はなはあらはる ――

 放課後――


「今日はこっちの道から帰らないか?」

 祥顕の言葉に、

「はい。いいですよ」

 花籠は快諾した。


 ここで曲がってもまっすぐ行っても、どちらにしろもう一度曲がる必要がある。

 要は行き先が四角形の対角にある交差点だから距離は変わらないのだ。

 先に曲がるか後から曲がるかの違いだけである。


 歩いていると甘い香りがしてきたので見ると、道の先にクレープの店があった。

 花籠が顔を上げると祥顕が期待したような表情でこちらを見ている。


 食べたいのだろう。

 というか、おそらくそのために今日はこっちからと言ったに違いない。


「もし、時間があるなら……」

 祥顕が言った。

「はい。あります」

 花籠が答える。


 おごってもらうのは心苦しいが、一緒に食べられるのは嬉しい。

 それも、社交辞令ではなく祥顕の方が食べたくて誘ってくれているのだ。


 先輩へのバレンタインチョコ、気合い入れなきゃ……。

 手作りでいいのかな……。


 最近は手作りは嫌がられるとSNSに書いてあった。

 買うのならお小遣いを貯めておく必要があるし、美味しいお店を調べておかなければならない。

 花籠はそんな事を考えながら祥顕と共にクレープの店に向かった。


 ふと、花籠が顔を上げると月の絵が目に入った。

 以前、聞こえてきた幼い声がよみがえる。


「かごめ、かごめ……」

 花籠がクレープを食べながら呟く。


「光り輝く かぐや姫

 かごに閉じ込め 花で隠した

 誰の目にも 触れぬよう」


 花籠の言葉を聞いた祥顕が振り向いた。


「それは……?」

 祥顕の問いに、

「前にさらわれそうになった時に聞こえた歌です」

 花籠が答えた。


 かぐや姫を……籠に閉じ込め花で隠した……?


 〝


 香夜の名前を花籠に変えて存在を隠そうとしたという事か?

 だとしたら、やはり〝魂の器〟は花籠なのか……?


 しかし、そうなると花籠に違うと言ったのは理屈に合わない。


 どういうことだ……?


 祥顕は首を傾げた。


―― 妹がごと 恋しき花の ひらけなば 我こそ挿さめ ねやのかざしに

 ――


 朝――


 祥顕は図書館に向かって歩いていた。

 今日は土曜日だから朝から図書館の学習室で勉強するのだ。



「早太さん!」

 歩いていた早太は声を掛けられて振り返った。

 花籠が早太の方に息を切らせて駆けてくる。


「せ、先輩が……! 先輩が大変なんです!」

 花籠の言葉に早太が険しい顔になった。

「何があった!」

「狐の人達が来て先輩を……こっちです!」

 花籠がそう言って走り出す。

 早太も後を追って駆け出した。


 しばらく走ったところで花籠と早太の間に割り込むようにして白浪が飛び出してきた。

 振り返ると背後にも白浪が次々と出てくるところだった。

 完全に周りを白浪に取り囲まれている。


 前方に目を戻すと白浪の向こうに花籠が立っていた。


はかられたか……」

 早太はまんまと花籠――いや、香夜におびき出されたことに気付いて歯噛はがみした。

 祥顕や早太の予想した通り、香夜は白浪の儀式で覚醒していたのだろう。


 迂闊うかつだった……。


 早太は拳を握り締めた。


「随分簡単に誘き出されたのね」

 背後から声がして振り返ると花籠――いや、香夜か――が立っていた。

 思わず呼びに来た花籠の方を向くと狐の姿に戻るところだった。


「ちっ」

 早太は舌打ちした。

 祥顕の名前を聞いて気がはやってしまい、花籠に変化へんげした狐にだまされてしまったのだ。

 普段ならあり得ない失態だ。


「抜かったわ」

 早太は花籠の方を向いた。

「お前が香夜か」

「さぁどっちかな?」

 香夜が可愛らしく小首を傾げる。


「……目覚めたか、

 早太が目をすがめる。

「最初から眠ってないよ」

 香夜――いや、玉藻たまもが薄笑いを浮かべた。


「では我らをたばかっていたのか! 殿の最愛の女性ひとの振りまでして!」

「それも外れ。花籠はあんたの想像通り、彼女だよ」

 香夜が肩をすくめる。


「では花籠殿は……」

「目の前にいるでしょ」

 香夜が口角を上げる。


「しかし二人は間違いなく別人だったと」

 早太が戸惑ったような表情を浮かべる。

 祥顕は二人に会ったと言っていた。


「二人同時に会ったわけじゃないから……」

 香夜が早太の思いを見抜いたように答えた。


 そうか……!


 祥顕は一人の中に二人の意識があるとは思わなかったから別人だと考えてしまったのだ。


 術師は人間は生まれ変わったところで白浪にはならないと言っていたし、〝魂の器〟に人の魂が入ることはないとは言っていた。

 しかし人間の身体に白浪の魂が入らないとは言わなかった。


「あの人、何故か間違えないのよね」

 そう言った香夜を見ると指に丸数珠を掛けていた。


「それは……殿が彼女に贈られた……!? それをどこで手に入れた!?」

「あんたが持ってきたんじゃない」

 香夜がバカにしたように言った。


「何……!?」

 確かに内裏に丸数珠を届けたのは自分だった。

 だが貴族の女性に直接会うことは出来ないので早太は当時彼女に仕えていた女房に手渡しただけで顔を合わせてはいなかった。


「彼女、一度も文の返事をしなかったでしょ。だから私が彼女の振りをして返事を書いたのよ」

返事をしなかった!?」

 あのとき主は、ツレなかった相手が突然数珠をねだってきたと言っていた。

 それで喜んで丸数珠を贈ったのだが――。


「では、あれは……」

「そう、私よ」

「殿が逢引あいびきしていた相手も……」


「文はバレなかったのに、いざ会ったらぐに見抜かれちゃったのよね」

「しかし殿は……」

 だまされたとは言っていなかった。

 主の性格からして恥ずかしいから言えなかったという事はないはずだ。

 その手の失敗は何度かしていたが、いつも話してくれていた。


「女房の一人のちょっとしたおふざけだと思ったみたい。別の女として相手してくれたわよ」

 香夜が答える。


 主が彼女に逢引に行ったのは一度だけだったのだ。

 当時、内裏を警護する職にいていたこともあって主はよく内裏に行っていたのと、他の女房達とも逢引していたから早太は主が彼女と会った正確な回数は知らなかった。


 彼女(だと思っていた女性)と会って間もなく逢引あいびきがバレて主の側室になった。

 数珠の相手とは文のやりとりも逢引も少なかったのは、やりとりを始めてすぐに発覚してしまったからだと思っていた。


 そして主が数珠を贈った相手を側室かのじょが知らなかったのは覚えてなかったからではなく、やりとりをしていたのは自分ではなかったからだったのだ。


 年のせいで忘れたのではなかったのか……。


 主は謀反を起こしたことにされるずっと前にも玉藻にだまされていたのだ。


「貴様!」

 激昂げきこうした早太が玉藻に斬り掛かったが透明な何かに弾き飛ばされた。

「ぐっ!」

 早太が地面に転がる。

「ご無事ですか、早太殿!」

 仲間が狐と戦いながら声を掛けた。


 早太は素早く立ち上がると再び香夜に斬り掛かろうとしたがそこに狐達が飛び掛かってくる。


「ちっ!」

 早太は舌打ちすると狐を斬り下ろした。


〝……ま〟


 祥顕が図書館の玄関に入ろうとした時、ふいに誰かに呼ばれたような気がして足を止めた。

 辺りを見回してみたがそれらしき人影はない。


 気のせいか……?


〝お父様〟


 今度ははっきりと女性の声が聞こえた。


 祥顕がむっとした表情を浮かべる。


「人違いだ。身に覚えはない」

 残念ながら――全く。


「非モテで悪かったな」


 人が気にしていることを……。


 祥顕が聞こえなかった振りをして図書館に戻ろうとした時、ビルの窓に反射した光が祥顕の目を射貫いた。

 咄嗟に目を閉じた祥顕の瞳の奥で何かが弾けた。

 過去の記憶が押し寄せてくる。


〝……を頼む〟


 いつも聞こえてきていた声が脳裏によみがえる。


〝人の世を頼む〟


 そうだ……。


 自害する直前、この世界を託された。――左大臣あのひとに。


〝どうやら卿の力を借りねばならぬようだ〟


 今度は落ち着いた男性の声がした。いつもの声だ。


「お待ち下さい」


翻意ほんいしたくなったか?〟


「あなたの父親になった覚えはありませぬ、左大臣」


〝それは私ではない〟


 いつもの声が答える。


〝卿、力を貸して欲しい〟


「それはとっくにお引き受けしていたはず。何故もっと早く……」


〝そなたの郎党に巻き込まないでくれと頼まれたのでな〟


「……早太か」


〝残念ながら彼奴あやつの頼みを聞いてやるわけにもいかなくなったようだ〟


 左大臣の言葉に、遠い過去を振り返るように空を見上げた祥顕の視界を黒い影がよぎる。


 その時、鳥が鳴いた――

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