<32>【LINK】英雄の奮起

 人は、たとえ罪人であっても、神の前で弁明と懺悔をする機会を与えられる。

 凶悪な殺人犯だろうと、裁くときは法に則った(時に面倒くさく、時間が掛かり、もどかしい)手続きをするのが文明人の振る舞いだ。

 もっとも、それは魔物に対しては適用されないルールだが。


「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」


 正義の怒りに熱狂する人々が、高らかに唱和する。


 夕闇迫る広場に、材木が組まれていた。

 まるでケーキか巨大な花みたいなそれは、古式ゆかしい火刑の舞台。

 縛り付けられた女の名はディアドラ。異形の右腕は肩で切られ、服の上から乱雑に包帯を巻いて申し訳程度の止血がされていた。焼く前に死なない程度の手当が。


 傷口から滴る血ばかりでなく、彼女の顔にはあざが浮かび、醜く晴れて血を流していた。

 観衆がどこからか石を持ってきて投げるのだ。

 そのほとんどは届かず、上手く届いても狙いを外していたが、いくつかはディアドラの顔にぶち当たった。


「この女・ディアドラは“谷底の魔物”と結託し、街に魔物を引き入れ!

 罪無き人々を殺した、おぞましく悪しき魔族である!

 よって我らは! カザルム候グラル様と、開拓地総督ジョエル様の名の下に、死罰を下す!!」

「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」


 作法も何も無い、勇ましいばかりの死刑宣告に、歓声が一気に盛り上がった。


 死刑は本来、忌み仕事だ。専属の執行人が差別と共に請け負う。

 だが魔物の討伐は栄誉ある仕事だ。騎士たちが鎗と松明を持ち、控えていた。


「そして聞け! 我らカザルム候軍、もはや“谷底の魔物”に勝手はさせぬ!

 間もなく我らの剣が、この地に安寧をもたらすであろう!

 その証として……」


 鎗を向けられても、ディアドラは無言。

 恐れるそぶりも見せぬ。

 荒い息をついて痛みに耐えながら、時折、傾きゆく太陽の方に目をやっていた。


「その処刑に異議がある!!」


 熱狂的な歓声も、勿体ぶった口上も、全てが刈り取られた。


 カルビンの雄叫びが轟いて、瞬間、辺りは水を打ったように静まりかえる。

 冷たく灼けた風が吹き付けていた。


「あいつ、カルビンじゃねえか」

「“魔物飼い”のカルビンだ……」


 鍬を担ぎ、腰に鎌を提げ、カルビンが歩み進めると、処刑場に集まった観衆は潮が引くように道を空けた。

 誰もが呆気にとられていた。騎士たちや、縛られたディアドラさえ。


「街に押し寄せてきたのは西の森の魔物だ。

 俺が留守にしてたもんで街まで来ちまったんだ。

 要は、ただの大暴走スタンピードだよ。そいつは関係ねえ」

「嘘をつけ!」「あの女のせいだ!」「何故庇う!」


 自分が見てきたままを述べた、カルビンの弁護は全く聞き入れられず、観衆は一気に噴火した。


「こいつも処刑しちまえ!

 どうせ魔物の一味だ!」


 中にはカルビンに石をぶん投げる者もあった。

 自分に向けて投じられた石を、カルビンは手のひらで受け止めて掴み取り、親指を捻じ込んで握り砕いた。


「ひっ!」


 カルビンに睨まれた石投げ男と周囲の者たちは、一斉に仰け反り腰を抜かした。


「だいたいよォ、その女、妹を救う金と引き換えに魔物の生け贄になったそうじゃねえか。

 ところが、その妹の手にゃ銅貨一枚届いちゃいねえ!

 道理が通らねえと思わねえかよ! なあ!」

「捕らえろ」


 既にカルビンは処刑台のすぐ前、ディアドラのまつげが数えられる距離まで来ていた。


 一際偉そうな騎士が命ずると、居並ぶ騎士たちと観衆の整理に当たっていた衛兵が、剣と槍をカルビンに向ける。


「やるしかねえのか。

 ……死にたくねえなら下がってくれ!」


 衛兵たちが一斉に短鎗を突きかかる。

 武装した相手には、峰打ちのお慈悲も無い。


 カルビンは鍬を両手で構え、刃の背を向けてフルスイングした。刃を立てなかったのは、犠牲者が刃に突き刺さってしまうと次の動作がワンテンポ遅れるからだ。

 四人の衛兵がまとめて薙ぎ倒される!


 同時、騎士たちが拘束用のアイテムを投じる。

 蛇鎖。そして『粘着爆弾スライムボム』だ。これらは魔物相手でも使えるアイテム。まして人が相手なら効果絶大である。


 カルビンは走る。一瞬前までカルビンが居た場所に粘着爆弾スライムボムが炸裂した。緑白色の粘液がべっとりと広がる。大げさに回避しないと巻き取られ、足を封じられていただろう。

 そのカルビンに、宙を泳ぐ蛇鎖が追い縋った。腰に提げていた鎌を抜き、柄を振って巻き取る。蛇鎖は勝手に相手を追って巻き付くアイテムだが、鎖そのものに知能は無いのだから単純な動きしかしない。カルビンはこのアイテムを一度使ったことがある。動きの特性は分かっていた。


 鎌に巻き付いた蛇鎖の片端を持ち、カルビンはそれを振り回す!

 即席の鎖鎌だ。黒蛇鞭のような不規則な動きで刃が飛んだ。

 その鎖は騎士の首に絡みつき、鎌の先端がさっくりと兜を貫いた。カルビンが手首を返すと、鎌は引き戻され、手に収まる。


「おのれ、こいつっ!」

「閉じ込めるぞ!」


 騎士が魔法の杖を振るった。


 途端、足下から伝わる振動。

 敷石が檻のようにせり上がり始めていた。

 土や石の形を変える≪石工術メーソンリー≫という魔法がある。それを誰でも使えるようになるマジックアイテム『ノームの左手の杖』だ。


 地形を変えて捕らえる気だ。

 察した瞬間にカルビンは、盛り上がりかけた石の壁に鍬を叩き付けて耕し、穴をこじ開け駆け抜けた。


「貴様!」


 完全武装とは思えぬ鋭さ、素早さで、騎士が踏み込み剣を振るう。

 カルビンは左手の鎌の関節部で剣を絡め取り、鋭く払う。騎士の手から剣がもぎ取られて転がった。そして前蹴り一発、蹴倒し、右手の鍬を振り下ろす!


「ぎゃっ!」


 その鍬の刃は、重厚な騎士鎧をさっくり貫いた。柄を蹴り上げ、引き抜いた。

 蘇生の望みがあるよう、せめて綺麗に殺す!


 そこで、首の後ろの産毛が逆立つような感覚。


 ――魔法か!


 誰かが自分を魔法で狙っている。

 特有の感覚だ。

 構えを崩さぬまま鋭く周囲に目配せをする。

 いつの間にか広場を見下ろす屋根の上に、軽装の騎士がよじ登っていた。剣ではなく魔法の杖を持っている。術師だ。


 屋根上の騎士が魔法を使おうとした瞬間、黒い影が背後に立ち、手刀一閃。

 気を失った騎士は体勢を崩し、真っ逆さまに転げ落ちた。


「クソが! タダ働きだ!!」


 騎士を叩き落とした黒衣の影は、その後を追うように飛び降りて、足音も立てずに軟着地。

 そのままカルビンと背を合わせた。

 覆面で顔を隠しているが、アリオンだ。


「俺一人でいいって言ったのに」

「放っておけませんよ。

 それに、とっくに引き受けた仕事です」


 会話をしながらも二人は舞うように戦う。

 緊急招集の呼び子に誘われ、街中から衛兵が集まりつつあった。とは言えこちらは、装備も練度も騎士に遠く及ばぬ。鍬の一振りで剣も短鎗もへし折られ、直撃を受けた者は天を舞い、呑気に見物していた観衆に飛び込んで押しつぶした。


「鍬や鎌で、よくそこまで」

「冒険者を引退するとき、剣は鎌に、鎧は鍬に作り替えてもらった。

 たぶんこの世にまたと無い、アダマンタイトの農具だ。

 鍛冶屋は血の涙を流してたがよ、魂預ける道具とは、どこまでも一緒に居てえもんだろ!」


 カルビンの持つ鍬と鎌は、深い青色だった。

 普通、鍬や鎌は刃の部分だけが金属製だが、カルビンの持つこれは違う。刃と柄が完全に一体化しており、持ち手まで総アダマント製だ。

 重すぎて本来、農具にすら向かないが、カルビンはこれを片手で軽々操れる。


「なるべく暴れる。そっちは任せた」

「了解です」


 アリオンは、手の全ての指の間に投げナイフを挟んでいた。その八本のナイフを彼は一斉にばら撒く。狙いを外したかと思ったが、あるナイフは雷を放ち、あるナイフは爆発した。どれもこれもマジックアイテムだ。

 立ち会う相手は増えていたが、統制は崩れている。頭数だけの包囲に穴が空く。


「どらあ!」


 カルビンは嵐となった。

 懐の防御を捨て、鎖鎌と鍬を全周囲に振り回す。刃のかすめた敷石が割れた。

 武器の射程となる球状の殺界に入ったもの全て、切り刻み叩き壊し挽き潰す! 迂闊に突き出された短鎗はへし折れた。

 衛兵たちは徐々に、遠巻きに様子見をするだけになり始めていた。彼らは所詮、役人だ。騎士たちと比べれば戦いへの覚悟も脆い。殉職の覚悟など何人が固めているだろうか。


 そこでアリオンは間隙を駆け抜ける。

 宙に身を躍らせ、架台に飛び乗ると同時、ディアドラの手足を縛るロープを断ち切る。

 そして、崩れ落ちる身体を抱き留めた。


「あんたは……?」

「味方です、落ち着いてください」

「マヨヒガへ……私を連れてって……」


 絶え絶えの息の切れ間、譫言のようにディアドラは囁いた。


アヤカシたちが、私を取り返しに来てる……

 領主軍がそれを待ち受けてるんだ……!」

「アヤカシ……?」


 ディアドラは少しずつ傾き、夕日と変じつつある太陽の方を見ていた。

 つまり、西を。

 そちらにはカルビンの封じていた森だけではなく、物騒な谷間が存在する。


 あれだけの騎士が戦って、街に入り込んだ魔物を討伐したというのに、処刑場に居た騎士の数は僅かだ。では、残りの者たちは?

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