<31>【LINK】正義とは

 バートレットは無事だった。


「なんか余計な面倒になっちまったみたいで済まねえ」

「構わぬ、かたじけない」


 工房アトリエの前に辿り着いたとき、そこに数頭の魔物の死骸が積み上がっているのを見て、心配無用だったのだとカルビンは察した。

 あのメイド姿の助手、妙な雰囲気だと思ってはいたが、まさか戦闘能力を備えたゴーレムだったとは。


 本棚と薬棚に囲まれたバートレットの工房アトリエは、小さな子どもでも(つまり、バートレットでも)問題無く使えるよう、あちこちに踏み台やハシゴが付けられていた。

 腕から武器を生やしたメイドゴーレムに表を見張らせ、バートレットは魔法薬ポーションを調合しているところだった。今まさにポーションの需要が生み出されているところだ、このポーション一服が一人の命を救うことだろう。


「今度はプリムとティアーナを隠して、どうにか街から出なきゃあならんな」

「まあ、街から出るだけならどうにかなりますよ。

 入るよりは大分簡単です」

「魔物はじき、片付くじゃろ。ちょうど“谷底の魔物”を討伐するための領主軍が来ておるところじゃ。

 わらわは、薬の用意が済んだら外を回ってくる。怪我人を……」

「皆様、何者かがこちらへ参ります」


 じっと外を警戒していたメイドゴーレムが声を上げ、カルビンは即座にアルラウネたちを奥に隠した。


「急患だ!」


 扉を蹴破るほどの勢いで飛び込んできたのは、エキゾチックな黒髪の若い女だった。

 彼女は肩に、息も絶え絶えの病人を担いでいる。


 バートレットの専門は薬品調合だが、工房アトリエには診療設備も整えられていた。

 何故か下着姿の上に外套を被っただけの病人は、すぐに診察台へ寝かされる。


「まともに食事も薬も取ってないみたいなんだ」

「脱水の気があります」

「飲ませても吐きかねんな。レイブン、注射の準備を」


 病人。病人である、魔物に襲われた怪我人ではない。

 よりによって、街が魔物に襲われている中で担ぎ込まれたのだから、何か訳ありだと考えるには十分だ。


「……金ならある。この子を助けてくれ」

「こいつぁ小判コバンだな。東方の金貨だ」


 黒髪の女は珍しい楕円形の金貨を取り出し、それをバートレットに押しつけた。

 病人が訳ありなら、それを運んできた女も訳ありだ。


「なあ、よう。

 この子は人間だが、あんたは魔物だろ。どういう風の吹き回しだ?」

「魔物……魔物ね。

 こっちの人らは本当に、なんでも魔物って呼ぶなあ。

 ま、人じゃないってのは大当たりよ」


 人ならざる者の気配を、確かにカルビンは察していた。

 黒髪の女は力無く笑う。


 バートレットが処置をする間、彼女は事情を説明した。

 彼女は、クロと名乗った。

 あの“谷底の魔物”の家臣だと。


 “谷底の魔物”に贄として差し出された娘、ディアドラが生き延びたこと。

 彼女が密かに妹に会いに来たところ、酷い目に遭っていたこと。

 そして、魔物と間違われ、騎士団に狙われたこと。クロはディアドラに乞われ、ヴェロニカを救うべく逃げたこと……


「それで仕方なくここに逃げ込んだんだ。

 どうも、人じゃないものの気配ニオイがしたんでね」


 人ではないもの。確かに居る。

 助手のメイドゴーレムではなく、カルビンが連れてきたアルラウネたちのことだ。

 こちらもこちらで人ならぬ気配を察したのか、プリムとティアーナは奥の部屋からひょっこり顔を出して、心持ち心配そうに様子を伺っていた。


「アタシを領主軍に突き出すかい?」

「何故そんなことをする必要がある」

「……ありがとうよ」


 バートレットは事もなげに、クロに言う。

 損得や自分の安全ではなく、それが正義にかなうと彼女は信じたのだろう。

 その純粋さがまぶしかった。


「なあ、谷底の魔物ってのは、なんなんだ」

「旦那様は旦那様よ。

 ……人がここに街を作るなら、勝手にすればいい。アタシらも勝手にするから。人には関わらないようにするよ。旦那様がそのおつもりなんだから。

 でも領主様は、自分たちは勝手したいけど、アタシらの勝手は許さないみたいね」


 クロは力無く、肩をすくめた。


 古いことわざに、子を見れば親が分かる、兵を見れば主が分かると言う。

 クロの言葉を鵜呑みにはできないが、カルビンは“谷底の魔物”がどれほど邪悪やら、確信が持てなくなっていた。彼女は我が身を省みず、人を救おうとしたのだ。


 * * *


 やがてまた、鐘が鳴った。不安を煽る早鳴らしではなく、清澄に三度。

 街を襲った魔物は打ち払われたのだ、と告げる鐘だ。街壁の鐘は、つき方によって、街が置かれた状況を市民に伝える。みんな、生まれたときからそれを聞き分けているのだ。


 安全になったと見るや、バートレットは薬を持って出ていった。

 そして小一時間した頃、カラッポの籠を持って帰ってきた。


「一回りしてきたが、酷い騒ぎじゃ。

 ……領主軍が、ディアドラなる娘を処刑すると触れ回っておる」

「はあ!?」


 昏々と眠るヴェロニカに付き添っていたクロは、怒りと驚きの入り交じる、火を噴くような声を上げた。


「どうして!」

「“谷底の魔物”に喰われたはずの娘が戻ってきたのじゃぞ。最初から結託しておっただのと言われておる。

 そして魔物の手下を率いて、街を襲ったと」

「ふざけんな。

 街を襲ったのは、俺が相手してた西の森の魔物どもじゃねえか」

「……今回は街の者にも被害が出た。

 悪者を吊し上げなければ民心も収まらないという判断でしょう」

「旗色が悪いね……

 ヴェロニカを守るためだったと言え、ディアドラが一人殺してるのは事実なんだ」


 領主軍に捕まったその場でディアドラが殺されなかったのは幸いだが、その次くらいに悪い状況だ。


 不幸なことに、領主軍の勘違いには説得力がある。“谷底の魔物”と仲良くなってディアドラが生き延びたのは事実だ。

 魔物が襲ってくるタイミングで街に来たのは偶然だが、とにかくタイミングが悪い。おまけに片腕が魔物のものと化しているのでは。


「……くそっ。

 俺の責任じゃねえけど、俺が原因か」


 カルビンは拳を握りしめていた。

 西の森の魔物どもを大人しくさせるため、攻撃を仕掛けたから。

 アルラウネたちを救うために、家を留守にしたから。

 それが最悪のタイミングで爆発した。


 だからなんだ。無関係な話ではないか。

 人と人は繋がり、誰かが成したことは世界のどこかで、思いも寄らぬ形で花を咲かす。

 因果の糸を辿りすぎたら、自分は間接的に毎日誰かを殺しているとさえ言える。

 そんなことを気にしてどうする。


 と。

 切り捨てられぬものも、ある。

 それは、意地だった。


「ヴェロニカの話も聞いたがの、まあ酷いもんじゃ。

 約束の金は入らず、周囲の者の慈悲に縋って生きておったようじゃが、長続きせんかったと。

 ディアドラとやらの身代わりで助かったのは、領主の娘であって、街の者ではないからのう」


 冒険者は神ではない。

 だから、この世の全ての調律ではなく、関わってしまった目の前の一人のための正義を許される。

 それこそが英雄譚エピックだ。


「身体強化系のポーションを一瓶、売ってくれたら恩に着る。

 使い道は聞くな、あんたにゃ関わりねえこった」

「ぬし……」

「こちとら、捨てるほどの名も持ち合わせちゃいねえからな。

 こいつは俺の仕事だ」


 たとえ、誰が理解せずとも。

 その正義の帰結として、人の世の理に背くとしても。


「もし俺が戻らなかったら、プリムとティアーナを頼む」

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