くちなしの
「花籠、買い物行ってきて」
母が台所から声を掛けてきた。
その言葉に花籠は財布を手に取ると外に出た。
家から出た途端、花籠は狐達に囲まれた。
「かぐや、一緒に来てもらおうか」
狐の言葉に花籠は息を飲んだ。
今「かぐや」って……。
香夜ちゃんと間違えてる!
やっぱり本物は香夜ちゃんの方なんだ……。
区別が付かないのならこのまま香夜の振りをすれば彼女も間違いだったということに出来るかもしれない。
香夜でなければならない理由があるのだとしたら間違えるわけがない。
一度や二度ならともかく、何度も花籠が襲われていて香夜が襲われたことがないのなら花籠でも構わないと言うことだろう。
お母さんは私と香夜ちゃんを間違える。
この人達も……。
けど、先輩は初対面の時でさえ間違えなかった。
先輩にとって大事なのは香夜ちゃんだから……。
きっと先輩は香夜ちゃんがいなくなったら悲しむ。
この人達にはどっちでもいいなら私でいいよね。
それで先輩が幸せになるなら……。
香夜と花籠を間違えない人にとって大事な方が残っている方がいい。
私は香夜ちゃんにはなれないから……。
その時、鳥が鳴いた――
祥顕が図書館から出ようとした時、
〝
今まで何度も聞いた声がよぎる。
「たそかれ時も 過ぎぬと思ふに」
祥顕の口から言葉が
同時に弓が目の前に現れる。
辺りを見回したが鳥の声は聞こえない。
だが何もないのに弓が出てくるはずがない。
祥顕は弓を掴んだ。
弓と一緒に現れた矢は先の部分に大きな丸い物が付いている。
そう思った時、頭に、
〝
と言う言葉が浮かんだ。
よく分からないがこれは鏑矢という矢らしい。
名前が分かれば飛ぶというものではないと思うが……。
祥顕はそう思いながらも鏑矢をつがえて夜空に放つ。
鏑矢が高い音を立てて夜の闇を斬り裂きながら飛んでいく。
矢の先の丸い物は大きな音を出すための仕掛けだったらしい。
人には当たらないでくれよ……。
矢の音が消えたかと思うと鳥の鳴き声が聞こえた。
声の方を見たが姿は判然としない。
だが向こうにいるのだ。
そう思った時、普通の矢が現れた。
祥顕は声がした方に向けて矢をつがえる。
「姿なき 月に問はまし 鳥の名を 闇に隠れし
言いながら矢をつがえると弦を引いた。
目一杯弦を引き絞り矢を放つ。
数瞬後、鳥の絶叫が
人に当たってないだろうな……。
今日明日くらいはニュースに注意していた方が良さそうだ。
誰かがケガをしたり、最悪墜落死したりしていたら自首しなければならない。
ケガ人がいないことを祈る……。
弓が消えたので祥顕は歩き出した。
花籠の頭上で叫び声がしたかと思うと近くに黒い翼があるものが落ちてきた。
黒いものはすぐに消えてしまったが矢が刺さっていたようだった。
まさか……先輩……!?
花籠は辺りを見回したが祥顕の姿はない。
気付くと周りにいた狐がいなくなっている。
え……。
どういうこと……?
花籠は困惑した。
鳥が撃ち落とされたとしても今までなら倒されない限り狐がいなくなることはなかった。
なんでいなくなっちゃったんだろ……。
花籠は首を傾げた。
それはそれとして祥顕が弓を射るのは遠くにいる時だからここに到着するまでに時間が掛かるのかもしれない。
そう思ってしばらく待ってみたが、いつまで
花籠は少し迷ってから祥顕に、
「今どこですか?」
と言うメッセージを送った。
家族以外の人に送る事は滅多にない。
まして男の人は初めてなので入力する指先が緊張で震えた。
手書きだったらひどい字になっているところだ。
すぐに祥顕から、
「図書館の前」
という返事が来た。
図書館の名前を見るとかなり離れたところだ。
「今、矢を打ったのは先輩ですか?」
と訊ねると既読が付いたが返事が来ない。
帰る途中だろうし歩きスマホは良くないから帰宅後に返事をしてくるのだろうとポケットに入れようとした時、電話が掛かってきた。
祥顕からだ。
画面をタップすると、
「花籠! 無事か!?」
という焦ったような声が聞こえてきた。
「はい、黒い鳥みたいなのが落ちてきて矢が刺さってたのでもしかして先輩かと思って……」
「花籠は今どこにいるんだ?」
「家の近くです。えっと……今から家に入るところです」
「そうか、なら家に入ったら連絡してくれ」
「分かりました」
花籠は返事をして通話を切った。
すぐに連絡を入れなければ祥顕が心配して来てしまうだろう。
こんな遅い時間まで勉強していた祥顕に寄り道させてしまうわけにはいかない。
花籠は急いで家に入ると祥顕にメッセージを送った。
深夜――
花籠は気付くと薄暗い部屋にいた。
明かりは
「香夜という娘を連れてこい」
闇の中から女の声がした。
「香夜という娘で試してみて覚醒しないようなら新しく呼び出す儀式をする」
女が言った。
「そうなると生まれ変わってくるのにまた数十年待つことになりますな」
男の声が返事をした。
「仕方あるまい」
女の声がそう言った時、誰かの肉体が突然崩れて
…………!
花籠は悲鳴を飲み込んだ。
「やはり作り物の身体はすぐに壊れるな」
女はそう言って
――世の中を 嘆かぬ程の 身なりせば 何によそへて 妹を恋はまし――
朝――
花籠は
爽やかな朝の日差しや鳥の声とは裏腹に花籠の脳裏には崩れ落ちた肉の塊がこびりついている。
それを振り払うようにして起き上がった。
放課後――
学校からの帰り道、花籠は一人で歩いていた。
そんなに回数は多くなかったけど、先輩と一緒に帰るの楽しかったな……。
花籠は溜息を
家に帰ると香夜がリビングのソファに座っていた。
「あ、花籠ちゃん、お帰り。ね、これ知ってた?」
香夜がそう言って花籠にタブレットの画面を見せた。
動画だ。
「これ何?」
「日本神話の
「へぇ」
花籠は香夜の肩越しに画面を覗き込んだ。
動画では、男性が振り返ってはいけないと言われて歩き出すが、途中で好奇心に負けて振り返ってしまう。
すると女性の身体は腐っていて所々に骨が見えウジ虫が湧いていた。
驚いた男性は逃げ出す。
「あの世まで迎えに来るほど愛してる女性でもこういう姿を見たら逃げちゃうんだね」
香夜が言った。
「いくら身体が崩れちゃってるとはいっても……」
香夜の言葉に花籠の背筋を冷たいものが走った。
そうだ……。
死後の世界まで追い掛けて行くほど好きでも逃げ出すのだから、知り合い程度の相手の身体が崩れていくところなど見たら、その目に浮かぶのは嫌悪だけだろう。
死ぬ直前に見るのが好きな人のそんな瞳だなんて絶対に嫌だ。
でもこのままだといずれその時が来てしまう。
〝助けてあげようよ〟
その声に花籠が顔を上げると目の前にもう一人の花籠がいた。
〝先輩と香夜ちゃん、助けてあげようよ〟
もう一人の花籠が繰り返す。
「私が香夜ちゃんの振りして捕まれば……」
花籠は
そうなれば彼らは諦めて数十年は何も起きない。
数十年なら祥顕が生きている間は平和だという事になる。
先輩は平穏な一生を送れる。
『……関わらなければ一生平穏に暮らしてゆけるのです』
早太の声が
花籠も香夜も狐に狙われなくなれば祥顕も戦う必要はなくなり一生平穏に暮らしていける。
香夜の振りをした花籠が覚醒しなかったら、あの連中は腹立ち紛れに花籠を殺すかもしれない。
でも――。
〝そうなれば先輩と香夜ちゃんが仲良くしてるところも見ないですむよ〟
何より醜く崩れた姿を見られずにすむ。
〝それで全部丸く収まる。望みが叶うんだよ〟
「……うん、そうだね」
死ぬことは望んでない。
けど――。
自分の醜い姿を見られるのも、祥顕と香夜が付き合っているところを見るのもイヤだ。
それくらいなら――。
――げにもさぞ ありて別れし 時だにも 今はと思へば 悲しかりしを――
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