もすそ引く

「ーーーー!」

 悲鳴を聞いて振り返ると黒いものが空から少女に飛び掛かってくるところだった。

 祥顕は咄嗟に少女の腕を掴んで自分と場所を入れ替えた。

 黒いものが祥顕に突っ込んでくる。


 やられる……!


 その瞬間、


〝ほととぎす……〟


 誰かの声が聞こえた。

 夕辺聞こえた声だ。


〝……名をも雲井に あぐるかな〟


「弓はり月の いるにまかせて」

 思わず言葉が口をいて出た。


 その瞬間、どこからか日本刀が飛んできた。

 祥顕の足下に太刀が突き立つ。


「何をする!」

 祥顕が眼帯の男に怒鳴った。

「私めは何もしておりません」

 男が冷静な声で答える。

 確かに男の刀ではない。

 男は刀を手に持っている。


「それはあなたが拝領はいりょうされた太刀。持ち主の元に戻られただけです」

 眼帯の男の言葉に祥顕は太刀を掴んで引き抜き構えてみた。


 そう言われてみれば手にしっくり馴染なじ……まない。


「ホントに俺の刀か?」

「……そういえば、お使いになられたことはありませんでしたな」

 眼帯の男が答える。

 まぁどちらにしろ刀など使ったことはないのだから同じ事だ。


「それより……」

 男が空に目を向けて身構える。


 ほぼ同時に月明かりがかげった。

 祥顕も刀を構えた。


 弓と同じく訓練したことがあるかのように太刀も自然につかえる。

 まるで身体が覚えているかのようだ。

 弓道も剣道も習ったことはないのだが。


 空から飛び掛かってくるなら人間ではないだろう。

 祥顕は太刀を振りかぶると斜めに払う。

 黒い影がちりとなって消えた。


 眼帯の男が残る一体を倒す。

 やはり塵になった。

 周りを見回すと狐面は一人もいなかった。


 祥顕は刀を構えたまま男達の方を向いた。

 女の子を狙っていたのはこの男達も同じだ。

 しかも刃物――日本刀で斬り掛かったのだから殺意があったのは間違いないだろう。

 だとしたら気をゆるめるわけにはいかない。

 この眼帯の男やその仲間達も敵だ。


「あなたと戦う気はありません。その娘を渡して下さい」

「そんなこと出来るわけないだろ」

 祥顕が刀を構え直す。


 とはいえ、人間を斬ったら傷害罪、殺してしまったら傷害致死罪か下手したら殺人罪だ。

 日本刀を持っていたのでは正当防衛は通らないだろう。


 刃物慣れしているようだから脅しにもならないはずだ。

 かといって素手で複数の男達を相手にして少女が逃げ切る時間を稼げるだろうか。


 祥顕が考えを巡らせていると、

「……我らと共に戦ってほしいとは申しません」

 男が口を開いた。


「頼まれても断るからな」

「ですが、せめて引いていただきたい」

「断る」

 即答した祥顕に眼帯の男が苦笑する。


「少しくらいは考えていただきたいのですが……」

「出来ない相談だな」

其奴そやつはこの国に災いをもたらします」

「はぁ?」

「私、そんな事……」

 祥顕と少女が同時に言った。


こじれさせすぎだろ。中学生のおん――」

「高校生です」

 少女が訂正する。

「――女の子にそんなこと出来るかよ」


 そういえばこの前も厨二っぽいこと言ってたな……。


「今は普通の高校生ですが、いずれ……」

「何ごっこかは知らないが無関係の人間を巻き込むな。よそでやれ」


 言葉を遮った祥顕に反論しようとした眼帯の男は少女の方に目を向けて口を噤んだ。

 視線だけ後ろに送ると少女がスマホを持っている。

 おそらく通報したのだろう。

 眼帯の男は仕方なさそうに仲間達に合図をすると去っていった。


「それじゃ」

 祥顕がそう言うと、

「え?」

 少女が戸惑ったような表情を浮かべる。

 祥顕が送ると申し出ると思ったのだろう。


「行き先、この近くだろ。なら何かあったら大声出してくれれば聞こえるはずだから」


『家』ではなく『行き先』と言ったのは以前の花籠の嘘に合わせてくれているからだろう。

 声が届くというのも自宅がこの近くだということに気付いているからだ。

 住宅街の中など家しかないのだから当然と言えば当然だが。


「あの……ありがとうございました!」

 花籠が頭を下げると祥顕は笑って踵を返した。


 やっぱり先輩、格好良かっこいい……。

 先輩と仲良くなれた香夜ちゃんが羨ましいな……。


 そんな事を考えながら祥顕の背中を見送った花籠は家に向かった。


―― 我が宿の 花はねたくや 思ふらん よその梢に 分くる心を ――


 新学期の休み時間――。


「弓弦、お前も行かないか?」

 クラスメイトの酒井が声を掛けてきた。

 他のクラスメイト達が一緒だ。


「どこへ?」

「一年の教室。新入生にすっげぇ可愛い子がいるっていうから見に行くんだ」

 酒井の言葉に祥顕は呆れる。

「用もないのに顔だけ見にいくなんてやめとけ」

 祥顕は酒井をたしなめた。


「お前には女の子に縁がない俺達の気持ちは分かんねぇよ」

「ガツガツしてるのってみっともないよね」

 側で聞いていた宮田が言った。

 宮田はサッカー部のエースで女子にもモテている男子だ。


「そんなんだからモテないって分からないのかな」

 宮田がそう言うと酒井達は明らかに腹を立てているような表情を浮かべた。


 別にそこまでは思ってないんだが……。


「そりゃ、お前らは見に来られる側だからそんな事が言えんだよ」

「俺を誰かがわざわざ見に来たことなんかないぞ」

 祥顕の言葉に酒井を含めた周りのクラスメイト達が呆れた表情になる。


 なんか変なこと言ったか……?


 祥顕は首を傾げた。


 女の子が見に来たという話は聞いてないが……。


「お前な……」

「よせ、時間がもったいない。早く行こうぜ」

 そう言うと酒井はクラスメイト達と連れ立って出ていった。


「女の子眺めて喜ぶとか趣味悪いよね」

 宮田が呆れたように酒井達の後ろ姿を見送った。

「男を眺めても楽しくはないけどな」

 祥顕が予防線を張るように言うと宮田は何を言いたいか察したように苦笑した。


「僕だって一緒に過ごすのは女性の方がいいよ。けど見てるだけなんて時間の無駄だよ」

 宮田の言葉に祥顕は頷いた。

 知り合いになれるチャンスがあるならともかく、その他大勢として眺めているだけなんて不毛だ。


 どうせ今知り合ったところで今年は受験だし……。


 親から大学は国公立に、と言われている。

 それも電車賃を抑えるために近いところに、と。

 東京の国立大はどこも難関ばかりだ。

 中には〝超〟が付くところもある。

 偏差値で入れそうなところを選ぶにしてもかなり勉強しなければならない。


 祥顕が通っている高校は難関大学の合格率が高いのだが学校の合格率の高さと個人の成績は別物だ。

 近さだけなら私立大なのだが、国立大に通う交通費を考えても私立の学費は高い。

 一番近いのは本郷だが――。


 どう考えても無理だしな……。


 校舎でチャイムが鳴り、授業が終わった教室から生徒達が出てきた。

 この高校は制服ではなく、着用したい者だけが着る標準服なので私服の生徒と標準服の生徒が混ざっている。


 祥顕は標準服を着ていた。

 人に笑われるような格好はしたくないが、自分に似合うオシャレな服装というのがよく分からない。

 休みの日に友人達と出掛ける時は適当な服で構わないが、女の子に見られる可能性のある学校におかしな格好で登校したくない。

 その点、標準服なら考える必要がないから楽なのだ。


「弓弦、先生が呼んでたぞ」

「あ、サンキュ」

 礼を言って立ち上がろうとすると酒井が祥顕の机の上に課題のたばを置いた。


「職員室まで行くならついでにこれ持っててくれ」

「ホントに先生が呼んでたんだろうな」

 祥顕が疑わしそうな表情を浮かべると、

「ホントホント」

 酒井が笑いながら答えた。


 そう言われては仕方ない。

 もし本当だったら行かなければ先生に叱られる。

 祥顕は立ち上って課題の束を抱えた。


「今度おごれよ」

「おう」

 酒井が軽く答える。

 祥顕は肩をすくめると職員室に向かった。


 夜――。


 図書館からの帰宅途中、夜道を歩いていると鳥の鳴き声が聞こえた。

 またあの少女が襲われているのかと思ったが人の声も足音もしない。


 生息域を広げた鳥かもしれない。

 外来種だけではなく昔から日本にいた虫や植物なども温暖化によって生息域が変化していると聞いている。

 植物ですら来られるなら空を飛べる鳥は余裕だろう。


 そう思った時、

「危ない!」

 その声に顔を上げると同時にこの前の眼帯の男が祥顕を庇うように前に飛び出してきて何かを弾き飛ばした。


 飛ばされた何かは道路で四つんいに近い体勢でこちらにうなり声を上げている。


 あの女の子を狙っていた狐面だ……!

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