<6>【農英雄カルビン】アルラウネ

 カルビンの家と畑は、村を見下ろす山に入りかけた高台にある。

 元・冒険者であるカルビンは、ここで自分が食う分の野菜を作り、また冒険者時代の知識を活かして珍しい薬草の栽培などを行っていた。


 普通の種苗は、村でまとめて買い付けるものだが、カルビンの育てる薬草は、そうもいかない。

 そこで冒険者時代からの知り合いである行商人ギュスターブに仕入れを任せていた。


「なんだい、こいつは?」


 ギュスターブは、いつカルビンの所に来ても、だいたい何か変なものを一つか二つは持っていた。

 その日、カルビンの興味を引いたのは、よく肥えたカボチャほども大きな、球根らしき物体だった。


「ああ! 丁度その話をしようと思ってたんだ。

 なんと、妖姫花アルラウネの球根だ」

「おいおいおいおい、そりゃ魔物だろうが」


 カルビンは魔物の球根ごときで恐れも驚きもしないが、あっけらかんとしてむしろ自慢げなギュスターブには呆れた。

 アルラウネと言えば、美しい女性の姿をしためしべが有名な、花の魔物だ。

 めしべを疑似餌として使い、毒の花粉で幻を見せ、人の男を籠絡して取り殺し、栄養にするのである。


 カルビンは、アルラウネ自体となら戦った経験もあるが、球根を見たのは初めてだった。

 なるほど、ギュスターブが勢いで仕入れてしまいそうな珍品ではある。


「物好きな貴族にでも売れないかと思ってたんだが、みんな腰が引けちまって」

「毎度もうちょっと後先考えて仕入れろよ。

 珍品と見りゃ飛びつきやがって」

「悪かったとは思ってるよ……

 こんな爆弾みたいなもの迂闊に処分できん。一回咲かせて養分を使い切らせるのが一番安全なんだ。

 だから、あんたに預けたい。めしべができたら剥製にして買い取るぞ」

「……しゃあねえな」


 そういう話になるという予感はしていた。

 ギュスターブは度々、処理しきれなくなった面倒事を持ち込んでくるのだ。

 カルビンもいつも彼に世話になっているのだから、持ちつ持たれつだ。……差し引きで言うなら、おそらく損をしているのだが、それを気にしないのが友情というものだ。


 * * *


 魔物とは、魔王や邪悪な神々が人を殺すために創ったという怪物の総称。

 その観点からアルラウネについて述べるなら、アルラウネは森の中に設置されて人を殺す、生きた罠である。

 罠であるからには設計意図がある。球根という形態は、種から育てるより運搬と設置が容易になるよう与えられた機能だろう。


 実際そいつは、ギュスターブが言うとおりに多めの肥料を与えたら、拍子抜けするほど簡単に芽を出して瞬く間に育った。

 そして、カルビンがめいっぱいに手を広げても抱えきれないような大きさの、毒々しく赤いつぼみを付けたのだ。

 こうなったら、いつ花が開いて人を襲うか分からない。カルビンはつぼみの前にテントを張って、そこで生活した。

 つぼみは時々、勝手に揺れて、中からは寝息のような音も聞こえていた。


 ある朝カルビンが、微かな物音を聞いて目覚め、寝袋から飛び出すと、衣擦れのような音を立てながらつぼみが開くところだった。

 村を挟んだ東の山から太陽が顔を出し始め、それが山を離れきらぬうちに花が開いたのだから、普通の植物ならあり得ない速度だ。


「おおお……」


 思わず感嘆の声が漏れる。

 毒々しい真っ赤な花が開くと、その真ん中には、人型の存在が獣のように裸身を丸めて収まっていた。


「なるほど、めしべは咲いたときから人の形なんだな」


 そのめしべは、まだ『女』より『少女』と呼ぶべき外見に思えた。

 長く艶やかな緑の髪は、よく見れば繊維質だ。透き通るように白い肌もうっすら緑がかっている。肉体(?)ははち切れんばかりに瑞々しい。主に胸部が。

 最大の特徴は、人間なら脊椎が存在するだろう部位に接続された太い蔦だ。それが花の真ん中に繋がっている。ヘソの緒と言うか、操り糸と言うか。


 アルラウネは品種によって、めしべの外見も変わるそうだが、一般的なのは妖艶で豊満な美女だ。カルビンが以前戦ったアルラウネもそうだった。

 比較すると、このアルラウネはまだ少し幼い印象だ。体型だけは既に女性らしいメリハリが出来ているのでアンバランスにも見える。なにしろ咲きたてだから、これから育っていくのかも知れない。


 アルラウネは(……正確に言うなら、そのめしべは)ゆっくりと身を起こし、身体の動きを確かめる。

 そしてカルビンに気づくと、抱きしめようとするかのように手を広げた。


「こっちに、来て」


 アルラウネはカルビンを誘惑する。

 あどけない顔にはまだ似つかわしくない、蠱惑の笑みを浮かべて。


 同時に花の根元から、恐ろしく鋭い茨を備えた強靱な蔓が伸びて、地を這う。

 茨の蔦は回り込むように、カルビンの足下へと……


「おっと」

「!?」


 足に絡みつこうとした茨の蔓を、カルビンはひょいと躱し、逆に踏みつけた。

 蔦の先端がピチピチと蠢いた。


「はっはっは、俺はエサじゃねえぞ」


 アルラウネはちょっと可哀想になるくらい驚いた顔をしていた。

 こうすれば餌が食えるのだと、彼女は本能で知っていて、その通りに狩りをしているのだろう。だがカルビンにはこんなもの通用しない。


 アルラウネはすぐさま、奥の手を使った。


「こっちに、来て。

 愛し合いましょう」


 めしべの背後で、肉厚の花弁がふわりとそよぐ。

 そしてそこから、怪しげな桃色の花粉が吹き出した。


 その花粉は、得も言われぬ官能的な芳香を孕む。

 本来の生殖目的にも使われるのだが、アルラウネの花粉と言えば、もっぱら獲物を惑わす毒として有名だった。


 この花粉には強烈な幻覚作用があり、理性と思考力を致命的に鈍らせる。

 花粉で狂わされた哀れな獲物は、アルラウネに誘われるままめしべと抱き合い、八つ裂きにされて養分にされるのだ。


「『惑わしの花粉』か。

 ま、この強度なら俺には効かねえが、村まで飛ばねえよう注意しねえとな」


 ただし、この場合可哀想なのはアルラウネの方だった。

 カルビンは全く平気で、取り合わなかった。

 上手く茨を避けて蔓を掴み上げると、それをまともに動かせぬよう、ロープで堅く縛り上げてしまった。


「!!」


 アルラウネは、もはや誘惑どころではない。

 人ならば『半泣き』と言っていいような絶望の表情で、縛られた蔦に取り付いて解こうとした。


 だが、疑似餌に過ぎないめしべ部位は、蔦そのものと比べれば力も弱い。ロープを引き千切るような腕力は無かった。

 そして、生まれたばかりの彼女は、ロープの結び目というものがどういうものなのかもまだ知らない様子で、余計にきつく縛ってしまう方へ必死でロープを引っ張っていた。


 アルラウネは、カルビンの方に振り返る。

 そして先程と同じ、定型的な蠱惑の微笑みを浮かべようとした。


「こっちに、来て。こっちに、来て」

「ああ、それしか言葉を知らんのか。

 身体なりは立派でも生まれたてだもんな。

 ……『生まれたて』? いや、咲きたてって言った方がいいのか?」


 必死で誘惑のポーズを取るアルラウネを無視して、カルビンは肥料の袋を持ち上げ、それを花の根元にぶちまけた。


「ほれ、油かすだ。一番上等のだぞ」

「?????」

「いや、そこで困るなよ。肥料出されて困る植物とか初めて見たわ」


 表情を取り繕うテクニックも無いようだ。

 アルラウネは、何が起きているか分からない顔をして、積み上げられた肥料とカルビンを見比べていた。


 魔物たるアルラウネは、『人を狩り殺す』という機能を持たせるため、不合理な生態を与えられている。

 こんな立派な身体を作って、人のように動かすのだから、普通の植物とは桁が違うエネルギーを必要とする道理だ。


 腹が減っているなら、飯をやる。

 カルビンの動機は単純だった。


 アルラウネは戸惑った様子だったが、食事の誘惑と空腹には勝てなかったようで、花の前にかがみ込むと、その手で必死に花の根元を掘り返し、肥料をかき集めて穴を埋め始めた。

 人に喩えるなら、飯を掻き込んでいる状態だろうか。


 手を土まみれにして、穴を掘っては埋めていたアルラウネは、やがて、自分の頭の重さに堪えかねた様子でぐらぐら揺れ始めた。


「んにゃあ……」


 満腹のアルラウネは、こてん、と花の上に倒れ込み、安らかな寝息を立て始めた。


 * * *


「……で?」

「懐かれた」

「カルビン、すき」


 ギュスターブが次にカルビンの所に来たとき、アルラウネはすっかりカルビンに懐いていた。

 毒の花粉も飛ばさないし、物騒な蔓の拘束ももう解こうとしない。

 それどころかカルビンが畑に出る度、足に背中に纏わり付くので、仕事にならないほどだった。今も蔦をギリギリまで伸ばし、カルビンの背中に抱きついている。

 それを見て今度はギュスターブがカルビンに呆れる番だった。


「剥製にするって話、ナシでいいか?

 流石にちっと可哀想になっちまってな」

「それはいいが、飼うのか?

 懐いたフリしてお前を食おうとしてるかも知れねえってのに」

「相手は魔物だから、そこはちゃんと考えてるよ。

 どんなに懐いたヒポグリフだって、騎手を殺すことがあるんだから」

「まあ、あんたなら大丈夫だろうがよ……」


 ギュスターブは苦笑しながら髭を撫で付けていた。


 魔物は人を殺すために創られた存在。である以上はどんなに懐いていても、完全な安全は確保できないのだ。カルビンは分かっている。可愛らしい魔獣の仔を『保護』していた貴婦人が、そいつに食い殺された事件も知っている。

 だから最後の一線の警戒は解かない。自分や、他の誰かを襲うなら、その時は始末する。そう覚悟した上での選択だった。


「ところで一つ教えてくれ。早急に」

「なんだ」

「……こいつ服着せても大丈夫なのか?

 流石に、目に毒で」


 季節は、暑い盛りだ。保温のワラなど被せたら、作物は枯れてしまう。

 カルビンは配慮した。その結果として今、カルビンの背には、全裸の美少女が楽しげにしがみ付いていた。

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