<22>【農英雄カルビン】大根役者

「村長。

 買い付けの話だが……」


 ある日、カルビンが村長を訪ねていくと、物々しい光景に出くわした。

 村長の家は村で一番大きいが、それが狭く感じるほどの人が詰めかけていた。


 袖を膨らませた奇抜な服だの、異様に豪華な襟の服だのを着ている貴族たちだ。

 なにしろ、それに随行する兵や使用人たちが取り巻いて群れているので、村長の家は満員状態だ。

 その中心に居るのは、およそ30手前ほどの歳で、カルビンと同じくらい背が高く、胸板の厚い男だった。大儀そうに振り向いたその顔に、カルビンは見覚えがあった。


「カザルム候グラル様のご子息、ジョエル様にございますか」

「いかにも」


 即座にカルビンは跪く。

 直接会ったわけではないが、人前に出たところを見た覚えがあった。

 ジョエルは、このカザルムの領主たる侯爵家の嫡男だ。


 ヨノ村は、カザルム領都ウールスの衛星農村の一つである。

 つまり、ウールスの領主居城にも近いわけだが、こんな泥臭い場所にお貴族様がわらわら現れることなど普通は無い。

 侯爵家の家臣や、取り巻きの貴族子弟を引き連れ、ジョエルがやってくるなど異常事態だ。


「出て行け。村長はジョエル様が御用だ」

「いや、構わぬ。村の者にも聞かせておけ」


 取り巻きがカルビンを睨んだが、ジョエルは軽く手を振って諫めた。

 それは寛容と言うよりも、無関心に近いものだったが。


 ――なんだ?


 見れば、ジョエルと家来どもに取り囲まれた村長は、ハゲ頭のてっぺんまで蒼白に見えるような憔悴状態だった。


「つまり、話は簡単だ。

 私が妻の誕生日に贈るプレゼントとして、貴様らは『シグラの花』を献上すれば良い」

「ですから、それが難しいと申しているのです!」

「私に逆らうか」

「か、可能な限り力を尽くします!

 ですが、あれは努力して見つかるものでも……」


 シグラの花、という言葉を聞いて、カルビンは耳を疑った。


 シグラは気難しい薬草で、栽培は不可能に近い稀少品だ。

 そのシグラは、基本的に花を付けず殖える草だが、数十年に一度だけ花を付ける。花無しでの繁殖には限界があり、それの澱みをご破算にして新生するため、花を付けるのだという。

 ……つまり、シグラの花なんてものは、一生探し続けても見つかるか分からない幻の珍品だ。それを寄越せと迫っているのである。


「いいか。貴様らにも利のある話だ。薬草の産地として名声が高まれば、村の暮らしも豊かになるだろう」


 欺瞞だと、本人も分かっているだろう調子で、ジョエルは村長を詰る。

 村長が言い返さないのは納得したからではなく、剣と権力を携えた男どもに囲まれてとても口答えなどできないからだ。


「我が妻の誕生日は来月だ。楽しみにしておくぞ」


 低く嗜虐的に笑いながら、颯爽とした足取りでジョエルは去って行った。

 取り巻きや護衛たちも、見下した冷笑を残して後に続く。


「無茶苦茶だ……!」


 村長の叫びだけが取り残されていた。


 * * *


 翌日。


「採ってきたぞ」

「はあ!?」


 掘り返した根の部分を、土ごと藁に包んで、カルビンはシグラの花を持ってきた。

 シグラの花弁は肉厚で、緋色から橙色に鮮やかなグラデーションを持つ。その輝きは宝石すら見劣りするような美しさだった。


「な、なんっ、どこから」

「冒険者も近づかねえ山奥だ。こないだ見かけたんでな」

「なんでまた、その時に採ってこなかったんだ。『シグラ』だぞ、家一軒建つ花だぞ」

「使う予定も無かったし」

「ありがてえ、助かったよ……」


 村長は祈るように手をすり合わせ、花を受け取ろうとした。

 カルビンは、すぐには渡さなかった。


「……なあ、こいつをあのドラ息子にくれてやるのか?」

「さもなきゃ、酷い目に遭うぞ」

「昔、奴は同じ手を使って、森を一つ取り上げてる」


 カルビンは冒険者をしていた頃、領内のお偉いさんの顔を覚え、彼らの動向についても真面目に情報を集めていた。

 それは第一に、貴族は上位冒険者の顧客候補だからだが、同時に、目を付けられたら面倒な相手だからでもある。ジョエルに関してはむしろ、評判がよろしくない輩だから警戒する方向だった。


「無理難題をふっかけて失敗させ、『命令に背いた』『反抗的だ』と騒ぎ立てるのさ。

 詫びとして何か、つもりだろう。村が持ってる山の権利とかな。

 命令に従ったところで、次の無理難題が降ってくるぞ」

「なら、どうすれば……」

「名案は無えが……考えはある」


 大人の事情に翻弄される、安い芝居のような人付き合いなど、ああ、どこまでも馬鹿らしいものだ。

 だが生き延びるために必要ならば、カルビンは役を演じよう。


 * * *


 社交とはパーティーである。

 パーティーとは社交である。

 地位ある人々は、何も無くてもパーティーを開く。まして、理由があるならば尚更だった。

 人を集め、人に会い、共に時間を過ごす。そうして生まれた人脈こそが政治を動かす力だ。


 侯爵家嫡男ジョエルの妻……つまり、次期侯爵夫人であるサディアの誕生日には、もちろんパーティーが開かれた。

 侯爵家の家臣や領内の名士、大商人だけでなく、わざわざ隣領から駆けつけた者もある。

 王宮からも祝辞の手紙が届き、朗々と読み上げられ拍手を誘った。


 侯爵居城のダンスホールに煌びやかな人々が集い、宴が始まって、しばし。

 参列者が概ね集まりきったかというところで、この場の誰よりも威風を漂わせる男どもが姿を現した。


「侯爵様。遅参の無礼をお許し頂きたい」

「おお、“六勝七羽アムプトウィング”か!

 構わぬとも、よく来てくれた」


 侯爵自ら出迎えたのは、領内で活動する、有名な冒険者パーティーだ。

 冒険者たちは身分の外のならず者と見なされるものだが、長く活躍した冒険者となれば、誉ある英雄に近づいていく。そして冒険者の側もそれに応え、洗練された振る舞いを身につけるのだ。今宵、冒険者たちが身につけているのは、鎧兜ではなくて上等な仕立てのスーツであった。


「実は緊急の依頼クエストが入りましてな。

 これを是非とも、ジョエル様と奥方様のため成し遂げねばと、力を尽くしておりました」

「何? 何の話だ?」

「おい、カルビン! 来な!」


 “六勝七羽”のリーダー・シルヴァに呼ばれ、カルビンがダンスホールに踏み入ると、いっそ滑稽に思えるくらいのどよめきが沸き起こった。

 理由は、煌びやかな参列者たちと遙か遠い世界の、泥にまみれた野良仕事姿。そしてカルビンが手にした網籠の鉢植え……そこに咲く、この世のものとも思えぬ美しい花を見てのことだ。


「『シグラの花』にございます。

 皆様ご存じの通り、生花が売りに出されれば金貨千枚は下らぬ幻の美花。

 美しさもさることながら、若さを保つ秘薬の材料ともなります。

 ジョエル様は、奥方様のため、これを求めさせたのです」


 シルヴァは戦場で名乗りを上げる騎士の如く、よく通る声を響かせた。

 ホール中からカルビンに視線が集まる。もはや袋叩きにされているように感じるほど、視線の圧力があった。

 そんな中、カルビンは歩みを進め、『シグラの花』を捧げ持ってジョエルの前に跪いた。


「さあ、早くこちらを奥方様に」

「あ、ああ……」


 花に釣られて、視線の向く先はジョエルに変わる。

 予想外の展開にたじろぎつつ、気圧されるようにジョエルは鉢植えを手に取り、サディアに差し出した。


「まあ、なんと美しいのでしょう。

 私の心まで清められていくようだわ」


 貴婦人は夢見る少女のようにうっとりと微笑んだ。

 鉢植えを自ら手に取ることも無く、それは侍従が受け取った。


「我ら、『シグラの花』探索を託されましたヨテ村一同、奥方様のお誕生日を心よりお祝い申し上げます。

 そして深くお詫び申し上げます。お支度が遅れ、あわや間に合わぬところでした」


 その間も、カルビンはじっと頭を垂れていた。

 そして祝いの席には似つかわしくない、鬼気迫る口調で申し述べ……

 今度は抜き身の剣を、ジョエルに向かって差し出した。


「無礼の罪を犯そうとも今日中にお届けせねばと、パーティーに馳せ参じた次第にございますが、晴れの席を泥靴で穢したことは事実。

 私は今日、死ぬ覚悟をして参りました。どうか私を罪人として裁き、以て、他の者たちの禊としてはいただけませぬでしょうか」


 ほんの一時。その気迫によってか、辺りは水を打ったように静まりかえる。


「なんだ、そんなものは罪とも言えぬではないか。

 だろう? ジョエル」

「は、はっ、父上」

「よう働いてくれた。

 褒めてつかわすぞ」


 凍てついた人々を解凍したのは、侯爵の一言だった。

 豪胆だからと言うよりも、彼はカルビンの生き死にも、命懸けの覚悟も何とも思わぬゆえに平然としているのだ。


 シルヴァの控えめな拍手が始まると、それが周囲の人々に伝染し、やがて大歓声が沸き起こった。

 もしかしたら皆、宴席の余興のような気分で見ていたのかも知れない。

 カルビンはまだ頭を垂れたまま、静かに奥歯を噛みしめていた。


 * * *


「しっかし見物みものだったなあ、あのバカの顔!」


 堅苦しくて華やかなパーティーは終わり、もはや明け方も近い時間。

 冒険者どもは、お上品な酒では刺激が足りず、宿の酒場で飲み直しているところだった。


「『あ、ああ……』つってよ!」

「経緯はどうあれ、この件に注目が集まった。

 コソコソ悪事を働くのは、多少難しくなったろうな」

「特に領主様を巻き込んだのは正解だったぜ。

 親子揃ってしょうもない業突く張りだが、親父さんはまだ話が分かるからな」


 “六勝七羽”の面々は、社交パーティーでの顛末を肴に酒を飲んでは、豪快に笑っていた。


「済まん、シルヴァ。本当に助かった」

「お安い御用だ。お陰で、つまらん付き合いのパーティーが楽しくなったよ」


 此度の一件、カルビンは旧知のシルヴァに助けを求めた。

 お誕生日会に乗り込んで騒ぎを起こそうと思ったはいいが、力尽くで押し入るのは最終手段だ。自分を招き入れてくれる協力者が居るなら、その方が良い。


「でもな、もしあそこで本当にぶった切られたら、どうする気だったんだ?」

「そん時は……」


 カルビンはまだ白面しらふであった。

 酒ではなく、冷たい水を一杯カルビンは呷り、燃えるように火照った身体に流し込む。


「死なば諸共、だ。

 あそこで躊躇わずに俺のくびを取るほど無茶苦茶な野郎なら、どうせ俺を殺しても止まらねえだろ。

 なら俺が終わらせてやる」


 酔いも醒めた様子で、冒険者たちは押し黙った。


「いざって時は早まるなよ、カルビン。俺たちも力になれるから」

「迷惑は掛けられねえ……」

「水くさいぞ!」

「見殺しにさせてくれるなや。

 こっちも引き際ってもんは心得てるから、心配無用だよ」

「そうか、悪いな」


 カルビンは嘆息した。

 そしてようやく、シルヴァに注がれた酒を飲んだ。


「全く……

 お前はいつだって本気だから、怖いし、良い奴なんだ」

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