『同志』
八月十三日――正午
東京・第三民間区――旧世田谷
室内に漂う女性向けの柔軟剤の香り。神谷ユウヒは制服のブラウスを羽織り、ボタンを締める。
本日は午後からの登校であり、午前中に兄を送り出した彼女は自身の身支度をしていた。
昼食を取り、兄がそのままにしていった食器を洗い、軽いメイクをして、女子高生の装備を身に着けていく。
これが、神谷ユウヒの日常。
ふと、――インターホンが鳴る。
「ピンポンだ。はーい」
恐らく宅急便だろう。と、外部カメラには目もくれずに玄関へ。
適当なサンダルを履き、ドアに寄りかかる体勢で――開扉。
「はーい……ん?」
「神谷ユウヒさん、ですね? 同志がお呼びです」
「え?」
瞬間、大腿部に何かが突き付けられたのを感じた。ひやりと、金属の冷気を感じる。スタンガン。
激痛、筋肉の筋が刺激される感覚。下半身から登って来る衝撃は全身から力を奪う。足から、手へ。そして意識まで。
**********
午後二十二時
玄関のドアが開かれる。ただいま、と一言告げて入るのは神谷アサヒ。
彼は今日、ナノマシンコアの同調テストを行った。〈やまと事件〉でダメージを負った肉体の回復傾向を見て、全てを正常値へ調整するためだ。
結果は問題なし。模擬戦闘によるテストも、ナノマシンのチェックも滞りなく終えた。
……だけど、疲れた。
ユウヒは何を作っているだろうか。夕飯の時間はとうに過ぎたが、妹の飯は冷めても上手いと思える。本当は一緒に食べないと、ユウヒは子供のように駄々をこねる。だからこんな日は、いつも申し訳なく思いながら帰宅する。
敵のアンノウンが強化されても、仲間が死んだとしても、我が家だけは何等変わりない。自分が戦死でもしない限り、不滅だ。
「……ユウヒ?」
そう思っていたのに。
この日、妹はいなかった。家の中は暗闇に包まれ、数年間変わらぬ妹の出迎えが無い。
ただ一つ、――メッセージが記録された電子媒体だけが残されていた。
**********
八月十四日
新城アスカの元へ、一通のメッセージが届いた。
『新城アスカ。我々は君の全てを知っている。君が戦犯と呼ばれた男の血を引く事、今や親衛隊の一員となっている事。 そして、我々のアンノウンを駆り続けているという現状も』
彼女のアドレス宛につらつらと並ぶ長文。これを見た瞬間、肝が凍り付くような不安感を憶えた。優しく丁寧な文体が、余計に気味が悪い。
『単刀直入に言いましょう。私は君と話がしたい。元首相の孫で、内地育ちの平和依存者である君が、現状まで成長した姿を見たい。もちろん、ただ君を呼びつけるだけではありません。我々の元へ来てくれれば、君が欲する様々な情報を差し上げよう。何せ私は、全てを見てきた当事者なのだからね。君の祖父が始めた事、全て』
「我々のアンノウン」と言った。この言葉から推察できる差出人はただ一つ。
〈ファントム〉
『その際にはこちらから迎えを出す。大丈夫、招待するのは君一人ではない。拒否すればどうなるか、流石にわかるね。では、お待ちしています』
以上のメッセージを読み終えたアスカは、ふと視線を上げる。
一等地に建つ新城邸の前で、彼女の前にいる男達に言い放った。
「……で、あなた達がその迎えとやらですか」
「その通りだ、新城アスカ。我々と一緒に来てもらおう……同志がお待ちだ」
同志。
その呼び名を聞くのはこれで二度目。以前はあの夜、蛇が言っていた。奴の言い方からして、恐らくは上に立つ者。メッセージの送り主も、その同志とやらだろう。
そして今、その同志が寄越した者たちに銃を向けられている。
……抵抗しても撃ちはしない、しかし勝ち目はないだろう。アスカは様子を見る為に、出来るだけ会話を引き延ばそうと試みた。
「拒否すれば?
「強がるじゃないか。しかしその割に声が震えているぞ?」
「……」
銃がカチャリと金属音を立て、銃口がじりじりと圧力を掛けてくる。素直に言う事を聞くはずはないと、敵もわかっているはずだ。しばらくすれば強制連行される。
――静かに、ポケットにしまっているデバイスへ手を伸ばした。
〈緊急要請コール〉 デバイスに内蔵された、親衛隊員の非常事態を伝える機能。それを貞夫うさせれば、コールが直ちに親衛隊本部へ届く。
デバイスに指先が触れた……瞬間、先頭の男が手を出す。
「おっと、それは預かっておこう。仲間を呼ばれちゃたまらんからな」
「――⁉」
……バレた!
直後に男は、アスカの腕を掴み引き寄せる。そのままデバイスを取り出し、後ろの仲間へ投げ渡す。
「まぁなに、抵抗するのは自由だ。だが貴様も、その態度を続ければどうなるかわかっているはずだ」
「だから、私をどうこうしたって――」
「死ぬのは貴様ではない。これを見ろ」
後ろの仲間が男へタブレットを渡す。その画面をアスカの眼前へ押し出し、強制的に見せつけた。
瞬間、――映し出されている光景を脳が理解する。同時に、抵抗は無駄だと思い知らされた。
「これ……ユウヒちゃん」
画面の中央。拘束され、口を塞がれたアサヒの妹・ユウヒ。彼女の目の前にカメラがあるのだろう、恐怖と命乞いが混じった
映像に音はない。しかし、塞がれた口から漏れ出ているであろう彼女の叫びが、脳裏に響き渡った。
まるで、兄に助けを求めるように。ただひたすら体を揺らす。
「神谷ユウヒは、同志の命により我々の元へ招待した。貴様の態度次第でこの娘の生死が左右されるが……どうする?」
「……行きますよ。行けばいいんでしょ⁉」
男はアスカの手を離さず、そのまま外へ引きずり出した。すぐさま銃口が背中へ突き付けられ、「下手な真似はするな」という思考が無言の中で伝わってくる。
連中はアスカのジャケットやズボンの上を叩き、ボディチェック。……これ以上ない不快感、気持ち悪さ。
チェックを終えれば、次は両手に手錠をはめられる。周囲から見えぬようにアスカを囲い、新城邸の付近に待機していたワンボックスカーへ乗車。
「それじゃ、行こうか。大路元首相のお孫さんよ」
「……敵にそれを言われると、凄くムカつきます。それに行くって、一体どこへ」
助手席に座った男は、ニヤリと笑う。
「エスコートして差し上げよう。〈横浜衛星管理局〉まで」
**********
『同志、新城アスカを確保しました。これからそっちへ向かいます』
「あぁ、ご苦労様」
報告を受け無線を切る、〈同志〉と呼ばれる男。
「ようやくか……楽しみでならないよ。彼女に会えるのも、彼の息子に会えるのも」
「んーーーー⁉ ……んんーー⁉」
「大丈夫、そう騒ぐな。あと数時間もすれば、大好きなお兄ちゃんが来てくれるさ」
猿ぐつわ越しの叫び声。哀れみの目でユウヒを見る彼は、その部屋から出ていく。
ひたっ――液体を踏んだような音がした。自身の足を上げて見てみれば、靴底からベタベタと血が滴り落ちていく。
軽く血を振り払い、その上をお構いなしに突き進んでいく。
「さて、局長。この施設のシステムに、あんたの権限コードを入力するんだ。それから俺の部下たちに、機器の操作方法を教えてくれ」
「き、君たちは……何をする気なんだ」
「我々から教える事はない。いいから早くやれ」
配下の戦闘員らが拘束する、数人の必要人員。その中で最も丁重に扱うべき人物、新日本宇宙局局長に以上の命令を下した。
こちらの命令以外で動いた者、不審な行動をした者には口内に銃身を突っ込む。それで大抵の骨なしは言う事を聞くのだ。
「そうだ。局長には念のため、自白剤を投与しよう。嘘をつかれちゃたまんないからな……」
「了解です、同志」
「や、やめ……やめてくれえええええ!」
局長は腕を掴まれ、注射針を押し付けられる。……激しい叫びが室内に響き渡る。
同志は
「そんな叫び、戦友の断末魔に比べれば安っぽいものだ。……こうでもしなきゃ、彼らは報われないんだよ」
脳裏に、いくつもの叫びが甦る。
ああ……あ゛ああああああアアアアアアア⁉
死にたくない……死にたくない⁉
嫌だ! 助けて、助けて……お母さん――!
「……」
腹の底から湧き上がる感情を抑える。冷汗が出た。思わず嘔吐しそうになる。十二年前に聞いた、戦友たちの最後の叫び。彼らの血肉。いつになっても払拭できない。
「……諸君、運命の日はすぐそこだ。我々の手で、忘れ去られた犠牲を取り戻そうじゃないか!」
「もちろんです、同志。我々は最後の時まで、あなたに付き従います」
「……よろしい」
『大丈夫。人の弱さを知るのは、強い証拠だよ』
思い出すのは戦友の叫びだけではない。今はもういない、数多の犠牲の一つとなった彼女の声も……
「君が弱さを教えてくれたから、俺はここまで強くなれた。……誰にも忘れさせはしない。俺たちの戦争は終わっていない」
十年間唱え続けたその言葉を
新型人工衛星〈やまと〉に向けて。
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