『リマインド計画』

『神谷アサヒ。明日の二十一時に、横浜衛星管理局に来い。君がこの世で最も聞きたいであろう話をしてやる。新城アスカも交えて、君と話がしたい。なお、この話を親衛隊に伝えてはならない。君が一人で、戦闘用装備で来るんだ。以上の規約を護らなかった場合、神谷ユウヒを殺す。最期の言葉すら交わさせない。では、お待ちしているよ』


 妹が消えた自宅に、わかりやすく残された記憶媒体。その中のメッセージには、最後にこうつづられていた。

 『――君が捜し続けた、裏切り者より』

 もう、何が起きたのかも全て把握した。

 妹は、ユウヒは〈ファントム〉に拉致されたのだ。何も知らぬまま、突然に。


「……絶対に巻き込まないと決めたのに!」


 父も、神谷エイジュも自分と同じ思いだったはずだ。母が殺されて、その復讐に為にどこかへ消えた。家族を巻き込んで妻を失い、子供たちは母を失った。もうこれ以上、残された子供たちを巻き込まないために。

 父の背中を追ったわけではなかった。しかし、自身もアンノウンになった。父は、彼らを護ったのに。

 ――それなのに自分は! と、悔しさを糧に自分を憎む。

 ふと、デバイスが振動する。無線連絡だ。相手の表記は、コマンダー。


「……はい、こちらセカンド」

『僕だ。突然なんだけどさ、アスカさんどうしたか知らない? 国防省にも来ないし、直接連絡もつかないんだ。デバイスから発信される情報は正常なんだけど』


 メッセージの内容からして、恐らくはアスカにも〈ファントム〉からの接触があったのだろう。無論、親衛隊にその情報は伝わっていない。デバイスも正常という事は、拉致ではなく誘拐。あるいはアサヒのように脅迫され、自分から敵の元へ向かったのか。

 なんにせよ、コマンダーにこの事態を伝えるわけにはいかない。自宅が襲撃された事、アスカに直接何かが起こった事からも、敵がこちらの情報を得ていることは確実。八一五部隊が行動を起こせば、ユウヒが危険だ。


「さぁ。俺は何も聞いていませんね」

『そうか。……明日は八月十五日だから、世間は色々と忙しいからね。彼女もそんな類かな』

「かもですね。……ちょっと忙しいんで、切ります。それじゃ」

『って、おい――』


 焦る声を聞かせぬよう会話を最小限に留めて無線を切る。

 現在時刻は十六時。指定された時間までは、メッセージを確認した時点から十八時間はあった。残り五時間、余裕は全くない。

 本来ならば、事前に敵情を探っておきたい。しかし、下手に動けばユウヒが危ない。仲間を頼ることも出来ないアサヒにとっては、その十八時間で情報を集めるのは不可能に近かった。

 何も知らぬまま、〈裏切り者〉に従うしかない。そう感じながら、バイクのアクセルを踏んで横浜へ走る。

 八月中旬の猛暑の中。アサヒは戦闘用スーツを着込んでいた。その上からコートを羽織り、一切の装備品を外部に見せぬように。

 残り数時間で八月十五日、〈開戦の日〉を迎える東京に背を向けて。敵陣へ単身向かっていく。


**********


  

 横浜衛星管制局。

いくつものアンテナや巨大な電子装置が鎮座する。横浜市の大丸山に設置されたその場所は、過去に国防軍が敷設した通信基地を土台として設置された施設。


「同志、連れてきましたよ」

「――って、宇宙局局長?」


 敵に促されるまま入った部屋は、大型モニターがいくつも据えられた中央制御室であった。なんとその一角に、〈やまと事件〉で拉致された宇宙局局長らプロジェクト関係者が拘束されていた。

 同時に、未だ慣れないなまぐささを感じる。任務の中で幾度となく見た、テロリストに占拠された光景。

 その視線の先で、異彩を放ってたたずむ男がいた。――こいつが、同志。


「ようこそ、新城アスカさん。君と会える日を心待ちにしていたよ!」

「……あなたが私を呼んだんですか」

「その通り。なに、神谷ユウヒは無事だ。だからそんなに怖い顔をするなよ」


 ぱちん――同志は指を鳴らす。直後、アスカを連れてきた男たちが彼女の手錠を取った。まるで客を丁重に扱うかのように。

 直接見る同志と言う男は、何やら異彩を放っているような雰囲気。他の連中に比べて敵意は感じない。しかし、こちらをあざ笑うかのような細い双眸そうぼう。どこかやつれた、生気を感じないような……不気味な男。


「俺の本名は楠木くすのきシンヤ、又の名を同志。親衛隊にとっては、裏切り者という方が馴染みがあるかな? それとも……昔のコードネームとか?」

「――⁉ 裏切り者、やっぱりあなたが」

「俺は元親衛隊〈第二世代アンノウン〉。十年前、このナノマシン技術を持って親衛隊を脱し、君たちが〈ファントム〉と呼ぶこの組織を創設した張本人。大月タスクなら良く知っているんじゃないか? ハハハ!」


 狂ったかのような笑い声を聞いた直後だった、――つま先から脳天まで湧き上がる憤りを感じたのは。

 ――こいつだ、この男だ。八一五部隊が戦い続けた敵の中の敵、大勢の犠牲を生み出した裏切り者。目的の為ならどんな狂った手法でもやってのける……狂ったバケモノ。

 心の底からの侮蔑恐怖。奴の表情金が動くたびに、かつて部隊が殺した敵の顔が脳裏に浮かぶ。戦闘員はもちろん、敵アンノウンも。

 しかしそれ以上に、アスカにはこの男に問わなければならないことがあった。


「あなたはがアサヒ先輩のお母さんを殺したんですか⁉ 何の為に⁉」

「……殺したさ。いや、殺してしまったという方が適切かな」

「そんな簡単に……先輩とユウヒちゃんが、今までどれだけ苦労したと」

「君に何がわかる? 元首相の孫、高級官僚の娘である温室育ちの君に、何がわかるってんだ?」


 無論、悪びれる態度など鼻から期待していない。

 ――しかしなんだ、楠木が見せるこの雰囲気は。この悲壮面は。


「第一、あれは俺が悪いんじゃない……あの人が悪いんだ。あの人だけじゃない、社会も政治家も国民も親衛隊も、戦争も! ……俺たちに罪はない。俺たちは被害者なんだ」

「あの人?」

「おや、大月から聞いていないのか。俺たち第二世代が最も尊敬し、敬愛し、近づこうとした存在、――。〈第一世代〉として〈二次戦争〉を戦った、アンノウンの最高傑作」


 神谷エイジュ。その名前だけは聞いたことが無かった。しかし、その存在と経歴は知っている。何せ、アサヒから直接教わったのだから。

 ――あぁ、そうだ。その人は、神谷アサヒの父親だ。

 彼の父を尊敬していたと、コマンダーも言っていた。楠木はコマンダーとは相対する道を辿ったが、遡れば同じ思いを抱いていたのか。

 心の中で辻褄を繋ぎ合わせながら、アスカは問うた。


「……教えてください。あなた達は一体、何が目的なんです。破壊か、虐殺か、それとも政府転覆か」

「ハハハ! いい質問だ。しかしね、君が今言った事は目的ではなく手段であり、過程に過ぎない。目的に至るまでの道筋は、組織の人間にとって様々だ。国家への復讐の為に戦う者もいれば、戦いという行為をひたすら求める旧軍人もいる。家族を奪われた者達もいれば、チェンのような敵国の未帰還兵だって大勢いる。我々の構成員は多種多様なんだよ」

「……私には理解できない。ヒトである事を捨ててまで戦う意義も」

「できなくて結構! しかし、俺が同志と呼ばれているだけあってね。手段は様々でも、構成員達はある一つのこころざしの元に結束している」


 楠木は動き出す。すると北東の方角へ向かい、窓の外を見下ろした。その方向は、首都圏だ。


「あの戦争を人々に思い出させる事。……犠牲になった者たち、奪われた大切な物、それら全てが忘れ去られぬよう、俺たちがたみの記憶に深く刻み込むんだと!」

「思い出させる?」

「あぁそうだよ。君だって、君の周囲だってそうだったろう? 何不自由なく生活して、二度の戦争を過去の物とし、それを平和だと言った! 終戦から早くも十二年? 違う、たかが十二年だ! その間に国民は平和依存者に成り下がり、戦火で散った全ての命を忘れていったんだ」


 輝く首都圏から目を逸らした楠木はアスカを睨んだ。


「君の祖父、大路ソウイチロウが全ての始まりだった。奴が創り出した親衛隊とアンノウンは、あの戦争では確かに役に立った。しかしあろうことか、今やその平和依存者を守っている。……自分達が犠牲を一番良く知っているのに、それを忘れてくれと言っているようなものだ。神谷エイジュは、まさにそういう男だった」


 その息子であるアサヒも、また。


「しかし、それでいいはずがない! 犠牲は記憶として永遠に残らなければならない! だから思い出させるんだ。俺たちが、始まりの日に。同じ無差別な犠牲を強いることで」

「それが、――リマインド計画ですか」

「……知っているのか。あぁそうだ。そして今、計画は最終段階へと進んでいる。新城アスカ、君には彼と共にその時を見届けてもらう」


 ――彼? 誰の事だ。

 楠木が再び首都圏を見下ろした。その時ふと、奴は内ポケットに手を入れた。するとスマホを取り出し耳に当てる。誰かと通話を始めた。


「うん……そうか、来たか。時間ぴったりだな」


 瞬間、楠木はニヤリとほくそ笑む。そしてきびすを返し、アスカに告げた。


「さて、もう一人のお客人がやって来た! 喜べ、君のお仲間だぞ?」



**********



 瞬間、外から激しく言い争う声が聞こえた。直後に後方の扉が開き、声の持ち主らが目の前に現れた。

 すぐにわかる。二人の目が合った瞬間、互いに名を呼び合った。


「先輩⁉」 「アスカさん、やっぱりここに!」


 アサヒが敵構成員に連れられてきた。その様子を見るに、居場所を突き止めて突入してきたわけではなさそう。大方、アスカと同様にユウヒを餌にされたのだろう。


「ようこそ、神谷アサヒ。いや……エイジュさんの二代目である今の君は、〈ブラッディ・セカンド〉の方がいいかな?」

「……貴様が裏切り者か。つまり――」

「母親の仇、そう言いたいんだろ? その通りさ。君が俺に復讐心を抱いてくれるのは、俺にとって嬉しい限りだ。怒りは、人間の最大の原動力だからね」

「ふざけた事を。しかも、〈セカンド〉の意味まで知っているんだな」

「当然だ。あの人の息子なんだからね」


 自身の人生を狂わせた根源、母の仇を前にして、アサヒは意外にも落ち着いていた。顔を見た瞬間に高周波ブレードで斬りかかるのかと、アスカは思っていたのに。

 ――否、アサヒの手元からは微かに鈍い音が。平静を取り繕う為に拳を握りしめた事で、戦闘スーツの手部に摩擦が生じていた。

 怒りで我を失ってはならない、隙を見せれば勝てない。そう、わかってるから。


「エイジュさんはかつて〈二次戦争〉で、〈第一世代〉の一人として活躍した。その戦果が歴史に刻まれる事はないが、親衛隊は彼のコードネームに因み、畏敬と畏怖の念を込めてこう呼んだ。〈ブラッディ血まみれの・ジーク〉と。君はその二代目セカンドだ」

「……」


 楠木の双眸が彼らを舐めまわし、再びほくそ笑んだ。

 奴がうろうろとしながら話す度、時間は少しずつ進んでいく。たった数分でも、体感では何十倍にも感じる。

 ふと、楠木は時計を見た。


「最後に大事な情報を教えてあげよう。……新型人工衛星〈やまと〉について。あれは一体、何が新型なのだと思う?」

「――? 通信能力の強化、とか」

「ハッハハ! あながち間違いではないけど違うな」


 再び狂ったように笑い、三日月のような細い双眸を向ける。


「〈やまと〉はね、自律機動システムを搭載しているんだよ。人工衛星は本来なら自ら軌道を変えることはできない。しかし〈やまと〉は違う、接続された管制基地から操作が可能。地球の上での軌道を取れるんだ!」

「――で、貴様らが〈やまと〉を乗っ取ろうってか。プロジェクト祝賀会を狙ったのもそれが目的か!」

「大正解!」


 楠木の話が本当なら、宇宙局局長らを拉致した事も理屈が通る。国営宇宙機関のトップなら〈やまと〉の操作権限くらい持っているはずだ。あの夜に〈蛇〉は、「局長の生態認証データも回収できた」と言った。その意味は、〈やまと〉の操作にそのデータが必要だったという事だろう。しかし保険として本人も拉致した。

 ――つまり今、奴らは〈やまと〉を掌握したも同然という事。

 そしてここは、横浜


「嘘だろ……貴様ら、まさか⁉」


 会話に潜んだワードで、アサヒは一つの結果を考察することが出来た。それは考え得るなかで最悪であり、最狂。

 自身の想像を超えるほどに狂った敵に、肝が冷える思い。精神の底から恐怖と嫌悪を感じた。

 楠木は首都圏を背景に、――高らかと宣言した。


「我々は全ての犠牲の為に、! 目標はもちろん……東京だ。それは始まりの日、八月十五日に!」


 ――最悪だ。その一言だけが二人の脳裏をよぎった。

 この史上最悪のテロリストは、ナノマシン技術を改悪して他生物融合型ゲノムを生み出し続け、多くの殺戮を行なった。しかしそれには飽き足らず、その何百倍もの規模になろう大量虐殺ジェノサイドを企てているのだ。

 到底、理解が追いつかない。同時に、自分達が未だ正常の領域に留まっていたのだと感じる。

 ――我々が正義だ。狂っていても、平和依存者よりはマシだ。と言うような意志を感じる笑みで、楠木は言った。


「これが、人々に全てを思い起こさせる計画……〈リマインド計画〉の全貌だ」






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