『強くなりたかった』

「……ただいま、サヤ」


 俺がエイジュさんと共に目指した後方の施設。それは戦火に巻き込まれた民間人の避難施設だった。交通手段の麻痺によって本土へ移動することが出来ず、こんな場所に身を寄せるしかなかった人々にとって唯一のオアシス。


「うん。――おかえりなさい、シンヤ」


 涙を滲ませながら俺を出迎える女性。名前を〈天野サヤ〉と言う。俺が死の間際に思い出した、守るべき大切な人。

 施設の入り口で、後ろでエイジュさんが見ているという事も忘れて……俺はサヤを抱きしめた。ただ一言、「ただいま」と告げて。



*********



「ふーん……それで、あの神谷さんって人に助けられたんだ」

「うん、色々あってね。ここまで連れてきてもらった」


 人気のない裏方で、俺たちは座り込んで話す。汚れた迷彩服を着た男と、ごく一般的な服装の女が並んでいる光景はさぞおかしかっただろう。

 俺は「自分が死にかけた」という事を除き、事の顛末をサヤに伝えた。無論、アンノウンと親衛隊の事は秘密だ。


「なんにせよ、無事で何よりだよ……」

「うん。サヤの方こそ、ここに爆撃は来なかったみたいでよかった」

「へへ。みんなの安全地帯だからね」


 サヤはこの近辺の都市に住んでいた身で、開戦してからは避難施設を転々としていた。国防軍の若年兵だった俺は、その中の一つで彼女と出会った。

 この施設には多くの子供達も身を寄せていて、サヤはその子らの世話係。母性豊かな性格で、戦場で寂しい思いをする子らを抱える様は魅力的だ。心身の幼さや未熟さが残っていた当時の俺も、例外ではなかったらしい。クソみたいな現実に泣いていた俺に、サヤは寄り添ってくれた。


「それでさ……シンヤはこれからどうするの?」

「どうするって?」


 サヤは少しよそよそしい雰囲気で問うた。

 

「もう戻る部隊もないんだよね? だったらさ、しばらくここにいようとか思ったりしない?」

「……逆に聞くけど、俺はどうしたらいい?」

「それは……出来る事なら、ここにいてほしい。もう『行ってらっしゃい』とか言って、シンヤを危険な場所に送りたくないよ」


 それは俺も同じだ。出来る事なら、「行ってきます」なんて言って別れたくはない。最初にこれを言った時、どれだけ怖くて悲しかった事か。

 


「――ごめん。俺はエイジュさんに、あの人と仲間達について行こうと思う」

「そんな! どうして」


 以前の俺なら迷わず是としただろう。でも今は違う。

 もう戻る部隊はない。――それでも、あの場には仲間達がいた。そしてみんな死んで行って、俺だけが取り残されたんだ。彼らは戦友でありだ。

 そんな時に俺は、エイジュさんの背中を見てしまった。そして彼の強さに惹かれた。同時に、俺も強くありたいと思った。


「エイジュさん、あの人は本当に強い人なんだ。……死を恐れない戦いぶりで、最悪な状況でも全く動じない。とは違ってね」


 ほくそ笑んで、エイジュさんを崇める。そんな俺を見て、サヤはキョトンとする。


「俺は……。だから彼の背中を追いかけたい」


 ――強くなければサヤを、サヤだけじゃなく何も守れない。

 エイジュさんは強い。愛する家族がいて、「家族のためにも死ねない」という意志をバネにしている。俺とは真逆だ。

 サヤは、俺の意志に驚愕しただろう。しかし俺が告げた言葉を聞いて、サヤはうつむきながら悲しそうに言う。


「……そうなんだ。それがシンヤの気持ちなんだね。なら、私は何も言わない……本当は嫌だけど」

「ごめん……。死んだ仲間のためにも、みんなのためにも、俺はまだ逃げたくない」


 本当はここで逃げていれば、銃を捨てていれば――そう思った。でも、それは違う気がした。 

 俺は再び銃を取り、エイジュさんたち〈親衛隊〉の背中を追う事にした。


「でも、一つだけ聞かせて?」


 サヤは最後に、涙を滲ませて問う。


「シンヤはさ、何のために強くなりたいの?」

「……強くなきゃ、サヤを守れない。ただそれだけ」


 ――そんなの、決まっているじゃないか。これが俺の気持ちだ。

 その答えに、サヤはうつむく俺の顔を覗き込んで言った。エイジュさんと同じように、しかし違ったことを。


「でも私は、今のシンヤも十分強いと思うよ?」

「……え?」

「多分、戦って守ることだけが強さじゃないと思う。――弱さを知るってことは、その分強さを知っているってことなんじゃない?」


 ……一瞬、サヤが何を言っているのかが理解できなかった。弱ければ守れないのに、その弱さが強さだなんて。

 しかしこの言葉はきっと、一度でも戦いに手を染めた人間には浮かびもしないんだろう。俺がサヤの言葉を理解するのは、今よりずっと後だ。遅すぎたんだ。


「守る物があると弱くなる……だからその分、強くなるんだよ。私的には、きっとね」



*********



 サヤを置いて戦場へ戻る。そして親衛隊と行動を共にしていた。

 エイジュさんを含め、アンノウンの戦闘能力は恐ろしい。彼らはたったの七人で、敵部隊を死体の山に変貌させてしまう。加えてエイジュさんは、そのアンノウンの中でも〈最高傑作〉と呼ばれるほどで……正真正銘のバケモノだ。俺はその惨状を目にして、耐えることだけで精一杯だった。

 その最中。俺は一連の戦いで、エイジュさんの人間性を知ることになる。


「今日は何人死んだ? ――おう、まぁまぁかな」


 これはエイジュさんが戦闘後に発する、お決まりのセリフだ。その日の戦闘での死者数を聞いては、「上出来」だとか「まぁまぁ」と言う。

 ……この反応が「まぁまぁ」が、殺した敵の数ならどれだけよかっただろう。


「今日は味方の死者数が思ったより少なかった! まぁ、百人くらいは死んだらしいが……戦果を考えればは悪くはない」


 ――この人は味方が大勢死んでも、それを「費用対効果コストパフォーマンス」のように捉えるんだ。国防軍だけじゃない、この戦争では民間人だって大勢死んでいるのに。

 俺自身も、顔を知っている仲間を大勢失った。みんなが銃砲撃の中で肉片と化していくのを見て、彼らの犠牲を嘆いた。……彼らの死は二度と忘れられない。

 俺はいつか、彼に疑問をぶつけた。


「戦果はあっても、はたくさん生まれます。エイジュさんは……悲しくならないんですか。……俺は悲しいです」


 彼だって人の子だ。愛する家族を持つ身だ。悲しくないはずがない、――その期待を裏切るのは、エイジュさんの本心が語る非情な言葉だった。


「これはだよ。勝つためには合理的判断が必要で、一人一人の死を気にしたら負け。戦いってのはそういうものだ」


 俺はエイジュさんを表面上でしか見ていなかったのだと、こうして気付かされた。

 ――勝つためなら犠牲を厭わない。たとえ仲間が大勢死のうとも、理にかなってさえいれば、非道で冷酷な判断を下す合理主義者。

 神谷エイジュとはそういう男だった。……これが彼の強さだった。

 

「……エイジュさんは考えた事あります? 仮にその犠牲が、。俺ならサヤ、エイジュさんなら家族。その時あなたはどうします?」

「……」


 彼は言葉を詰まらせた。家族と勝利を、心の中で天秤にかけたのだろう。そして躊躇した。流石の神谷エイジュでも、家族の存在は重い。

 俺は彼の強さと同時に、彼の弱さも垣間見たんだ。

 ――まさかこの弱さを俺自身が突くことになるとは。この時は思いもしなかった。


「……そんなの、わかるはずないだろ。ただ一つ言えるのは、弱い奴は食われるってことだけだ。もしその時が来たら、俺は俺自身を信じるさ」

「なら、俺はあなたを信じます。……俺は強くなりたい。サヤを、大切な人を守りたい」


 戦場で闇を見るたびに、俺とエイジュさんの距離は狭まっていった。それは必然的に、親衛隊という組織にも大きく関わっていくことにも繋がる。気付けばこの頃から、俺は組織とアンノウンという存在に引き込まれていたんだ。

 ただし、俺の意志だけは変わらない。――強くありたい、サヤを守りたい。自分の本心は、まだ直接伝えていないけれど……だからこそ生きたい。

 


*********



 時間を見つけては前線を離れて、時には一人で行動することもあった。その度にサヤの元へ戻って、彼女が懸命に生きる姿を見ていた。

 時には料理をして、俺が貴重な食材を台無しにしたり。仕方がないから戦闘糧食レーションを食べて、逆に笑ったり。銃を持って人を殺したこの手で、彼女の頬に触れた。

 

「強くなりたいのはわかったよ。……でも、自分を忘れちゃダメ。シンヤは、どこにもいかないで」




 親衛隊に取り込まれるにつれ、俺の様子が変化していくのを悟ったのか。サヤはそんなことを言った。俺は「当たり前だろ」と、守れるなんて思ってもいない口約束をした。

 そんな折、――転機が訪れる。


「喜べ、シンヤ。サヤさんたち避難民が、より本土に近い退ことが決まったぞ!」

「マジですか!? それはいつ、どうやって!」


 エイジュさんから告げられた知らせに、俺は興奮を隠せない。

 サヤたちはもう、あのクソみたいな環境の避難所にいなくていいんだ。ミサイルが上空を飛ぶ音に怯える生活も、これでおさらばだ……。


「近日、前線に来た国のお偉方を後方へ護送する。その輸送車で一緒になら……って感じらしい。人数に限りはあるが、少なくとも半分は助けられる」

「じ、じゃあ! 俺も護衛に――」


 俺が頼み込もうとしたのを遮って、エイジュさんは堂々と続ける。


「無論だ! 俺たちアンノウン部隊は、そのお偉方の護衛任務を任された! シンヤ、お前もやるだろう?」

「……当たり前じゃないですか。やらせてください!」

「決まりだな!」


 ……やっぱり、この人の背中を追ってよかった! 神谷エイジュは、俺の中の英雄なんだ。

 そう、俺は歓喜に憑りつかれて、潜むリスクなど全く見えていなかった。これが最悪の結果をもたらすなんて……誰が考えただろう。

 そして俺が〈〉という言葉を使う、その始まり。

 


 

 


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