『背中は任せた』

 それは八月十四日、二十時を過ぎた頃に発生した。

 国防省――親衛隊・中央情報処理室のモニターに表示された、八一五部隊のデータベース。アンノウンの生態パラメーター。

 その三つの内一つ、コードネーム〈ジャック〉のディスプレイが切り替わる。彼のナノマシンコアが稼働状態である事を示したのである。

 その旨の報告は、すぐさま大月タスクの元へ伝わった。


「コアが稼働中って……あいつは一体何をしている⁉ 何故僕に一切の連絡が無い!」


 ナノマシンの肉体への同調率、コアの出力まで。アサヒの体内に刻まれたプログラムによって、生態情報が直接伝達される。体外から受けたダメージまでもが表示され、その瞬間にも流動的に変化する。

 それらを計算すれば、アサヒは戦闘中である事がわかる。


「〈ファントム〉に襲撃でもされたのか、それとも独断行動か。もしや、アスカさんの音信不通に何か関係が? ……とにかく最優先は、あいつと連絡を取ることか」


 データが逐次受信され続けるデバイスを、通信モードへ切り替えた。

 暗号通信を起動、送信先を設定、その相手は――親衛隊長官。


「長官、緊急事態です。セカンドが――」

『説明しなくもいい。こちらにも報告が上がっている。して、君の見解は?』

「彼が何者かと戦闘を行っているのは確かです。至急、GPSで居場所を突き止めます。そしてグレース、フランセス、及び八一五部隊の全オペレーターへの緊急招集をお願いします」

『了解した。……あと三時間で十五日か。今夜は一雨振りそうだな』

「降らないことを、祈るばかりです」



**********



「コードX------、発令者----、Orbit correction commandを入力!」

「はい! ……あぁもう、急いで私!」


 入力機器の電子キーボードを高速で操作するアスカに、局長の細かな指示が届く。ギリギリ指が追いつくか、追いつかずに入力ミスをするか。その瀬戸際で必死の作業を行う。


Sステーション-3にログインして、権限を全て解除する! 宇宙局の特殊パスワードは------」

「くうううっ……よし、開いた!」


 するとコンピューターが次の段階へ移行した。

 初期の権限操作を伝え終えた局長に代わり、それ以降に詳しいエンジニアが指示を飛ばす。長い監禁と尋問で疲れ切った声で、それでも強く。


「今のパスワードで、〈やまと〉の自律AIへアクセスが可能になったはずだ。……そこから中枢を管制して、閉鎖されたシステムを開くんだ! そうすれば自己の軌道修正を開始して、少なくとも落下は防げるはずだ」

「やってみます! ――って、あれ」


 指示通りの操作を遂行し、ページを奥へ奥へと進めていった矢先。最期のエンターキーを押した瞬間、中央のモニターに真っ赤な表示が展開された。

 『システム強制閉鎖。ブロックされました』


「そんな、どうして⁉」

「これは、中枢にコンピューターウイルスが侵入したのか……ちくしょう、やられた!」


 この場の全員が唖然とし、絶望する。

 テロリストは微笑み、嬉々としながらセカンドとの交戦を続ける。

 ――今の処置は緊急時の為に用意された手段であり、この状況を打開できる希望だった。ウイルス、つまりは敵に先手を打たれたのだ。

 

「……まだです! 他の方法を考えてください!」


 しかしアスカだけは、その希望を一切捨てることはなかった。

 否、希望とはまた違う。彼女にとってこれは〈使命〉、そして〈責任〉であった。

 祖父・大路ソウイチロウがかつて、一億人の命を預かっていたように。敗戦の責任から〈戦犯〉と呼ばれた祖父も、同じように戦っていたはずなのだ。

 親衛隊やアンノウンを創り出すというその後の愚行はあった。それを始まりとして〈ファントム〉が生まれ、結果的にこの事態を招いてしまった。しかし、何かを背負って戦っていた事は事実だ。

 アスカは今、祖父と似て非なる状況に置かれている。それなら、自分はここで何を成し遂げるべきか。

 ――諦めない。かつてのように傍観するのではない、最期まで戦う。背中を預けた仲間セカンドを信じて。


「……これが最後の砦だ。〈やまと〉の自己機動ページへアクセスして、そこから軌道修正コマンドを送り続けるしかない!」

「それ、どのくらいかかります⁉」

「コマンドは複雑で、しかもかなりのパターンがある。……どれくらいかはやってみなければ」

「つまりは私次第ってことですか。――やってやりますよ」


 閉鎖されたページを切り替え、入力段階を再構築。自己機動システムへアクセス。認証コードを再度入力。そこから溢れ出る膨大なパターンを指示ごとに操作し、コマンドを発信し続けていく。

 指が猛烈に痛い。両手を急激に酷使した影響で、手の筋が張り詰めるような感覚を憶えた。

 その指をできるだけ指示に追いつかせようと、視神経や脳が狂ったように回転して、瞬きさえ忘れてしまうほどだ。口には出さなくとも心に渦巻く弱音が、乾いた目に涙を流した。

 焦るアスカを横目に、未だ手を震わせた局長が声を掛ける。


「今、〈やまと〉の落下予想時刻を計算してみた。自由落下を開始するまでは遅くても一時間、早くて三十分だ。そのまま大気圏に突入すれば、〈やまと〉が自力で推進する事が出来なくなる」

「つまりどういう事です⁉」

「……こちらに残されたタイムリミットは、あと数十分って事だ」

「あぁ……本当に最悪」


 次の瞬間には、アスカは一切喋らなくなった。

 ふと、コード入力を間違えて連鎖的に二文字目まで誤入力する。修正の為に余計な時間を費やし、それが自身への怒りとして積もる。

 それ一辺倒に集中していると、背後から数発の銃弾が飛んでくる。体の横を通り抜け、壁や電子機器に当たってカンっと跳ね返ったのがわかった。

 しかし敵がその気になれば、アスカを含め全員を射殺する事など容易なはずだ。なのにそうせずに、彼らに当たらぬギリギリの所で攻撃してくる。セカンドが必死に防衛するも、敵に数で飲まれてしまえばそれで終わりだ。

 ふとした瞬間に感じる。――敵は本気で妨害する気など更々無いのではないか。

 

「この、――もてあそびやがって!」


 なぜ。敵の意図がわからない。

 奴らにしてみれば、〈やまと〉を止められるのは何としてでも避けたいはずだ。それなのに、セカンドやアスカのどちらかを集中的に潰さない。

 そもそもなぜ楠木はこんな状況を仕向けた? 「計画が阻止されるわけがない」という慢心か、それとも本当に彼らを弄んでいるのか。

 ……わからない。


「よし、最初のコマンドを送れました!」

「いいぞ……これを続けて〈やまと〉の推進システムが動いてくれれば、 落下はともかく東京への軌道を変えられる!」

「あと四十分……間に合って」



**********



「――っ! あと六人……六人殺せば」


 右手にブレード、左手に拳銃を構えるセカンド。眼前には十体の死体が転がっている。

 ここまで良くアスカに指一本触れさせなかったと、そう思っている。残った六体のアンノウンは、制御室の隅へ死に物狂いで追いやった。それでも尚、平然と笑みを浮かべる敵には嫌気がさす。

 残弾は弾倉マガジン一つ分。高周波ブレードはバッテリー残量が半減し、刃毀れが目立ってきた。――いざ武器が尽きれば、素手でも噛り付いてでも戦うのみ。

 ふと、マスクが無線の受信を知らせた。


『こちらコマンダー。セカンド、応答してもらおう』

「コマンダー! あぁっと……どこから説明したらいいのやら」

『まずはこちらから問おう。お前がいるのは横浜衛星管制局だな⁉』

「そうそう、アスカさんもここにいる! ――っ!』 


 会話の隙を見て敵が射撃。回避して、周辺の障害物へ身を隠す。


『その音、やはり戦闘か。なぜ報連相が一切なかったか説明してもらおうか⁉』

「事の経緯は後で言う! 今は奴らの計画を阻止することが優先だ!」

『まさか、例の〈リマインド計画〉ってやつか⁉』


 会話をしつつ、敵の死体からSMGを鹵獲して牽制射撃を行う。特殊弾頭はここぞという時にのみ使いたい。なるべく接近しなければ無駄撃ちになる。

 

「奴らの計画は、人工衛星〈やまと〉を東京に落とすことだ! 首謀者は〈ファントム〉のトップ、元親衛隊の楠木シンヤだ!」

『楠木……だと? 奴に会ったのか⁉ 奴は何をしていた⁉』

 「詳しい話は後だ! 今はアスカさんが落下軌道をずらそうと、中央制御室で操作を行っている。しかしどこまでやれるかはわからん。タイムリミットは残り一時間も無いらしい!」

『あぁもう、情報量が多すぎる……そんな馬鹿げた話があっていいのか⁉』


 いつだって冷静沈着なコマンダーでも理解し難い事実だろう。長年追い続けた男が現れ、前代未聞のテロ計画を唐突に耳にしたのだ。酷く混乱した様子が、呼吸や声一つで伝わってくる。

 しかし焦燥感に煽られたのは一瞬だけだった。セカンドが弾倉マガジンを交換した次の瞬間には、深呼吸の音が聞こえていた。

 一秒前とは打って変わり、落ち着きつつも力強い声で告げる。


『……了解した。大至急、長官を通じて国防省へ要請する。陸海空軍の使用できる防空装備をあるだけ使って、衛星落下を全力で阻止するようにな』

「マジか! ――でもそんな空想みたいな話で、軍が動いてくれるかな⁉」

『なに、その時は銃を突き付けてでもやらせるさ。親衛隊の力を舐めるんじゃない!』


 この場合のリスクは、親衛隊の言う事を国防省が信じてくれるかという点。そもそもが秘密組織であり、命令系統も統制も限られた人事範囲でしか展開されていないのだ。この危機的状況が現場まで伝わるかどうか。

 しかしコマンダーは「やる」と言った。いつもなら「組織の存在が露呈する!」と言って否定から入るだろうに。そもそも彼は、この話を疑いもせずに信じたのだ。

 ――ならこちらも、我らが指揮官コマンダーを信じるのみ。セカンドはそう確信した。


「……頼みましたよ」

『おう、任せなさい。アスカさんにも伝えてくれ、ってさ』

「了解」


 ふぅ……、呼吸を整えて鼓動を宥める。血流が落ち着くにつれ、赤く濁っていた視界が少しずつ鮮明になる。

 左肩部と右大腿部に切創、その他数か所に被弾ダメージ。さらに疲労が顕著に表れた肉体を奮い立たせ、ブレードを再度握りしめる。

 瞬間、敵の射撃に間隙が生まれたのを見計らって身を乗り出す。疲労で痛む脚部にエネルギーを集中し、突撃の構えを取った。


「俺も任されたよ」


 ――地面を一蹴して直進、散開する敵のど真ん中を目掛けて斬りかかる。

 やはり敵は弾倉交換マガジンチェンジの最中で、突撃に対して応射したのは二名だけだった。この一瞬の隙に敵を減らしたい。応射してきた二名を無視して、両翼に展開するそれぞれの敵に狙いをつけた。

 走りながらSMGを乱射し、敵を殺せなくとも動きを封じ込める。直後に拳銃の照準を合わせ、――射撃、射撃、射撃。特殊弾頭が敵一名の胸部を捉え、防弾チョッキを貫通して体内へ入り込む。その他一名の腕部に命中し、その後の動きを止めた。

 

「――そこ!」


 胸部を撃ち抜かれた敵は、弾頭が小口径が故に殺しきれていなかった。しかし敵の射撃に空いた穴は見逃さず、そいつに的を絞って突貫。――斬撃によって排除。

 続いて、ブレードが届く範囲にいた敵一名に斬りかかる。すると相手も高周波ナイフで反撃、セカンドの攻勢を崩そうと試みる。勘でそれを回避したセカンドはブレードを振り上げ、腕を切断。返す刀で斬殺した。


「あと四人……!」

「ハハハ! みんな、撃て撃て撃て撃て撃て撃て撃て撃て撃て――同胞たちの為に!」


 狂乱と共に、敵がパワーを利用した高機動を行いながら乱射。流石の弾幕に防御態勢を取らざるを得ない。が、多少の被弾なら今更の事。刺し違える思いで、セカンドも攻撃態勢を取った。

 弾倉内に残った特殊弾頭を、展開する敵共に対し撃てるだけぶっ放す。


「時間が無い……――出力最大!」


 その呼び声に呼応し、ナノマシンコアが高い唸りを上げた。

 機動力を上げる脚部だけではない、全身の至る強化筋骨にナノマシンを回して最後の攻撃。――この一瞬に全てを賭ける。

 瞬間、セカンドは跳躍した。高く高く……否、十メートル弱はある天井まで上がり、そのまま屋根を一蹴。

 高速で急降下し、眼下に捉えた敵にブレードを突き刺して圧死させる。間髪入れずに目標変更、肉体が悲鳴を上げる前に全てを殺しきるのだ。

 付近の一名がブレードの餌食と化し、続け様に射撃して二名を排除。


「なるほど……これが同志が見たがっていた、〈血濡れの二代目ブラッディ・セカンド〉か。では同志、お先に逝きます」

「――うらぁ!」


 斬撃。セカンドの異名を呟いた最後の一命を排除。

 血飛沫ちしぶきの音が鳴り止んだ直後、静寂が訪れた。

 ――終わった。セカンドはやり切った。アスカを守り切ったのだ。これで何の妨害もなく、アスカは戦える。

 楠木め、ざまあ見やがれ。内心で呟いたセカンドは膝をつき、アスカの背中を見た。


「みんな、後はよろしく……」


 ナノマシンコアの出力が安定すると、次第に力が抜けていく。そのまま少しずつ……重力に体を預けていった。


 

 

 





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