<18>【嫁贄ディアドラ】弱きものたち

「何故ここに居る?」

「人の部屋に勝手に入って良いのは、勝手に入られる覚悟のある奴だけだ」


 ビョウブの平姫ひらひめとヒバチの鉢郎はちろう狐がまた喧嘩を始めて昼寝を邪魔され、暇を持て余したディアドラは、来栖火くるすびの私室に押し入った。

 自分を嫁と呼ぶのなら、夫の部屋に入るくらい何が悪いのかと、居直る覚悟だ。


 来栖火くるすびの私室は、物が多いのに何故か、荒涼とした殺風景な印象を与える部屋だった。

 美しい壺とか、奇妙な形の金貨を入れた宝箱とか、恐ろしい輝きの片刃剣とか、いろいろな物が雑然と飾られている。

 成金趣味、とも違う。

 宝物を貯め込んだドラゴンの巣穴みたいな印象だ。実物を見たことは無いが。


 来栖火くるすびは、そんな部屋の中で仮面を彫っていた。

 始めてディアドラと会った時に被っていたような、恐ろしい仮面を金槌とのみで彫っていた。

 趣味という風でもなく、何か必要な仕事をしているという雰囲気だった。


「………………構わぬ。だが、その辺の物に勝手に触れるなよ」


 来栖火くるすびはしばらく考えたが、気にするほどでもないと思ったのか、諦めたのか、許容した。そしてまた仮面を彫り始めたので、ディアドラも遠慮無くお宝を見て回った。


 素人目に見ても金貨何千枚になるか想像も付かないようなお宝が並んでいたが、その中に、少し趣の異なるものがあった。


「なにこれ。

 私へのプレゼントじゃなさそうだけど」


 上品で古びた、素朴なかんざしだった。

 玉石をあしらっているから、それなりの金額ではあろうが、しかし、この部屋に並んだ他のお宝と比べたらただの古道具だ。


千瀬ちせ、という人間のものだ」

「ふーん。昔の女?」


 来栖火くるすびの手が止まった。


 ――よもや図星かい。


 小さな竜を模った台座の手の上から、来栖火くるすびはそっと、古びた簪を手に取る。

 それを見る来栖火くるすびの瞳が、炎のように揺らめいていた。


「……鬼とは、奪うものだ。

 おれは人に、度々、嫁贄を捧げさせた。

 その畏れこそが力だった。そのための嫁贄だった……」


 ディアドラは、背筋を冷たい手で撫でられたように感じて息を呑む。


 嫁贄。

 『嫁』とは名ばかりで、それは恐怖の糧とするための贄だ。ディアドラも本来はそうだった。

 そして、今まで、この鬼は何人も嫁贄として捧げさせてきたのだろうが……この屋敷に今現在、ディアドラ以外の『嫁贄』は残って居ない。その理由は問うまでもなかろう。


「千瀬だけは、違った。

 千瀬は、さる大名の姫であった。

 己は千瀬を求めたが、大名はまず替え玉を立てたので、これを殺した。

 己は眷属どもを率いて城に攻め入り、人の勇士どもを薙ぎ払い、殺し、千瀬を奪った。

 だが己は……満たされなかった」


 奇妙な感覚がディアドラを捉えていた。

 来栖火くるすびの言葉が脳裏に情景を描き出したのだ。絵芝居を見せられているかのようだった。

 あるいは、一種の念話テレパシーだったのかも知れない。


 千瀬姫。

 触れれば折れそうに儚い彼女は、真紅の羽織を着て、パステルピンクの花吹雪の中で微笑む。

 彼女の印象は、ディアドラが街に残してきた妹とも重なった。


 絵画のように華やかな記憶は、次の瞬間焼け落ちて、作風は悲観主義デカダンスへと変化する。


「千瀬は嘆き、泣き続けた。

 己はどうすればいいか分からなかった。

 千瀬から何をどう奪えば良いのか、鬼たる己が、分からなかった。

 ……やがて千瀬は死んだ。小刀で喉を裂き……」


 鮮血の白昼夢からディアドラが醒めれば、来栖火くるすびはじっと、古い簪を見ていた。


 ディアドラは鋭く、周囲を見渡す。

 無造作に置かれたお宝たち。その価値を来栖火くるすびはどれほど理解しているのだろうか。

 おそらく来栖火くるすびは、この金貨を使うことすら無い。ただ奪い、巣穴を飾るだけなのだ。

 そんな宝物の有様と、かつて奪われてきたという姫の姿が、重なる。


「ばっっっっっっっかじゃないの、あんた」


 ディアドラは呆れと哀れみから、渾身の力で来栖火くるすびを面罵していた。


「馬鹿……? 己が、か」

「そうよ、他人に馬鹿なんて言われるの始めてでしょ。

 だからいっぱい言ってあげるわ。バカバカバカバカバァーカ」


 来栖火くるすびの反応は、いつものように鈍い。

 日頃の彼に比するのであれば、これでもかなり困惑しているのだろうが。


「私、強い奴はどうせ弱い奴の気持ちなんて分からないんだと思ってたけど、ここまでだとは思わなかったわ。

 人間のお貴族様もこんな感じで、下々の気持ちなんて分かんないんだろうね」

「己が、何を知らぬと言うか」

「惚れた女なら守りなさいよ! 悲しませたらダメ。

 たとえば彼女の敵が居るなら、一緒に戦う。あんた暴力には自信あるでしょ。あー、でも弓ぐらいなら姫様にも教えてよかったね。あれは女でも使いやすいもの。狩りもできるし。

 やりたいことは、させてあげる。ワガママ放題させるわけじゃないのよ、自分に譲れないものがあるならちゃんと話して聞かせて、他は譲る。お互いそうするくらいで丁度いいんだって婆ちゃんが言ってたわ。

 それで、記念日には彼女が喜ぶような贈り物をするの」


 来栖火くるすびは呆然と話を聞いていた。

 自分の知らぬ言語でまくし立てられたかのように。


 実際、ディアドラが話したようなことは、彼にとって全く未知の領域だったのかも知れない。

 ディアドラの感想だが……来栖火くるすびは自然現象みたいな奴だ。ただ超然と存在し、在り方を執行するだけの。

 人の心、人の機微など、そもそも思い至らぬものか。

 ならば、人らしい欲など抱いてしまったことが、むしろ悲劇なのかも知れない。


「己が、そうしていたら、千瀬は……どうなった」

「さあね。

 ……あんたに笑いかけてくれたんじゃない?」


 仮面など被らなくても仮面のようだった来栖火くるすびの顔に、血が通った。


「ああ……」


 嘆息は、積み上げた刻の分だけ、重かった。


 刹那。

 霹靂轟き、その瞬きに、部屋は黒白に染まる。

 格子窓が檻のような影を擲った。


「そうだ。己が千瀬を奪おうと思ったのは……桜に笑う彼女を見て、だった……

 己は、あれが、欲しかったのだ……」


 風が渦を巻き、森の木々のざわめく音が、こんな屋敷の奥まで聞こえてきた。

 そして豪雨が屋根を乱打する。


 かの姫がクルスビに笑顔を見せることなど、終ぞ無かっただろう。

 オニは奪うものだと、来栖火くるすびは言った。だが力では奪えぬものもある。


 ディアドラはそれ以上何も言わず、静かに背を向ける。


「どこへ行く」

「こういう時、格好付けた男は独りになりたいもんでしょ。

 ……弱いものの気持ちは、あんたより分かってるよ」


 ようやくディアドラには、来栖火くるすびが、災害ではなく馬鹿野郎に見えた。


「弱きものの世界へようこそ。先輩として歓迎するわ」

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