<15>【運び屋アリオン】六枚の銅貨

 アリオンが、速達の手紙を届ける仕事を終えてウールスに戻る途上だった。


 人通りが多い街道上には、自然発生的に(もしくは誰かが整備して)休憩所が生まれる。雨がいくらかしのげるような大樹の陰に、倒木の椅子と竈の石積みでもあったら上等だ。賢明な行動とは言いがたいが、日が暮れてしまったらここでキャンプもできる。


 そこでアリオンが独り、休憩していると、声を掛けてくる者があった。


「ねえ、

 お父さんは、ものを運ぶ仕事をしてるんだよね」


 人間で、11,2歳ほどの少女であった。

 なんとなく物腰から年頃は分かるが、外見的にはやせっぽちで小柄で、少し幼く、痛ましくか弱く見える。

 彼女は倒木に腰掛けているアリオンを、すぐ隣に立って覗き込んでいた。


「そうだけれど、ちょっと違うかな。

 簡単に言えば、荷物持ちだ。大変なところに行く人の荷物を預かって、後ろから着いていって、運ぶんだよ」

「ならちょうど良いや。私の荷物、持ってよ。お仕事として依頼するから」


 少女は、ズンと重い音を立てて、パンパンに膨れた鞄を二つ、足下に置いた。

 表面がハゲて、接ぎも当てられた、古い革の鞄だ。


「まあ……依頼なら断らないが」


 アリオンが鞄を担ぐと、どこへ行くのだとも言わないまま、少女は先に立って歩き出した。


 ――なんだ……? 地図で調べた地形と違うぞ?

   こんな場所に道は無かったし、こんなに険しいはずは……


 アリオンは仕事をするとき、手に入る限りの地図を事前に確認し、全て頭に入れておく。

 特に今はウールスの街で活動しているのだから、ウールスを中心とした地域についてはほぼ把握していると言っていい。

 ……はずだ。

 ところが少女の歩む道は、まずアリオンが知らない方へ分岐して、それからどんどん、あり得ないほど険しくなった。

 うっすらと奇妙な霧が掛かった道は、激しい上り下りを繰り返し、いつ果てるともなく続いていく。


「早く来てよー」

「待ってくれ……

 足が速いな」

「手ぶらだもんね」


 少女は足取りも軽く、羽根でも生えてるような勢いで坂道を登っていく。

 アリオンも遅れぬよう、追いかけた。


 霧が掛かった険しい山道は、しかし同じような景色が続き、距離と時間の間隔を狂わせる。

 まるで何十日も歩いたような気がしてきた頃、視界が急に開けた。


 静かに流れる川が、道を遮っていた。

 そして川の存在など意に介さぬかのように、道は川の向こうに続いている。


 アリオンは周囲を見回してみたが、橋も渡し守も無い。

 まあ、こんな街道からも大きく外れた山の中に、渡し守など普通はおるまい。だとしたら以前は橋があったけれど、流されてしまったのだろうか。


「渡れそうな所、探すしかないかな?」

「そうでもないよ」


 アリオンには、この程度の障害、妨げにもならない。

 自分一人なら渡るのは容易いし、誰かを渡す手段も用意できる。


 まず筒状の発射機から、ロープ付きの楔を撃ち出して、対岸の河原に突き刺した。

 使い道は登攀のみにあらず。

 アリオンは組み立て式の荷箱を一つ、バラした。箱の板は水に浮く材質で、しかも金具が付いていて、ロープを通せる仕組みなのだ。

 アリオンがロープを使い、荷箱の板を川に浮かべると、これだけで即席の浮き橋になる。

 さらにもう一本、ロープを撃ち渡して、これをキツく引いて突っ張り、手すりの代わりとする。


「お父さんすごい!」

「ここを行けばいい。

 ……ああ、裸足になれよ。靴が濡れると乾かすのに時間が掛かる。

 俺の靴は濡れても平気なやつだがな」


 アリオンは念のため、少女のすぐ後ろに付いて川を渡ったが、幸いにも彼女は身軽に危なげなく橋を渡った。


 川を渡って先へ進むと、やがて霧はますます濃くなって、三歩先も定かでない有様となった。

 だがその霧の中から急に、暖かな色の花壇に囲まれた、可愛らしい一軒家が姿を現した。


 家の中には、既に一通りの家具が揃っていた。

 だが生活感は無く、傷も汚れも見当たらず、埃一粒存在しない。奇妙な浮遊感だけがあった。


「お疲れさま。

 ありがと、助かった」


 少女はアリオンから鞄を受け取ると、荷解を始る。

 中身は、古いけれど綺麗に手入れされた余所行きの服とか、くたくたのぬいぐるみとか、そんなものだ。

 旅行の荷物にしては多いし、引っ越しの荷物にしては少ない。

 それくらいの量だった。


「なあ、ところで、いいか?

 俺は結婚してないし、娘も居ないはずなんだがな」


 アリオンはいつ言い出そうか迷っていたことを、遂に口にした。


 奇妙な話だが、アリオンは彼女という娘の存在を余りに自然に受け入れていた。

 よく考えなければ疑問を持てないほどに。

 そも、名前すら知らないというのも、おかしな話ではないか。


「本当にぃ~?」


 『娘』は、アリオンの予想のいずれとも違う反応をした。

 にまっと、とっておきの悪戯を仕掛けたような笑みを浮かべたのだ。


「ねえ、よかったら少しゆっくりしていかない?」

「次の仕事があるんだ。……幸いにもね。

 だから行かなきゃならない」

「そっか」


 言い訳するような気分でアリオンは言った。居心地が悪いというか、どうにも、ここに居てはいけないような気分になるのだ。


 少女は荷物をひっくり返して、そこから真鍮か何かの、素朴なペンダントを取り出してアリオンに手渡した。


「これ、あげる。運び賃の代わり。

 じゃあ、お母さんによろしくね」

「……ああ」


 そして手を振って、アリオンは別れた。


 不思議なことに、引き返すときは早かった。

 川をもう一度渡った後、体感で30分も歩かないうち、アリオンは見知った街道に戻ってきた。ふと背後を見ても来し方は分からず、街道の休憩所ではアリオンの踏み消した灰がまだ燻っていた。


 * * *


「わっはっはっはっは!

 いつの間にかそんな可愛い娘が居るんじゃ、お前も隅に置けんな」

「笑わないでくださいよ。

 何が何だか分からないんですから」


 迷宮都市の酒場でアリオンは、街道での奇妙な事件について、シルヴァに話していた。


「シルヴァさんなら何か分かると思ったのに」

「俺もこの歳まで冒険者やってたら、訳分からん不思議なことに幾度も出会ってる。

 そのほとんどは不思議のままで、結局何だったか分からねえんだよ」


 少し早い時間の酒(アリオンの奢りだ)を美味そうに飲みながら、シルヴァは膝を叩いて笑う。

 あの出来事について何か分からないかとアリオンは相談したわけだが、聞けたのは冒険者としての処世術だった。


「で、そいつが仕事の報酬かい」

「ええ。

 夢や幻ではありませんよ」


 テーブルの上には、アリオンが少女から貰ったペンダントが置かれていた。

 実際、このペンダントという物的証拠が無かったら、アリオン自身もあれは休憩中にうたた寝の中で見た夢ではないかと疑っていたところだ。


「しかし随分安い仕事だったんじゃねえか」

「まあ、子どもが精一杯払ってるのに、それにケチつけるのも、なんだか……ですからね」


 溜息をついてアリオンは、ペンダントを自分の首に付ける。


 なんという事も無い安物のペンダントなのに、身につけると不思議と、心の中のいい加減な部分が吹き飛んで、決意と覚悟に満ちていった。

 おそらくそれは、我が子を守る父のように。


「頑張らないとな」

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