花を隠せし

 祥顕は一羽、二羽と次々と鵺を射落としていった。

 少し離れた位置で早太が狐を倒している。


 不意に祥顕の視界の隅に突っ込んでくる狐が映った。


「殿……!」

 早太が駆け付けてくるより先に祥顕は右手で腰の刀を抜くと狐を斬り払った。

 狐が塵になって消える。


「こいつら、どこから湧いてくるんだ?」

 祥顕がそう言うと、

「あれは石の欠片ですから」

 早太が答えた。


「石?」

「殺生石の欠片から生まれているのです」

 早太が言う。


「もしかして、割られたって言ってたのはそれか?」

 祥顕の問いに、

「そうですが、この狐どもはずっと前に破片になっていたものから生まれているのです」

 早太が答えた。


 今イチよく分からないから後で詳しい説明を聞くことにしよう。


 祥顕は右手の刀を斬り下げて狐を倒すと納刀して弓を構えた。

 そのまま立て続けに矢を放って次々と鵺を射貫いていく。


〝ちっ、悪あがきを!〟


 幼い声は忌々しげにそう言ったかと思うと、不意に声の調子を変えた。


〝かごめ、かごめ〟


「花籠……?」

 祥顕が顔を上げた。


 まさか、花籠がこの近くにいるのか……!?


 祥顕は慌てて辺りを見回したが姿はない。


〝光り輝く かぐや姫


 籠に閉じ込め花に隠した


 誰の目にも触れぬよう〟


 これは……花籠が聞いたといっていた歌だ!

 やはり花籠がこの辺りにいるのか……!?


 祥顕は周りを見回した。


〝さあ、籠の中から出ておいで〟


 幼い声がそう言った時、何かが倒れたような音がした。

 振り返ると少女がうつ伏せに倒れている。


 まさか……!?


「花籠!?」

 祥顕は少女に向かって駆け出した。

「殿! お待ち下さい!」

 早太が制止するのも構わず走り寄ると少女の身体を起こした。


 やはり花籠だ。


「花籠! しっかりしろ! 花籠!」

 祥顕は必死で呼び掛けたが花籠は意識を失ったままだった。


 その時、

「見ろ!」

 男の声がした。

「バカ! 太陽を直接見るな!」

 別の男がたしなめる。


 思わず顔を上げかけていた祥顕はその言葉に動きを止めた。

 すると地面に映っている街路樹の木漏こもれ日が目に入った。

 影の間から漏れている太陽の光が欠けている。


 普通では気付きづらいが小さな穴から漏れる明かりというのは光源と同じ形をしているのだ。

 太陽は丸いから木漏れ日も普段は丸いのだが日食の時は太陽と同じように欠けた形になる。


 見る間にその影が大きくなっていき、同時に周囲を照らす日の光が少しずつ弱くなって辺りが薄暗くなっていく。


「日食?」

 祥顕はそう呟いてから酒井の言葉を思い出した。


 違う……。


 日本での次の日食は十年後だ。

 これは自然に起きている日食じゃない。

 幻日と同じく白浪きつねの仕業なのだ。


 だが今はそれどころではない。


「花籠! 花籠!」

 祥顕は再び花籠に声を掛けた。

 ここは危険だ。


 硫化水素は払われたようだが、あの声の主は健在なのだ。

 あの声が何かする前に花籠をここから逃がさなければならない。

 だが、いくら呼び掛けても花籠の意識は戻らなかった。


 どうすれば……。


 そう思った時、


〝二度と明けない夜の始まりだ〟


〝暗闇の支配する世界がな〟


 幼い声が嘲笑ちょうしょうするように言った。


〝花散らす あまつ風吹く 黒き昼 月の都は 君を呼びけり〟


 左大臣の声がした。


〝光り輝く 


 祥顕はハッとした。


 まさか……。

 花籠を連れていくつもりなのか?

 月の世界へ……。


 木漏れ日に目を向ける。

 こうしている間にも黒い月が太陽を覆い隠していく。


 月に帰ったかぐや姫は二度と戻ってこなかった……。


「冗談じゃない! 月に帰したりしない!」

 祥顕は花籠を抱く腕に力を込めた。


いにしえの世、月からの迎えを阻もうとした者達は失敗した〟


「私にも無理だと?」

 祥顕がキッと顔を上げた。


まことの月ならそうかもしれぬ。だが、あれは偽の月よ〟


 左大臣はそう言うと、「射てみよ」というように扇で月を指した。

 その瞬間、にわかに辺りが曇り、太陽に薄い雲が掛かった。

 辺りが更に暗くなる。


〝そんなことで妨害出来ると思うてか〟


 幼い声が嘲笑あざわらう。


 違う……。


 祥顕は空を見上げた。

 この雲は白浪を妨害するためのものではない。


 祥顕はそっと花籠を地面に横たえると雷上動を掴んで立ち上がった。


 あの雲は祥顕が目を痛めずに太陽を直接見られるようにするためだ。

 だから太陽が見えなくなるほどの厚さではない。

 祥顕は雷上動を構えた。


七重ななえ八重やえ 十重とえ二十重はたえに 天つ風 闇を運べど ひかり花さく」

 祥顕は限界まで引き絞った弦を放した。


 矢が真っ直ぐに太陽を覆い隠そうとしている黒い影に向かって飛んでいく。


 太陽が完全に隠れてしまう直前、影が砕けた。

 辺りにまぶしい光が溢れる。


〝くそっ! これで終わったわけではないぞ!〟


 幼い声がそう言うと同時に辺りに漂っていた嫌な気配が消えた。


 花籠が気付くと目の前に香夜がいた。


「香夜ちゃん! 無事だったの!?」

「自分の心配した方がいいんじゃない?」

 香夜が苦笑いしながら言った。


「え?」

玉藻前たまものまえはこの身体から逃げ出した――そういう振りはしたけど連中が騙されたかどうかは……」

 香夜が『分からない』と言う風に肩をすくめた。


「どういう事? 玉藻前って?」

「昔、私が宮中に入り込んでた時の名前よ」

 香夜が答える。


 きゅうちゅう……?

 あ、宮中か……。


 そういえば早太が生まれ変わりがどうとか言っていた。


「文武両道でイケメンで女達からモテまくってるのに自分の事を不細工だと思ってコンプレックスを持ってる――どこかで聞いたことない?」

「え……それ、もしかして、先輩?」


 平安時代末期、内裏に入り込んだ香夜は玉藻前と名乗り上皇に取り入った。

 上皇を骨抜きにし、大内裏で思うままに権勢をふるっていた時、歌会うたかいに来たある武士が目に止まった。

 普段は内裏を警備している男だ。


 庭で警護をしている時、よく貴族や女房達と歌のやりとりをしているのを見掛けてはいたのだ。

 当時、歌は誰でも詠めたがどうでもいいような日常のやりとりのときまで歌を詠んでやりとりする者はそれほど多くなかった。

 だが歌会など競技として成り立っていたくらいだから好きな者は好きだった。

 そして、好きな者同士でよくやりとりしていたのだ。


 内裏内ではそうそう警備の者が必要になることなど起きない。

 だから貴族の男など腕が立つわけない。それも歌会を渡り歩いているような歌人気取りの男が。

 そう思っていた。


 玉藻前の放った手下きつね達が次々と頼政の部下に始末されてしまっていたが、それは郎党が優秀なのだと。

 だが違った。


 帝を亡き者にしようと手下を放った時のことだ。


 夜な夜な内裏の屋根の上で鳴く手下の声に帝の身体はどんどん弱っていった。

 そこでその退治をするために頼政に白羽の矢が立った。

 夜の暗闇の中で鳴いていた玉藻前の手下を頼政は見事に射貫いた上に左大臣が詠みかけた歌に見事に返して弓の腕だけではなく歌にもけていると一気に評判になったのだ。

 と言っても元から歌が上手いのは知られていて人気はあったのだが、これで一気に女性人気が高まった。


 へぇ……って、あれ?

 どこかで聞いた事あるような……。


「鵺退治。有名な話でしょ」

 香夜が言った。


「朝な朝な 恋こそ弱れ ますかがみ 見ればいとふも 思ひ知られて」

 香夜が呟いた歌の意味が分からず花籠は首を傾げた。


「毎朝鏡を見る度に自分の不細工さを思い知らされて、これじゃあモテるわけないって考えて落ち込むって歌」

 香夜が言った。

 そういえば祥顕も似たようなことを言っていた。


「あの頃はなびいた女には見境なく手を出しまくってたけどね」

 本人が勝手にモテないと思っていただけで実際は女性に人気があったから妻も何人もいたし、関係を持っただけの相手はもっと多かった。


「先輩、目が悪いわけじゃないよね? ひどい乱視とか?」

 花籠が疑問を口にした。


「目が悪かったら弓の名手は無理でしょ。特に眼鏡が無かった時代は」

 香夜が答える。


 そうだけど……。


「でも目がいならなんで……」

「当時の鏡はそんなに映りが良いものじゃなかったから」

 今のようにはっきり映る鏡が出来たのは割と最近なのだ。


「なんで今の世でも同じなのかは分からないけど」

 香夜が肩を竦める。


「ずっとあんたが羨ましかった。頼政あのひとに選ばれた菖蒲前あんたが」

 香夜が遠くを見るような表情で呟いた。


 一番の美姫びき玉藻前じぶんだったのに頼政が夢中になったのは菖蒲前あやめのまえだった。

 もし玉藻前じぶんに文を送ってくれていたら上皇の寵愛が他の女性に向くように仕向けて頼政に乗り替えるつもりだった。


 菖蒲前は一切返事を出さなかったから、いつか頼政が自分の方を向いてくれるかもしれない。

 そう思って待っていた。


 だが頼政は菖蒲前に文を送り続け、結局それが上皇に知るところとなり頼政の側室になった。


 その後、玉藻前は妖狐だという事がバレて宮中から逃げ出したが下野しもつけで討伐されてしまった。


 その後、玉藻前は何度か人間界に来ては黒磯そうた達に討伐されてきた。


 そして今世で作られた〝魂の器〟は死んでしまった。

 良い機会だと思った。

 白浪と手を切るチャンスだと。


 そこで近くにいた生まれたばかりの赤ん坊の中に入った。


「それが、あんた。香夜よ」

「え……?」

 花籠はすぐには意味が飲み込めず、首を傾げた。


「生まれた時、香夜って名前を付けられたのはあんたなのよ」

 香夜が答える。


 そういえば、母が最初は香夜という名前にするはずだったと言っていた。

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