<4>【嫁贄ディアドラ】祝福無き嫁入り

 長く流浪の旅をしたディアドラも、こんな奇妙な建物は見たことが無かった。


 谷底に満ちた、怪しげな薄青い霧の向こうに、紙張りのランプ(?)を灯した木造の館が建っていた。

 内装は分厚い紙を張った引き戸と、草を編んだ床が特徴的で、まるで建物そのものが呼吸をしているかのように、じっとりと湿気を帯びている。そんな中ディアドラは細く曲がりくねった廊下を引っ立てられていった。


 そして光射さぬ、ロウソクの明かりだけが朧に照らす最奥にて、ディアドラはと対峙した。


 ――これが……『東の魔物』……


 それは異形の面を被り、帯で留める服を着た、人型の存在だった。

 背が高く、しなやかに鍛えられた肉体を持つ男……の、ように見える。

 だが、それは人ではない。魔物の群れの親玉だ。


 それは『オニ』と呼ばれていた。


 遙か東の地で、争いに敗れて逃れてきた群れなのだと言われる。

 本当かどうかは分からないし、ディアドラにはどうでもいい。


 この荒野に人がやってきて街を築いたとき、その鬼は既に、谷底に住んでいた。

 鬼は、やがて手下を率いて開拓民の集落を襲うようになった。そして開拓民たちの命の担保として、領主の娘を『嫁』に要求した。

 

 『嫁』とは奇妙な言い回しだが、つまり生贄の要求だと誰もが理解した。実際それで正解だったようだ。


 魔物に領主の娘を差し出すなど、どのような形でもあってはならぬこと。

 故に領主は、替え玉を立てた。

 ほんの一年、いや半年でも構わぬから、時間稼ぎをするための、身代わりを。


「貴様、おさの娘ではないな」


 異形の仮面の奥から、射貫くような眼光を感じた。

 純白のウエディングドレスを身に纏うディアドラは、音も無く息を呑む。


「いいえ!

 私はシャーロット。カザルム領主の娘です!」


 ディアドラがこの場に来たのは、大義ではなく金のためだ。

 貴族たちにとっては端金であろう、しかしディアドラには目も眩むような金。

 たった一人の家族、長患いの妹のためだった。


 魔法も使い、化粧も使い、もはやディアドラには何なのか分からないような生まれてはじめての美容法まで練り込まれて、ディアドラは領主の娘に化けた。

 あの、油断ならぬ目つきをした美容師……おそらく正体は領主の抱える密偵スパイだろう……も、完璧だと言ったではないか。

 だが鬼は、言葉すら交わす前から、それを見抜いていた。


「ああ、娘可愛さに身代わりを立てる者なぞ、過去にごまんと居ったぞ。

 人の浅知恵など何処いずこの地でも同じよな」


 エキゾチックで典雅な、何かの楽器の演奏のような声音で、鬼は呟く。

 そしてディアドラのあごに、鋼の輝きを持つ鋭い爪を備えた手を這わせ、顔を覗き込んだ。


「……見せしめが必要だな。

 娘。貴様を喰らうのはめだ。

 生きながら五体を引き裂き、苦痛に歪めた首と、はらわただけを村に投げ返してくれよう」


 鬼は、異形の仮面を脱いだ。


「ひっ……」


 きりりと切れ上がった鋭い目を持つ、黒髪黒目の男だった。

 研がれた刃のように無欠の美貌。夜闇の如き、おぞましい美しさだ。闇色の目の中には、生と死が、朝と夜が、相反する全てがあった。老若男女問わず、誰もが見とれて溜息をつくような美しさだというのに、ディアドラは恐怖した。言葉では表現できない、魂の底から震えるような原初の恐怖だった。


「のう、まるで自分だけが誇り高く……この世を負うたかのような顔だな。

 傲るなよ、娘」

「なら……そう言うあんたは、何なんだ」


 だがそれでも今、ディアドラの怒りは恐怖を上回った。

 恐怖は常に、誰かがディアドラを支配する道具であり続けた。ディアドラはその事に、とっくにうんざりしていた。


「王様も領主様も魔物も、みぃんな同じだ!

 生まれたときから、あたしらには無いものばっかり持ってて、当然みたいな顔して弱い者をいたぶるんだ!

 それこそ何様なんだ!」


 間近でディアドラに咆え掛かられても、鬼は、何も感じぬ様子だった。


「よかろう。まずは、その腕と引き換えに問答を許す」


 鬼の所作は、あまりにも自然だったから、ディアドラは一瞬、自分が何をされたのか理解できなかった。


 鬼がディアドラの右の二の腕に触れた、その瞬間にディアドラの右腕は、肩の付け根から微塵に裂かれて血煙と化したのだ。

 純白のウエディングドレスが鮮血に染まった。

 そして、心臓を握り潰されているような激痛が、ディアドラを襲った。


「……っ! あっ、は、あ……」

「さて、如何なる話であったか」


 奥歯を食いしばってディアドラは、悲鳴をこらえた。

 泣き喚いたところで救われはしない。


「あんたは……なんで、私らを……苦しめるんだ……」

「はて、苦しめようと考えた覚えは、とんと無いのだがな」


 脂汗と血が混じり流れた。

 その様子を鬼は、眉一つ動かさずに見ていた。


「貴様ら『開拓団』とやらが現れる前から、おれは、この地に住まうておった。

 まあ、人が現れて目先をうろついたところで、己は何とも思わぬさ。

 だが、我が眷属の矮小なるものを、一つ二つ、貴様らは殺した。人など到底喰わぬ、喰えぬような小さなものを。

 ……我が故郷の人どもは、小鬼のうろつく如き気にせぬものであったが、貴様らは違うらしい」


 鬼の言葉は、決して咎めるでもなく、なじるでもなく。怒りすら感じさせない。

 自然の摂理を語るかの如きものだった。

 水に頼み込んだところで、低きより高きへは流れぬ。それと同じように、鬼は、正義ではなく摂理として動いたのだ。


「詫びる気があるなら娘ぐらいは差し出すであろう。

 だが、そのつもりも無さそうだ」

「ハッ……

 結局は、偉い奴ら同士が話して、自分以外の命の勘定してるだけじゃんか」


 理由が何であろうと、ディアドラにとっては同じ事。

 ただ、自分から全てを奪い去っていく理不尽だ。


 ――失敗したよ。ごめん、ヴェロニカ。


 心の中でディアドラは、妹に詫びた。

 ともかく、ディアドラを令嬢の替え玉にするという、領主のはかりごとは失敗したのだ。

 鬼は開拓地に攻めてくる。ヴェロニカも死ぬだろう。いや、でなくても作戦が失敗したなら、領主はもう金を出さないかも知れない。


 終わりだ。

 ならば、せめて、一矢報いる。

 滔々と勝手な理屈を語るこの鬼は、世界の全てが思うままになるとでも勘違いしているのだろう。

 だがディアドラは、最期までディアドラのものだ。


「生きては帰れないと思ってたさ。

 だったら自分で死んでやる!」


 太腿のガーターに、ディアドラは刃物を仕込んでいた。


 それを抜き放ち、我が身に突き立てようとした、刹那。

 鬼の鉄面皮が歪んだ。

 そしてディアドラの想像より遙かに素早く手を伸ばし、仕込みナイフの刃を掴み、握り砕いた。鬼の手は、うっすらと血が滲んだだけだった。


「己が、貴様の自死を、いつ許した。

 己のものを壊していいのは、己だけだ!」


 憎しみ無き憤怒を向けられてディアドラは、死すらも奪われたことに絶望するより、驚きが先に立った。

 鬼は、明らかに動揺していた。

 

 息詰まる沈黙の中で、ディアドラと鬼の視線がぶつかった。傷の痛みで鼓動を感じなければ、時間の流れを認識できないほどの緊張感だった。

 部屋の隅には、ぐるりと、人のようなそうでないような形をした魔物たちが控えている。彼らも主の怒気に当てられ、狼狽えた様子でどよめく。


 やがて鬼が、口を開く。


「娘。名は」

「……ディアドラ」

「であどら、か。

 しばし屋敷に置いてやろう。生き延びられればな」

「えっ……?」


 急転直下だった。

 一体どういう風の吹き回しでこうなったのか、ディアドラは首を傾げるしかない。


荒間牙あらまが、腕をくれてやれ」

「本気ですか、旦那様」

「貴様なら腕なぞいくらでも生えてこよう。

 それとも、この娘、片腕で働かせるか」

「そうではなく……はあ、いや、かしこまりまして」


 鬼の手下の一匹が命じられ、こちらも首を傾げつつ、それでも主命には従った。


「来い」


 荒間牙と呼ばれた妙に大柄な男は、衝撃と失血でふらついてまともに歩けないディアドラを、半ば担ぐようにして引っ張っていく。


「……千瀬ちせ……」


 鬼が何かを呟いた。

 ディアドラは、誰かの名を聞いたような気がした。

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