類ひなる

「うわっ!」

 仲間の男が早太の隣に倒れた。

 狐は次から次へと湧いてくる。


 仲間達はほとんどが倒れてしまった。

 このままでは遠からず早太もやられるだろう。


 不意に早太の頭上で鳥の鳴き声が聞こえた。


 見上げると空に黒いものが何羽も舞っている。

 そのうちの一羽が早太に向かってきた。


 これまでか……。


「殿、申し訳……」

 早太が覚悟して俯いた時、鳥の絶叫が辺りに響いた。

 空を見上げると黒いものが落ちてくるところだった。


 次々と黒いものが矢に射貫かれて落ちていく。

 白浪きつね達の間に動揺が走った。


「誰だ!」

 白浪の一人が誰何すいかした。


「清和天皇が第六の皇子みこ貞純さだずみ親王しんのうの子たる六孫王ろくそんのうが二代の苗裔びょうえい源頼光が五代後胤こういん源三位げんさんみ入道にゅうどう頼政よりまさ


 ビルの谷間に名乗りを上げる声が響いた。


「――とでも名乗っておこうか。今は出家してないから入道ではないがな」

 早太が振り返ると歩道橋の階段の踊り場に祥顕がいた。


「殿!」

 早太は思わず声を上げた。

早太はやた、いや、今は早太そうたか?」

 祥顕が小首を傾げた。


「どちらでも……お好きなようにお呼びください」

 早太が感極まったように言った。

「そうか」

 祥顕がりし日の頼政のように鷹揚おうように頷いてみせる。


「お前ら、これが怖くて私を狙っていたようだな」

 祥顕はそう言って弦を軽く弾いた。

 それだけで白浪きつねに衝撃が走る。


「それは……!」

「退魔の弓!」

 狐達が口々に言った。


曾々祖父様ひいひいじいさまが書き残したものによると雷上動らいしょうどうとか言う名弓らしいぞ」

 祥顕がそう言って弦打ちをすると狐達が次々と消えていった。


「殿、記憶が戻られたのですか? 祥顕殿のことは……」

「全部思い出したわけではないし、今世のことを忘れたわけでもない」

 祥顕が答えた。


「つまり……祥顕殿のままという事ですな」

「そうだ」

 祥顕がイタズラっぽい笑みを浮かべた。

 頼政がよく浮かべていたような笑顔だった。


「生まれ変わってもお代わりになりませぬな」

 早太が呆れ顔で言った。


「言っただろ、昔のことは少しは思い出しただけだって」

 祥顕はそう言った時、再び鳥の鳴き声がした。


 いつも夜に聞こえていた鳥の声だ。


「夜行性じゃなかったんだな。昼も起きてるんならいつ寝るんだ?」

 祥顕が言うと、

「そもそも鳥ではありませんから」

 早太が答えた。


「……ああ、そうか、ぬえか」

 祥顕は頷くと、

「まぁいい。まずは白浪あいつらを片付けよう。今までの借りを返してやる」

 狐の方に顔を向けたまま早太に言った。

「は!」

 早太が刀を構える。


 それを聞いた狐達が身構えた時、


〝これは好都合〟


 どこからか幼い声が響いた。


黒磯くろいそと退魔の力、まとめて始末してくれるわ〟

 幼い声が言った。


「くろいそ?」

 祥顕が怪訝そうな表情を浮かべると、

「我らです」

 早太が答えた。


「お前、婿入りしたのか?」

 祥顕の言葉に、

「これは組織の名前なま……」

 早太が答えようとした時、仲間の声が聞こえてきた。


「早太殿! 封印が……! 石が割られそうとのことです!」

 声の方を見ると建物の影にノートパソコンのようなものを持っている男がいる。

 どうやらどこかと連絡を取っているようだ。


下野しもつけの部隊は何をしておる!」

 早太が声の主に声を掛ける。

「白浪の力が強力で……」

 連絡役が焦ったように答える。


〝無駄だ〟


〝我らに逆らったことを後悔するがいい!〟


 そう言って幼い声が哄笑こうしょうする。

 だが――。


 不意にわらい声が止まった。


此度こたびも邪魔するか、左大臣!〟


 幼い声が憎々しげに言った。

 何があったのか分からないが邪魔が入ったらしい。


 左大臣が託したとかいう力か……。


小賢こざかしい人間め……〟


〝だが……何度も同じ手が通用すると思うな〟


 幼い声がそう言った瞬間、早太の仲間が声を上げた。


「あれは!」

 早太の仲間が空を指さす。

 太陽から少し離れた場所にもう一つ小さな太陽が浮かんでいた。


「あそこにもあるぞ!」

 別の仲間が声を上げた。

 太陽を挟んで、二つの小さな太陽が輝いている。


 幻日げんじつ……?


 幻日とは雲の中の氷晶ひょうしょう――氷の結晶が太陽の光を反射することで見える現象である。


 幻日ならただの気象現象だが……。


 しかし空には次々と小さな太陽が現れていく。

 幻日は特定の太陽からの光の角度の時に出るものだ。こんなにいくつも出るはずがない。

 辺りにイヤな気配が濃くなっていく。


 幻日と関係があるのか……。


〝これ以上はもちそうにない〟


 左大臣が悔しさを滲ませた声が聞こえた。

 と、同時に――。


「割られました!」

 男の声がしたかと思うと卵が腐ったような臭いが立ちこめた。


〝人間ごときの力などこの程度のものよ〟


「硫黄の臭い……?」

 祥顕が眉をひそめる。

 正確には硫化水素の臭いだが。


「殿! これは瘴気しょうきです! 急いでここから離れてください!」

 早太が言った。


〝逃げられると思うてか!〟


 幼い声が勝ち誇ったように言った。


「山田!」

 男の声に振り返ると、別の男が倒れている。

「殿! お早く!」

 早太が焦ったように祥顕を促す。


 確かに硫化水素は毒性が高く危険だから避難しなければならないのだが――。


 ここは人が大勢いるビルに取り囲まれているのだ。

 何もしないで逃げただけでは大量の犠牲者が出るだろう。

 実際、硫化水素は火山の近くでは度々――。


 ……?


 早太は大勢の犠牲者が出ると言っていた。

 そして最近のニュースで火山の話をしていた。


 まさか……。


 東京都心――というか関東南部に火山は無い。

 つまり東京に火山ガスが流れているとしたら関東平野の周りを取り囲んでいる火山か、あるいはそれよりも遠くにある火山が噴出したものが到達しているという事になる。


 もし、そんな事が起きているとしたら東京どころか南関東が壊滅かいめつしかねない。

 本当なら大騒ぎになっているはずだ。


 祥顕はチラッとビルの側面に取り付けられている大きな街頭ビジョンに視線を向けた。

 大規模災害ならモニターに出るだろう。


 仮に出ないとしてもスマホで緊急アラームが鳴るはずだ。


「おい、割られたって一体なんのことだ!」

 祥顕は早太に声を掛けた。


 まさか地殻が割れてマグマが直接地上に吹き出すとかじゃないだろうな……。


 そんな事になったら南関東どころか日本、いや、下手したら東アジアが壊滅するし世界中が被害を受けるだろう――下手したら人類の文明レベルが中世に戻るくらいの。


「殺生石です。前回倒した首魁の身体です。彼奴きゃつらは死ぬとき石になるのです。そしてその身体から瘴気しょうきを放ち、死してなお生き物を殺しつづけるのです」

 早太が答える。


 それが瘴気しょうきということらしい。

 しかし――。


「下野って言ってなかったか?」


 下野ということは栃木県だ。ここから大分離れている。

 そんなところから火山ガスが流れてきているのだとしたら間にある埼玉県や、近県の茨城県、千葉県などでも被害が出ているはずだ。


 早太は祥顕の言わんとすることを察したらしい。


「これは火山ガスではなく瘴気しょうきですから……おそらく彼奴あやつの……」

 早太は言葉をにごした。

「なるほど」


 祥顕は〝彼奴あやつ〟を幼い声のことと受け取って声のしてくる方に顔を向けた。

 早太が言ったのは香夜のことなのだがそれは黙っていた。


「殿、そんなことよりお早く……」

 早太が逃げろと促す。

 だが――。


 あの声は『逃がさない』と言っていた。

 おそらく何らかの策を講じてあるのだろう。

 それなら闇雲に離れようとしたところで無駄だし、何より何もしないで自分だけ逃げるわけには行かない。


 左大臣からこの世を頼まれ、自分はそれを引き受けた。


 最後まで手は尽くす……。

 諦めるのは最期の瞬間だ。


 祥顕は空を見上げると雷上動を構えた。


〝闇雲に矢を放ったところで無駄だ〟


 幼い声がそう言った時、


天照あまてらす まどひの光 空にみつ やまとの枝の 影のさす根は〟


 左大臣の声がした。


 本物は一つという事か……。


 祥顕は兵破ひょうはを雷上動につがえた。


そらにみつ やまとにさすや はだれ日の 八重なる光 花と散るなむ」

 幻日に向かって弦をぎりぎりまで引き絞ると矢を放った。


 矢が音を立てて飛んでいく。

 吸い込まれるように矢が消えたかと思うと空を覆っていた幻日が歪む――。一つを除いて。


 あれか……。


 祥顕は水破すいはをつがえた。

 狙いを定めて矢を放つ。


 水破に射貫かれた幻日が砕ける。

 同時に他の幻日も消えた。

 そして呪文を唱えるような声が聞こえてきたかと思うと強い風が吹いて臭いはあっという間に散らされていった。


〝悪あがきを!――やれ!〟


 幼い声が言った。

 同時に祥顕達は退けたはずの狐達に囲まれた。


「狐なら……」

 祥顕が弓を構えて弦打ちをしようとした時、羽ばたきの音がして咄嗟に地面に転がった。

 たった今まで祥顕の頭があった位置を鵺が飛び去っていく。

 空を見上げると何羽もの鵺達が飛んでいた。


 鵺は弦打ちが効かない。

 これだけいるとなると狐を弦打ちで退けてからと言うのも無理だ。


「殿は鵺を。狐は我らが」

 早太の言葉に祥顕は雷上動を構えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る