<30>【LINK】怒り

「あら、鐘が止んだ」

「片付いたみたいね」


 襲撃を告げる鐘がぶっつりと途絶えたとき、ディアドラとおくろは丁度、集合住宅の階段を上っているところだった。

 継ぎ目の無い泥岩のような壁と床は、魔法で土を練り固めた安普請の特徴だ。もちろん昇降機も無いので高層階ほど家賃が安い。


 階段で何人かの住人や、水瓶を担いだ水売りなどと擦れ違ったが、彼らは鐘が鳴っているうちからのんびり歩いていて、別にどこかへ避難するという様子でもなかった。廊下では中年の女たちが立ち話に花を咲かせている。


「みんな逞しいわねえ。魔物が来てるってのに」

「ここは特別よ。

 新しく拓かれた土地だから、まだまだ街の近くにしょっちゅう魔物が出るの。でも、それだけ防衛体制も手厚いからね。みんな慣れてるワケ」


 ディアドラが開拓都市で暮らしたのはごく短期間だが、襲撃の鐘が毎日のように鳴ることと、それで人々が動じないのは驚いた。

 実のところ襲撃の鐘はあくまで警戒を呼びかけるものだから、魔物が街の周りに見えただけで鳴るものだ。その場合、街の周囲に居た者は壁の中に避難し、魔物は衛兵や冒険者に倒されて終わりだ。その度に街の者全てが避難し、備えていては生活にすら差し支える。


 対処可能な範囲で魔物がやってくるのは、むしろ良いことだった。今のところ開拓地では、魔物の死骸が最も金になる産品だからだ。


「……」

「緊張してる?」

「そりゃそうよ」


 階段を上るにつれてディアドラは、喉が腫れたかのように言葉が詰まって、何も言えなくなっていた。

 開拓農村から街へ引っ越すのを手伝って、そしてそれっきり、別れた。もう今生の別れだと思っていた、ただ一人の肉親だ。


「ちゃんと薬を飲んで、少しでも元気になってるかな。

 ……あと、私を見て心臓止まらなきゃ良いけど」

「んふふ、そりゃ心配だわね」


 ディアドラの命に対する恩給だけで一生食うに困らぬはずだが、贅沢ができるほどでもないので、彼女は安い公営住宅に住んでいる。

 その節約の分、薬を買えていれば、少しは良くなっているはずだと信じたい。


 四階の端の部屋の前で、ディアドラは深呼吸する。

 そしてそれから、ノックした。

 返事は無かった。


 出かけているか、寝ているのか。

 ふと、部屋の中で倒れているヴェロニカの姿を想像し、思わずディアドラはドアに手を伸ばした。

 扉は、開いた。


「鍵が開いてる。

 そんな不用心な……」


 そしてディアドラが扉を開けた瞬間だった。


「てっめぇいい加減にしやがれ!」


 叩き付けるように乱暴な胴間声が、部屋の中から飛んできた。


「ケヒュッ、ケホッ……ゼェ、ゼェ……」

「咳がうるせえんだよ! 息止めて舐めろや、なあ!」


 下着姿のヴェロニカは、馬乗りになる男によって、ベッドに組み伏せられていた。

 むせかえり、苦しげな息をしているのは、男の手で喉輪をされているからでもなさそうだ。元々細かったのに、ディアドラが最後に見たときよりも二回りは痩せて見え、肌は血色悪く顔だけが赤い。


「おい、誰がてめぇの面倒見てると思ってんだ。

 その服一枚売れなかったら、明日食う飯どころか、今日飲む水もねえんだろぁ?」

「あ、ぐ、うう……ごめ……なさ……」

「こいつは引取料だ、公正な取引ってやつだぜ!

 なぁよ、もっと気合い入れて……」


 いつ風呂に入ったか分からぬほど不潔な男は、下を履いていなかった。

 そのみっともない姿のままヴェロニカを怒鳴りつけていたが、ようやく、部屋に入ってきた女二人に気づいた様子。


「あ? 誰だ、てめぇら?」


 ディアドラの右腕が赤熱した。


 集合住宅の一角、四階の角部屋が爆発した。

 砕けた壁が瓦礫となって、焼け焦げた肉片と共に通りに降り注いだ。


 辺りが騒然となり、周囲の部屋からおっかなびっくり覗く顔がある中、ディアドラはヴェロニカを肩に担いで走り出す。


「そいつは旦那様の火術じゃないか!」

「なんかできたんだけどどうなってんの!?」

「たぶん腕のせいよ!」

「腕!?」


 いくらヴェロニカが軽いと言ったって、軽々と担いで走れるのもおかしい。

 ふと気がつけばディアドラの右腕は、左腕よりも長く逞しく、岩をも貫く爪を持つ、真っ赤な巨腕と化していた。


荒間牙あらまがは旦那様がご自身の血から作られた式鬼しきなんだ。

 そいつの腕ってことは、旦那様の腕も同じだよ」


 ディアドラはマヨヒガにやってきた日、来栖火くるすびに右腕を千切られて、よく分からぬうちに代わりの腕を接がれた。

 外見的にはそれで元通りだったが、やはり何か得体の知れぬものであったようだ。


「……お……姉ちゃん……?」

「一人にしてごめんよ、ヴェロニカ。

 今、医者に連れてってやる」


 絶え絶えの息の中でヴェロニカが、ディアドラを呼んだ。

 肩から伝わる彼女の体温は、燃えるように感じた。どれほど辛いだろう。


 ディアドラが階段を駆け下りて通りに出たところで、唐突に、早鐘が打ち鳴らされた。


「また鐘が鳴り出した……」


 一度は止んだはずの襲撃の鐘だ。しかも妙なことに、デタラメな速度で早鳴らしされている。街中への魔物出現を告げているのだ。


 何が起こったか推測するのであれば……街外周の警戒に当たる門塔が、押し寄せる魔物によってあまりに迅速に制圧されたために、侵入を告げる間もないまま、警戒の鐘が一旦途絶えてしまったのだろう。


「待ってディアドラ、血のニオイがする!」


 おくろが言うのとほぼ同時に、驚くほど近くから悲鳴が聞こえた。

 薙ぎ倒され、引き裂かれた人々が断末魔の叫びを上げたのだ。


「ゴアアアアア!!」

「魔物!?」


 鋭い爪と牙を持つ巨大なトカゲが、トマトでも挽きつぶすみたいに、道行く人々を引き裂いているところだった。

 食料を得る狩猟ではなく、人を殺す喜悦に、その目は爛々と輝いている。


「邪魔すんなぁっ!」


 こいつがどれほど強い魔物だろうと、薙ぎ払って進むより他に無し。

 ディアドラはヴェロニカを左肩に担ぎ直すと、右腕一閃。鬼の爪は魔物のウロコをものともせずに切り裂き、魔物の残骸は燃え上がった。


「街は守られてるんじゃなかったの?」

「今日は違ったみたいね。

 街の東側へ向かうわよ!」


 街のどちら側に魔物が出たか、最初の鐘のつき方で示される。

 魔物は西から来ていたはずだ。なら街に侵入されたとしても、中心部や東側はまだ安全な可能性が高い。

 とにかくヴェロニカを安全な場所に運ばなければと、ディアドラはその一心だった。


「ゴアアア!」

「グルルルル……」


 大通りはもうパニック状態だった。

 牛でも丸呑みに出来そうな大蛇だの、翼の生えた虎だのが、手当たり次第に人を殺しながら迫ってくる。

 居合わせてしまった人々は、そこから少しでも逃げようと走り回るので、ぶつかり合い、他人を蹴倒し、踏みつけていくような惨状だった。


 そこに突如、白銀の横槍が入る。

 煌びやかな鎧を身につけた一団が魔物に打ちかかり、瞬く間に一匹を仕留めたのだ。


「魔物どもを打ち払え!

 突撃ぃーっ!」


 騎士たちだ。

 鎧の上に被ったサーコートは、彼らがカザルム侯爵家の家臣団であることを示している。


「冒険者……じゃない、領主軍だわ。助かった!」


 何故こんな所に完全武装の騎士団が居るか。開拓都市が襲われたのを察知して内地から駆けつけたにしては早すぎるが、とにかく、助かったとディアドラは思った。


 だが直後、ディアドラの足下に投げ槍が突き立ち、騎士たちはディアドラを包囲して剣を突きつけた。


「そこの魔族に告ぐ!

 武器を捨て、その娘を解放せよ。

 さもなくば神の剣が貴様を貫くだろう!」

「バカ! 民間人よ私!」


 異形の右腕のせいで、説得力はゼロどころかマイナスだ。

 人型の化け物が無力な娘を攫っている絵面にしか見えないだろう。

 そして街全体が危機に晒されている今、騎士団は戦いの場で悠長に話し合ってなどくれない。


「チッ」


 おくろが舌打ちして、呪文を書き付けた札を取り出し、それを地面に叩き付けた。

 途端それらは影絵のような、真っ黒で巨大な折り紙オリガミドラゴンと化し、騎士たちに襲いかかる。幻術だ。


「うわっ!」


 騎士たちが怯んだ隙に二人は包囲を抜け出した。


「こっちよ、早く!」


 おくろが先導する。

 ディアドラは建物の狭間に逃げ込もうとするが、その瞬間、何かに足を掴まれて盛大に突っ伏した。担いでいたヴェロニカが石畳に転がった。


「つあっ!」


 足が動かない。

 何事かと見やれば、白銀の鎖がしっかりと巻き付いて、動けぬように縛り上げていた。


 ――蛇鎖!?


 投げつけると勝手に宙を泳いで絡みつき、相手の動きを封じるマジックアイテムだ。

 強力な魔獣にすら通じる逸品である。


「ディアドラ!」

「ヴェロニカをお願い!

 逃げて!」


 おくろは一瞬、逡巡した。

 だが腹を括った様子でヴェロニカを拾い上げると、まさに猫と言うべき恐るべき身軽さで駆けだし、姿を消した。


 残されたディアドラは、右の巨腕でどうにか、足を縛る鎖を引き千切ろうとしていた。

 鉄靴サバトンの音が迫る方が早かった。


 *


「私たちはボランティアが大好きです」

「私たちは健康です」

「グルルアアアアア!」


 暴れ狂う魔物どもは、逃げ惑う市民を、にこやかに奉仕作業する謎の男たちを、次々挽肉に変えていく。


 そこに飛びかかり、カルビンはクワを一撃。


「ギャン!」


 狙い違わぬ一撃で頭をかち割られ、テラーリザードは痙攣して息絶えた。


「くっそ、数が多い。こんなに魔物が居やがったのか」

「幸いなのは、ちょうど領主軍が来ていることですね」

「バートレットの工房アトリエは、こっちでいいんだな?」

「はい」

「無事で居てくれよ……」


 カルビンたちは破られた西門を抜け、市街を突っ切るところだった。

 状況は不明瞭だが、壁が破られた以上は、街が更地にされる危険すらある。せめてバートレットを守らねばと、カルビンは街への侵入を決意した。

 バートレットは、プリムとティアーナの命の恩人だ。恩人の危機に駆けつけねばなんとする。


「うわあああああ!」

「っと!?」


 その足下に転がってきた男が一人。


「お前は……」


 視線が交錯する。

 鎧ごと腹部を引き裂かれる傷を負い、血まみれになった男だった。


 ボルド。

 神殿で剣を振り回したとかでウールスに居られなくなり、パーティーメンバーにも見放され、開拓地で魔物退治人の仕事にありついた男。

 喝采を求めて法を破り、英雄となり、そして。


「た、たっ、助けてくれえええええ!!」


 建物の影からのっそりと、針山みたいに硬い毛皮を持つ大イノシシが姿を現した。

 一抱えもあるようなサイズの、血に染まった鋭い牙は、どう見ても草食動物のそれではない。


 大イノシシの蹄が、石畳を割った。

 もはや足が使えないボルドは這いずって逃げようとしつつ、身も世も無い様子で、涙ながらに助けを求める。


 カルビンは鍬と鎌を担いだまま、ちらりと背後の二人を見やる。

 目立たぬよう、フード付きの外套を着込んでいるプリムとティアーナを。


「野に在る英雄、冒険者……ああ、やっぱ俺には向いてなかったんだ」


 カルビンは溜息をつく。

 冒険者でなくなった今も、せめて模範的な冒険者の姿を演じようとしてきた。

 自分の間違いは人の心を掴めなかったことだけで、他は全て完璧だったのだと、証明したくて。意地だったのかも知れない。

 無為であった。


 頭をかち割れば魔物は死ぬ。

 どころかカルビンが脅すだけで、魔物は逃げていくだろう。

 だが。


「お前を助ける気にならねえ」

「ぎゃあああああ!!」


 大牙がボルドを引き裂き、臓腑を潰して骨を噛み砕いた。

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