『神谷エイジュ』
「――行ってらっしゃい、気を付けてね」
その大好きな優しい声が、死地へと向かっていく自分に囁いた。別れ際に涙を見せぬように、それでも声の奥にはその感情が詰まっていて。彼女は今一度、俺の目を見て。
「行ってらっしゃいは、絶対に帰るって意味でもあるんだからね? はい、それじゃあ行ってきますのギュー」
小悪魔のような雰囲気で、それでも少し照れ臭そうに、俺に向けて
だから俺もそれに応える。物騒なライフルを置いて、
気づけば地獄にいた。幸せを噛みしめようとした瞬間、彼女は俺の前から消えた。血が混じる泥が付いた手を見て、俺は悟った。
……あぁ、あれは走馬燈だ。自分が最も思い出したい光景を見て、生への活力を奮い立たせるための。弱い人間が見る、最後の砦だ。
*********
二〇四五年 九州
人々が暮らしていた時の残影は、もうどこにもない。破壊された街や自然が、硝煙と共に悲鳴を上げる。
失われた領土の奪還を賭けた〈二次戦争〉。その戦場に、楠木シンヤは立つ。
「はぁ……はぁ……はぁはぁはぁはぁ」
降り注ぐ迫撃砲、周囲を掠める銃弾の音。徐々に息が上がっていく。 辺りを見渡せば、同じ装備の仲間が弾雨の中を走り――散っていった。
「ああ……あ゛ああああああアアアアアアア⁉」
今、共に飯を食った仲間が死んだ。機関銃を喰らって足がもげている。
「チクショウ、チクショウ……!」
一緒に女の話をした奴が、動けない体で虫のように這いつくばる。
「嫌だ! 助けて、助けて……お母さ――」
俺よりも年下の奴が、砲撃で頭部を吹き飛ばされる。
その断末魔が脳に焼き付いて、十年後になっても夢の中で何度も甦ることになる。
――嫌だ、自分は仲間のようになりたくない。
「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……死にたくない!」
どこにも逃げ場はない。選択肢は進むか下がるか、結果はどちらも死だ。
動けない俺の前には、気付けば敵の装甲車部隊が。砲塔の回転音と共に二十ミリ機関砲がこちらを向き、俺の肉体を砕こうとしてきた。
「死にたくない、死にたくない! 嫌だ……サヤ!」
大切な、会いたい人の名を呼んだ。この戦場へやってくる前に、俺は彼女を腕の中に抱いていた。別れ際には彼女が腕と共に笑顔を差し出した。「人生の最後に見る光景は、これがいい」とでも言うように、俺は彼女がその時に見せた笑顔を思い出した。
――そして目を瞑り硬直する。瞬間、砕け散ったのは俺の身体ではなかった。
轟音と共に爆風を感じる。目を開けてみれば……敵装甲車が火炎に包まれていた。
「君、大丈夫かい?」
ふと、男の声が耳に入る。脳が全く追いつかないこの状況下で、彼の声だけは鮮明に聞こえたんだ。燃え盛る敵を前に悠然と立つ、マスクを被った男の姿を。
「動けるなら退避しろ。動けないなら……そこで見ていろ。すぐに終わるさ」
瞬間、同様の〈マスクを被った男たち〉が戦場へ現れた。瞬く間に敵装甲車隊を撃破して、後方に控えた生身の敵兵を殺していく。
……俺はこの瞬間に出会ったんだ。あの組織に、そしてあの人に。
この時の彼は、地獄の業火の中に救いの手を伸ばす神のように見えた。いや、あれは神と言って過言ではなかった。そんな彼らは、人間ではなかったんだから。
*********
この時は局地的ながらもかなりの激戦で、所属部隊の中では俺だけが生き残った。敵によって殺されかけていた所を、彼らに救われたんだ。
得体の知れないバケモノのような連中。そんな彼らは総勢たったの七人。個々が有する圧倒的な戦闘能力で、敵の拠点を即座に制圧した。まさに蹂躙だった。
すると、さっきの男が俺の顔を覗き込んだ。
「生き残りは君だけか……気に入った!」
――日本語だ、なら敵ではない。その言葉を聞いて心から安堵した。
彼は、戦場に転がるカメラや敵の生き残りを排除する仲間達へ聞いた。
「お前らぁ! こちらの彼はどうする?」
「どうもこうも、置いていくわけにはいかへんやろ」
「それもそうだな……どれ、君」
言うと彼は、血濡れたグローブをはめる手を差し出した。マスク越しでも優しく微笑んでいるのがわかる。
「一緒に来るかい? とは言っても、選択肢はないがな」
「……一緒に? あんた達は一体――」
俺は畏怖しながら彼に訊ねた。
彼はマスクを取らない。しかし、フッと笑ったのが聞こえた。
「俺は〈ジーク〉……そして俺たちは〈親衛隊〉って言うんだ。この国家を支える、縁の下の力持ちだ」
「親……衛隊?」
「そう! 表では目立たず、影で戦うヒーロー集団だと思ってくれ!」
……見えないはずの彼の目が、この時はどうしても輝かしく見えたんだ。この人に付いていくべきだと、そう信じて疑わなかった。
後に様々な経緯を経て、俺はこの〈ジーク〉という彼の名を、そして彼らその存在を知った。
彼の名は、〈神谷エイジュ〉。そして彼らは人間ではない。特殊なナノマシンによって改造された、強化人間だという事を知った。
*********
戦闘から三日ほど経った後、俺はエイジュさんに連れられて最前線を離れる。後方のとある施設まで運んでもらうためだ。
所々にヘリや航空機の残骸が転がる九州の雄大な自然。その道を走る軍用車両の中で、俺はエイジュさんに訊ねた。
「あの……エイジュさん」
「ん?」
「どうして俺なんかに親衛隊の事を教えたんですか? 国家機密の組織なんでしょ?」
「あーね、それは……」
エイジュさんは少し小難しそうな顔をした。と言うよりは疑問か。
彼らと出会ってから知ったのは、「親衛隊は軍とは違う、裏の組織」である事。〈アンノウン〉と呼ばれる彼らの存在は極秘であり、誰であろうと知られてはならない。
でもエイジュさんは、行動を共にした俺に存在を教えた。
彼は首を傾げてハンドルを握りながら、確かに答えてくれた。
「自分でもよくわかんないけど……多分、なんとなく? 楠木君には話してもいいかなって思ったんだよね」
「楠木君じゃなくて、名字かシンヤでいいですよ」
「じゃあシンヤで」
ここで互いの呼び名が決まる。
「なんとなく」、そんな軽率な感じでいいのか? そもそも、怯えて動けなくなっていたような俺なんかにそんな価値があっただろうか。走馬燈すら見ていたこの弱者に、自分らの極秘情報を見せてしまうような価値が。
「君を見つけて助けた時、目が合ったんだ。その時のシンヤの目が……とても強そうに見えた」
強そう? この人は本当に何を言っている。俺はあなたがいなければ、あの場で死んでいたんだ。仲間が散っていく様をただ見つめていた、腰抜けの弱者だぞ。
「あれは『生きることを決して諦めない』、そういう感情を持った目だ。俺は十年前の〈一次戦争〉にも参加していて、戦場で多くの人間を見てきた。簡単に死んでしまう善人や、しぶとく生き残るクズまで」
軽々しく十年前と言うが、この時でもエイジュさんは十分若々しかった。雰囲気だけはベテランの老兵のようだが、実年齢は恐らく二十代後半と言った所だろうか。
「なら俺は、その善人かクズのように見えたんですか……」
「いや違う。善人ってのは仲間を思うあまりに自分が犠牲になり、クズは自分の事しか考えないから生き残りやすい。それでも戦場は理不尽で、結局はそのどちらも死んじまう」
そう言う彼自身は生き残っている。なら、自分はクズだと言いたいのだろうか。……違う、この人が生きているのは必然的だ。俺が見た彼の戦闘能力がその証拠だ。
「だからシンヤみたいな目を持った奴は、この地獄にそうそういない。善人とクズの間を通って、仲間の屍を踏みつけてでも生き残りそうだ。俺がシンヤに見出したのは、そういう意志だった」
「でも、俺は……」
エイジュさんは、俺が生き残った理由をプラスに考えている。でも、俺自身がそれを否定しようとする。
だから俺は言った。
「俺はあの時、大切な人の顔を思い浮かべていました……走馬燈って奴ですかね。きっと俺自身が死ぬって思ったから、体が動かなかったから」
「ふーん……」
「俺は死ぬのが怖い……だからそんな物を見てしまうほどに、俺は弱いんです。仲間を見殺しにして、運よく生き残っただけの……ただの弱者だ」
――あんたが言うような強い人間じゃない。そう言いたかった。
あの時の俺は、ひたすら「死にたくない」と願った。エイジュさんが言うような奴はきっと、死を恐れないような勇敢な奴だろう。
この人がそうだ。自分の身体を犠牲にした〈強化人間〉なんだから、きっと。
「フフ……ハハハ! なるほど、そう言う事か!」
「は?」
哀愁漂う俺の言葉を覆して、エイジュさんは途端に高笑いした。
「あの目の意味がわかった! きっと、その人のために『死にたくない』って思ったことだ。違うか?」
「い、いや……だからですよ。そんな俺は、エイジュさんが言うような人間じゃ――」
「バカかお前は!」
唐突に叱責され、言葉を封じられた。
「走馬燈がどうとか、誰だって死ぬのは怖い。むしろそれがシンヤにとっての力になるんだと思う」
「そ、そんなもんですかね?」
「おう。どんな戦士でも、初めから強かったわけじゃない。強者ってのは、いくつもの犠牲を乗り越えて進んだ先の到達点だ」
寝耳に水だった。こんな人から、弱さを肯定するような言葉を聞かされるとは思わなかった。
拍子抜けする俺を横目に、エイジュさんは微笑みながら小指を出した。
「ちなみにその人って、シンヤのこれ?」
「そ、そんなんじゃ!? いや、違くはないんですけと……」
「ハハ! それじゃあ尚更、生きて会いに行かないとな」
――死ぬわけにはいかない。弱いままじゃ何も守れない。自分の命も、大切な人も。
「でもわかるよ。俺にも家族がいるからな」
「そうなんですか?」
「可愛い奥さん! そして九歳の息子と、五歳の娘だ!」
「……幸せなんですね」
「あぁ、だから俺も死ぬわけにはいかない。お互いに頑張ろう」
俺はこの時、エイジュさんの言葉に感銘を受けた。
家族の話をする時のエイジュさんは、いつも生き生きしていた。愛する家族と幸せを置いてまで戦い、生き残る彼の姿に惚れもした。――神谷エイジュは強者なのだと。
ただ、その思いはこの時がピークだったのかもしれない。……大切な人を、この人の影響で失う事になるとは思いもせず、俺は彼を慕った。
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