<27>【運び屋アリオン】野良犬の流儀

 このところ、アリオンには一つ、悩みがあった。

 ポーターとしての仕事を求めているのに、配達人として有名になりつつあることだ。


 運輸ギルドからも、個人事業者として加盟するよう、脅迫的な勧誘があった。

 これは優秀な加盟者を求めていると言うよりも、ギルド外の者が縄張りを侵すのを、これ以上座視できないと考えたためであろう。

 むしろ今まで、随分お目こぼししてくれたと思うべきだ。


 仕事があるなら、確かに有り難い。自分にできる仕事なら全力を尽くそう。だがアリオンの本分はポーターだ。ポーターの仕事でなければ活かせない専門技術も持っている。

 命懸けの修行で会得した技を腐らせてでも、自分が評価される場所へ行くべきなのか……


「開拓地からの荷物、ですか」

「ああ。ちょっとした発明品のサンプルをな」


 ともあれ、その日バルトスに会いに来たのは、オーグウェル侯爵家の使者であった。


 運輸ギルドを黙らせるため、ひとまず便宜的に冒険者資格を取得した『冒険者アリオン』への、個人指名依頼という形式だ。

 冒険者ギルドを通して冒険者に配達依頼が持ち込まれることは、よくある話なので問題無い。


「……ここだけの話、世界を変えるかも知れないアイテムだ。

 悟られてはならぬ、奪われてはならぬ、壊されてはならぬ。確実に届けてほしい」

「はい、確かに」

「行きの荷物としては、三通ほどの書簡を預けたい。

 その代わり、行き帰りとも、こちらの荷物以外に余計な届け物を持たんでくれよ」


 どんな依頼人も、自分の荷物だけは絶対確実に、傷つけず運んでくれるよう、我が侭に念を押すものだ。

 だが、丁寧な仕事に相応の金を出し、行きがけの駄賃まで用意するとなれば、相手の本気をアリオンも察する。


「了解しました。

 ……信頼にお応え致します。引き受けましょう」


 未だ、道は定まらない。

 だが、だとしても、当座の金と実績は必要だった。


 * * *


 北方開拓地は、目下アリオンが拠点とするカザルム領都ウールスからは、同じカザルム侯爵領ではあるが、なかなか遠い。

 まずは、内地の北端となるロゥフを目指す。そこまでは街道が整備されているので、早馬(※注:魔法薬ポーションを飲ませ続けることで最高速度を長時間維持できるよう調教された馬を指す)を使えば三日と掛からぬ。


 アリオンはまず、王都へ向かい、オーグウェル侯爵家の王都邸宅にて手紙を預かった。

 まだ昼時で、王都の高い宿に一泊する必要も無いと考え、そのまま王都を発って北へ向かった。


 主要街道の地図は頭に入れている。

 アリオンの計算通り、丁度日が暮れる頃に宿場に行き着き、馬を預けられる宿を選んで一番安い部屋に泊まった。


 街道宿に付きものの食堂兼酒場で、とにかく体力が付きそうな飯を食い、食後のミルクティーを飲んで(アリオンは仕事中、酒を口にしない)部屋に戻ろうとした。

 そこでアリオンは客の一人と擦れ違う。

 雨具のような分厚い外套で全身を覆っているのだが、妙に姿勢が良く身ぎれいに思えた。

 彼はどうも先程から、席を決めるにも料理を注文するにも、周囲の様子を見ながら真似しているかのようにもたついていて、それがアリオンは気に掛かっていた。


 ――こういう場所に慣れていない奴だな。冒険者にも、旅人にも見えん。何者だ?


 街道宿には色々な客が訪れるのだから、訳ありの変な奴も居るだろう。

 そう思ってアリオンはそれ以上気にしなかった。

 彼が話しかけてくるまでは。


「ポーターか。

 冒険者のおこぼれに預かる、卑しい野良犬め」


 突然の蔑みだった。


 ――俺を知っている……?


 同じような悪口など今までに山ほど聞かされてきた……時には雇い主から。

 今更この程度で腹も立たない。

 それ以上にアリオンは、奇妙な悪口を訝しむ。何故自分をポーターとして知っていたのか、と。

 アリオンはポーターとしての仕事をなかなか拾えず、糊口を凌ぐ配達人としての仕事で名が売れて、侯爵家から依頼が舞い込むまでになったのだ。ポーターであると知られていたことで嬉しく思うほどだ。


「野良犬は所詮、野良犬だと覚えておけよ。穴蔵ダンジョンを這いずっているのが分相応の生き方だ。

 身に余る名誉を望む者には、天罰が下るぞ」


 勿体ぶって芝居がかった警告だった。

 具体的に何がどうという説明はしてくれず、男は食堂から出て行く。

 アリオンは、明日の朝も早いので早く寝ることにした。


 * * *


 翌朝、日の出と共に宿を発ったアリオンは、砂塵を巻き上げ北風を裂いて北へ向かった。


 そして一時間も行かないうちのことだ。

 林の中を突っ切る道で、アリオンは嫌な音を聞いた。


「魔物か」


 枝を折る音が、アリオンを追走する。

 巨大な青黒い影が、木々の向こうに見え隠れする。


 主要な街道はも頻繁で、戦えない者でも比較的安全に旅ができる。

 とは言え、魔物というのは、遭うときには遭ってしまうものだ。だから、逃げる手立ては準備せねばならない。

 全くどうしようもない魔物が街道に陣取ったときは、不運な第一発見者が死体となって他の旅人に危険を伝えることになる。

 

 アリオンは動じず、馬のハミと一体化した給水器に『緊急用』の筒瓶シリンダーを突っ込み、馬の尻に鞭をくれた。


「そら急げ、死ぬぞ!」


 疾走する早馬が、更に力強く地を蹴って、速度を上げた。

 蹄鉄が火花を散らしそうな全力疾走だ。林の中を併走する影は、獲物に撒かれそうになって、即座に対抗して速度を上げた。

 本来、馬が全力疾走できるのは長くて数分だ。だが、体力を回復し、自壊する体組織を再生させるポーションで補うことで、理論上は何時間でも最高速度を維持できる。

 さすれば、普通は追跡者の体力が先に尽きる。


 はずだった。


 ――馬の様子が……?


 速度を上げてすぐ、にわかに馬が足を乱し、鞍に伝わる感覚が不規則になった。

 普通の馬なら、何かの拍子に足を痛めたかと疑うところだが、早馬はポーションを飲ませ続ける運用だから、そんな負傷などすぐに消えてしまうはず。


 では何事か。

 追跡してくる魔物の仕業か、あるいは何か別のトラブルか?

 とにかく馬は震えながら泡を吹き、足をもつれさせ、遂には頭からつんのめるように倒れてしまった。


 投げ出されたアリオンは、すぐさま受け身を取って跳ね起き、背負い鞄を身体の前に回した。こうすれば手持ちのアイテム全て、いつでも自在に取り出せるし、ミスリルの板を仕込んだ鞄は鎧の替わりにほんの少しだけ、敵の攻撃を止められる。


 アリオンを追走していた巨影が、邪魔な木を噛み千切り、へし折って街道に躍り出る。


 馬から降りてみれば分かるが、こんな巨体なのに地も揺らさず追ってくるとは。

 枝の折れる音ばかりで、足音も立っていなかった。

 理由は敵が浮かんでいるからだ。

 二つ並んだ乱杭牙のアギトが、アリオンを見下ろした。


「……『双頭空鮫ツインヘッドスカイシャーク』か」


 宙を泳ぎ、二つの頭を持つ、巨大なサメの魔物だ。

 繁殖期に『鮫竜巻シャークネード』と呼ばれる飛蝗の如き集団飛行を行う以外は、あまり一箇所に定住はせず獲物を探してどこへでも旅をする、恐るべき狩人。

 そのせいで思いがけない場所で被害を出すこともある。


 カップルを好んで狙う魔物だと、世間では面白半分に噂されるが、実際は二つの口でそれぞれかぶりつける、セットの獲物を好む性質がある。

 ……馬と、アリオン。なるほど、二つある。

 何が何でもものにしようと、必死で追ってくるわけだ。


 一方で、こいつはあくまでも力押しの魔物。

 金目蛇バジリスクのように睨み付けて麻痺させたり、毒を吹き付ける能力は無い。馬の不調は、ツインヘッドスカイシャークのせいではなさそうだ。


 ――馬が無事なら逃げ切れる相手だったんだが……


 舌打ちし、アリオンはアイテムを構える。


 アリオンが自家薬籠中とするのは、知識と理論と事前準備に基づいた『逃げ』の技である。

 戦い、倒すのは最終手段。

 まして自分の体技などという、調子に左右されすぎる……どころか、万全の状態でも決して安定し得ないものには、なるべくなら命を預けたくない。

 基本的には、確実に効果を発揮するアイテムで対処する。いくら掛かるとしても。


「くそっ!

 ……差し引きマイナスだ!」


 色つきクルミのような外見の『爆ぜ玉』を、両手の全ての指の間に挟み、アリオンはそれを鋭く投じる。そしてすぐに耳を塞いだ。

 途端、千万の雷が一斉に落ちたかのような、恐るべき大轟音が天地を揺るがせた。


 * * *


 その早馬はのんびりとした、普通の馬と変わらぬ速度で、昼下がりの街道を南へ向かっていた。

 魔法薬ポーションは高価だ。急ぐ必要が無いときは、早馬とて歩くのである。


「おい」


 アリオンが馬上の男に声を掛けると、彼は昼間から幽霊でも見たような驚愕の表情を浮かべ、仰け反って馬から転げ落ちそうになった。


「おっ、お前!? どうしてここに!」

「宿のオヤジに鎌を掛けたら、簡単に吐いたぞ。

 俺の馬の餌に毒を混ぜるよう、お前に脅されたとな」


 アリオンは、馬の腹帯をしっかり握っていた。もし馬が急発進するようなら、いつでも飛び乗って、馬上の男を蹴落とす構えだ。


 昨日、旅宿の食堂でアリオンを罵倒した謎の男だ。彼はもう、分厚い外套で身を隠してはいなかった。

 旅装である乗馬服の上から、家紋を誇らしげに染め抜いたサーコートを着ている。一般市民にとっては、ただの『お貴族様の証』としか思えないだろうが、無礼を働けば権力を振りかざしてくる危険な相手だと分かるだけで十分だ。


 ただ、アリオンには多少の紋章知識があり、馬上の男はカザルム侯爵家の家臣である下級貴族だと判別できた。

 実際彼は、カザルム候の名前を出して、宿の主人を脅したのだ。


「さて、何故こんな真似をしたのか一応聞いておこうか」

「ハッ!

 ああ、分かった、取引をしよう。お前にも得がある話だ」


 馬上の男は、鼻で笑って言った。

 子どもの癇癪をいなすように。


「お前が預けられる予定の荷物は、開拓団に随行する錬金術師バートレットが発明した、画期的な新型調合器材だ。

 これは本来、カザルム候グラル様と、開拓地を管轄するジョエル様が預かるべきものだ。

 ところが、それを無関係のオーグウェル候が攫っていった」

「おや?

 その錬金術師は、カザルム候もジョエル様も発明品に興味を示さなかったので、方々に売り込みを掛けてオーグウェル候が拾ったという話だったがな」

「なっ……」


 馬上の男は絶句する。

 まさか詳細な事情をアリオンが知っているとは思わず、都合の良い説明をしていたのだ。


「俺が調べていないとでも思ったか」

「……それは、何かの行き違いか、勘違いで、錬金術師が早とちりしたのだ。

 実際は私が話した通りだ」


 貴族からの依頼となれば、何か上手いことを言って政争の手先として使われる危険も考えねばなるまい。


 冒険者ギルドは『政治不干渉』の姿勢を貫き、冒険者たちが利用されぬよう計らうのだが、限度はある。例えば冒険者を戦争に引っ張り出すことは許さないが、行軍路の魔物を討伐する依頼ならば受けるといった具合だ。完璧な線引きはどうせできないので、あくまでも一定の基準ガイドラインを守るに留まるのだ。

 だからアリオンは、更に用心するため、依頼の背景事情まで個人的に調べていた。


 推測を重ねるのであれば、オーグウェル候が『発明品』に興味を示したことでカザルム候は初めて『発明品』についてまともに検討し、渡したくないと考えたのだろう。

 オーグウェル候とカザルム候は親の代から犬猿の仲だ。


「こちらの目的はただ、盗人のオーグウェル候に警告を発することだ。

 仕事を断念し、逃げ帰ったことにせんか? ポーター。金ならくれてやろう。

 野良犬が、仮の主に義理立てする道理もあるまい」


 そして、カザルム候の手先としてアリオンの邪魔をしに来たこの騎士は、アリオンについて世間での噂も聞いておらず、興味も持たず、冒険者ギルドから取り寄せた資料だけを見て、所詮はポーターと侮ったのだろう。

 帰り道に早々、偽装を脱ぎ捨てる雑さからも『根無し草の木っ端冒険者ごとき、いざとなれば権力で磨り潰せる』という奢りが見て取れる。


「馬を狙ったのは……」

「仕方なくだ。

 本当は荷物を奪うはずだったが、貴様が全く目を離さぬものでな」

「魔物に追われているときに馬が不調を起こした!

 下手をすれば死んでいたぞ!」

「それは……不運だったな。同情しよう」


 薄笑いを浮かべながら、馬上の騎士は肩をすくめた。


 聞くべき事は全て聞いた。


「では、洗いざらい聞かせてくれた返礼に、野良犬の流儀を教えよう。

 ……野良犬は容易く死ぬから、危険の排除を躊躇わない」

「えっ……」


 馬に跨がる騎士の太腿に、深々と、大きな針が突き刺さっていた。


 アリオンの手の中に、小さな筒状のアイテムがあった。

 仕掛けによって針状の矢を打ち出す、針打弩ニードルボウとか呼ばれる品だ。

 針にはもちろん、毒が塗ってある。


「な、なん、貴様、いつの間に……!」

「相手まで教えてくれてありがとうな。

 こいつは貴族の密偵どもが好んで使う毒だ。

 まさか狙われたポーター自ら、返り討ちにしたとは思うまい」

「ぐがはっ!」


 便利な毒で、アリオンも気に入っているので、丁度手持ちがあった。

 魔物にも有効だが、人に使えば二秒で手足が痺れて自由を奪い、抵抗できなくする。そして間もなく、臓腑を冒して破壊する。

 騎士は身体を支えられなくなって落馬し、血の泡を吐いて、のた打った。


「お前の死体が、お前の主への警告だ。

 俺の仕事に手を出すな」

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