<29>【LINK】大暴走

 その翌朝。

 谷底の『マヨヒガ』にて。


「ヴェロニカに……妹に、手紙とか出せないかな。私はどうにかやってますって。

 私が生きてるって領主様にバレたら、金返せって言われそうだから、堂々とはやれないけどさ」


 ディアドラはコタツに入り、突っ伏して寝転んでいた。

 先程から身動きができない。腰の上で黒猫が丸くなっているからだ。


「なんだ、それなら会いに行けば良かろう」

「……え!? いいの!? できるの!?」

「人は、獣よりもなお鈍い。

 装いを変えれば貴様だと気づくまい」


 あんまり簡単に来栖火くるすびが言ったものだから、ディアドラは跳ね起きてしまいそうになった。なんとなく、この『マヨヒガ』は一度入ったら出られない場所のようにディアドラは思っていた。


 無理やりに身をよじって隣の来栖火くるすびの方を見る。彼は人界の書物を色々と読んで、人について学んでいるところだった。今は『海底イルカ帝国の野望』とかいう荒唐無稽な冒険小説を読んでいる。これで人の何が分かるのかは若干疑問だ。


おれがここを離れるわけにはいかぬが……

 おくろ

「はいはい、かしこまりぃ」 


 黒猫がコタツに潜り込んだかと思うと、別の面から、獣人の姿のおくろが這い出してきた。


「アタシが付いてけばよろしゅうございましょう」

「逃げないように監視するわけ?」

「その必要は無かろう。お前は戻るさ」

「こいつ……」


 あんまり当然のように来栖火くるすびが言うものだから、いっそ本気で逃げてやろうかとディアドラは一瞬思った。

 もちろん、そんなことはしないけれど。


 * * *


 何をどうしたかは分からないが、おくろの案内で森を進むと、人食いの化け物に遭うことも無く、あっさり外に出た。

 森の外には、誰かが用意した様子も無いのに、巨大な狼が二頭待っていた。ディアドラたちが乗り込むと、既に行き先を心得ている様子で、狼たちは走り出す。


 ディアドラとおくろは、いかにも開拓地の農民らしいくたびれた外套と作業着を身につけていた。

 黎は、どんな魔法で化けたのか知らないが、人間同然の姿となっていた。ツノと二本目の尻尾を隠せば獣人と言って押し通せそうだが、まだ開拓地に獣人は珍しいのだ。それでは目立ってしまう。


 開拓都市の街壁が見え始めたところで、二人は狼から降りて、後は歩くことにした。

 都市の衛星農村は、ギリギリ歩いて行き来できる程度の距離にあるものだ。歩いて街に入るのは別におかしくない。


 そこでおくろは、この季節にどこから手に入れてきたのか、青々と色づいた瑞々しい木の葉を二枚取り出した。


「何? その葉っぱ」

「狐たちに教えてもらった、まやかしの術よ」


 おくろが手の上に木の葉を置いて擦り合わせると、なんとびっくり。木の葉ではなく、首掛け紐を付けたカードが二枚、そこにあった。


「はい、入市証」

「わお」


 開拓地には既に、結構な数の開拓民が送り込まれている。

 街の門番も、とても全員の顔を覚えてはいられない。

 入市証さえ用意すれば、確かに十分誤魔化せるだろう。


「なんとも、上手いやり方を心得てるのね」

「これでも昔は、人に飼われて、人の街に住んでたから」


 おくろは得意げだった。

 そう言えば、彼女は元々、普通の猫だったのだと来栖火くるすびも言っていた。普通の猫だった頃に人の街を見て、それを誑かす術を覚えたわけだ。


「飼い猫だったんだ」

「可愛くて優しいばあちゃんに世話してもらってね。

 でもすぐに死んじゃったよ、ばあちゃん。悲しいね。アタシが長生きしてどうすんのよ……」


 どれほど悲しいやらも分からぬ、軽い調子でおくろは言った。

 気遣いだったのかも知れない。話を聞くディアドラに、そんな重いものを背負わせたくない、という。


「家族と呼びたい相手が居るなら、大事にしなよ」

「そりゃもう。

 妹のためでなきゃ、誰が鬼の嫁贄なんかになるんですかって話」

「あははは、そりゃそうか!」


 ケラケラと、おくろは膝を叩いて笑った。


「東に居た頃はさ、鬼も人の祭に勝手に混ざったりしたもんよ。みんな酒飲んでて誰が誰だか分かんないんだもん。

 その時はアタシが手引きしたんだぁ」

「へえぇ。

 こっちではやらないの?」

「どうも空気が合わないからね。

 東の人は……うん、外人嫌いは多いけど、アヤカシは身内だったからさ……」


 おくろの言葉に被せるように、そこで突然、鐘が鳴る。

 神殿の鐘が時を告げるのとは違う、不安を煽る早鳴らしだ。


「これって……」

「魔物が出たみたいね」


 街に向かってくる魔物の群れが確認されたとき、状況を告げる鐘であった。打ち方からすると、街に魔物が到達するまで、あと10分はあるだろう。

 この合図で衛兵隊や当番の冒険者が戦闘配置につき、街の周囲に居た者たちは壁の中に逃げ込むことになるのだ。


 遠目に見える門前で、人々の動きがせわしなくなった。

 入門の手続きを待っていた人々が、門塔に緊急収容されているのだ。


「丁度いいじゃない。今なら門番も急いでくれるから、余計な話は聞かれないでしょ」

「まあね」


 相手が若い女と見ると、何かと理由を付けてネチネチと話を引き延ばす門卒が居るものだ。

 ディアドラはそういう輩のあしらい方も心得ているが、面倒は少ない方が良い。緊急時となれば手続きも、雑に素早くなるだろう。

 急を告げる鐘が鳴る中、二人はむしろ、意気揚々と街へ向かっていった。


 *


 開拓都市レンブルの、西門前。

 石のかまくらみたいな門前宿の一室にて。


「この鐘……魔物が出たか」


 当然ながらカルビンも鐘の音を聞いていた。


 宿のオヤジが廊下を駆けてきて、客室を片っ端から検めていく。

 カルビンがまだ部屋に居るのを見て、彼は血相を変えて叫んだ。


「鐘が聞こえたか!? 門の内側へ避難しろ! ここも安全じゃねえ!」

「ああ、今行く」


 そして自らも避難するため、宿のオヤジは慌ただしく去って行く。

 もちろんカルビンは不動であった。


「……流石に二人を入れては貰えねえよな」


 プリムやティアーナは人の形だが、よく見れば明らかに人ではない。

 飼育御免状も、もはや意味があるか怪しいだろう。まず門卒が信頼できるか。

 そもそも飼育許可は、地面に植わった妖姫花アルラウネに対するもので、切り離されて自由に動けるようになっためしべたちは法的にも別物の扱いだろう。


「カルビン」


 ティアーナが何か言おうとした瞬間、丁度プリムがカルビンに声を掛けたので、それでティアーナはふくれっ面になった。


「かってにしゃべるな!」

「わたしとちがうこと、かんがえるな!」

「どうどう」


 プリムとティアーナはペチペチひっぱたき合う。

 昨日からずっと、二人はこの調子だった。

 取っ組み合う二人をカルビンは引き剥がした。


「カルビン、しんぱい」

「カルビン、だいじょうぶ?」

「心配すんな、大丈夫だ。

 じっとしてな」


 街の中には逃げられない。

 ならばここでプリムとティアーナを守るだけだ。

 カルビンはくわと鎌を担ぎ、部屋を出た。


 門前宿は静まりかえっていた。

 従業員も、残っていた客も皆、既に避難したのだろう。

 がらんとした食堂の机と椅子を倒して並べ、戦いやすいよう障壁バリケードを作り、カルビンはそこで待ち構えた。


 やがて大地の震えが、カルビンの足に伝わった。

 そして、ちょっとした砦みたいに堅牢な、外開きの扉が内向きに蹴破られ、巨大な鉤爪を持つ脚がズンと押し入ってきた。


「グルルルル……」


 狭い入口をのっそりとくぐり、二足歩行する巨大なトカゲみたいな魔物が姿を現した。

 凶爪蜥蜴テラーリザード。『走竜』と呼ばれる類の魔物だ。翼は無くとも劣種竜マイナードラゴン。鋭い爪と牙を光らせて、興奮と食欲のあまり涎を垂らしている。

 さらに、その後ろから別の魔物まで入ってきた。口から火の粉を散らす大犬。溶鋼獣フォージビーストである。


 二頭は別種の魔物だが、どうやら今は同じ目的のために共闘しているようだ。目的、即ち人族の抹殺である。


「満室だぜ、帰りな!」


 カルビンは鎌を一振りし、逆手に構え直した。

 そして。


「ギャヒィン!?」

「ウゴアア!」

「あん?」


 魔物どもはカルビンの姿を見るなり、世にも情けない悲鳴を上げ、尻尾を巻いて遁走した。

 気合いが空振り、肩透かしを食わされたカルビンは、武器を構えたまま唖然とする。


 そこへ、ほとんど魔物と入れ違いの勢いで、アリオンが駆け込んできた。


「カルビンさん! 無事ですか!」

「おう。迎えに来てくれたのか? すまん」


 彼は街の中で、カルビンとアルラウネたちを連れて内地へ帰る準備をしてくれていたところだ。

 そのための品か、巨大な背嚢を彼は背負っていた。


「こりゃ『大暴走スタンピード』だよな」

「はい」


 カルビンに問われ、アリオンは頷いた。


 魔族に飼われているわけでもない、野生の魔物たちは普段、各々好き勝手に生きているが、時折種族の垣根を越えて巨大な群れを作り人里に攻め寄せる、大暴走スタンピードという現象イベントを起こす。

 人族抹殺の道具として創造された魔物たちの、これは本能的行動だった。


「既に西街門が破られました」

「は?

 嘘だろ、ほとんど素通しじゃねーか」

「『脅威度5』の魔物が何頭か混じってるんです。

 衛兵じゃ対処できませんよ」


 大暴走スタンピード自体は珍しくもない。だからこそ人は壁を作り、身を守って生きている。

 だがそれが壁を破るとなれば、大事件だ。


 開拓地には冒険者の仕事も多く、腕利きの冒険者が集まっている。

 だから市街戦になったとしても対処はできるだろうが、間違いなく市民に死傷者が出ることになるだろう。


「ところで、なんか魔物が逃げていきましたけど、あれは……?」

「俺の顔見て逃げていったんだ。

 ありゃ、西の森の魔物どもかも知れねえ」


 何事かと思ったが、よく考えたらカルビンには心当たりがあった。

 カルビンが開拓地に貰った家と畑は、街から西の方にある。そのさらに西側には、未だ手入れがされていない森があって、強力な魔物がたむろしているのだ。


 だからこそ開拓局は、カルビンを引っ張り出して、盾にするため住まわせた。

 だがその仕事はカルビンが想定していたより……同時に、もしかしたら開拓局が認識しているよりも……遙かに厳しかった。


「最初は畑に魔物が出たら殺す気で待ってたんだが、あんまり四六時中来るもんだから、プリムとティアーナも危ねえと思ってな。

 俺の方から西の森に乗り込んで、毎日十匹ばかりブチ殺すようにしたら、五日目から畑に来なくなった」


 ここで、一つ、知っておくべき知識がある。

 大暴走スタンピードは魔物たちが『ストレス』を得たときに発生するということだ。


 その『ストレス』とは大抵の場合、数が増えすぎたことによる過密状態である。

 魔物はもっぱら、繁殖力が過剰だ。勝手に増えて、適切な数が揃えば、あぶれた連中が人族を殺しに行く。生態そのものが兵器なのだ。


 この場合、むしろ魔物の数は減っていたはずだが、狩猟圧力と、恐怖の象徴という、巨大なストレス要因があった。

 大暴走スタンピードが発生する土壌は整っていた。


 同時にカルビンの存在は、歯止めにもなっていたわけだが。


「……まさか大暴走スタンピードの原因って……」

「俺の留守か」

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