隠棲している、まつろわぬ魔族などではない。
天変であり、地異であると。
「……あら」
「心配無用だったのでは?」
生き残った兵と騎士は、もはや持ち場も放棄して、背後の街へ逃げていく。
ちょうどそこに、ディアドラを背負ったアリオンは行き会った。
「
アリオンの倍以上身長がある、燃えるように赤い肌の鬼……クルスビは、炎と硫黄の吐息を吐いて、牙を鳴らす。
「人よ!
最早、容赦はしない! 赤子の一人とて逃がさぬ! この地の人という人を
「やめとけバカ!」
ディアドラが、さっきまで左手に嵌められていた魔封じの手枷(アリオンが0.5秒で外した)を、咆え猛るクルスビに投げつけた。
金属塊を肩にぶつけられて、鬼はやっと、ディアドラの存在に気づいたようだった。
戦いの場は、急に静かになったように感じられた。
鬼はのしのしと、緩慢にも見える大股でこちらへやってくる。
ディアドラはアリオンの背中を降りて、歩こうとして、膝が崩れて、それをクルスビが丸太のような腕で抱き止めた。
「であどら」
「私は無事だから。ちょっと親切な人たちに助けてもらって、無事だから」
「その有様で無事と云うか」
「そりゃもう、誰かさんのお陰で腕を千切られるのには慣れてるからね」
軽口を叩き、ディアドラは、気丈に笑ってみせた。
脂汗で額に髪が張り付いていた。見上げた痩せ我慢だ。
「とーにーかーく! 街の中には私の妹も居るんだから。皆殺しはやめなさい!
でなきゃ、あんたのこと、ちゃんと嫌いになるわよ!」
「そうか。分かった。
では、
言うや、鬼の巨躯が燃え上がる。
だがその炎は、ディアドラの髪の毛一筋すら燃やすことなく、すぐに消え去った。
自ら燃え上がった鬼は、炎が収まったとき、もはや怪物ではなく、人とさして変わりない姿となっていた。
無欠の美貌を持つ、黒髪黒目の青年である。いや、外見的には青年と言って差し支えないであろう歳に見えるが、実態は異なるのだという奇妙な確信を抱かせる、何かがある。
この辺りの地方では余り見かけない、身体に巻き付けて帯で止める形式の服を着ていた。
鬼はぬいぐるみでも持ち上げるように軽々と、ディアドラを抱き上げた。
「クルスビ。助けに来てくれて、ありがと」
「己のものを壊していいのは、己だけだ」
「壊す気なの?」
「……いや」
二人の表情に浮かぶのは、ただただ、安堵だった。
失われそうだったものを、繋ぎ止めたことへの。
「なんか知らんが、丸く収まったって事で良いのか、こりゃ」
「多分」
いつの間にかカルビンが隣にいた。
どうにか脱出したらしい。実際、逃げるだけなら彼には容易いだろう。
「ああ、もう、人間はいつも滅茶苦茶するよ!」
「お
そこへ、転がるようにクロが駆けてきた。
……声を聞いてクロだと分かったが、姿は先程までと全く違う。直立した黒猫だ。
黒毛の
クルスビに抱えられたまま、ディアドラはクロと抱き合った。
「あなたも無事? ヴェロニカは?」
「薬を飲ませて安静にしてるわ。もう大丈夫だと思う」
「良かった……」
溜息をついて、それからクロは、壊れた陣地の脇の方を指差した。
「あー、お二方。
ちょっとしばらく、向こう側に避難しといた方がいいと思うよ」
「ん?」
「あ、はい」
訳も分からぬまま、アリオンとカルビンは、言われるままに動く。
一方クロは、陣地に放棄されていた大きな袋を引っ張り出して、兵の屍を詰め込み始めた。
「何してるの?」
「持って帰るの。大事な食材だもの」
全く普通のことみたいにクロが言うものだから、流石にディアドラも引きつった顔だった。
ふと気がつけば、先程までとは全く趣の異なる殺気が、辺りには満ちていた。
生き残った兵と騎士たちは、即席の出丸を抜け出して街へ逃げ去ろうとしている。
さっきまで仲間だったものの屍を踏み越え、半死半生で助けを求める者を跨いで。
それを見て、涎を垂らすものがある。
「目の前でこれだけ血が流れたら、もうみんな止まらないよ。
旦那様がダメって言うんだから、壁の中は襲わないけど、他はまあ、居合わせた以上はご愁傷様って事で」
「別に美味しくないのに、人を怖がらせるために食べてるんじゃなかったっけ」
「旦那様はそうだけど、私らは違うよ。
こんなご馳走、他には無いもの!」
黒猫は素敵な笑顔で言った。
そして異形の群れが、主の命令ではなく食欲によって、突撃を再開した。
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