<12>【錬金術師バルトス】遺言

 幸い、街に入るのに、市民IDカードなど不要だった。

 指名手配犯でなく、かつ入市税を払える者なら、門番は簡単に通してしまう。

 あまりにもいい加減だ。これでセキュリティの意味があるのか、バルトスは心配になるほどだった。


 驚くべき事に、その都市はルボロワという名前だった。

 大学との位置関係からしても、確かに、この辺りにルボロワがあるのはおかしくない。


 星系規模で展開するゲーミング音響機器メーカーの企業城下町だったはずで、『ルボロワ』とは元々、その企業名だったはずだ。

 バルトスも、ルボロワブランドのヘッドホンを愛用していた。夏休みの工場見学で訪れた時に、テンションが上がりすぎて衝動買いしたのだ。


 もちろん、ルボロワの街は、バルトスの記憶と全く異なる有様だった。大通りを走るのは、魔法動力すら使わない原始的な馬車だったし、そこで売られていた最も高価な音響機器と言えば……恐ろしい話だが、蓄音貝エコーシェルだ。


 バルトスは、まっすぐ図書館に向かった。

 受付では市民証の提示を求められたが、無くても入館税を支払えば入れた。それが高いか安いかバルトスには分からなかったが、バルトスは必要だと思ったもの(ゲーミングヘッドホンとか)に金を惜しまない性質たちだった。


『これが……この時代で世界有数の図書館の、錬金術解説書……?』

『はい』


 何かの間違いであってほしいとバルトスは思ったが、レイブンの返答は無情だ。


 世界に誇る大図書館があると聞いてやってきたのに、バルトスが通った州立図書館の半分以下の、こぢんまりしたサイズの建物だった。しかも物理書籍しか存在しないのにこのサイズと言うことは、蔵書量で比較するなら1割未満だろう。


 巨大な本棚が並ぶ図書館には、奇妙な香りが満ちていた。古い紙の匂いだと気づくまで、少し掛かった。

 図書館の椅子も、百科事典サイズの本も、今のバルトスにとっては大きすぎて、バルトスはレイブンの膝の上に座って、彼女に本を支えてもらった。要するに読み聞かせスタイルなのだが、読んでいるのは童話絵本ではなく、錬金術の学術書だ。


 生体インプラントによる現実置換RR翻訳を通して学術書を読んでいたバルトスは、徐々に、やり場の無い怒りと驚きで、手を震わせ始めていた。


『信っじられない!

 じゃあ何か!? この時代の錬金術師は職人のカンで調合してるってのか!?

 いや、尚悪い! 本来の最適調合比率が割り出せないなら、初歩的な効果しか引き出せない!』


 錬金術を知らない者でも分かるよう料理に喩えるなら、料理の専門書に『肉は焼くと美味いことが分かった』と書いてあるレベルだ。専門家が専門家に向けて、知見を共有するために書いた書物が、そのレベルなのだ。 


『ほぼ全ての技術が遺失し、ゼロから再発明された、という印象を受けます。

 マナ・アナライザーの概念すら未だ存在しないようです』

『これが、ねえ』


 バルトスは、ピルケースのような装置を腰のポーチから取り出して眺める。

 これがマナ・アナライザーだ。


 魔法薬ポーションの調合は繊細な作業だ。同じように育てた同じ種類の薬草でも、その含有成分には、錬金術的に無視できない誤差がある。

 その数値化、計測、最適比率の割り出しと組み合わせが、近代錬金術……バルトスにとっての『近代』で、今の人々にとっては古代の遺失技術だが……の基礎と言える。


 マナ・アナライザーは、調合素材の含有成分を調べる道具の総称。

 バルトスが持っているのは携行用の小型タイプだ。錬金術学部の購買部へ行けば子どもの小遣いでも買えるアイテムだった。

 ……全ては過去形の出来事だ。

 今や、バルトスが持っている使い古しの小型アナライザーは、世界を変える超越的古代遺物オーパーツとなってしまった。


『俺が、マナ・アナライザーを「発明」すべきなのかも知れない』


 しばし考えてバルトスは、その結論に至る。


『俺の持ってるマナ・アナライザーが世界で唯一の品になっちまったら、激マズだろ。

 ……俺は世界を吹き飛ばす爆弾を持ってるってことになる。もし知られたら、俺を狙って世界大戦が起こりかねないぞ』

『その蓋然性は高いと判断します』

『だから……現代の材料でアナライザーの再現を目指すんだ。

 そして世界にばら撒く。

 最悪、精度はおもちゃレベルでも構わない。最初のきっかけを渡せば、俺よりよっぽど頭のいい人らが勝手に開発して改良してくれるだろ』


 バルトスは勇者でも英雄でもない。ただの、落ちこぼれ寄りの大学生だ。そんなバルトスが、世界を変える技術など抱えているのは身に余る。


 この2000年が過ぎてしまった世界で何をするにしても、少なくとも、身の丈に合った平和な生活を送りたい。それは前提条件だ。

 歴史に名を残すなんてガラじゃない。軍事独裁帝国とか悪の秘密結社に利用され、拷問の果てに殺されるくらいが関の山だろう。

 自分が持つ知識と技術を、どうにかして他所に放り投げてしまえば、ひとまず、世界がバルトスを狙う理由は無くなるはずだ。


『可能でしょうか。シンギュラリティ・コンポーネントの再現が必要になりますが』

記憶野ドライブに設計図とか持ってない?』

『ございません。

 自己修繕用パーツの設計図ならございますが』

『んんー』


 実習支援を仕事とするゴーレムなら、利便性のために設計図を色々と記録していたかも知れないが、レイブンは事務仕事が主だった。

 余計なデータを無闇に集めて、記憶野ドライブを圧迫するのは良くないとされていた。レイブンは学生と関わることが多かったから、学生とのエピソード記憶に容量を割いていたのだろう。職務上必要なデータだ。


『俺が居たシェルターみたいな場所、他にも無いのかな。

 ゴーレムの製造設備……いや、パーツを作る設備だけでも見つかれば、なんかそれっぽい物は作れると思うんだ』


 錬金術師の仕事と言えば、魔法薬ポーション調合とゴーレム作り。

 バルトスの専門分野は魔法薬ポーション調合だが、ゴーレムの方も心得はある。


『ここまで大学地下のシェルター以外に、2000年前の建造物は見受けられません。

 内部の設備まで無事な建造物を探すのであれば、容易ならざる探索が予想されます』

『そもそも、そういう「遺跡」が他にあるのか、って話だもんな』


 * * *


『あるじゃん』

『ありましたね』


 巨大な蟻地獄みたいに平原が掘り下げられ、黒光りする巨大なサイコロ状の建造物を露出させていた。発掘がされたのは結構昔の出来事らしく、掘り返された斜面は既に、緑なす草のゲレンデとなっている。

 くぼみに溜まる雨水を谷川に逃がす、溝状の道が作られていて、バルトスたちはそこから『遺跡』に近づくことができた。


 そこはルボロワ付近の平原地帯だ。

 『遺跡』の存在は有名らしく、街でいくらでも話を聞けた。神が悪魔を閉じ込めた神話時代の牢獄だとか、古代文明時代の宝物庫だとか、みんな好き勝手言っていたが多分全部当てずっぽうだろう。場所が分かれば十分だ。


『情報によると、内部の透視も、テレポートによる侵入も不可能である事から、現代の人族からは謎の金属塊と見なされているそうです』

『そりゃ入れないって。

 法規制されてるんだから、アンチテレポート構造ぐらい駄菓子倉庫にすらあるでしょ』


 全く継ぎ目が無い、キューブ状の金属塊に見えるが、これは建物内側のモジュール部が露出しただけのものだ。

 何らかの建物の地下構造だろう。

 地上部分は長い年月の間に風化したのか、文明を滅ぼした『審判の火』とかいう超兵器で燃え尽きたのか……はたまた、大学のように軌道爆撃で吹き飛ばされたのか。


 調査が諦められ、今では夢を追うトレジャーハンターすら跨いで通るという金属塊の壁面を、撫でさすりながらレイブンは調べていく。


『ここが入口ですね。

 本来は自動ドアの接続口。単純な電魔複合キーです』

『ハックできそう?』

『鍵部分を動かす構造さえ無事なら……』


 滑るような黒の壁面に、青白く幾何学的なラインが迸った、と思った途端。壁の一面がスライドして四角く開く。


 その向こうから、皺だらけで骨と皮だけの人間が飛び出してきた。


『うわあああ!?』


 バルトスは仰け反って尻餅をついた。

 そのバルトスの目の前で、ミイラ化した人間は、うつ伏せに倒れ込んだ。


 そう、ミイラである。死体が腐敗より早く乾燥した場合、形を保ち続ける。これはバルトスの時代には、しばしば発生する現象だった。生体インプラントが死後も肉体をある程度保つためだ。

 扉にもたれかかって死んだ者が、遙か長い時間を掛けてミイラとなり、今、太陽の下に出て来たのだった。


『……し、死体、か。2000年前、ここに隠れた人の』

『バルトス様、お召し物が』

『あっ』


 へたり込むバルトスの下には、生暖かい水たまりができていた。


『だああ、もう! これだから子どもの身体はっ!

 こん中に変身薬の解毒剤無いか!? 解毒剤!』


 小さな手で頭を掻きむしってバルトスは立ち上がり、死体を避けて、つかつかと遺跡へ踏み込んでいった。


 瞬間、息を呑む。


『これ、全部……文字、か?』


 扉の向こうは、何かのロビーみたいな、ほとんど何も無い部屋だった。

 そこに、模様と勘違いするほどびっしりと。

 手が届く高さまでの壁に、床に。

 文字が、文字が、ひたすら文字が書かれ、埋め尽くされていた。


 空調がまだ生きていた頃、積もらせたとおぼしき埃の下に、文字が残っている。鮮やかに黒いそれは、『万年インク』によるものだろう。適切な魔法薬で洗い落とさない限り、1万年でも残るという売り文句だった。少なくとも2000年保つことは、ここで証明された。

 それを壁に書いたのは、メモ用紙が手元に無かったからか。それとも脆いメモ用紙より壁に書く方が長い時間確実に文字を残せると思ったのか。


『「これを見つけた者が、魔族ではなく人であることを願う」……』


 バルトスは読み始めた。自分の身長より高い場所の文字を読むのは、首が痛くなりそうだったが。


 ミイラになった男の、遺言書だった。

 彼はコルプノール連邦議会の議員だったらしい。

 高校時代にスカイボールの惑星大会でチームが三位になったとか、養殖漁業の振興で歴史に残る業績を残したとか、そんな自伝のようなどうでもいい自分語りが前置きとして書かれており、一旦バルトスはそこを読み飛ばした。


 次に旧世界の滅亡について、おおよそ、ここまでにバルトスが聞いた話と合致する内容が書かれていた。

 対魔王軍の戦況が悪化し、人族の滅亡に片足突っ込むところまで来たという話。実験段階にあるダークマター燃焼兵器『審判の火』を使い、人族文明もろとも魔族を焼き尽くす決断に至ったという話。自分たちの決断で守るべき人民すら殺すことへの謝罪と言い訳。


 そして……この地域は『審判の火』から特に甚大な影響を受け、全てが終わって120年が経過した今も尚、外に出られないということ。

 あのミイラ議員は、自分一人だけシェルターに逃げ込んだはいいものの、出られなくなってしまったのだ。もちろん救難信号を受け取る相手ももはや存在しない。


 ぞっとする話だ。

 2000年の冷凍睡眠状態に陥っていなかったら、バルトスも『審判の火』に焼かれたか、シェルターに逃げ込めても出られないまま死んでいたところだったのだ。


 滅び燃え落ちていく世界の中で閉じ込められ、長年の孤独に晒された男は既に狂いかけていたようで、文章は徐々に脈絡を無くして読みにくくなっていく。

 だが、その中で、目に焼き付くほどに強い力を持った段落があった。


『「これを読んでいる生き残りよ。我らが灯した、罪の炎の落とし子よ。

  私は君に残酷な呪いを掛けようと思う。

  どうか幸せになってくれ。そして可能なら、君なりのやり方で世界を少しでも良くしてほしい。

  これは、我らが遺した君の義務である」……』


 そしてバルトスは、読み終えた。

 そして、ずっと息を止めていたかのように、長い、長い息を吐いた。


『……そういうのは俺みたいな普通の学生じゃなく、勇者とか大統領とか、もっとすげー奴に言ってくれよな』


 そうもいかないのだと理解しつつ、バルトスはこぼす。


 2000年以上の時間が流れ、かつてバルトスが生きていた時代の記録さえ現代には残っていない。生き残りへのメッセージを本当の意味で受け取れるのは、バルトスだけだ。今を生きている人々ではない。

 好むと好まざるとに関わらず、バルトスはふるき世界の全てを背負う立場なのだ。そのことにバルトスは、ようやく、気づいた。


『この場所はいかが致しましょうか、バルトス様』

『使えそうなガジェットとかパーツがあれば、それだけ抜いて行こう。

 で、入口はもう一度閉じた方が良いだろうな。絶対開けられないはずの古代遺跡を開ける奴が現れたー、なんて話にはならない方が良い』

『はい。私もそのように考えます』


 外から見た高さとこの部屋の高さからすると、この遺跡はおおよそ三階建てだった。奥には何か有用なものが残っているかも知れない。

 それを奪ったら、今はひとまず、おさらばだ。ミイラ議員を戻して、扉を閉じて施錠し、バルトスは立ち去る。


 つまり、この部屋に刻まれた遺言メッセージは、バルトス独りが抱えていくことになる。


『世界を、ね……』


 バルトスは呟いた。


 冷凍睡眠状態に陥ったのも、2000年以上生かされたのも、その間に文明が滅んだのも、バルトスにはどうしようもないことだった。何の責任も選択の余地も無く、流されただけだ。

 だがその結果を全て背負ってこれから何をするかは、バルトスに委ねられ、託されていた。背負った荷物を捨てることさえも、誰かへの反抗ではなく、もはやバルトス自身の選択と決断なのだ。

 いつの間にかバルトスは、奥歯を食いしばっていた。


『とりあえず格好付ける前に着替えましょう、バルトス様』

『お前たまに酷いな?』

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