『大切な人』

 二〇四五年・七月

 要人護送用の輸送車列が到着し、サヤを含めた民間人の搭乗が始まる。その護衛を務めるのはエイジュさんら七人のアンノウンと、親衛隊の少数戦闘部隊。俺もその一員として同行する。


「サヤ、忘れ物はない?」

「こんな時に言うセリフじゃないでしょ。……強いて言えば、忘れ物はシンヤです」

「バカ……やめろって」


 サヤは相変わらず、その小悪魔のような物言いで俺を誘惑する。そんなことを言われたら、俺も一緒に飛び乗ってしまいたくなるじゃんか……。

 その雑念を振り切るために、俺は次の言葉を急いだ。


「……それじゃあ、元気でな。俺はサヤに出会えて、本当に良かったと思ってる!」

「やめてよ――」


 俯いて、小さく呟いた言葉すら、焦る俺には聞こえない。


「大丈夫! 俺たちが無事に送り届けるから、だからサヤは――」


 そうだ、これでいい。俺はサヤを守り切って、彼女はこの戦争を生き残る。……だから、これでいいんだ。辛いのは、俺の弱さが故だ。

 そう、自分の中でどうにか締め括ろうとしていた。

 瞬間、

「そういうの、言わなくていいから!」

「――っ!?」


 俺は胸倉を掴まれた。叫ぶ彼女の威勢を前に、俺は思わずたじろぐ。

 自分の言葉しか頭になかったが故に、サヤの顔をよく見れていなかった。だから不意に見えた涙で、彼女の感情に向き合った。


「なんで最後の別れみたいなことばっかり言うの!? ……私は嫌だよ、これで最後なんて」


 ――やめろ。これ以上、俺の弱さを露呈させるな。

 神谷エイジュなら……こんな風に悲しんだりしない。神谷エイジュなら……こんな風に泣いたりしない。


「約束して、また会えるって。『さようなら』じゃなくて、『行ってらっしゃい』って」


 『行ってらっしゃいは、必ずまた会えるって意味もある』。そう言ったのはサヤだ。俺が戦場へ戻ろうとする度に、彼女は俺にそう言い聞かせた。

 生きている。その言葉で湧き上がる実感で、俺は無様にも泣き崩れる。そんな俺の顔を手繰り寄せて、彼女は願った。


「さようならは無し。シンヤは強い……だから必ず、また会うって。約束」

「……あぁ。必ず」


 自然と体が動いて、――互いの唇が重なり合った。その上に滴った、互いの涙が混じり合う。


「行ってらっしゃい」

「……行ってきます」



*********




 ……どうしてだ、どうしてこうなった。

 サヤを送り出してから数時間。車列は轟音を上げて、夜空の下で燃え盛っている。


「シンヤ! ぼうっとしてないで動け! ……でなきゃ、みんな死ぬぞ」

「――っ!」


 ピシャリと、足元に流れる血を踏みつける。現状を理解できないわけではない。ただ、信じたくないだけで。

 俺たちは攻撃を受けたんだ。どこかから情報が漏れていたのか、それとも偶然なのかはわからない。しかし護送車列は、敵軍による待ち伏せを喰らったんだ。

 夜空に榴弾ミサイルが容赦なく降り注ぐ。迫りくる敵兵の群れに対し、親衛隊は応戦。


「オープンザコア――ネームド〈ジーク〉」


 マスクを被ったアンノウン部隊は、容赦のなさをそのまま返すように敵を惨殺。車列に敵を近づけぬよう、その場を地獄に作り替える。

 ――ふと、俺は気付いた。民間人の護送車はどうなった!?


「――っ!? ……サヤ! サヤ!」


 俺は戦いを忘れて、サヤが乗る護送車へと走った。破壊された車両の残骸と煙で視界が悪く、最初は良く見えなかった。 ……が、近づくにつれて実所が鮮明になると、血の気が引くような感覚を憶えた。

 大型の護送車は、黒煙を吐いて擱座かくざしていた。榴弾が手前で爆発したのか、飛び散った金属の破片による穴が、所々に見受けられた。貫通した破片は、内部の民間人に被害をもたらす。


「クソが……サヤ、どこにいる!?」


 死傷者がその大半を占める中で、辛うじて命だけは助かった者が脱出していた。俺は残骸を押し退けて、燃え盛る地獄へと潜り込む。

 煙を吸って咳き込んでも、口を塞ぐことさえ忘れる。不意に高温の金属へ手をついても、熱さなど気にしなかった。

 漏れ出した油が引火し、逃げ遅れた者の死体に纏わりつく。せ返るような焦げた匂いと、生臭い血の匂い。その元がどうか、サヤではありませんように……と、神に祈った。


「――シン……ヤ」


 ふと、俺を呼ぶ声。振り返って、その姿を視界に収めた。


「サヤ! ……サヤ?」

 

 その光景を見た俺は、脳が一瞬フリーズしたような状態に陥った。車両にもたれかかるサヤは腹部を抑えて、呆然と立ち尽くす俺に向けて視線を送った。

「こっちへ来て」……と。

 ふと、腹部を見る。大量の血が滲み、彼女の身に何が起こったのかを物語る。


「そんな……嘘だ! サヤ、しっかり――」

「シンヤ、――痛い、怖い……」

「クソ! ふざけるな、嘘だと言ってくれ!」


 俺は駆け寄る、すぐさま彼女の状態を診る。榴弾ミサイルの破片が腹部を抉っていることに気が付いた。咄嗟にバッグから布を取り出し、押し当てて止血を試みた。これでは意味がないと分かっていながらも、どうにかしたくて仕方が無かった。


衛生兵メディック! 誰か、医療装備は無いのか!?」


 ここに衛生兵は一人だけ。医療品も限られている。だが見たところ、サヤの傷はそこまで広くない……まだ希望はある! 絶対に、絶対に死なせない!


「ゔゔゔ……!? 痛い……痛い」


 サヤを連れ出そうにも、体を揺らせば激痛が走る。彼女の悲鳴が、俺をその場へ縛り付ける。ただその場で絶望にさいなまれながら、希望を待つしかなかった。

 ――直後、こちらへ敵兵が二名接近。俺たちを見つけるや否や銃を向けた。

 武器はある、しかしサヤを抱えた状態では撃てない。……万事休す。

 その刹那、


「シンヤ!」

「……エイジュさん!?」


 アンノウンへ変身したエイジュさんが駆けつけ、その敵をなぶり殺しにした。

 英雄は再び、俺を窮地から救ってくれたのだ。絶望の中で神にすら見える彼にすがり、俺はその希望へ懇願した。

 

「エイジュさん、助けてください! サヤが……」

「なに。――ちっ、こんな時に」

「……え?」


 激しい銃声の嵐の中、彼の舌打ちが不意に聞こえた。すると彼はサヤの容態を診る事もせず、ただ俺たちを見下ろすばかりで。何かを考えていたようだったが、彼の中で答えはとうに出ていたのだ。

 俺は錯覚していた。エイジュさんなら、サヤを助けてくれるだろう。そう信じて、希望を託したのに。


「シンヤ……すまないが、それはできない。たった今、護送中の要人数名が重傷を負ったんだ。言っちまえばサヤさんよりもヤバい状態で……だから、優先すべきはそっちなんだ!」

「い、いや……ちょっと待ってくださいよ! サヤだって重症で――」

「黙れ!」


 俺は怒り狂って、まともな言葉すら思い浮かばない状態で叫ぶ。だがエイジュさんは、それと同等の憤りをぶつけてきた。

 彼は震える声で言った。


「上に立つ者が死ねば、その配下にある組織は大きく混乱する。それ即ち、我々の敗北や更なる死者を生む結果へ繋がりかねない。……なんにせよ、あの要人たちにはそれだけのがあるんだ」

「価値? ならあんたは、サヤに生きる価値がないって言うんですか!?」

「そうじゃない! だがそう思いたいなら勝手にしろ。だが優先すべき選択は明確だ、ここは合理的判断が必要なんだ! ……だから頼む、シンヤ」


 神谷エイジュの合理性が、強さが、ここで俺たちに牙をむいた。勝つためならば、少数の死は厭わない。多くの存在を救うために、弱者を犠牲にする。それが合理的判断であって……彼が言うところの、「必要な犠牲」なんだ。

 

「エイジュさん……俺は前に言いましたよね? 『その必要な犠牲が、自分の大切な人だったとしたら』って。俺はサヤを、大切な人を助けたい……犠牲になんてさせたくない! あんたはどうなんだよ、――答えろよ!」


 愛する家族がいるなら、あんただってわかるだろう。妻が、息子が、娘が……仮にサヤと同じ状況にあったとしたなら。

 しかし、彼は


「……大勢を救うには犠牲が伴う。だがいずれ、はずだ。報われなければおかしい!」

「待ってくれよ……エイジュさん、頼む! あんただって大切な人を失いたくないだろう!?」


 神谷エイジュは踵を返し、銃撃の方向へ歩みを進める。

 直後、彼は俺に拳銃を投げ渡した。


「サヤさんを苦しみから救ってやれるのは、お前だけだ。その時になったら使え」

「お願いします……助けてください、――エイジュさん!」

「……すまない、許してくれ」


 彼はそう言い残し、戦火の中へ飛び込んでいった。



*********



「シン……ヤ?」

「サヤ――」


 絶望の中で微かに光った希望は、非常で残酷な現実に打ち砕かれた。サヤの、いや、サヤだけではない。これまで積み重なった仲間や人々の存在は、犠牲という儚い言葉によって処理される。

 それでも……犠牲になるのはいつも弱者だ。


「ごめん……俺は君を守れなかった。俺は! ――……俺は」


 だからこそ、俺は強くなって守りたかった。俺はその強さの偶像を、神谷エイジュに求めた。俺の中での英雄に、あの存在に近づきたくて。

 その結果がこのザマ。……俺は、あんな強さが欲しかったのか?


「シンヤのせいじゃない」


 ふと、霞む声でサヤが語り掛ける。


 「シンヤは……私達を守るために、強くあろうとしたんだよね? でも、シンヤはそのままでいい。現に私は生きている……あなたが弱いと思う部分が、裏を返せば強さに繋がっていたんだと思うよ……」

「――やめろ」


 

サヤの頬には俺の涙が、俺の手にはサヤの涙が零れ落ちる。

サヤは微笑んでいた。俺がかつて走馬燈の中で見た、あの笑顔ほどではないけれど。「最後に見せるのは笑顔」という、いつもの彼女らしい考え。


「ほら、いつもみたいに笑ってよ……私はシンヤの笑顔を見て、『いってらっしゃい』を言いたい」

「やめろ……やめてくれ!」


 徐々に息が浅くなって、体から熱が消え去っていくのを感じる。絶対に離したくない、彼女を犠牲で終わらせたくない。その一心で俺は、手を強く握りしめた。


「最後にお願い――……私を、私たちを。それと、苦しいのはもう辛いから……」


 そう言って、サヤは俺に拳銃を握らせる。残った力で銃口を自らに向けさせて、俺に懇願した。


「終わらせてほしい……あなたの手で」


 彼女は激痛を耐えながら、俺に最期の言葉を伝え続けていたんだ。その苦しみから解放されるために、俺に引き金を引いてほしい。エイジュさんの言った通りであり、残酷な願いだった。

 ただそれが、サヤの願いなら……彼女を苦しませるくらいなら、俺がそれを拒む権利は。


「……ありがとう、シンヤ」

「――っ! あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 俺は引き金を引いた。夜空に木霊する叫びと、彼女を葬り去る銃声。

 二〇四五年のこの日、サヤは数多の〈犠牲〉の一つとなった。

 「忘れないで」――彼女が最後に残したこの言葉を、俺は絶対に忘れない。決して……誰にも忘れさせない。




 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る