羅(うすぎぬ)の空

 朝――


 祥顕が目を開けると机の上に突っ伏していた。

 勉強をしながら眠ってしまっていたらしい。

 祥顕は身体を起こすと伸びをした。


埋木うもれぎの……〟


 夢の中の声がよみがえる。


 なんだか覚えがあるような気がしたんだが気のせいか……?


 祥顕は机に目を落とした。

 古文の参考書のページに折れ目が付いてしまっている。


 これのせいか……?


「花咲くことも なかりしに……か」


 死ぬまで花が咲かないのは勘弁して欲しい……。


 祥顕は頭を振って今の夢を振り払うと顔を洗う為に部屋を出た。


 リビングから聞こえてくるTVのニュースは火山がどうのと言っている。

 祥顕はアナウンサーの声を背に洗面所に入った。


 家を出ると、いつものように花籠との待ち合わせ場所に向かう。


 祥顕はだ花籠の送り迎えをしていたが、〝魂の器〟ではないと双方が認識したせいか襲撃はなかった。

 ここしばらく早太の姿も見ていない。

 きっと〝魂の器〟を探しているのだろう。――本当にいるとして。


「お姉さんは?」

 祥顕は花籠と学校に向かって歩きながら訊ねた。

 花籠が黙って首を振る。


「連絡もないのか?」

 祥顕の質問に、

「はい」

 花籠は返事をすると俯いた。


 香夜の行方は分からなくなってから何日もっている。 


 姉の存在が花籠の気のせいではないと分かったのは良かったのだろうが、そうなると今度は香夜が無事でいるか心配だろう。

 ただ――。


 花籠の時には出てくる太刀や弓が出てこないのは何故だ……?


 世界を守る為ではなく、祥顕の知り合い――花籠の身の安全を守るために出てきていただけなのだろうか?


 超自然的な力がそんな個人的なことで出てくるものなのか?

 世界はどうでもいいのか?


 祥顕は首を傾げた。

 とはいえ、祥顕は一介の高校生に過ぎないし、今は受験生だ。

 勉強の時間を犠牲にして世界を守る為に戦っていたら大学に落ちてしまう。


 超自然的な力が雇ってくれたり給料くれたりするわけじゃないからな……。


 香夜のことが気にならないわけではないが行方も分からないし、当てもなく探して見つけられるとは思えない。

 今の祥顕には手の打ちようがないのだ。


 花籠はもう狙われる心配はなさそうだが送り迎えを嫌がってはいないようだし、このまま卒業まで毎日一緒に登下校してもいいだろうか。


 それとも花籠の性格からして嫌とは言えないだけとか……?


 はっきり断られていないからと言うのは甘えすぎだろうか?


 夢だと思っていたから好きだと言ってしまったが、花籠が祥顕のことをどう思っているかは聞いていない。

 もしかしてホントは迷惑だったりしないだろうか。


 迷惑ではないなら今日は評判のシェイクを飲みに誘いたいんだが……。


 祥顕が教室に入るとクラスメイト達が何やら話していた。


『動物の死骸が』とか『腐った卵の臭い』などと言っている。


 今朝のニュースのことか……。


 どうやら噴火ではなく火山ガスが流れ出して動物が死んだらしい。


 火山の近くでは硫化りゅうか水素すいそ亜硫酸ありゅうさんガスが発生して動物が死ぬことがある。

 時には人間が犠牲になることも。


 そうならないように火山ガスが発生しそうな所は立ち入り禁止になっているのだが、気体だから柵やロープでは止められないし風に流される。

 そして空気よりも重いために低い場所に溜まりやすいという性質があるため、火山ガスにまかれて被害にうことがある。

 対策として可能なのは人が近付かないように注意を呼び掛けることくらいなのだ。


 放課後――


 祥顕と花籠は一緒に下校していた。

 その時、不意に目の前の路地から狐達が飛び出してきて囲まれた。


 祥顕が咄嗟に庇うように花籠の前に出る。

 その足下に太刀が突き刺さった。


 祥顕が柄に手を掛けるのと狐が斬り掛かってくるのは同時だった。


 祥顕が太刀を引き抜きざま狐を斬り上げる。

 切っ先が狐を両断した。

 狐が塵になって消える。


「先輩!」

 花籠の声に振り向くと狐が祥顕に斬り掛かってくるのが目の隅に映った。


 狐は花籠を飛び越えて祥顕に斬り掛かってくる。

 祥顕がその刃を太刀で払う。


 バランスを崩してよろけた狐を早太の太刀が貫いた。


 祥顕は刀を構えたまま周囲に視線を走らせる。

 だが他の狐達も早太の仲間達に倒されていた。


「ご無事ですか?」

 早太が祥顕に確認するように訊ねた。

「ああ、助かった」

 祥顕が礼を言う。


「あなたは狙われているのですからお気を付け下さい」

 早太が警告を口にした。

「え、花籠は違うって分かったのにまだ狙われてるのか?」

 祥顕が驚いて言った。


 確かに、今、狐は花籠を素通りした。

 さらおうとも危害を加えようともしなかった。


 やはり狐達はもう花籠を〝魂の器〟だとは考えていないようだ。

 となると今の狙いは祥顕自身だったという事になる。

 それ自体は今までにもあったが、それは祥顕が花籠を守っているのが邪魔だったからだったはずだ。


 花籠が違うと分かった今、祥顕を邪魔だと思う理由は無くなったと思っていたのだが。

 早太は祥顕の問いには答えないまま立ち去った。


「我らは今、忙しいのだ。お前のお守りをしている暇はない」

 早太の仲間がそう言って後に続く。

 とはいえ、タイミングよく出てきたと言うことは祥顕は見張られているのだろうが。


「先輩、早太さんの事なんですけど……」

「早太は別に知り合い――ではあるが特に親しいわけじゃないぞ。名乗ってきたから名前は知ってるってだけで」

 祥顕が答えた。


 早太の名前を呼んでいるし、何度も助けられているから傍目はためには親しいように見えるのかもしれない。


 年下に敬語使ってるしな……。


「そうじゃなくて……先輩が何かの持ち主だって聞いたので……もしかして、それじゃないでしょうか」

「え?」

 祥顕が驚いたように花籠を見た。


「誰から聞いたんだ?」

「早太さんが仲間の人にそう言ってたんです。だから先輩は敵に回せないって」

 花籠の言葉に何かあったか考えてみたが思い当たる節はない。


 まぁ訳の分からないことを言ってる連中だし……。


 超常的な何かがあるのは確かだとしても、それが厨二的な発想につながっていないとは限らない。

 花籠が違うと分かった後も襲ってきたと言うことは何かあるのかもしれない。


 太刀か弓が早太達の言う〝何か〟なのか?


 祥顕は首を傾げた。


 深夜――


 薄暗い部屋で蝋燭の火が揺らめいている。


「まだ居場所が分からないのか!」

 幼い声が狐に怒鳴り付けた。

 狐は何も答えられないまま平伏している。


「向こうの術師はどうしている」

 幼い声が訊ねる。

「今のところ動きはありません」

 部屋の隅にいた男が答えた。


「もう一度だ。もう一度やる。儀式の準備をせよ」

 幼い声が言った。

「奴らは星見ほしみけておる。気付かれるでないぞ」

「は!」

 狐は頭を下げると出ていった。


―― 吾妻子あづまこや 千尋ちひろの滝の あればこそ 広き野原の 末をみるらん ――


 この地へ着いてすぐ、主の子は病で亡くなってしまった。

 女性は表向きは敗死した主と早逝そうせいした子をとむらうということにして出家し、寺で童女を育てた。


 やがて女性はその地で終焉しゅうえんを迎えた。


 早太が墓前で手を合わせていると、

「最後まで主の命を守るとは見事な忠義だ」

 その声に顔を上げるとずっと昔に亡くなった左大臣が立っていた。

 昔と全く変わらない姿だった。


「あなたは……」

「あの乱は狐のはかりごとだ」

 左大臣はそう言って狐の話と、主に次の世でその狐からこの国を守ってほしいと頼んだことを話した。


「殿はなんと?」

「引き受けてくれた」

「次の世まで戦えと?」

 早太が気色ばむ。


 来世では戦とは無縁の家に生まれることが出来るのかもしれないし、そうなれば一生平穏に過ごせる。


 今度こそ花を愛でながら歌を詠むだけの生涯を送れるかもしれないのだ。愛する女性ひとと共に。


 だが狐と戦う事を引き受けてしまったら――。


「その役目、私が代わりに引き受けます。ですから殿は……」


 主のたっての頼みとはいえ自分は逃げてしまった。


 たとえ主の最愛の女性ひととその息子を守る為であったとしても共に戦って死ねなかったのが心残りだった。

 だから、せめて次に主が生まれ変わってきた時は最後まで守り抜きたかった。


「人の身を捨てることになったとしても?」

「私のこの身は殿と共に果てました。今更人の身など――」


 早太がそう言う事を予想していたのだろう。

 左大臣はうっすらと笑みを浮かべた。


「お前の主は次の世でも人として生まれてくる。戦わずに済むかどうかはお前の働き次第だ」

 左大臣はそうと答えると、行き先を言い残して消えた。


―― 雨も世に 思ふ心の もるけにや あやしく濡るる 我がたもとかな ――

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