<8>【錬金術師バルトス】技術水準
馬に牽かれて、荷車が揺れる。
温かな春の日差しの中で、穏やかな風が草原を渡っていた。
こんな光景をバルトスは初めて見た。ゲーテッド・シェルター街のリゾートは何もかもが縦方向に集約されて狭いし、その外の草原なんて、魔王軍の魔導ミサイルが着弾してできたクレーターが、視界のどこかに必ず存在したから。
車高の低い荷車の端に座り、足をぶらつかせていても、ゆっくりと流れゆく道にはバルトスのつま先すら擦らない。巨人の国に迷い込んだ気分だ。
ちょっとしたお遊びで、
あと、服がスカスカした着心地で落ち着かない。
世の女性は皆、平然と当然にスカートをはいているように見えたが、こんな無防備で心許ない衣服をよく平気で着られるものだと、バルトスは今、感心していた。
レイブンが、シェルターにあった予備の簡易ベッドからシーツを剥がして、そこから仕立てた一張羅のワンピースをバルトスは着ていた。なお、シンプルで飾り気無いが、原始的な
それと、本来は靴底に括り付けて使うはずの対毒沼防護板がシェルターに置いてあったので、それをサンダルのように足に縛って靴代わりにしている。
シェルターの入口は、埋め直して隠した。
そしてひとまずバルトスは、人里を探すことにした。
「偉いねえ、嬢ちゃん。
その歳でママと離れて長旅か」
「うむ。故あって、故郷を離れなければならなかったのじゃ」
草原を突っ切る、舗装すらされていない道に出てすぐ、バルトスは親切な初老の農夫と出会った。
街まで野菜を売りに行くところだという彼は、事情も聞かず二つ返事で、ヒッチハイクに応じてくれた。
バルトスはまず、人の姿を見れたことに、次に『街が存在する』という事実に安堵していた。まさか自分が人類最後の生き残りではないかと、少し不安だったから。
『……これ、ちゃんと翻訳できてるの?』
バルトスは傍らのレイブンに囁く。
『はい。
彼の言葉は2081年間かけて変化したコルプノール語と思われ、自動翻訳機能のAIサンプリング解析も短時間で完了しました。
少し癖が付いていますが、意思疎通には問題無いかと』
『ならよかった』
農夫の喋る『未来語』は、聞き覚えがある響きなのに全く意味が理解できず、バルトスは生体インプラントを脳に連動させた自動翻訳機能を使っていた。
未知の言語を解析するには、本来はかなりのサンプリングが必要になるはず。だが、バルトスはものの数分で彼の言葉を理解し、自分も簡単な会話が可能な状態になった。
AIが現代語と未来語の関連付けに成功したのだ。
それはある意味で絶望的な事実の証明でもあった。
この原始回帰したような世界は、次元を超えた異世界などではなく、確かにバルトスが生きた世界の未来。連綿と歴史が続いた先の、成れの果て。
……目の前の農夫にとっては、バルトスの言葉こそが『古代語』なのだ。
『本当に……遠い未来、なんだな。
父さんも母さんも……友だちも教授も……みんな、居なくて……』
バルトスの主観で言うなら、あまりにも多くのものが突然奪われた。
平和なキャンパスライフだけではなく世界すらも。
悲しみなど遙かに通り越して、バルトスは途方に暮れていた。
そうだ。同じ世界の筈なのにまるで別世界。
この平和な景色は何だ。魔族との戦争はどこに消えたのか。
バルトスは思考の速度で発声言語を切り替え、馬の手綱を引く農夫に話しかける。
「のう。
ぬしは、2000年前の戦いの伝説について、何か知らぬかの?」
「2000年前?
っつーと、古代文明が滅んだフェニックス戦争か?
誰でも知ってるようなお伽噺しか知らねえな」
農夫は首から提げた手ぬぐいで、汗を拭きつつ首を傾げる。
「魔王に負けそうになった人族は、このまま魔族の文明だけが残ったら人族は未来永劫奴隷になっちまうって言って、『審判の雷』っつう大魔法で、魔族もろとも自分らを滅ぼしたそうじゃねえか。
お陰で、その生き残りの俺たちが今もなんとかやってるってのが伝説だけど、よく考えたらひっでえ話だよな、これ。
でもねえ、大昔の人がそんな技術を持ってたなんて、あり得ねえと俺は思うぞ。本当は、あの頃の勇者と魔王は、石ころと木の棒で戦ってたんじゃねえかって、ね。
はははは!」
「…………」
バルトスは二の句が継げなかった。
何もかもが遺失と忘却の彼方にあるのだ。
中学生のあの日、ルソッタ川のほとりでバルトスが出会った少女勇者は、軍用アーティファクト・サイバネで武装した機械仕掛けの天使だった。二人はほんの数分、情緒的な会話をした。
六日後に彼女は名誉の戦死を遂げたと報道で知った。そしてまた次の勇者が選ばれた。
ボーイ・ミーツ・ガールの結末は早すぎる打ち切りエンド。あの時の無力感と虚無感が、錬金術師になって
政府の戦況発表がどこまで真実だったか、一介の学生たるバルトスには知りようも無かったが、あの戦争は確かに、人族と魔族のどちらが滅んでもおかしくない泥沼の絶滅戦争だった。
その結果が、現在の世界の有様ということか。
「ん? どうしたんだ、ありゃ」
物思いに沈みかけたバルトスの意識は、訝しげに行く手を睨む農夫の声で、今に引き戻された。
道脇の木陰に、男が二人。
そして行く手には細長く赤い、一筆書きの軌跡。
いや、違う。血痕だ。道の先からこちらへ向かって描かれた血痕は、木陰に倒れている男まで続いていた。
「なんだなんだ、どうした!」
「ああ、あんた! 助けてくれ!」
背中を大樹に預けてぐったりとしているもう一人は、誰がどう見ても無事ではなかった。
「うっ」
草木が薫る風に、むっと、生臭いものが混じる。
農夫もバルトスも思わず、口元を押さえた。
その怪我人は、何か鋭利で巨大な爪によって、腹を裂かれていた。
服の上から包帯代わりの布を無理やりに巻き付けてあったが、流れる血は止まらず、男の尻の下では草花が赤く染まっていた。
真っ赤に染まった即席包帯の狭間からはみ出しているのは……願わくば引き裂かれた臓物ではないと、信じたかった。
「ツレが山ん中で魔物にやられたんだ。
どうにか逃げてきたが……」
「こ、こんなもん、どうしろってんだ」
「待っておれ!」
バルトスは即座に動いた!
かつてシェルター備え付けの非常持ち出しリュックだった鞄から、手製のポーションを取り出したのだ。
シェルターを出る前に、周囲に自生している薬草類をかき集め、どうにか一服、ポーションを調合していた。
無論、自分が怪我をした時のための備えである。だがここで使わねばいつ使うのか。
「そりゃポーションか?」
「ありがてえ!
それでどうにか、神殿に着くまで保ってくれれば……」
腹部以外に特筆すべき傷は無し。
そう判断したバルトスは、ポーションの瓶を逆さにして、中身を傷にぶっかけた。
爆発的な反応光が発生。
そして、破裂!
「「はぁ!?」」
様子を見ていた二人が、揃って素っ頓狂な声を上げた。
ポーションが作用した際の魔力圧で、傷口の服と即席包帯は吹き飛んでいた。
着濡れた服の残骸の下、剥き出しになった腹部は、ヘソのくぼみさえハッキリと見て取れる無傷状態。完治である。流れた血が残っていなければ、先程まで怪我人だったとは分からぬだろう。
「お、おい、大丈夫、か?」
「え、うん。全然……痛くない」
「すまぬのう。
あり合わせの材料で、わらわがこしらえたポーションじゃ。
痕が残ってしまうやも分からぬ。なるべく早く病院に行って……」
バルトスの言葉が途切れる。
三人の男たちは、感謝ではなく、驚愕と恐怖にすら近しい視線をこちらに向けていた。
化け物でも見るような顔だ。
「な、なんじゃ?」
「なんだよ、これ。おい、嬢ちゃん。
なんでこんなもん持ってるんだ」
「あ、あの、ありがとう。
お陰で助かったよ。でもよ、こんなもん……とても払えねえ」
異様な緊張感だった。自分のポーションで人助けができた! という喜びも、吹き飛んでしまうほどだ。
「失礼します」
そこで進み出たのは、バルトスの影のように付き従っていたメイドゴーレム・レイブンである。
「……こちらのバートレットお嬢様は、故あって身分を明かせませぬが、やんごとなき血筋の御方。
このお薬は、お父君がお嬢様のためにとお持たせしたものにございます」
真っ赤な嘘を真実のように、レイブンは滔々と述べる。
無機質で均質なメイドゴーレムたちも、稼働年数が嵩むにつれて、個々の経験の差異から性格に特徴が生まれてくる。レイブンこと11号は、優しく、職務に忠実で、油断ならぬ食わせ物だった。
「薬の代価は、庶民には身代を崩し身売りしようとも払いきれぬでしょう。
お嬢様も、それは望まぬこと。
ですので、あなたが用立てられるだけの金額を相応とすべきかと存じます」
「は、ははあっ!」
男たちはバラバラと、バルトスに向かって、慣れない様子の
額を地べたにこすりつけるその勢いに、バルトスの方がたじろいだ。
『何してんだよ! あれはとても金なんか取れないような、俺が間に合わせで作った……』
『……錬金術学部の備品たる私にとって、学生の命を守ることは最優先事項です』
『命って』
『このポーションを軽んじる態度は、危険であると判断しました』
バルトスとレイブンの間だけで通じる、現代語……否、
大嘘をついたレイブンは、悪びれもしない。
バルトスは彼女の意図を、その意味するところを察し、納得と同時に戦慄した。
人が、文明が、時代と共に右肩上がりで進歩し続けるなんて、決まり切った道理ではない。
逆も起こりうるのだ。
ここは、全ての文明が灰燼に帰し、ゼロからやり直した世界。
バルトスにとっては些細な間に合わせの傷薬でも、現代の人々にとっては奇跡の神薬。
バルトスが、遺失技術を持つ古代人の生き残りだと知れたら、どうなる?
『未来…………』
小さく柔らかな手のひらを見つめて、バルトスは呆然と呟いた。
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