<28>【LINK】襲撃者
夜半。
カルビンは何か、動くものの気配を察して跳ね起き、枕元の鍬と鎌を手にした。
「……何だ? 魔物の襲撃、じゃねえな……」
敵意。殺意。そんな物騒な気配だ。
だが強者に特有の
では、何か。
家から飛び出した瞬間、きな臭いニオイがカルビンの鼻を突き刺した。
「な、なんだこりゃあ!」
群れる蛍が飛ぶように、赤い光が舞っていた。
カルビンの家は開拓都市の西の平地に、広大な農地付きで与えられている。
とは言え、広すぎる農地のほとんどは未開墾で、使われているのは自分が食う野菜と
そんな農地が、焼けていた。
松明を持った男たちが、それを振り回して草に火を付け、炎の柵を作ろうとしている。
実際あまり上手くいってはいないが、彼らの手にした松明だけでも、十分な威圧感を備えた包囲陣だ。
「てめえら、俺の畑に何しやがる!」
「……魔物退治だ」
煙を吸わぬようにか、顔を覆った男の一人を捕まえ、カルビンが問いただすと、彼は引きつった笑いを浮かべた。
「あんた、街のもんがいっくら言っても、あの化け物を畑に置いてるじゃあないか。
あいつに食われるんじゃねえかと思ったら、夜も寝られねえ」
「ふざけるな……! そうならねえよう俺が見てるし、世話もしてると言っただろう!
これだけ街から離れてるんだ、毒の花粉も届きやしねえ!」
見覚えのある顔だった。
街の衆がこれまで幾度か、徒党を組んでカルビンの所へやってきて、アルラウネを処分するよう言ってきた。不安だというのが理由だ。
その度にカルビンは、自分は正式に飼育許可を得ていること、アルラウネという魔物の性質と能力、いざという時には自分が対処することを懇切丁寧に何時間でも説明した。
いくらでも根比べに付き合う気だったが、痺れを切らした街の衆は、諦めるのではなく強硬手段に打って出た。
「大人しくしてろ!」
近くに居た若い衆が、三人がかりでカルビンを取り押さえようと組み付いてくる。
「どきやがれ!」
「ひえっ!」
それを腕の一振りで払い飛ばし、カルビンは走った。
鎌を振るって、燃える草と炎を打ち払い、踏み越える。油の焦げるニオイがした。火を付けるために撒かれているのだ。
「プリム! ティアーナ!」
……ここで話の前提として、アルラウネは確かに弱い魔物ではないが、強くもない。
獲物にトドメを刺す『血吸いの蔦』は、結構な怪力だが、本体の花に繋がれた不自由な攻撃手段だ。戦い慣れた冒険者なら対処できるし、近づかなければ当たらない。
獲物を無力化する『幻惑の花粉』は恐るべき毒だが、そこにアルラウネが居ると分かっているなら、吸わないようにするだけで対策できる。アルラウネは、存在に気づかず引っかかってしまう不意打ちの罠だからこそ恐ろしいのであって、タネが割れてしまえば討伐は容易だ。
そして特徴的なめしべ自体に、さしたる力は無い。
他ならぬカルビンが、誠実に、街の衆に説明したことだった。
毒々しくも美しかった大輪の花は、もはや見る影も無く。
花弁は千切り斬られ、蔦も滅多斬りにされていた。
その、めしべたちもまた同じく。
プリムは肩から腹の辺りまで深々と叩ききられて、ティアーナは腹部をほぼ輪切りにされていた。人ではないので、血は出ない。傷口の断面も、人のような臓腑や筋肉は見えず、植物の茎を切ったようなものだった。
彼女たちと、花を繋ぐ蔓も、無惨に断ち切られていた。旅立ちの日、村人たちに着せてもらったお下がりの服も、裂かれて。
怪しげな炎が揺らめく中に、黒い影が立つ。
「よう、犯罪者……」
「てめえか!」
卑屈に歪んだ笑いを浮かべて、ボルドは振り返る。
彼が身構えるより早くカルビンはボルドを押し倒し、剣を持つ手を踏みつけた。
「ひひ、俺をどうする気だ?
俺を一発ぶん殴りゃ、てめえの罪の方が重くなるぜ」
地に拘束されてもボルドは尚、ニヤニヤと笑っていた。
ボルドが言う通りだった。魔物だろうが動物だろうが、人が飼っているものを殺す罪は『財産を壊す罪』だ。
ボルドのしたことは罪だが、決して罪は重くない。
「ボルドさん、よくやってくれた!
あんたはわしらの英雄だ!」
「おう、弁護士はお前らの金で立ててくれよ!」
松明を掲げて、街の衆が喝采を上げる。
何もかもが醜悪な悪夢のようだ。
罰金だの賠償金は課されるかも知れないし、場合によっては牢屋に入るかも知れないが、街の者たちはボルドの減刑を嘆願し、彼に金を出すだろう。ボルドは犯罪者になる代わり、金と名声を手に入れるのだ。
「……カル……ビン……」
はっと、カルビンは息を呑む。
虫の鳴くような小さな声が、確かに聞こえた。
――まだ生きてる!
彼女らは、人ではないのだ。
身体の構造すら、動物とは異なる。
人ならば死ぬような怪我をしていても、それで死ぬとは限らない。
花を掘り返して抱えていくことは、無理だ。
しかし、めしべだけなら。
確か、めしべだけでアルラウネを生かす手法が、どこぞにあるという。
カルビンは不確かな希望に賭けた。
「畜生おおおおお!!
絶対に! 絶対に助けてやるからな!」
プリムとティアーナを両肩に担ぎ、カルビンは嵐のように駆けだした。
「出て行け!」「出て行けぇ!」「出て行け!」「犯罪者ぁ!」
背中に突き刺さる、遠吠えのような叫び声は、みるみる遠ざかっていった。
* * *
「心配無用じゃ。薬一本で治る」
焔色の髪の美少女は、軽く言い放つ。
「ほ、本当か!」
「アルラウネならば扱った経験がある。
もっとも、薬の材料としてじゃったが」
壁で囲われた街の門前には、石のかまくらみたいな宿がある。『門前宿』というものだ。
夜の間に街に着いた旅人が、街門の開く時間まで休む場所である。時には娼館を兼ねる場所だったり、時には街に持ち込めない品を取引する場所であったりする。
開拓都市・レンブルにも門前宿があった。
カルビンはまだ暗いうち、そこに辿り着き部屋を取って、即座に門衛に言いつけて医者を呼んだ。
夜間に閉じた街門の、勝手口を通れる者は少ないが、医者やそれに類する者は許されていた。
こんな時に信頼できる知り合いの医者など居ないが、カルビンは心当たりがあった。
開拓地に来て日が浅いカルビンでも噂を聞いている『神の手を持つ少女』バートレット。
幼いながらも奇跡の如き調合技術を持つ錬金術師で、物事の道理を知る人格者で、博愛の心を持つと。身分や貧富で患者を隔てず、払う金も持たない者に
……カルビンは、バートレットに縋った。
宿の部屋のベッドには、無惨な姿となっためしべたちが横たえられている。
それを見てバートレットは、メイド姿の助手に調合器材を広げさせ、手持ちのポーションに何か混ぜ始める。彼女は途中で幾度か、謎の道具で薬液の様子を確かめるような作業をしていた。
小さな手がテキパキと動く様は、傍目にも慣れた様子だ。
「わらわも危うく、片棒を担ぐところであったのじゃ……他人事ではない」
「なんですって?」
翡翠のように美しい目を伏せ、少女は憂いに曇らせる。
「連中、わらわに『植物を殺す毒』とやらを求めたのじゃが、ぬしのことは知っておった故、何やら嫌な予感がしてな。
雑草なら枯れる程度の、紛い物を渡して様子を見たのじゃよ。そうしたら案の定じゃ」
バートレットは、横たわる二人の腹部付近にある、小さな穴状の傷跡を指差した。
こうして明かりの下で見るまで、カルビンも気がつかなかった。
「注射器の痕か?」
「わらわが本物の毒を渡しておったら、助らなんだ」
いろいろな考えが一気に浮かんできて、カルビンは臓腑をかき回されているような心地だった。
自分のふがいなさに怒りが湧く。カルビンは衆人の狡知と執念を甘く見た。彼らはアルラウネが、斬っても簡単に死なないことを見越していた。ある意味でカルビンより彼らの方が、余程真剣にアルラウネたちの命のことを考えていたのだ。
それを阻んだバートレットには、いくら感謝しても足りない。この機転は、冒険者にも通じるような『知力』だ。こうして話していても子どもとは思えない。
「よし、これで……いくらか植物に効きが良くなったはずじゃ」
「こちらも準備が整いました」
バートレットが調合をしている間に、助手は傷口を癒着させるように固定していた。
回復魔法やポーションによる回復は、傷が歪んで再生することもあるので、大きな傷を塞ぐ場合、後遺症を防ぐため傷口から不良な部分を取り除き、固定する準備が必要だった。
腰の蔦の傷口も整えてあって、その蔦の先を、彼女は洗面器に入れる。
「
「切り花も茎の断面から水を吸いますよ」
「ううむ、まあ……やってみるか」
人ならば口からポーションを飲ませるが、アルラウネのめしべは人を模した形をしているだけで、中身は異なる。本体の花に繋がっていた、茎の断面が『口』であった。
洗面器に薬液が流し込まれると、変化はすぐに現れた。
二人の傷口が、透き通る緑色の反応光を発し、ミチミチと生々しい音を立てた。断面の組織が結び合って、傷口を塞ごうとしているのだ。
「う……」
「んん……」
「目を覚ましたようじゃな」
死んだように動かなかった二人が、うめいて、目を開け、起き上がった。
「プリム! ティアーナ!
二人とも、どうだ? 大丈夫か?」
「これ、あまり動かさぬようにな。傷がまだ塞がりきっておらぬはずじゃ」
アルラウネのめしべたちは、周囲を見回し、カルビンを見て、それからお互いを見て、指差し叫んだ。
「わたしじゃない!」「わたしじゃない!」
「え?」
「ティアーナ……? あなたが?」
「プリム……
わたしはティアーナで、プリムじゃなくなった……」
「なんだなんだ、どういうこった」
プリムとティアーナは、不思議そうな驚愕の顔で、恐る恐るお互いの身体にペタペタ触れるなどし始めた。
「……それで、これからどうするのじゃ、ぬしら」
バートレットが仕切り直す。
夜が明けるまでには、次にどうするか決めておかなければならないのだ。
「こんな場所にゃ、もう居られねえ。
俺はプリムとティアーナを連れて村に帰るよ。
まあ……具体策は無いが」
「あの!
なら、よろしければ私がお手伝いします」
薄い壁の向こうから、声がした。
隣の部屋からは人の気配など感じなかったもので、カルビンは少し驚く。冒険を離れて感覚も衰えたか、あるいは。
律儀に扉をノックして入ってきたのは、細っこく一見頼りなげな印象の、黒髪の少年だった。
……待て、彼はこの部屋の前まで廊下を歩くときに足音を立てただろうか?
「あんたは?」
「ポーターをしている、アリウスという者です。
すみません、盗み聞きをする気は無かったのですが、聞こえてしまいました」
「なんじゃ、ぬしはこんな所に泊まっておったのか」
「門前宿に泊まれば、門が開く前、夜明けすぐに出発できますから。
あと、宿代も安いですし。……安いですし」
どうやらアリウスは、バートレットと面識がある様子。
知った声が聞こえて、耳をそばだてていたのかも知れない。
「これから内地へ戻るところなんです。
余計な荷物は預かるなと言われましたが、同行者を増やすなとは言われていませんのでね。
人を届けるのも私の仕事です。魔物でも大して変わらないでしょう」
「……本当か、ありがてえ」
カルビンはアリオンの手をしっかと握りしめて振る。
渡りに船とはこのこと。
街の中にどれだけ、カルビンの敵が居るか分からないのだ。助けが無ければ旅支度すら難儀するところだろう。
「お陰で俺は、人ってもんに絶望しなくて済みそうだ」
「お互い様ですよ。
希望も絶望も、人の中にあるんです」
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