第二章 前世代が残した物

『たった一人の、肉親です』

 二〇五七年 六月中旬


『時刻はお昼を回りました。ニュースをお伝えします』


 この日本で、最も人間の往来が激しい都心。

〈東京都・第一民間区〉――旧名称・渋谷区


 その中心にある大スクリーン。報道の顔である美人キャスターが、昼までに届いたニュースを読み上げていた。メディア機器の進化を除けば、数十年間何ら変わらぬ光景。


『先日発表された――さんの新曲――が、全世界急上昇ランキングで一位に到達しました!』

『貿易規制により急速に進んでいた物価上昇が、規制緩和によって徐々に安定する見込みと、経済省が発表しました』


 若い世代がこぞって閲覧する、芸能関係のニュース。それから経済関係のニュースと、淡々と移り変わっていく報道画面。そのジャンルによって番組の視聴世代が急変動し、人々の興味関心が往来する。――これも、数十年変わらぬ『当たり前の日常』。

 ……そこに、テロ行為のニュースは流れてこない。

情報規制や事実隠蔽が働いているのはもちろんのこと。それ以上に――人々が関心を持たない。だから貴重な枠を潰してまで、報道する意味もない。


『続きまして。十九年前の一次戦争で、当時の首相を務めていた〈大路ソウイチロウ〉氏の裁判につきまして……』


**********



 だんだんと夏が近づくこの季節。

晴天の第一民間区。若者が集まるカフェにて、新城アスカは私服姿。


「ねぇ、アスカ……あんた、少し痩せた?」

「え、本当? 別にダイエットした訳じゃないけど……」

「違うわよ! あぁ、痩せたっていうよりは――」


 本日は久方ぶりに、高校時代の友人・マリとの会合。

親衛隊員としての正装とは打って変わり、本日はラフでおしゃれな服装。青春を懐かしむために、目一杯の子供心で、友人と向かい合う。

 そんな彼女を見て、マリは思ってもみない反応。


「やつれた……って感じ? 私にはどーも疲労的なものに見えるのよね」

「えぇそうかな? ――いや、そうかも」


 否定しようかと一瞬思ってすぐ、やはり肯定すべきかと感じた。


「仕事で何かあった? ――ほら、特別区のいい所に勤務し始めたんでしょ?」

「まぁ……正解かな。結構、精神的に来るって言うか。自分の在り方を、生き方を考えさせられるっていうか。甘い考えを全否定されたっていうか」

「うーわ……なに、その怪しい感じ。なんかヤバい所なんじゃないの? あ、でも特別区でそんな感じと言ったら――! どう、当たり?」


 大方、間違いではない。マリは、高校以降のアスカを知らない。別々の大学へ行き、アスカは影の世界秘密組織へ入った。無論、そうなった以上は知ることもできなくなる。教えることも許されない。


「それは……秘密! 職務上あまり口外できないの」

「口外できないってことは、やっぱりそっち系か!」

「下手に考察しないで。マリの事だもん、すぐに他人へ広めるに違いないんだから!」

「人を噂の源みたいに言って! ――フフフ!」

「アハハハ……!」


 久方ぶりに見た、友人の顔。久方ぶりに聞いた声、喋り口調。どれを取っても楽しい。

 やはり、青春はいい。特に十代の頃は。二十歳を過ぎた頃から互いに忙しく、このような時間は激減した。アスカの知っている世界は、日常は、まさにこう言う事だった。

 ――それが今や、親衛隊で真実を知った。……自分たちの平和な日常は、何を以てして成り立っていたのか。そして、それは平和なのではなく、『平和だと思い込んでいた』。全て仮初かりそめだったという事を。

 それを知らないことが、マリのような友人にとっての幸せだった、という事を。


「しかし流石ね……は、やっぱり違うわ。さらに、あんたのおじいさんときたら」

「マリ、祖父の話はしないで。……こと、それが我が家にとっての負債でもあるんだから」



**********



 不意に、アスカは店の外を眺めた。ガラス張りの壁越しに、多くの人が往来する通りを。紅茶を口に流し込んで。

 その視界に、一人の男が入り込む。アスカの意識は、完全にその男へ釘付けになった。


「―――あれ?」

「ん、どうした?」


 あの気怠そうな雰囲気。猫背によって、平均より少し高いはずの身長が縮んで見える、あの感じ。間違いない。顔も確認した。


「……マリ、少し行ってくる。これ、お会計!」

「え――、ちょっとアスカ⁉」


 その背中を追い、金をとマリを置いて店を飛び出す。密度の高い人の波を掻き分け、駆ける。時々、その波のせいで姿を見失う。だが、すぐに捉えなおす。

 この第一民間区で偶然にも、〈ブラッディ・セカンド〉こと神谷アサヒを見つけたのだ。

 特に、彼を追う理由はない。偶然と言うシチュエーションがあるだけで、知り合いに声を掛けたくなる。それは人間の性だろうか。こんなこと、特に好いていない人間に対してするわけがない。アスカにとって神谷アサヒは、少なくとも良い関係であるという認識なのだ。


「先輩――!  アサヒ先輩……」


 その距離が数十メートルまで縮まった時、彼の半径一メートル以内が視界に収まる。

それはアサヒで間違いなかった。――しかし、その隣には

 ――立ち止まる。


「……誰だろう、あの子」


 金髪で、色白。小さな体躯で、女性よりも『女の子』という感じがしっくりくる。最近はやりのファッションで、明らかに年下。

 その女の子は随分とアサヒに親し気で――手を繋いでいる。それどころか擦り寄った。


「……まさか、先輩の恋人⁉」


 先程までの気力が、アスカからすっぽりと抜け落ちる。なぜか。それは普段の神谷アサヒとの、ギャップ。八一五部隊所属〈アンノウン〉であるアサヒしか知らないアスカにとっては、むしろ初めて見る一面。

 まさか、あの男にあんな恋人がいたのかと。いつも気怠そうで、任務にしか興味がなさそうなあの男。その女の子との組み合わせに、どうしても違和感しかない。


「あ、行っちゃう」


 人間の津波の中、ぼんやりと立ち尽くしていたアスカ。次第に見えなくなっていく二人の背中を、本能的に追いかけていった…。


**********


「いらっしゃいませー、空いているお席へどうぞー」


 コーヒーチェーン店へ入った二人。アサヒはコーヒーを、彼女はカフェラテを注文。

アスカも続いて入店したが、接近し過ぎれば見つかる。ある程度の距離が空いた席を見つけ――着席。


「何を話しているんだろう……よく聞こえない」


 人が多すぎた。二人の会話は、まるで聞き取れない。無論、盗み聞きは良くない。それにアサヒのプライベートを除く権利も、アスカには無い。それはわかっていても、衝動的であったのだ。

 一つだけわかるのが、二人は単なる友人関係ではない。それ以上を感じさせる親しさ。やはり恋人だろうか。……もどかしい。


「あの……ご注文は?」

「え? あ、えっとコーヒーで……!」

「か、かしこまりました」


 耳を傾け過ぎた。店員の接近に気付けず。焦り、さっき紅茶を飲んだばかりだというのに、コーヒーを注文。

 彼女の方は…スマホで通販でも見ているのだろうか。パラパラと画面をスライドし、それを楽しそうに旭日へ見せる。アサヒの方も、親衛隊員である時の面影など見せず。ただ、いい笑顔。


「でもあの子、明らかに十代よね? それって法的にアウトじゃ……」


 彼女の身なりは、最近のファッションサイトで見たことがある。近頃の女子高生に人気だという組み合わせ。ルーズソックス、と言う奴だったか。アスカの両親、そのひとつ前の世代で流行っていた、モコモコした長い靴下。

 

 仮に彼女が高校生だとしたら――法律的にはあまりよろしくない。確かに、恋愛は個人の自由だ。しかし倫理観と言うものがある。

 それをあの、神谷アサヒが……と考えてしまう。


― 十数分が経過 ―

 ようやく席を立つ様子。自分らのコップを片付け、またしても仲良さげに退店した。

 アスカもそれを追う。気が落ち着かなくて飲めなかったコーヒーを、一気に飲み干して。


**********


「今度はゲームセンター……?」


 ガヤガヤと、人ごみよりも騒がしい機械の音声。ゲームセンターのクレーンゲームを、二人でプレイしていた。無論、アスカは追跡中。自分もゲームをプレイするふりをして。

 彼女の方がクレーンを操り、景品のお菓子を狙う。

――取り損ねたようだ。悔しがり、子供のように駄々をこねて、アサヒに代わった。


「――おぉ……凄い」


 一発で景品獲得。それを彼女へ手渡し…互いにいい笑顔を向け合う。

 ――すると、今度は別のゲーム台へ向かい、プレイ再開。最新技術でリアリティーが増した、バーチャルシューティング。


「……流石、全弾命中」


 テロリストとの戦いで実銃を扱うアサヒが、ゲーム程度で外すわけがない。彼女が負けて悔しがり――アサヒの体を、小さな拳で突く。

 一方、適当にゲームをプレイし、カムフラージュをするアスカ。端的に言えば、下手くそ。


「ママー、あのお姉ちゃんずっと怖い顔してるー」

「こら、見ちゃいけません! ……ストーカーね」

「――え? い、いやその!」


 不意に、小さな子供に指さされた。母親は子供を連れてそそくさと退散。こんな反応をされても仕方が無いのは、重々承知。むしろ事実、アスカは今のところストーカーである。

 ふと、アサヒ達のほうを見返した。――いない、もう行ってしまった。



**********


 ――あれから数時間。

 二人はその後、雑貨店でアクセサリーを見て。アサヒがそれを買ってあげて。次にアイスを食べて……二人でシェアして。


「……結局、あの二人は純粋なカップルなんだよね。――私、一日中何してたんだろ」


 無意味な一日。しかし、何も悪い事ばかりではない。

残忍冷徹な〈アンノウン〉、その男の意外な一面が見れた。――これは新米隊員のアスカにとって、少なからず良い収穫だった。

 戦うばかりではない。いくら強化された肉体を持っていても、恐ろしい兵器と言う扱いでも。彼はやはり、なのだ。自分と同じ、ある程度の幸せを享受する存在。


「……帰ろ。マリに謝らなくちゃ」


 第一民間区・中央駅に向けて、アスカは歩みを進める。

不思議と晴れやかな気分で、今日一日を締めくくろうと。

 その時――不意に、聞き覚えのある声を掛けられた。


「……俺たちのストーキング、気は済みましたか? アスカさん」

「――え?」


***


 アスカの進路上の街角で、アサヒは陣取っていた。

一日中ずっと付けてきた、新城アスカを問いただすために。


「せ、先輩⁉ な、なんで……」

「まさか、俺が気付いていないとでも? 俺がどんな奴強化人間だか、お忘れですか?」


 盲点――と言うよりは、考えればわかること。日々テロリストと戦う男が、この程度の追跡に気付かぬわけがない。


「その……いつからお気づきで?」

「コーヒーを飲んでいた時から」

「一番最初じゃないですか!」


 一日を費やした追跡、その疲れが一気に溢れ出て、アスカの肩を落とす。全てが無駄だったと感じたとき、人間の精神の落ち具合は計り知れない。

――ふと、顔を上げると。


「お兄ちゃん、このお姉さん……どちら様?」

「この人は俺の、職場の同僚」

「――へ? ちょ、ちょっと待ってください! ……お兄ちゃん?」


 後ろからひょっこり顔を出す、金髪の彼女。

この呼び名で、全てを察した。


「アスカさん、紹介します。――神谷ユウヒです。俺の……たった一人の、肉親です。」

「初めまして、妹のユウヒです! 兄がお世話になってます」

「あ、初めまして! 新城アスカです」


 結論はあっさり出た。二人は兄妹であると。

そして――今日のこの二人、明らかに恋人としか思えない行動。これら全てを照らし合わせると、もう一つの事実が浮かび上がる。


「……先輩って、もしかしてなんですか?」

「なっ⁉ い、妹がブラコンなだけですよ!」

「あ、お兄ちゃん恥ずかしがってる」


 ――アスカは納得した。この二人は、結構重い感じの兄妹だと。この日の収穫が、新しい情報へと書き換えられた瞬間だった。


「それでー、ずっと付けてたってことは?」

「な、なんですか?」

「アスカさんって、お兄ちゃんの事が好きなんでしょ!」


 ――ふざけている、と言いたいが状況として正論ではある。

八一五部隊のこの二人、別の意味で近しい存在の息があった。


「バカ言うな!」 「バカ言わないでください!」



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