<7>【運び屋アリオン】金貨二枚の一日

 ポーター。実績六年。

 随行手当:金貨十枚/日。

 試用は一組一回、最大三日、金貨二枚/日にて承ります。


 * * *


 迷宮都市を出たアリオンは、カザルム侯爵領の領都・ウールスに移った。

 この辺りでは一番の都会だ。人が多ければ冒険者に依頼するべき仕事も多く、冒険者も集まってくる。

 そこでならポーターの仕事が見つかるかも知れないと考えたのだ。


 冒険者ギルドのスタッフ手配係は、アリオンが提示した条件を聞いて半笑いで、半額にするべきだとしてきたが、アリオンはもう銅貨一枚負ける気は無かった。

 結果としてアリオンの求職票は、ギルドの掲示板で嘲笑のマトとなり触れる者も無く、アリオンは配達などの仕事をして糊口を凌いでいた。

 ようやくポーターとしての仕事が舞い込んだのは、二ヶ月後だった。


「まあ、金貨二枚なら試してみようかってな」

「俺らのパーティーの稼ぎも、そろそろスタッフを雇えるレベルになったから。いろいろ考えてるんだ。

 まあ、まず雇うべきは経理だろうけど」

「ポーターを雇うってのがどんなもんか、やってみなきゃわかんないしね」


 オファーを掛けてきたのは“タウラスの騎士”という名のパーティーだ。なお、言うまでも無いが本物の騎士ではなく、そう名乗っているだけだ。

 全員がアリオンより若い。成功しているルーキー、という雰囲気で、自信に満ちあふれた様子だった。

 無礼で見下した態度を隠そうともしなかったが、アリオンはなるべく気にしないことにした。別にそれは“タウラスの騎士”に限った話でもないのだから。


「あれが『金貨十枚』君?」

「“タウラス”も物好きだなあ」


 冒険者ギルド支部の食堂兼酒場も、アリオンが知る迷宮都市のものより古く大きく立派で、賑わっていた。

 行き交う冒険者たちの、ヒソヒソと囁く声がアリオンの背中に突き刺さった。

 それは今回の雇い主たちにも聞こえているはずなのだが、別に嫌がるでもなくニヤニヤ笑っているのだから、半分は意地の悪い好奇心からアリオンを雇ったのだとよく分かる。


「仕事は、街付近に発生したダンジョンの除去。

 頼みたいのは、分かると思うが戦利品の世話だな」

「了解しました。では、私の荷物に関して打ち合わせを」

「お前の荷物?」


 アリオンの言葉を聞いて、“タウラスの騎士”リーダー・クレブは、訝しむ。


「行きは俺らの荷物を代わりに持って行って、帰りは戦利品を持ってくるだけだろ?

 余計な荷物を持っていったら、持ち帰れる戦利品が減っちまう」

「私はそういう仕事をしていないんです。私自身の装備を除いた分が、お預かりできる荷物です」

「ああ、分かった、それでいい」


 クレブはそれ以上、文句を言うこともなく引き下がった。

 納得したわけではなさそうだったが。


「金貨二枚分の仕事だな」


 * * *


 洞窟や塔、砦、無人の民家や小さな廃村など……

 存在しなかったはずのものが、ある日突然、野山に忽然と現れる。そこからは魔物が溢れ出し、人を襲う。

 これら異常地点を、人は『ダンジョン』と呼ぶ。


 ダンジョンの発生は世界の歪みだとも、邪悪な神々の起こす奇跡だとも言われるが、真実は解明されていない。

 一つ確かなのは、人が生きていくためには対処すべき脅威である、という事だ。

 人里近くに現れたダンジョンを探索し、内部の魔物を駆除し、ダンジョンの存在根拠を破壊して消滅させるのも、また冒険者の仕事だった。


「くそったれ、前情報と違うぞ!」


 そのダンジョンは、存在しない筈の地下水脈が流れる洞窟だった。

 流水に削られたかのような、深い裂け目にへばりついて、迷路状の道が続いている。

 その最下層を、“タウラスの騎士”は逃げ回っていた。


 冒険者ギルドによる予備調査では、特筆すべき脅威は存在しない筈だった。

 “タウラスの騎士”の実力からすれば過不足無い、相応の仕事になるはずだった。

 だが。

 並み居る魔物を蹴散らして、ダンジョンの最奥に至ろうかという所で、とんでもない大物が待ち受けていた。


 昏く冷たい地下水脈の河原を、四人の冒険者と一人のポーターは駆け抜ける。

 背後の闇の中に、異形の影が蠢き、迫る。

 無数の頭部を持つ巨大蛇、ヒュドラだ。


 ヒュドラは強力な魔物だ。巨体故の怪力、恐るべき疫毒の牙、異常な再生力を持つ。適切な対処ができなければ街一つくらい簡単に滅ぼしてしまうだろう。

 そんなのが居るだけでも大事だというのに、このヒュドラが、炎まで吐き始めた。

 生まれたばかりのダンジョンは半ば幻のようなもの。そのためか、異常に変異した魔物が発生する場合もあるのだった。


「あの裂け目に隠れよう!」

「バカ! 駄目だ、火を吹き込まれるぞ!」


 行く手に岩の裂け目があった。

 飛び込めば、確かにヒュドラの巨体で追っては来れないだろう。首の一本や二本突っ込んできたところで叩き潰せる。

 しかし、あのヒュドラが十分に賢かった場合、閉じた岩の裂け目は隠れ場ではなく、ただの焼却炉になるだろう。


 ポーターは一計を案じる。


「一旦見失わせましょう」

「どうすんだよ!?」

「こうです」


 アリオンは収納ポーチから、薬液で満たされた透明なボールを取り出し、立て続けに背後に投じた。

 それは河原の石に当たって割れ砕けるや、爆発的に燃え上がり、辺りを炎の海へと変える!


 魔法薬ポーションを詰めた爆弾、『ポーションボール』だ。

 中身は火炎薬バーンポーション。効果は見ての通りだ。


 燃えさかる炎の向こうで、ぬめる巨体が蠢いている。

 いくら炎の壁と言えど、あの巨体なら掠り傷程度で突っ切れるだろう。だがヒュドラは戸惑った様子で動きを止めた。


「……蛇の魔物は熱を感知して追ってきます。

 奴はさっきから炎を吐く度、自分の炎に惑わされてこちらを見失いかけ、動きが鈍っていた。おそらく炎の壁が煙幕として機能します」

「マジか……」


 逃げの手管こそ、アリオンの技。

 そのためには臨機応変な判断と、その裏付けとなる知識が必要だった。


 ヒュドラが動きを止めている間に、一行は岩の裂け目に転げ込む。

 荒い息をついて倒れ込み、全員が束の間、無言になった。


 奇襲を受けて命からがら、どうにかここまで逃げてきた。

 最初の一撃で死ななかったのは“タウラスの騎士”の実力ゆえだろう。彼らも無能ではない。

 しかしパーティーは戦うどころか、これ以上逃げられるかも怪しい満身創痍の状態だった。


 アリオンと、パーティーリーダーのクレブは、どうにかほぼ無傷。

 盾手タンクアシモフの状態が一番酷い。分厚い鎧と大盾で、致命の毒牙は防いだが、代わりに炎のブレスの集中砲火を受けた。兜を脱いだ半面は焼き潰されている。鎧の下もどうなっていることか。

 野伏レンジャールバルは足を焼かれている。逃げるにしても、どこまで無理が利くか分からない。

 魔術師ウィザードオシュタムスは先程、丸太の如きヒュドラの尾で一撃を受けた。応急処置程度の回復は施したがおそらく骨を何本かやられている。それ以上に厳しいのは、ヒュドラから逃げるために魔力を使い切ってしまったらしいことだ。


魔法薬ポーションは?」

「さっきので割られた!」

「せめて残ってる分をぶっかけろ」


 オシュタムスは裂けた革のポーチをひっくり返して、薬瓶のガラス片とともに、残っていた薬液をアシモフの傷に振りかけた。

 いかに魔法の収納袋と言えど、容れ物自体がダメージを受けたら機能を保てなくなる。炎を浴びた二人のポーチは焼け落ちていた。


 アリオンは背負っていた大きな荷箱からポーションを二瓶取り出し、それを見せる。


「予備があります。

 それと、もう魔力が切れかかっているはずでしょう。これで補給を」

「助かった!」


 傷の治療に使う治癒薬ヒーリングポーションと、術師向けの魔力補給薬マナポーションだ。


 オシュタムスはまさしく人心地付いた様子で受け取ろうとするが、アリオンは薬瓶を見せるだけで、すぐには渡さなかった。


「……これは私の持ち込みです。実費ですよ。

 さっきの焼夷薬バーンポーションもです」

「分かった、いい、早くくれ」


 頭の中に追加料金を記帳しつつ、アリオンはポーションを手渡した。


 手元に残ったポーションを使い、一行は手早く治療を行う。

 炎の壁も長くはもたない。いつヒュドラがこちらを見つけるか分からないのだ。


 岩陰から、闇に沈む地下水流の河原を覗き込めば、チロチロと熾火になった炎を踏み潰し、ヒュドラが徘徊していた。諦めた様子は無かった。


「あれを倒すか逃げるかしねえと、帰還陣リターンポートも使えねえ……」

「手はあります」


 アリオンは振り返って、頭上、大きな裂け目が走る切り立った崖を指差した。


「まず、この崖を登ります」

「簡単に言いやがっ……」


 アリオンは、いつでも使えるように荷箱の脇に括り付けていた、筒状の銛砲を手に取って、岩壁の高いところ目がけて撃った。

 バネ仕掛けによって発射され、ロープの尾を引きながら飛んでいった銛は、岩壁にズブリと潜り込んで突き立つ。この銛にはちょっとした魔法が仕込んであって、突き刺さる瞬間だけ岩を柔らかな砂に変え、またすぐ元通りの硬い岩に戻すのだ。

 念のためロープを引っ張って、アリオンは具合を確かめる。問題無さそうだ。


「打ち合わせの通りですね」

「あ、ああ」

「実費」

「あ、ああ」


 クレブは圧倒された様子でただ頷いた。

 アリオンの荷物に関しては出発前に打ち合わせをしていたのだが、クレブはまともに話を聞いておらず、自分の剣の手入れをしながらハイハイと返事をしていただけだったのだ。


 アリオンはまず自分が先頭でロープを登っていく。


「なんであの大荷物で崖なんか登れるんだよ……」


 呆れた様子の呟きと共に、冒険者たちも付いてくる。


 アリオンはロープのてっぺんからさらに銛砲を撃って、岩が張り出した場所までロープの道を繋げた。


「それで?」

「この場所から地上まで穴を掘ります。

 テレポートだけが脱出ではありません」


 狭い岩棚の上でどうにか荷箱を漁り、アリオンが取り出したのは、魔法を込めた小さな杖だ。

 『ノームの左手の杖』と呼ばれるアイテムで、土や岩の形を成形したり、土の中に一瞬でトンネルを掘ることができる。

 この場所からであれば地上まで届くはずだ。


「お前の鞄、どれだけアイテム入ってるんだ」

「事前にお見せした分で全てですよ。

 ポーターも持てる荷物は限られますから、必要そうなものを持って行って、あとは壊されないよう逃げ回るだけです」


 クレブは幻術狐サイコフォックスに化かされたような顔だった。


 逃げるためには知識だけでなく、情報も大切。

 今回は洞窟型のダンジョンなので、地中で逃げに使えるアイテムを持ってきたのだ。後はどんな状況でも大抵役に立つ、汎用性のあるアイテムをいくつか。

 もし、相手をするべき要注意の魔物が事前に判明していれば、その対策となるアイテムも持っていく。今回だって、ヒュドラが居ると分かっていれば『眠り酒』辺りを用意しておいたのだが。


 アリオンはトンネルの形を強く念じながら、杖を振る。

 岩壁がくぼみ、空洞が一直線に伸び始めた。


 同時に、掻き分けられた岩と土が大量の砂となって吹き出し、吹き抜けた。

 これはあくまで、土や岩の形を変えるアイテム。消滅させるわけではないのだ。抉られた分は砂と化し、地上へ向かう斜めのトンネルを、ダストシュートのように流れ下ってきた。こうしなければトンネルは作れない。

 排出された砂は砂塵の大瀑布となり、岩棚から流れ落ちていく。


「ジャアアアア!!」


 鼓膜を削るようなおぞましい鳴き声が聞こえてきた。

 流れ落ちる砂を見て、流石にヒュドラが気づいてしまったのだ。


「やべえ、気づかれた!」

「防御を願います!」


 眼下の河原では、ヒュドラが石を撥ね除けて一直線の這い痕を刻みつつ突進してくる。

 あの巨体では、岩棚までよじ登る事などできまいが、あいつに限っては、火を噴く。ヘタをすればブレスの圧力で岩棚ごと突き崩されてしまうだろう。


 『ノームの左手の杖』で矢狭間のように岩を盛り上げて、遮蔽を付けることもできた。

 それをアリオンがしなかったのは、いざという時は魔法による防御を張って、作業用足場たる岩棚ごと守る方が適切だと考えたからだ。


「≪対魔障壁マナバリア≫!」


 オシュタムスが杖を振ると、光の壁が現れた。

 間一髪、ヒュドラが九本の首から炎のブレスを吐き出して、暗い洞窟を白々照らした。


「うおっ!」


 吹き付ける炎は、岩棚の手前でせき止められて四分五裂し、周りの岩壁にぶっつかる。

 ブレスの圧力が岩を削り、余波の熱がアリオンの頬を炙った。


 アリオンはただ顔を覆って砂を防ぎ、地上へ向かう斜めのトンネルの先を見上げていた。

 その先に、背後の炎とはまた別の輝きが灯る。


「……通った!」

「よし行け! 砂に気をつけろよ!」


 五人は近い者から順に、流れ落ちる砂に逆らってトンネルに飛び込んだ。

 そして最後尾、防御の魔法を使っているオシュタムスが飛び込んで来るや、アリオンはトンネルの入口を崩した。

 直後、ブレスの圧を受けてトンネルが震えたが、火の粉一つ漏れ出てこなかった。


「魔力が、……」


 差し込む陽光に照らされ、オシュタムスは呆然と呟いた。

 彼は、変異ヒュドラの火炎放射を防ぎきった。補給の効果であった。


 * * *


 そして五人は街へ戻った。


 依頼クエストは失敗だが、予備調査の不備によって仕事を割り振る相手を間違って命すら危険に晒したのだから、この場合は冒険者ギルドが責められる側だ。

 無事に生きて帰っただけで成功と言えるだろう。


「報酬は規定通り、ギルドを通して払い込んでください。

 では、私はこれで」

「ちょっ……ちょっと待ってくれ!」


 “タウラスの騎士”とともに冒険者ギルドへの報告を終えて、アリオンは夕暮の中を去りゆこうとする。

 その背中を、クレブが呼び止めた。


「あんた、行くあても無いんだろ!?

 うちのパーティーに入らないか!? あんたが居れば……」

「私は雇われスタッフです。冒険者じゃない。

 試用は終わりました。次からは一日金貨十枚です」


 アリオンは事務的に返事をした。


 冒険者パーティーのメンバーは一蓮托生。苦楽を共にして、共に成長していくものだ。

 スタッフは違う。違うのだ。思い違いはしない。パーティーが育ったところで、報酬が増えるわけじゃない。お代の分だけ働く。働きの分、払えない雇い主には、付き合えない。


 そもそも、“タウラスの騎士”くらいのレベルの冒険者が、随行要員に一日金貨十枚も払っていたら足が出る。彼らは正式に雇う気も無いのにアリオンの仕事をつまみ食いしたわけだが、アリオンの方も最初から、彼らが主たり得るとは思っていなかった。実績作りのタネとしか思っていなかったのだ。


 だから今は、これまでだ。

 クレブは怒りとも悔しさともつかない何かに顔を歪めて、じっと拳を握っていた。


「……なればいいんだろ!?

 金貨十枚払える冒険者に!」


 獣の咆吼を思わせる雄叫びであった。

 暮れなずむ大通りを行き交う人々が、どよめき振り返るほどの剣幕で、クレブは叫んだ。

 彼は泣いていた。それが、どんな種類の激情なのか、彼自身にも分かるまいが。


「次はお前に戦利品を山ほど運ばせてやる!

 待ってろよ! 仕事辞めんなよ! 変なとこで死ぬなよ!?」

「またのご用命をお待ちしております」


 冒険者の覚悟に、折り目正しく一礼し、アリオンは今度こそ立ち去った。

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