『アンノウン』

「いや……なんなの、これ」


 アスカがモニターする、その画面に映る光景。殺し合い、否、圧倒的な力による殺戮。

あまりにも非現実的過ぎて、残酷で。直視する事は到底出来ない。

 そして、その残酷な行いをする者たちが、数時間前までは自分と談笑をしていたのだ。

その時まで、彼らはごく普通の人間であったのに。新米の自分にドッキリを仕掛け、よく笑い、よく喋り、共にコーヒーを飲む、普通の人間。

 なのに今は……彼らが人間には見えない。、その狭間に押しつぶされそうになる。


『あぁ……ア゛ァァァァァ⁉』

「いやっ――⁉」

「アスカさん、目を逸らすな。……己の役目を全うしろ」

「そんな……だって今、人が死んで」


 画面越しに、テロリストの頭が潰されたのだ。まるで果実のように。それをやったのは他でもない、〈セカンド〉こと、神谷アサヒだ。恐怖のスプラッタ。思わず頭を抱えて、現実から目を逸らすアスカ。コマンダーからの叱責が飛ぶが、それを受け入れる精神はない。


『――とうっ!』


 今度は喉元を掻き斬られる。やったのは〈フランセス〉こと、新海エリナ。

『自分より大人びた雰囲気のお姉さん』だと思っていた。数時間前までは。

しかし、今のアスカが見ているのは人殺しだ。


「……新城アスカ、君の仕事は部隊のレポーターだ。怯える一般人の役者じゃない」

「みなさん、どうしてそんなに普通でいられるんですか⁉ 人間を殺すんですよ⁉」

「普通ね……そうだ普通だよ。これがであり、日常だ」


 自分の知っている普通と、彼らの普通。その大きすぎる差異に、流れる血に、絶句する。

ふと、デバイスへ通信が入った。


『聞こえていますか、アスカさん。セカンドです』

「アサヒ先輩……?」

『……これでわかったでしょう? あなたやご友人が見ていた、平和という「当たり前の日常」。これが現実です。仮初の平和を築くために、こんなにも血が流れる。…あなた方は、それから目を背けていただけなんだ』

「それは……私は――」

『覚悟も持たず、あなたは一体何をしにここへ入ったんだ?』


 周波数の奥から聞こえるアサヒの言葉。何も言えない。アサヒの声の、さらに奥からも、銃声や悲鳴が聞こえるのだ。戦争も、人の死も知らないアスカには、この現実はまるで異世界のように感じる。


『誰も知らない、日常の現実。俺たちは強化人間。あなたたちの日常には存在しない、〈アンノウン未知の存在〉だ』

「あなた達は……」

『そして、敵も俺たちと似たようなもの…我々はこのテロ組織を、〈ファントム亡霊〉と呼んでいます』


**********


 アスカへ、伝えるべきことを伝えたアサヒ。

彼女が絶句した様子を感じ取って、そのまま通信を切る。

 ……最初、今みたいに教えていればよかった。皮肉気味で言うべきではなかった。

などと初対面の際の態度を後悔するが、もう遅い。


 もうすぐで、テロリストの制圧が完了する。かに思われた時。


『こちらグレース。コマンダー、各隊員に報告する』

「どうした?」


 別の建物で狙撃の任についているグレース。彼の報告が、管制を行う指揮車両を介して伝わってくる。


『……気を付けろ、奴だ。〈フォアマン〉を確認した!』

『マジか! 探査官レーダー、ナノマシンの反応はあるか⁉』

『確認します……あ、レーダーに引っかかりました! ビルの上層電波室にて、ナノマシンの反応あり!』


 指揮車両に搭載された装置が、特殊電波を放つ。報告からそれまでの手順は非常にスムーズ。

その電波が探知したもの。それは、動作するナノマシン。

反応の仕方が、行動中のセカンドやジョージらと同じ。


『各員、第二種戦闘態勢! ……が来るぞ!』


 下令された戦闘態勢。これまでの彼らの行動は、対テロ用の第一種。

今しがたの命令は第二種。…対アンノウン戦の特別命令。


「ジョージ、上へ行くぞ。フランセスが孤立している」

「オーライ、久しぶりに現れたな。」


**********


『フランセス、備えろ! 三、二、一、来た!』

「――ッ⁉」


 エレベーターの空洞を伝る、跳躍の音。まるで、屋根裏に獣がいるような。

ソレはエレベーターのロープを掴み、飛び降り、フランセスのいる十三階へ姿を現す。

 一瞬、暗闇から獣に近い影が飛び出してきたように見える。それは迷うことなく、フランセスへ跳びかかる。突進を受けた彼女はのけぞり、体勢を崩された。しかし、備えていたために大した事にはならない。


「お出ましね! ――第二世代の改良……いや、かしら」

「キュロロロロ」


 フランセスの暗視能力によって、それの姿は次第に鮮明になる。

どこから出しているのかわからない、鳴き声のような不快な音。血のように赤い、気色の悪い瞳孔が彼女を睨み、不快な感情を与える。それはもちろん、モニターをしているアスカにも。

全身に防弾スーツを纏い、人間らしからぬごつごつとした、体のシルエット。その皮膚はまるで、焼けただれたような質感。


『な、なんなんですかこれ!』

「アスカちゃん……こればかりは見ない方がいいかもね」

「キュロロロロロロ――シャッ!」


 ――跳びかかるアンノウン。フランセスのダガーナイフが受け止める。

素早い手の動きを、舞のようなナイフさばきで止める。

至近距離まで接近したおぞましい顔に、マスクの下のフランセスの表情が引きつる。

 ナイフだけではない。足を使って機動し、飛び回り、アンノウンの動きに付けるのだ。


「――この感じ…のかしら⁉ 随分と素早いじゃない」

「キュル――ルルル! ……しん、えいたい!」

「うん、まだ脳は生きているのね!」

「返せ……返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せええええ!」


 陥没した唇。浮き出る青い血管。その口から放たれるのは、意識の底からの訴え。

ジリジリと近づくその顔は、指揮車両のモニターにも映し出された。

 ダガーナイフで相手の手元を狂わせ、空いたガードの隙間に突き出し、距離を離す。


『フランセス――どけ!』


 その声に、射線を予測し頭を下げる。下へ向かって落ちる、マスクを被った頭と入れ替わるように、銃弾が突き抜けていく。――命中。

 グレースの狙撃が、アンノウンの右肩を貫通する。人間相手なら四肢が吹き飛んでいたであろう、狙撃用弾頭。そう、普通の人間相手なら。

弾は貫通した。貫通しただけで、銃創以外の肉は持っていくことが出来ない。


 ――特殊プログラムナノマシンと、『失敗作』。

〈第二世代アンノウン〉

第一世代からの性能アップを目的とし、他生物の力を利用して、生態能力の底上げを謀ったバージョン。

 そして、結果的には能力の底上げに成功した。しかし、被験者の細胞がそれに耐えることが出来ず、開発された第二世代はそのほとんどが死亡することになる。

第二世代は、親衛隊の中で見捨てられた。



『コマンダー、あんたのお仲間だよ!』

『そうだね……悔しいけど嬉しいよ! 僕の他にも、まだ生きている第二世代がいるだけでさ!』

「――お二人とも、私はそろそろ厳しいんだけど⁉ こういうタイプの敵は苦手なんだって!」


 軟体を生かした戦闘スタイルのフランセス。敵は蛙のような瞬発力を活用。…相性が悪い。狙撃も一度命中したのみで、後は敵も勘付いた。射線から外れるべく、建物の内側へと浸透。

 ――そして、フランセスの活動限界時間が迫る。ナノマシンで肉体を強制変異させるが故、その反動もまた絶大。中枢神経系にまで入り込んだプログラムは、やがて脳にもダメージを及ぼす。


 激しい頭痛の予兆が見られた時、デバイスに声が。


『悪い、遅くなった!』

「……ほんとに遅い!」


 ビルの階段。その暗闇から、高周波ブレードの金切り音。微かな光の尾を引く、刀身の弧。

――セカンドとジョージが、敵アンノウンに対し突撃。フランセスから引き剝がす。

斬りかかったブレードを避け、空を切る音が何度も、何度も。


「……すばしっこい奴!」

「くたばりやがれ!」



 ジョージが二丁拳銃を発砲。一度に二発ごとの特殊弾頭は、敵の防弾スーツを直撃。そのうち一発は施された防弾プレートを貫通し、敵の肉体へ入り込む。

 どこから出ているかもわからぬような悲鳴が木霊し、それをさらに銃声が掻き消す。

敵は激しく、必死に抵抗。――その目には、涙が。

 八一五部隊が〈ファントム亡霊〉と呼ぶテロリスト。しかしまた、自分たちのことも『亡霊』と呼ぶのだ。…その真意は、これだ。


「キュロロロロ……形勢逆転か――っ!」

「逃がさん――っ!」


 敵は壁を伝い、跳躍し、天井へ張り付いて、ジョージが放つ弾丸を避けながら――エレベーターの方向へ。月明かりが行き届かない暗闇の中、敵が爬虫類のような動きでエレベーター内部へ入っていくのが、第六感でわかった。

 ――しかし、そこに入ってしまえば袋のネズミ。

セカンドは、限界時間を迎えそうなフランセスを横目に、ネズミへ向かって駆けていく。…エレベーターに突入、敵は……いない⁉


「しまった、外か⁉」

「キュロロロロ、シャッ――!」


 ふと、上を見て。天井の非常扉が開いているのが見えた。――敵はそこから抜け出し、かごの外側、エレベーターシャフトを伝って下降していく!

 その影を捉えたセカンドも、負けじと追随。昇降ロープに飛びつき――そのまま下へ。金属製のロープを擦るたびに、スーツから火花が飛び散る。その微かな閃光で、自身の先を行く敵アンノウンが見えた。


『こちらコマンダー。君たち全員もそろそろ限界だ。――終わりにしてやれ!』

「了解」


 ロープを離し、急降下。落下エネルギーによって加速し、一瞬で距離を詰める。敵はそれに対応しきれていない。

――互いが接した刹那、セカンドは空中の敵に対して蹴撃しゅうげき。下フロアのエレベータードアから、そちらへ吹き飛ばした。

腕、脚、それから胴を掠め……ナノマシンを含有した血が飛び散る。――そして、その首を捉えた。着地――、間髪入れない。足をついて踏み込む体勢が出来たのなら、すぐにブレードを振りかざす。

 金切り声を上げるブレードが、敵の肉へ接しようとしたとき……一瞬だけ、声が。


「………お母さん……を、返してくれ」

「――すまない」


 一閃。高周波ブレードが首をはねた。

ごろんと、転がる頭部。床を叩く、ヘルメットの音。倒れ込む、防弾スーツの体。

 その音が消え去った後の、静寂。

 いつもいつも、戦いの後には空虚さだけが残る。

そんな彼らを、モニター越しでアスカは見ていた。

よく笑う仲間たちから、淡々と人を殺すマシーンへ。……そして、戦いの後に涙を流すを。


『マズいな、そろそろ民間人が来る。任務完了、総員撤収! は別班に委託する 』


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