『おかえり』
「先輩⁉ アサヒ先輩、起きてくださいよ!」
「……すみません、脚に力が入らないです」
目の前の作業に意識の全てが吸収され、後方で繰り広げられていた大激戦が視界に入らなかった。しかしセカンドの声さえも途切れた事に気が付き、膝から崩れ落ちる彼の方を見て呼びかけた。
「あんた、仲間を気遣っている暇はないぞ……残り十分だ!」
「わかってますよ! ……もう少し、もう少しで」
局長やエンジニアに急かされるも、積もり積もった焦燥感が彼女の理性を損なわせていた。
自分のこの手に一千万人の命が懸かっている。そのプレッシャーを跳ね除けることはできず、ただ時が流れるごとに押し潰されていくのみだった。
コードを書き上げてエンターキーを押す。しかしディスプレイには赤い警告の羅列。
『エラー。システムから排除されました』
「また! なんで――」
「だめだ……ウイルスにやられている。メインパターンは軒並み使い物にならない!」
「もう一度、別のパターンを使います!」
――あぁ、これで何度目だろう。
何度も挑戦した、何度も失敗した。策を講じては敵に先回りされて、必死の努力を踏みにじられているようで。その度に楠木の奇妙な笑みが脳裏に
もう指が痛い。胃に穴が開きそう。助けてもらいたい。失敗するくらいなら全てを投げ出したい。……
そんな思考が交差した時。ふと、――ディスプレイが青く光った。
『パターン一致。軌道修正命令を更新します』
「――うそ⁉ やった……照合できた」
「ブロックの隙間を縫ったか!」
無駄ではなかった。とうとう目指した領域へ到達したのだ。
全身で滲んでいた冷汗がすっと流れ出し、熱しきったアスカの頭を僅かに冷却した。思わず笑みがこぼれる。身体を傾けながらふと、中央モニターを見上げた。
〈やまと〉が東京を目掛けて落下する、その軌道が画像で記されていた。――そこに訪れた変化は、
「軌道修正は……二十度。たった二十度⁉」
「あぁ、首都圏からは外れていない……なんてことだ」
知識の浅いアスカにとって、この数字が如何なるものかはわからない。しかし善悪なら悪に違いないのはわかる。
まだだ。
「局長、私にまだ出来る事は――」
「無理だ! 〈やまと〉は今しがた、大気圏で高速落下態勢に入った……。その状況で〈やまと〉自身の推進システムは使用できない。――クソッたれ!」
どうして? あそこまで頑張ったじゃない。軌道修正だってできたじゃない。……それなのにこの
自分が今、どんな顔をしているのかはわからなかった。まるで全ての感覚が消えうせたようで。
「……ごめんなさい、ごめんなさい。私は、――私は無力でした」
「アスカさん――」
「先輩、ごめんなさい! みんな、ごめんなさい……無力な私を許して。いや、もう殺してください! 先輩」
今度はアスカが崩れ落ちた。何かが崩壊するような感覚を憶え、筋肉が張る手で頭をぐしゃぐしゃに搔きまわした。
――殺してください。
座高が近くなり、その
「アスカさん、俺はあなたを責めたりしない……前にもそう言ったはずだ」
「でも!」
その訴えに返答するアサヒの声は力強かった。そしてふと、笑ったのだ。
「それに、まだ終わっちゃいない。
**********
八月十四日
日本列島の夜空に、一筋の閃光が走った。
流れ星とは違い一瞬では消えない。分厚い大気の層を突き破って光るそれを、人々は神秘的な何かだと思っただろう。
**********
二十二時十九分
アサヒがリマインド計画を報告してから、約十数分後
『こちら国防省直下、統合幕僚本部。関東に展開中の陸海空軍、全ての防空任務部隊へ通達。対空警戒を厳と成し、地上へ落下する人工衛星〈やまと〉を捕捉、速やかに撃墜せよ』
その光に照準を向けるのは、国防省より直接の命令を国防軍各部隊。
『これは訓練ではない。繰り返す、落下する人工衛星〈やまと〉を撃墜せよ』
**********
二十二時四十一分
第三民間区・国防軍練馬基地
東部方面レーダー通信群――〈第一ミサイル高射大隊〉
『
『――データ受信。全誘導弾、発射準備よし』
**********
ほぼ同時刻
横須賀港・海軍基地
国防海軍イージス艦〈ながと〉〈むつ〉〈ひゅうが〉
『イージスBMDシステム、動作良好。降下する衛星〈やまと〉を捕捉。確度、九十パーセント』
『発射口、開け――発射用意』
**********
「国防大臣からの報告だ。迎撃準備が整ったようだぞ!」
「了解しました! ……あぁ、本当に見えてきやがった」
親衛隊長官執務室。その防弾マジックミラーから夜空を見上げる。関東地方を覆う真夏の積乱雲の向こうに、一筋の光を捉えた。
鋭い閃光の尾を引いて、地上へ向け斜角を維持するそれ。〈やまと〉が、一千万の東京都民の知る所へ降りてきたのだ。
馬鹿げた空想のような話だ。たった一つのテロ組織がどうしてここまでの事を。
――楠木シンヤ。あの裏切り者が全てを変えてしまった。奴と奴の組織は、親衛隊という母体から生み出された癌細胞のようなものだ。とても認めたくはないが。
だから自分達の尻は自分達で拭うのだ。楠木シンヤの思惑を破壊する事が、大月タスクにとっての決意表明である。
「では長官、早いとこやってください」
「うん。――大臣、お願いします」
**********
『『『――撃てっ!』』』
国防省より射撃許可が下達される。
瞬間、各部隊の防空ミサイルが一斉に火を噴く。時速数百キロメートルで空を切り裂く鋼鉄の矢が、遥か上空から飛来する〈やまと〉へ向け一斉に飛び立った。
続いて横須賀港から、イージス艦三隻より無数のミサイルが発射される。大気圏上の弾道ミサイルでさえ撃ち落とすそのシステムにとって、全弾命中など造作も無いことだった。
また〈やまと〉も、大気圏の摩擦熱によって外装が剥がれ落ちる。連鎖的な損傷に耐えきれなかったパーツは、いくつかに分解されて不特定多数の地点へ落下していった。
しかし本体は無事。この物体が都市に直撃すればどうなるか、想像に難くない。
――爆発。雲の上で連鎖的に何十回もの爆発。人の手が届かぬ所で繰り返されるそれは、まるで神の所業のようだ。
ミサイルが次々と面白いように命中し、巨大な〈やまと〉の体を確実に削り取っていく。もはや過剰とも言えるほどの弾幕。〈やまと〉は超高速で落下するが故にその衝撃に耐えきれず、それが露出した連結部の分離を助けた。
しかしとうとう、〈やまと〉は雲を突き抜けた。
瞬間、――中枢が軋む轟音が響く。メイン骨格が崩壊を始めたのだ。
次々と分離していくその体。〈やまと〉であった残骸は勢いを落とした。が、その多くは軌道をそのままに――首都圏へ。
*********
「おぉ……やったか⁉」
「破壊はできた……んですかね。あと長官、そのセリフはアウトです」
距離こそ離れていても、その閃光は確かに見えた。
手に汗を握りながら行く末を見守る、――その時だった。
特別区のビル街に向かって、黒煙を引いた炎の塊が直進してきたのだ。
「――⁉ マズい、残骸が降ってきます!」
瞬間、轟音がこちらまで轟いた。
二、三キロ離れた場所だろうか。残骸がバラバラと飛来し、高層ビルへ直撃した。それ自体は左程大きくはないけれど、同じような鉄塊がいくつか周辺へ落下したのだ。
直後、
「もっとデカいのが来ます!」
〈やまと〉の中枢部分か、その片割れか。先程の物と比較して大型の残骸がやって来た。
見た瞬間に悟る。――あれが落ちたら本当にヤバイ。落下地点の損害のみならず、落下時の衝撃波が半径数キロへ波及して甚大な被害をもたらす。
肝が冷えると同時に、歯を食いしばった。
同時に激しく恨んだ。――楠木シンヤを。
*********
「ユウヒ! おい、無事か⁉」
「お兄ちゃん……」
全てのアンノウンを排除したアサヒは、監禁されている妹を探した。アスカも重い足取りでそれを追う。
そして遂にユウヒを見つけ出した。外部の光も届かぬ薄暗い倉庫の中、彼女は椅子に縛り付けられていた。顔は涙でメイクが崩れ落ちて、目は腫れあがっている。腕には手錠の後がくっきりと残り、それがどれだけ長い時間ここいたのかを物語っている。
「――っ! お兄ちゃん……ああああああああああああああああああああああああ! 怖かった……本当に怖かったんだからあああああ!」
「ごめん……俺のせいで」
「――よかった」
ユウヒと対面した時、アサヒは〈ブラッディ・セカンド〉としてのマスクを外していた。敵の返り血で染まったスーツで、負傷で痛むその腕で、泣き崩れる妹を抱きかかえた。
「せ、先輩……これ」
ふと、アスカが彼の背後を指さす。丁度、ユウヒが座っていた椅子の正面だ。
体を回して、しかし抱きしめる手は緩めずに、その方向を見た。
――モニターだ。一般の家庭用テレビに見える。その中に映っていた光景で、アサヒは妹が何を見せられていたを察した。
「これは……中央制御室? さっきまで俺たちがいた」
「はい、しかもリアルタイムですよ。つまり」
「ユウヒ、お前……見ていたのか? さっきまでの俺たちを」
「――うん」
ゆっくりと答える。
……見られた。自分達が何をしていたのかを、しかもユウヒに。
バケモノのように敵を殺しまくる、残虐な兄の姿。妹を絶対に巻き込んではならないと誓って、それでも巻き込んでしまったのに。
「ユウヒ、俺は――」
アサヒは一瞬、感じた。ユウヒの中で、兄としての自分が消えてしまったのではないかと。こんな姿を見せてしまった以上、ユウヒが今までのように自分を見る事なんて出来るはずがない。
――二度と失わせないと決めたのに。
「……!」
しかしユウヒの彼を抱きしめる手は、一層強くなった。
まるで自分の中の兄も、現実の兄も消えてしまわないように。絶対に離さない、と。
「
「……」
アサヒの懐に顔を
「だから、その……おかえり。お兄ちゃん」
「――! ……うん、ただいま」
毎日交わすその言葉。実に二十数時間ぶりの、否、もっと長く感じた「おかえり」だった。
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