<17>【錬金術師バルトス】狼藉
北の開拓地へ向かう街道は、せいぜい石が除かれて、いくらか土を均されただけのものだった。
もちろんアスファルトなど無いし、石畳も敷かれていない。ただ、人や馬車の通った跡が見えるだろうかというくらいだ。
新たに開拓団に加わる、30人ばかりの者たちは、その道を歩いていた。
馬車に積まれているのは荷物ばかりで、それで一杯なので、人は自らの足で歩くのだ。
歩く速度は人によって違うのだから、集団行動しようと思えば一番遅い者に合わせることになる。夜が来ればキャンプの準備をするし、朝はその片付けをしてから出発する。昼には一休みして飯も食う。そんなだから一日に20kmも進んでいるか怪しいものだ。
『のんびりしてるなあ』
『この時代のペースですね』
だが、それ以外に移動の手段が無いのだろう。
「大丈夫かい?
疲れたならいつでも馬車に乗ってくれ」
「かたじけない。心配は無用じゃ」
共に北へ向かう、同期の開拓民たちは、バルトスを珍しがってか、何かと声を掛けてくる。
気遣ってくれるのはありがたいけれど、幸い、バルトスの肉体は、この程度で音を上げるほど軟弱ではない。
『バルトス様の生体インプラントによる、心肺機能強化及び自己治癒能力強化は正常に動作しております』
『もっと強力な軍用の生体インプラントとか、どこかで見つかんないかな……
いやダメだ、見つかっても換装手術ができねえか』
『高負荷のインプラントを小児に対して装着することは推奨されません』
バルトスは、現代人には不可能なズル技を身体に仕込んでおり、それは未だに機能していた。
「なあ、あんた、医者なんだって? 本当かい?」
(外見的には)バルトスと同じくらいの歳の子どもを連れた父親が、興奮気味に聞いてくる。
「医者ではない。錬金術師じゃ。
「錬金術師ぃ? お前がか?」
くたびれた出で立ちをした隻眼の傷痍兵が、横から口を挟んだ。
半面を魔法で焼かれた男は、無事な方の目をギョロつかせ、威圧的にバルトスを見下ろす。
「おままごとの泥水スープでも作るんじゃなかろうな?」
「千切れた腕を繋げる程度の薬は作れるぞ」
「千切れ……」
「わらわは領主様に雇われた身の上じゃ。
不服あらばそちらへ申し立てるが良かろう」
子ども(の姿をしたもの)に堂々と言い返されるのがあんまりに予想外だったのか、隻眼の男は怯んで、言葉を失った。
「へっ!
どいつもこいつもおかしいぜ!」
捨て台詞のようにそう言って、男は苛立たしげに足音も荒く、隊列の先頭へ向かっていく。
「なんなんじゃ、あれは」
「……あいつ、医者になりたかったらしいんだとさ」
「わらわに八つ当たりされても困るのじゃがな」
* * *
その晩。
街道脇の藪を申し訳程度の風除けとして、人々は焚火を囲み、テントを並べた。
大きなテントが一張りだけ支給されていたが、どう数えても収容人数が足りない。自前のテントや寝袋を用意できた者はそれを使っており、それすら持たぬ者が大テントで
バルトスは財布にも余裕があったので、旅の準備も万端に整えてきた。悠々と自前のテントを使っている。
睡眠不要かつ、一行で最強の武力を持つレイブンは、夜間はキャンプの周囲を警戒している。
独り眠っていたバルトスは、夜半、物音に気づいて目が覚めた。
『レイブンか?』
とうに焚火も消えたのか、辺りは暗い。
煌々たる月明かりだけがテントの中を照らしていた。
そこに入ってきた大きな影がバルトスに覆い被さり、乱暴に頭を押さえ込んで寝袋の枕に押しつけ、口を塞いだ。
「騒ぐんじゃねえ」
「な、なんじゃ貴様」
辺りは暗いが、声を聞いて分かった。あの隻眼の傷痍兵だ。
何故彼がここに居るのか、何故こんな脅迫的な行動をしているのか、何をする気なのか。全く分からずバルトスは、困惑で身動きできなかった。
隻眼の男は、テントの中に吊り下げられた魔力灯のランプを勝手に点ける。
闇に慣れた目に、光が染みた。
「気にくわねえなあ、その
クソ生意気で、大人のつもりって感じだなあ」
男のニヤニヤ笑いに、バルトスは見覚えがあった。高校時代、『喋り方が反抗的だ』という理由でフットボール部のキャプテンと取り巻きに吊し上げられ、何故か犬の鳴き真似をさせられたとき、彼らはこんな顔をしていた。
馬鹿が正義の名の下に、弱者をいたぶる時の笑顔だ。
「お前みたいなガキには、本物の大人の怖さってやつを教えてやらねえとな。
身体の方も大人か、俺が確かめてやるぜ」
「……!!」
ポルノ・コミックでしか聞いたことが無いようなセリフを、目の前の男が、バルトスを押さえつけながら、バルトスに向かって吐いていた。
人は恐怖ではなく、まず困惑に凍り付くのだと、バルトスは知った。
次いで、押さえつける手を払いのけようとしたが、大人と子どもではあまりに力が違いすぎる。びくともしない。バルトスの生体インプラントは肉体を内部から強化するものだが、あくまでも健康を保つ程度の効果で、怪力をもたらすようなものではない。
声も出せなかった。唇が切れるほどの力で口を塞がれているのだから。
無理やりに引き剥がされたボタンが弾け飛び、真白い柔肌が露わになる。
舌なめずりをして、隻眼の男は
「ホールドアップ」
「ぐふっ!?」
そして、突然、ボールのように横に蹴り飛ばされ、バルトスは自由になった。
見張りに出ていたはずのレイブンが、バルトスにのしかかる男の脇腹に、インサイドキックを叩き込んだのだ。
テントを突き破りそうな勢いで隅っこまで蹴り転がされた男に、間髪入れずレイブンが襲いかかる。
「警告。
あなたの行動は州立ノウレベイ大学学生に対する重篤な脅威と見なし、大学法十七条に基づき自衛権を行使します」
「ぎえええええ! あだだだだだ!!」
「即座に武器を捨てて頭の後ろで手を組みうつ伏せになりなさいさもなくば無力化プロトコルを実行します321ゼロ」
「あ、あがっ。
がっ、ご、ぎ」
見事な手際の荷造りだった。
鯖折り状態の男の膝は、本来曲がらない方向にねじ曲げられ、腕はコンパクトに四つ折りにされた。
それから、首の骨が砕ける音がして、隻眼の男は正方形の生ゴミになった。うめき声は驚くほど早く止んだ。
『……無力化の過程で「事故」が発生しました。
学長の責任問題ですね。広報課にはマスコミ対応を頑張っていただきましょう』
『レイブン……』
いけしゃしゃあと言い捨てて、レイブンは手を拭う。
『どうか、ご用心を。
ここはバルトス様の知る大学都市より遙かに治安が悪く、またバルトス様は肉体的には、犯罪者にとって無力な獲物と見なされる女性で、子どもです』
『分かってる、つもりだったけど……
こんなに急に何かが起こるなんて、思ってなかった』
バルトスは、剥がされた服の前を合わせたまま、呆然と座り込んでいた。
毒がじわりとしみこむように、今更になって自分の身に起こった……起こりかけたことを理解し、震えが湧いてきた。
『判断を仰がずに差し出た真似を致しました』
『いや。正しいことをしたよ。法的にはどうだか分からないけど、正当防衛だったって俺は胸張って言える。
助けてくれてありがとう』
『これは錬金術学部の備品たる私の……』
レイブンは定型句を述べかけて、それから言い直した。
『……私の意思です。
どうぞ感謝を』
『うん。ありがとう』
それから彼女は優しく、バルトスの小さな身体を抱きしめた。
夜風に晒されたレイブンは、駆動熱すら冷めていたけれど、こわばっていたバルトスの身体は、レイブンが触れてやっと動くようになった。
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