<10>【運び屋アリオン】怪しい依頼

 その日、アリオンに舞い込んだ仕事は、依頼クエストへの同行ではなかった。


「薬の配達、ですか」


 冒険者ギルド支部の食堂へアリオンを呼び出したのは、ユジュローという冒険者だ。

 力と自信に満ちあふれた雰囲気の、ガタイのいい男だった。


「ああ、俺が届けるはずだったが、別の依頼クエストが入っちまってな……

 お前には、俺の冒険に同行するのと同じだけ、報酬を払おう」


 つまりは試用ですらない、ただの下請け仕事だ。

 とは言え、金と実績が欲しいアリオンには、それでも十分ありがたい話ではある。


「ポーター、これぐらいの仕事はできるだろう?」

「……可能です」

「よろしい。確実に届けてくれ」


 ユジュローは、油を塗ってテカらせたような笑みを浮かべて言う。

 悪意無き、自然な見下しというのを、アリオンは知っていた。まさしく、その類だった。彼はアリオンを自分と同じ『人』として認識していない。


 ――ああいう輩が、わざわざポーターに金を出すか?

   大事な荷物をポーターに預けるか?


 見下されていようが、仕事とは無関係の話。割り切って働くのはやぶさかでないが、しかし、少しばかり気に掛かった。

 生き延びることまで含めて仕事だ。そういう意味では、仕事は既に始まっている。

 果たして、この仕事を信用していいものかと。


「おい」


 低く抑えた、だが確実にアリオンに向けられた声。


「ポーター。

 ちょっとこっちへ来い」


 遅い昼飯を食っていた冒険者が、周囲を伺いながらアリオンを手招きしていた。


「その仕事、今から違約金払ってでもやめとけ。

 ユジュローの野郎、運輸ギルドに守られてない根無し草の運び屋を使って、度々悪事を働いてるんだ」

「悪事とは?」

「例えば気に食わない相手が居たとする。

 ヤクでも邪教典でも、他所の街から禁制品をそいつに送りつけて、門番に密告しておく。

 門番は禁制品を見つけると評価が上がるだろ。場合によっちゃ金一封だ。喜んで協力する。

 相手は悪くすりゃ牢獄送り、それを免れても悪い評判がつきまとう。

 それで自分はバックレるのさ。何せ、ギルド外の運び屋を使ってるから記録も残らない」


 怒りによるものか、警戒によるものか。

 アリオンは、手足の先から凍り付いていくように感じていた。


 同業組合ギルドというのは、文字通りに同業者同士の相互扶助組織であるし、政治力を行使するための徒党でもある。

 一般的にギルドは、縄張りを侵すギルド非加盟者など、ありとあらゆる手段で排除するものだが、冒険者や隊商に荷物を預けて他所の街へ届けさせるのは、運輸ギルドというものが成立する以前からしばしばあったことだ。今更それを止めるわけにもいかない。

 だが、当たり前だが運輸ギルドは、自分たちと無関係の仕事で後ろ盾になどなってくれないのだ。


「お前も無事で済むかは運次第だぜ。だからやめとけ」

「……私は運び屋です。荷物の中身には関わりません」

「そうか、なら好きにしろ」


 冒険者は、食いかけのパスタをまた啜り始めた。自分ができるお節介の限度を見極めるのも、また、命を守る知恵だった。


 * * *


 街道は、沼地を迂回して大きく蛇行していた。

 近道をしようと思えば沼地を突っ切ることも、一応、可能だ。そのための(腐っていないか少し心配な)桟橋の道も、一応存在していた。


 この桟橋は昔、何か理由があって作られた道らしいが、使う者はほぼ居ない。

 馬車ではとても通れない細い道だし、何よりも沼地を突っ切る道そのものが危険だからだ。


「居やがるな」


 ガスを発泡させる、汚らしい水面を透かし、アリオンはその下で蠢くものを見る。


 沼の水の塊みたいな、不定形の何かが、浅瀬に折り重なっていた。

 スライム、という魔物だ。


 ニオイや振動、魔力などを感知して発生源に這い寄り、それが有機物であれば消化液を分泌して捕食を試みる。ただそれだけの、生物としては極めて低級ながら、生きた罠としては一級品の魔物だ。

 頭もまともな内臓も存在せず、ぶった切れば二つに分かれて生きていくような奴だから、普通の武器では対処できない。むしろ強酸の体液で装備を破壊されてしまう。


 スライムは湿り気があって栄養さえ十分なら、いくらでも増える。

 沼地の生物もスライムの餌であり、この沼地はもはや駆逐不可能なほどにスライムが増えて、近道としてすら割に合わなくなった。桟橋には、スライム除けのため申し訳程度に塗料が塗られていたが、最近になって塗り直された様子は無い。管理を諦め、放棄されたのだろう。

 今ではこの沼地を通るのは、命知らずの冒険者くらいだ。


 アリオンは、桟橋周りに群れているスライム目がけ、干した小魚をばら撒いた。


「そら、来い。おいしいエサだぞ」


 たちまち水面はざわめいて、気色悪く滑る頭が、いくつも浮かび上がってきた。

 そこにアリオンは続けて、背負い袋を投げ込んだ。


 * * *


 人が住む街は、大抵の場合、魔物の侵入を防ぐ方円の壁によって囲われている。

 その壁に出入りするための『街門』は、街に入る人と物を見張る検問所で、徴税の場でもある。


 領都ともなれば大都会、出入りする者も桁外れに多い。

 ウールスの街の街門が開く朝八時には、門前宿で一夜を明かした商人や旅人が、門前に長蛇の列を作っていた。


「次の者!

 入市証を提示せよ!」


 閉所でも使いやすく、剣やナイフに対して射程の優位を取れる短鎗は、暴徒の制圧に(……常にではないが)有効な武器だ。それ故、街の治安を担う衛兵の象徴であった。

 門番の衛兵は、手にした短鎗の石突きを威圧的に打ち鳴らし、指示を出す。


「ポーターのアリオンです」

「入市の目的は」

「この街でユジュローという冒険者から荷物を預かり、配達を行うはずだったのですが」


 言いながらアリオンは、ボロボロに朽ち果てた背負い袋を衛兵に見せる。

 袋の中身は、行李型の小さな宝箱だ。運搬中に荷物を保護するための容器である。スライムの消化液で黒く朽ちて、箱を縛る紐も千切れていたが、まだ形を保っていた。中身は無事なはずだ。


「西の沼地でスライムの群れに襲われて、荷物が破損し、宛所も分からなくなってしまったのです。

 なので、その報告と確認をしに」

「よろしい、荷物を検めさせよ」


 衛兵は遠慮無く箱を開ける。


 中身は、ラベルすら無い薬瓶だ。

 素人が見ても何が何だか分からない品だが、衛兵は一目見て血相を変えた。


「なんだこれは! どこで手に入れた!?」

「私は荷物を預かっただけです。

 これが何なのかも知りません」

「話は詰め所で聞く。来い!」


 乱暴に腕と荷物を掴まれて、アリオンは門塔内の衛兵詰め所へ引っ立てられていく。

 後ろに並んでいた者たちが、突然の騒ぎに驚きざわついていた。


「……ありがてえ。来月、息子が生まれるんだ」

「お互い様というやつですよ」


 アリオンを引っ張っていきながら、衛兵が囁いた。

 夜中に街まで帰ってきて門前宿に泊まったアリオンは、昨夜のうちに門番に話を通していた。


 門番は禁制品を見つけると評価が上がる。場合によっては金一封。

 喜んで協力してくれた。

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